学位論文要旨



No 120314
著者(漢字) 田中,哲洋
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,テツヒロ
標題(和) タンパク尿および糸球体高血圧を伴う腎疾患における低酸素
標題(洋) Hypoxia in Renal Disease with Proteinuria and/or Glomerular Hypertension
報告番号 120314
報告番号 甲20314
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2463号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 教授 北村,唯一
 東京大学 講師 野入,英世
 東京大学 講師 大野,実
 東京大学 助教授 佐田,政隆
内容要旨 要旨を表示する

[背景]

 各種進行性腎障害に共通する病態修飾因子として、タンパク尿の存在とともに尿細管間質領域における慢性低酸素の存在が推定されている。この仮説はヒトや実験動物での腎障害の程度が、傍尿細管微小血管の脱落と相関するという所見や血管保護・新生を標的とした実験的治療が腎障害を改善するといった実験的試みによって幅広く支持されている。しかしながら、実際に尿細管間質での酸素化を評価した報告は少なく、その結論も一定の見解を得るに至っていない。以上の観点から、個体の低酸素状態を細胞レベルで検出する遺伝子改変ラットを作製し、puromycin腎症と5/6腎摘モデルにて尿細管間質の低酸素を検出した。

 哺乳類細胞には低酸素環境に順応するための機構が数多く存在し、分子レベルでは遺伝子転写レベルでのerythropoietin(Epo)、vascular endothelial growth factor (VEGF)、解糖系酵素の発現誘導が知られている。

Hypoxia-inducible factor-1 (HIF-1)は、上記遺伝子発現を低酸素環境下で正に調節する最も重要な転写因子の一つである。HIF-1はαおよびβ鎖からなるヘテロニ量体で、basic helix-loop-helix (bHLH) スーパーファミリーに属する。全身にてubiquitousに発現しており、そのα鎖は通常酸素濃度下では速やかにユビキチン分解をうけているが、一旦低酸素にさらされると、HIF-1αは分解を逃れ、恒常的に発現しているβ鎖と結合し、当該遺伝子のエンハンサーに存在するcis- コンセンサスHIF-1-結合部位(hypoxia-responsive element (HRE))と結合することで遺伝子転写を正に制御する。近年の分子生物学研究において、HIF-1の低酸素依存性発現調節のメカニズムがより明らかとなった。通常酸素濃度下では、HIF-1αはそのoxygen-dependent degradation domain に存在するprolyl残基において hydroxylationを受け、von Hipped-Lindau protein (pVHL)との会合を誘導し、 ユビキチン分解に至ることが解明され、HIFによって行われる転写調節が極めて低酸素依存性であり、特異的なメカニズムであることも分かってきた。

 さらには、より重要なことに、この低酸素遺伝子応答をつかさどるHREが、腫瘍学領域を中心として治療分子の低酸素選択的発現目的に利用された報告例が散見されつつある。同様の理論的背景を基に我々は、レポーター遺伝子のエンハンサー領域にHREを組み込み、最適化することで、新たな低酸素検出マーカーベクターを作製、細胞レベルでの低酸素局在が検出可能となるできるのではないかと考えた。

[方法, 結果]

 低酸素応答ベクターとして、タグ 付き改変レポーター遺伝子のプロモーター領域に、HIF-1と結合し、転写活性をつかさどる低酸素応答配列 (hypoxia-responsive element, HRE) を組み込むことで最適化した。ルシフェラーゼアッセイにて反応ベクターの低酸素応答を調べたところ、その反応はHREの配列コピー数に比例して高くなり、7個の繰り返し配列を持つベクターが至適活性を示した。このベクターは経時的、酸素濃度依存的な低酸素応答を示し、培養尿細管細胞にて最大16.5倍の低酸素活性上昇が認められた(1%酸素濃度, 24時間)。プロモーターにはhmCMV promoterを使用した。

 次に、このベクターを各種臓器に発現するトランスジェニックラットを作成し、各臓器内でのtransgene発現、および低酸素依存性発現上昇をRT-PCR法および免疫組織染色の2法で確認した。全身低酸素刺激にて、今回調べた脳、心臓、筋肉、肝臓、腎臓、肺の6臓器において当該遺伝子の発現上昇が確認できた。

 さらにラット虚血腎におけるtransgene(低酸素マーカー)の発現を、全身コバルト投与によるHIF安定化、および虚血再潅流障害の2法にて確認した。免疫組織染色上、全身コバルト投与にて低酸素シグナルは全尿細管分画に認められ、また虚血再潅流障害では、45分の虚血に引き続く再潅流2時間において、障害を受け、拡張した近位尿細管の刷子縁側に低酸素シグナルの上昇が確認された。以上により、組み込んだtransgeneの発現が理論どおり低酸素依存性に上昇することを確立した。

 最後に、本モデルラットを用いて、慢性腎障害における尿細管間質領域の低酸素を評価した。腎障害モデルとして、大量のタンパク尿を伴うpuromycin腎症と、全身/糸球体高血圧に特徴付けられる5/6腎摘モデルを採用した。尿細管の低酸素およびその局在を免疫染色にて確認したところ、前者ではびまん性の皮質低酸素が、後者では障害を受け、拡張した尿細管に限局する巣状の低酸素シグナルが検出された。両モデルの尿細管低酸素は傍尿細管毛細血管の狭小化と脱落を伴い、低酸素によるtransgene発現上昇は、前者で2.2倍 (2週)、後者で2.6倍 (4週) に達した。また、その低酸素シグナルの発現レベルは腎機能障害や尿細管組織障害の程度と相関性を認めた。さらには5/6腎摘モデルにおいて、PCNA陽性細胞やED-1陽性細胞、TUNEL陽性尿細管が低酸素領域に偏在する傾向があることを確認した。

[結論]

 このトランスジェニック動物の樹立により、腎臓の酸素化モニタリングが細胞レベルで可能となった。本結果は、上記の慢性低酸素仮説を検証し、これに対する新規治療法の開発を支持するものである。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、慢性進行性腎障害の進展において重要な役割を果たすと考えられている尿細管間質の慢性低酸素に注目し、その実在を確かめるための新たなトランスジェニックラットを開発した。本モデル動物を利用して種々の慢性腎障害を惹起し、その尿細管低酸素を可視化・定量化したものであり、下記の結果を得ている。

1.低酸素反応ベクターを作製するため、ルシフェラーゼ発現ベクターにラット血管内皮増殖因子由来の低酸素応答配列 (hypoxia-responsive element: HRE) を組み込み、プロモーターおよびエンハンサーの最適化を行った。培養近位尿細管細胞に一過性遺伝子導入を行い、プロモーターアッセイを行ったところ、その最適化に伴い最大16.5倍の低酸素応答が得られた。また、本ベクターの組織内での検出を促進する目的で、ルシフェラーゼ遺伝子のN末端にFLAGのtagを付加した。

2.本ベクターを個体ラットに導入することで、低酸素感知トランスジェニックラットを開発した。ラットにコバルトを投与することで化学的に転写因子HIF (hypoxia-inducible factor)を安定化したところ、脳、心臓、筋肉、肝臓、腎臓、肺の6臓器においてトランスジーンの発現が条件的に上昇することが確認された。

3.腎臓内での本ベクターの挙動を、1)コバルト投与による化学的な低酸素刺激、2)虚血再潅流障害モデル、の2法にて確認した。全身コバルト投与にて尿細管の全分画にトランスジーンの発現が亢進し、また、虚血再潅流障害後2時間の組織染色にて、拡張し障害を受けた近位尿細管に強い低酸素シグナルを発することが確認された。この低酸素シグナルは再潅流後4時間まで持続して認められた。

4.上記の低酸素感知トランスジェニックラットを利用して、慢性腎障害モデルにおける尿細管低酸素の検出を試みた。モデルとして、大量のタンパク尿に特徴付けられるpuromycin腎症モデル(第1, 2週)と、糸球体高血圧に特徴付けられる5/6腎摘モデル(第1, 4週)を採用した。免疫組織染色上、前者モデルでは尿細管全体にわたるdiffuseな低酸素シグナルが、後者では拡張し、障害を受けた近位尿細管に強い低酸素シグナルがそれぞれ確認された。低酸素マーカーとしてのトランスジーン発現をreal-time PCRにて定量化したところ、前者モデルの第2週において2.2倍、後者第4週において2.6倍の発現上昇を認めた。また、これらモデルの低酸素はレクチン潅流試験の結果、皮質傍尿細管毛細血管の狭小化、脱落を伴うものであることが判明した。

5.慢性腎障害モデルの個々のラットに対して、低酸素のレベルと尿細管間質障害、BUNレベルとの相関関係を調べたところ、5/6腎摘モデルにおいて強い相関関係を認めることが判明した。組織の免疫二重染色、または連続切片による解析を行ったところ、本モデルではその初期のPCNA陽性増殖尿細管細胞が大部分低酸素に陥っていること、また、進行期においてTUNEL陽性アポトーシス細胞が低酸素尿細管に多く認められることが確認された。さらに、ED-1陽性マクロファージが低酸素尿細管領域に多く浸潤していることも明らかとなり。本病態モデルにおける低酸素の果たす役割がより一層明らかとなった。

 以上、本論文は組織低酸素を感知する新規トランスジェニックラットを開発し、慢性腎障害モデルにおいて尿細管間質の低酸素を実証することに成功した。尿細管低酸素は慢性進行性腎障害の進展において重要な役割を果たす可能性が提唱されており、本研究は、今後低酸素が腎疾患進行をもたらすメカニズムの更なる解明、および低酸素を標的とした新規治療戦略を開発する上で重要な役割を果たす研究と考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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