学位論文要旨



No 120303
著者(漢字) 藤本,肇
著者(英字)
著者(カナ) フジモト,ハジメ
標題(和) 心筋虚血再灌流傷害に対する低濃度一酸化炭素の保護効果 : MAPK,Akt-eNOS-cGMP経路
標題(洋)
報告番号 120303
報告番号 甲20303
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2452号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 宮田,哲郎
 東京大学 助教授 佐田,政隆
 東京大学 講師 野入,英世
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

 急性心筋梗塞が発症した際、早期に再灌流療法を行うことが重要である。しかし虚血心筋を急速に酸素化すると心筋内で活性酸素が発生し、虚血再灌流傷害を引き起こし、心筋細胞死・左室機能低下・致死的不整脈を惹起する可能性がある。虚血再灌流傷害を来した心筋においては活性酸素が集積していること、そしてこの活性酸素の集積を抑制すると心筋傷害・左室機能低下・不整脈などが低減することから活性酸素によって引き起こされる酸化ストレスが虚血再灌流傷害発症に深く関わっていると考えられている。

 生体内における抗ストレス酵素であるheme oxygenase-1(HO-1)はhemeを代謝して遊離鉄, ビリベルジン(biliverdin), 一酸化炭素(CO)を産生すると考えられている。COは従来細胞の呼吸を阻害する有毒物質として認識されていたが、近年種々の組織障害に対して低濃度のCOが防御的効果を示すことが報告されるようになった。しかしCOの組織保護効果の機序については諸説が錯綜しており、依然不明な点が多い。

 HO-1が抗酸化作用により心筋虚血再灌流傷害を低減させる機能を有する点に鑑みると、HO-1によるヘムの代謝産物であるCOも同様の効果を有する可能性がある。HO-1に比してCOをガスの状態で多量に準備することは比較的容易であるから、もし低濃度のCOに心筋虚血再灌流傷害を低減させる効果があれば副作用を生じさせない濃度で急性心筋梗塞患者に投与することにより治療手段として利用できる可能性がある。また心臓のように酸素需要が多い臓器においてCOが虚血再灌流傷害を低減させるか効果を有するか否かは非常に興味深いと思われる。さらにCOの組織保護の機序を明らかにすることはHO-1の生理的な機能を解明する上でも重要であると考えられる。本研究で我々は様々な濃度のCOを投与したラットに心筋虚血再灌流手術を施行し、COが心筋を虚血再灌流傷害から防御する効果を有するか否かを検討し、さらにその機序についても検討した。

【方法】

 体重180g - 250gの雌Sprague-Dawleyラットを密閉された容器内に入れ、0ppm, 250ppm, 500ppm, 1000ppm各濃度のCOと空気の混合ガスを容器内に還流させる、または容器内の気圧を0.5気圧に減圧してラットを低酸素状態に曝し24時間飼育。その後ラットを容器から取り出して麻酔下にて迅速に開胸し、冠動脈左前下行枝近位部を結紮し、30分後に再灌流、再灌流後2時間後に心筋を取り出し、心筋梗塞領域の計測・心筋内における各種タンパク発現・病理所見(病理標本は再灌流2時間後に閉胸し、24時間後に心臓を摘出)などを検討した。なお、CO吸入群ラットについては虚血再灌流中の血中HbCO濃度をほぼ一定に保つために再灌流後2時間250ppmのCO混合空気を人工呼吸器により吸入させた。

【結果】

 250ppm, 500ppm, 1000ppmの一酸化炭素を24時間吸入させた時のラットの血中HbCO濃度は各々20 ± 1%, 25 ± 1%, 30 ± 1%であった。COの吸入はラットの術前の血圧や体温に影響を及ぼさなかった。

 1000ppm COを24時間吸入させた後虚血再灌流手術を施行した群では前下行枝灌流域に対する梗塞領域の割合 (I/R比)は6 ± 2%であり、COを吸入させなかったコントロール群のI/R比 35 ± 4% に比して有意に低値であった(P < 0.01)。亜鉛プロトポルフィリン(ZnPP; HO-1阻害剤)の事前投与下でも1000ppm COはZnPP非投与下と同程度に虚血再灌流傷害を低減させた。

 また1000ppm COを24時間吸入させた群では前下行枝灌流域における単核球の浸潤やTNF-αの発現は有意に低減していた。250ppm, 500ppmのCOを24時間吸入させた群や0.5気圧の低酸素状態に24時間曝した群ではI/R ratioの低減や前下行枝領域における単核球浸潤やTNF-αの減少は認めなかった。

 1000ppm COをラットに吸入させると心筋内p38MAPK, Akt, eNOS, cGMPの活性化が認められた。一方250ppm CO, 500ppm COの吸入や0.5気圧の低酸素状態への暴露はこれらのタンパクを活性化させなかった。SB203580 (p38MAPK阻害剤)をラットに事前投与すると1000ppm COによるp38MAPKのリン酸化が阻害され、wortmannin(PI3kinase阻害剤)を事前投与すると1000ppm COによるAkt, eNOSのリン酸化が阻害された。SB203580とwortmannin両方を事前投与すると1000ppm COによるp38MAPK, Akt, eNOSのリン酸化は全て阻害された。WortmanninまたはL-NAME(NO阻害剤)の事前投与は各々1000ppm COの吸入による心筋内cGMPの活性化も抑制した。

 SB203580, wortmannin, L-NAME各々を事前投与した上で1000ppm COを24時間吸入させたラットに虚血再灌流手術を施行すると、I/R比はvehicle (DMSO)と1000ppm COを投与したラットに比して有意に高く、COを投与しなかったラットに比して有意に低かった(I/R比; 20 ± 3% [SB203580 + 1000ppm CO], 23 ± 2% [wortmannin + 1000ppm CO], 39 ± 4% [SB203580 + wortmannin + 1000ppm CO], and 22 ± 5% [L-NAME + 1000ppm CO] vs 9 ± 3% [vehicle + 1000ppm CO], 各P < 0.01)。即ちSB203580, wortmannin, L-NAMEには各々1000ppm COの心筋保護効果を部分的に阻害する効果が認められ、SB203580とwortmanninの両方を事前投与すると1000ppm COによる心筋保護効果は完全に阻害された。またmethylene blue(可溶性グアニレート・シクラーゼ阻害剤)を事前投与すると1000 ppm COの心筋保護効果は阻害された(I/R比; 31 ± 7% [methylene blue + 1000ppm CO])。

【考察】

 本研究の結果から1000ppm COには心筋虚血再灌流傷害を低減させる効果があると考えられた。500ppm CO, 1000ppm CO各々に24時間曝したラットで血中HbCO濃度はほぼ同程度であったにもかかわらず500ppm COにはI/R ratio低減効果やp38MAPK, Akt, eNOS活性化効果は認められず、また0.5気圧低酸素状態にもかかる効果は認められなかったことから、1000ppm COの心筋保護効果は低酸素preconditioningによるものではないと考えられた。心臓のように特に酸素需要の多い臓器においてCO投与により虚血再灌流傷害が低減することは注目すべき事実と考えられた。

 COの組織保護効果の機序について、我々は従前から考えられているp38MAPK経路と併せてAkt-eNOS経路の役割についても検討した。MAPKは活性酸素に反応して活性化され、細胞死を制御すると考えられており、Aktは心筋細胞を虚血再灌流傷害によるアポトーシスから防御する役割をすると考えられている。さらにAktの活性化はendothelial nitric oxide synthase (eNOS)の活性化を引き起こし、NOは細胞のアポトーシスを低減させるとともにsGC-cGMPを活性化させると考えられている。1000ppm COの吸入は心筋中のp38MAPK, Akt, eNOS, cGMPを活性化させた。SB203580, wortmannin, L-NAME, methylene blueを用いた検討から、COの心筋保護効果はp38MAPK経路とAkt-eNOS-sGC-cGMP経路を介しており、これら二つの経路は互いに独立した経路であると考えられた。これまでAkt-eNOS経路とCOの組織保護効果との関係についての報告は見られず、我々の結果はCOのシグナル経路についての新しい知見であった。内皮細胞は心臓に豊富に存在しており、心筋においてはCOの保護効果にAkt-eNOS経路が重要な役割を果たしている可能性があると考えられた。

 我々のデータから、心筋虚血再灌流傷害を低減させるのに必要なCO濃度は1000ppmであった。血中HbCO濃度が約30%に至るとCOによる様々な毒性が発現する可能性がある。それゆえ人体におけるCOの至適濃度を検討するにはさらに多くの種類の動物を用いて様々な条件下での実験が必要であると考えられる。しかしそのことを勘案しても我々のデータは将来心筋虚血再灌流傷害に対してCOが治療的に利用される可能性を示唆するものであると考える。

【結論】COは心筋虚血再灌流傷害に対する防御的効果を有する。この効果にはp38MAPK経路とsGC, cGMPの活性化を含むAkt-eNOS経路が重要な役割を果たしていると考えられた。本研究の結果は将来、急性心筋梗塞患者の虚血再灌流傷害を低減させるために低濃度COを臨床応用できる可能性を示唆するものと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は生体内因性の抗酸化酵素であるheme oxigenase-1によるhemeの代謝産物、一酸化炭素(CO)が生体内における重要なシグナル分子であり、低濃度のCOがラットの心筋虚血再灌流傷害を低減させる機能を有することを示したものであり、以下の結果を得ている。

1. ラットに1000ppm COを24時間吸入させた後虚血再灌流手術を施行すると、前下行枝灌流域に対する梗塞領域の割合 (I/R比)は、COを吸入させずに虚血再灌流手術を行ったラットのそれに比して有意に低減した。これに対して250ppm, 500ppm COや0.5気圧の低酸素状態へ24時間暴露したラットにおいては心筋梗塞領域の低減は見られなかった。

2. 1000ppm COを24時間吸入させた群では前下行枝灌流域における単核球の浸潤やTNF-αの発現は有意に低減していた。250ppm, 500ppmのCOを24時間吸入させた群や0.5気圧の低酸素状態に24時間曝した群ではI/R ratioの低減や前下行枝領域における単核球浸潤やTNF-αの減少は認めなかった。以上から、1000ppm COの前投与には心筋虚血再灌流傷害を低減させる効果があると考えられた。

3. 1000ppm COをラットに吸入させると心筋内p38MAPK, Akt, eNOS, cGMPの活性化が認められた。一方250ppm CO, 500ppm COの吸入や0.5気圧の低酸素状態への暴露はこれらのタンパクを活性化させなかった。SB203580 (p38MAPK阻害剤)をラットに事前投与すると1000ppm COによるp38MAPKのリン酸化が阻害され、wortmannin(PI3kinase阻害剤)を事前投与すると1000ppm COによるAkt, eNOSのリン酸化が阻害された。SB203580とwortmannin両方を事前投与すると1000ppm COによるp38MAPK, Akt, eNOSのリン酸化は全て阻害された。WortmanninまたはL-NAME(NO阻害剤)の事前投与は各々1000ppm COの吸入による心筋内cGMPの活性化も抑制した。

4. SB203580, wortmannin, L-NAME各々を事前投与した上で1000ppm COを24時間吸入させたラットに虚血再灌流手術を施行すると、I/R比はvehicle (DMSO)と1000ppm COを投与したラットに比して有意に高く、COを投与しなかったラットに比して有意に低かった。即ちSB203580, wortmannin, L-NAMEには各々1000ppm COの心筋保護効果を部分的に阻害する効果が認められ、SB203580とwortmanninの両方を事前投与すると1000ppm COによる心筋保護効果は完全に阻害された。またmethylene blue(可溶性グアニレート・シクラーゼ阻害剤)を事前投与すると1000 ppm COの心筋保護効果は阻害された。以上から、COによる心筋虚血再灌流傷害低減効果にはp38MAPK経路とAkt-eNOS-sGC-cGMP経路が重要な役割を果たしており、これらは互いに独立した経路であると考えられた。

 以上、本論文はラットのvivoモデルにおいて、低濃度COの直接吸入により心筋虚血再灌流傷害が低減すること、その機序にはp38MAPK経路とAkt-eNOS-sGC-cGMP経路が重要な役割を果たしていることを明らかにした。本研究は低濃度COの直接吸入によりvivoモデルで心筋虚血再灌流傷害を低減することを初めて示したものであり、またCOの心筋保護効果にAkt-eNOS経路が重要な役割を果たしていることを初めて明らかにした。将来COが急性心筋梗塞患者の治療に用いうる可能性を示し、heme oxygenase-1の生理的機能の解明にも貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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