学位論文要旨



No 120328
著者(漢字) 細谷,紀彰
著者(英字)
著者(カナ) ホソヤ,ノリアキ
標題(和) 日本国内で流行しているHIVの遺伝子解析とHIV感染者に対する免疫遺伝子治療用ベクターの開発
標題(洋)
報告番号 120328
報告番号 甲20328
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2477号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河岡,義裕
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 教授 小池,和彦
 東京大学 助教授 俣野,哲朗
内容要旨 要旨を表示する

【研究の背景】

 ヒト免疫不全ウイルス1型(HIV)は後天性免疫不全症候群(AIDS)の原因ウイルスである。HIV感染者は体内のウイルスを完全に排除することができず、抗HIV薬の服薬を生涯続けなければならない。しかし、抗HIV薬による副作用、薬剤耐性ウイルスの出現など様々な問題が表面化しつつあり、抗HIV薬に代わる治療の開発が急務である。一方、HIV感染者の5〜10%は長期未発症者と呼ばれ、抗HIV薬の助けがなくともHIVを抑制している。長期未発症の機序はいまだ解明されていないが、ヘルパーT細胞、細胞傷害性T細胞(CTL)などの細胞性免疫がHIVの増殖抑制に大きな役割を果たしているという報告がある。CTLの活性化には抗原提示細胞による抗原の提示が必須である。樹状細胞(DC)は強力な抗原提示細胞であり、メモリーのみならずナイーブT細胞の活性化を誘導することが可能である。HIV感染者体内のDCはT細胞の活性化を誘導する能力が低いことが以前から指摘されており、機能不全であると考えられている。しかしin vitroで培養したDCにおいては、その傾向はみられない。従って、HIV感染者から細胞を分離し、ex vivoでDCを誘導した後に抗原を導入し、CTLへ十分な刺激を伝えることができれば、機能不全に陥っている免疫を活性化できる可能性がある。本研究では、HIV感染者に対するDCを用いたCTL誘導型の免疫遺伝子治療を目指し、CTLを活性化するための抗原を検討する情報として、日本人HIV感染者の検体を解析し、HIV感染者個体内でCTLの標的となっているウイルス遺伝子配列を中心に解析を行い、日本人感染者で流行しているHIVの特徴を解析することを目指した(第一章)。また、DCへ抗原のデリバリーシステムを検討するために、遺伝子治療用ベクターの開発を目指した(第二章)。

【第一章:日本国内で流行しているHIVの遺伝子解析】

 CTL誘導型の免疫遺伝子治療を目指す上でCTLを活性化する抗原を検討することは重要である。CTLはT細胞レセプター(TCR)によってウイルスタンパク質由来ペプチドを提示した主要組織適合抗原(MHC、ヒトではHLAと呼ばれる)クラスI複合体を認識し、細胞傷害性を発揮する。HLA分子上に提示され、TCRに認識されるペプチドをCTLエピトープと呼ぶ。提示されるCTLエピトープには一定のモチーフが存在し、HLA分子との結合に重要なアミノ酸とTCRによる抗原認識に重要なアミノ酸がある。CTLエピトープとなっているアミノ酸に変異が生じるとHLA分子と結合できなくなる、あるいはCTLによって認識されなくなる可能性がある。HIVは変異を起こしやすいウイルスであり、実際にCTLの選択圧から逃れた変異(エスケープ変異)を持つウイルスがHIV感染者体内で増殖している例が報告されている。HLAには多型性があり、日本人では約60%がHLA-A24陽性である。そこで本研究では、日本人で頻度の高いHLA-A24に注目し、HIV感染者個体内でCTLにより認識されるHLA-A24拘束性CTLエピトープとその周囲のアミノ酸配列を調べた。

 実験では、性感染群(HLA-A24陽性23人、陰性20人)と血友病群(HLA-A24陽性15人、陰性13人)の日本人HIV感染者、及び対照としてオーストラリア人性感染群(HLA-A24陽性2人、陰性11人)計84人の血漿を用いた。HIV感染者の血漿からHIV-1 RNAを抽出し、RT-PCRによりCTLエピトープを含む領域を増幅し、塩基配列を決定した。HIVにおけるHLA-A24拘束性CTLエピトープとその名称を(図1)に示す。Gagタンパク質中にあるgag28-9、gag263-10、gag296-11、Envタンパク質中にあるenv584-11、Nefタンパク質中にあるnef138-10の5箇所のCTLエピトープについて標準株(HIV-1 SF2株)と比較して変異の有無を調べた。

 その結果、HLA-A24拘束性CTLエピトープにおいてHLA-A24陽性者に高頻度にみられる変異(gag28-9の3位の位置のKからRへの変異(K3R)、env584-11の4位の位置のRからKへの変異(R4K)、nef138-10の2位のYからFへの変異(Y2F)、nef138-10から-1位の位置のフランキング部位にあるIからTへの変異(I-1T))が明らかとなった。CTLエピトープ内のアミノ酸変異にバリエーョンは少なく、ある特定のアミノ酸への変異であった。gag263-10、gag296-11エピトープに特徴的なアミノ酸変異はみられなかった。HLA-A24拘束性CTLエピトープのアミノ酸配列に変異がみられるものとみられないものが存在することからCTLによる選択圧はCTLエピトープによって違いがあると考えられた。また、HLA-A24陽性者においてCTLエピトープの変異を経時的に調べると、いずれの変異も変化なく保持されたままであった。一方、HLA-A24陰性者ではnef138-10にHLA-A24陽性者で高頻度にみられた変異(Y2F)が標準株のアミノ酸へと置き換わる変異(復帰変異)がみられた。このことはY2FがHLA-A24による選択圧下でアドバンテージを持つ変異であり、これらの変異を持つウイルスはHLA-A24陽性HIV感染者個体内で安定であることが示唆された。本研究より日本人で頻度の高いHLA-A24におけるHIV感染者個体内のCTLエピトープの配列が明らかとなった。HIV感染症において日本人に対してCTLエピトープを考慮に入れた免疫遺伝子治療を行う場合において有用な情報が得られた。

【第二章:HIV感染者に対する免疫遺伝子治療用ベクターの開発】

 HIV感染者に対するDCを用いたCTL誘導型の免疫遺伝子治療を目指し、DCに適切な遺伝子導入用ベクターを選ぶことを目的として、安全で高い遺伝子導入効率と発現効率を特徴とするセンダイウイルス(SeV)ベクターとアデノウイルス(AdV)ベクターを用いて、DCに遺伝子導入を行い、導入効率及び、細胞毒性を比較検討した。また、ウイルスベクター導入DCの細胞表面マーカーの変化を調べ、ウイルスベクターを導入することによるDCへの影響を検討した。さらに実際のHIV感染者由来DCを用いてHIV特異的免疫の誘導を試みた。

 実験は、健常人由来末梢血単核球より単球を分離し、IL-4とGM-CSFの存在下で7日間培養しDCを誘導した。SeVベクターは多段階増殖可能な第一世代型SeVベクターと、ゲノムから融合タンパク質遺伝子を欠損させた非伝播型の第二世代型dF-SeVベクターを用いて検討を行った。遺伝子導入効率を調べるためにGFPを発現するウイルスベクターを感染させ、GFPの発現量と細胞毒性を調べるために死細胞をヨウ化プロピディウムにて染色しフローサイトメトリーにて解析した。

 まず始めに感染価(MOI)を変化させ、次に時間を変化させて導入効率の最適化を行った。SeVベクターはDCへMOI=2で感染を行い24時間後が細胞毒性も弱く、発現効率が最適であった。SeVベクターは低いMOIでも遺伝子導入可能であり、外来遺伝子を高発現可能であった。第一世代型SeVベクター及び、第二世代型dF-SeVベクターでは導入効率、細胞毒性に差はみられなかった。AdVベクターはDCへMOI=1000で感染を行い48時間後が細胞毒性も弱く、発現効率が最適であった。AdVベクターはMOIをあげれば効率よく遺伝子導入でき、細胞毒性もSeVベクターに比べ弱かった。最適化した条件でSeVベクター、AdVベクターを用いてDCにHIV Gagタンパク質及び、Envタンパク質を効率よく発現させることが可能であった。ウイルスベクターを導入することによるDCへの影響を、細胞表面マーカーの解析により調べた。SeVベクター、AdVベクター共にDCの成熟化(maturation)を誘導する傾向がみられた。HIV感染者由来のDCにHIVタンパク質発現SeVベクター、AdVベクターをそれぞれ導入し、HIV特異的免疫の誘導をIFN-γのEnzyme-linked immunospot assay(ELISPOT)を用いて調べた。その結果、SeVベクター、AdVベクターを導入したDC共にHIV特異的IFN-γの産生細胞の誘導みられた。SeVベクターではより多くのHIV特異的IFN-γの産生細胞の誘導がみられた。SeVベクター感染DC、AdVベクター感染DCを用いることで効率よくHIV特異的免疫を誘導可能であった。これまで、SeVベクターを用いてDCへの遺伝子導入及び、免疫誘導を詳細に解析した報告はない。AdVベクターはこれまでにも、DCへの遺伝子導入、免疫の誘導が可能であることが報告されているが、このAdVベクターと比較してもSeVベクターは非常に有用なベクターであることがわかった。今後のHIV感染症に対する研究と治療への応用が期待される。

(図1)HIVにおけるHLA-A24拘束性CTLエピトープ

1. gag28-9、2. gag263-10、3. gag296-11、4. env584-11、5. nef138-10

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はヒト免疫不全ウイルス1型(HIV)感染症に対する樹状細胞(DC)を用いた細胞傷害性T細胞(CTL)誘導型の免疫遺伝子治療を目指し、CTLを活性化するための抗原を検討する情報として、日本人で頻度の高いHLA-A24に注目し、HIV感染者個体内でCTLの標的となっているウイルスのHLA-A24拘束性CTLエピトープのアミノ酸配列を中心に、日本人感染者の中で流行しているHIVの特徴を解析した。さらに、DCへ抗原のデリバリーシステムを検討するために、センダイウイルス(SeV)ベクター及び、アデノウイルス(AdV)ベクターを用いてDCへの遺伝子導入と、HIV特異的免疫の誘導について解析を行い、下記の結果を得ている。

1.日本人HIV感染者におけるHLA-A24拘束性エピトープのアミノ酸配列を解析した結果、gag28-9、env584-11、nef138-10エピトープにおいてHLA-A24陽性者に特異的な変異が明らかとなった。CTLエピトープ内のアミノ酸にバリエーションは少なく、ある特定のアミノ酸への変異であることが示された。gag263-10、gag296-11エピトープに特徴的なアミノ酸変異はみられなかった。HLA-A24拘束性CTLエピトープのアミノ酸配列に変異がみられるものとみられないものが存在することからCTLによる選択圧はCTLエピトープによって違いがあると考えられた。

2.HLA-A24陽性者においてCTLエピトープの変異を経時的に調べると、いずれの変異も変化なく保持されたままであった。一方、HLA-A24陰性者ではnef138-10エピトープにHLA-A24陽性者で高頻度にみられた変異(Y2F)が標準株のアミノ酸へと置き換わる変異(復帰変異)がみられた。このことはY2FがHLA-A24による選択圧下でアドバンテージを持つ変異であり、これらの変異を持つウイルスはHLA-A24陽性HIV感染者個体内で安定であることが示唆された。また、日本人の国内性感染群においてHLA-A24陰性者でもY2Fの出現頻度が高く、Y2Fの変異をもつウイルスが、HLA-A24陽性の頻度が高いという日本の特殊な遺伝的背景のもとで、日本国内で流行していると考えられた。

3.DCへの遺伝子導入効率と細胞毒性をSeVベクター及び、AdVベクターを用いて解析した。SeVベクターはDCへMOI=2で感染を行い24時間後が細胞毒性も弱く、発現効率が最適であった。SeVベクターは低いMOIでも効率よく遺伝子導入可能であった。第一世代型SeVベクター及び、第二世代型dF-SeVベクターでは導入効率、細胞毒性に差は見られなかった。AdVベクターはDCへMOI=1000で感染を行い48時間後が細胞毒性も弱く、発現効率が最適であった。AdVベクターはMOIをあげれば効率よく感染が行え、細胞毒性もSeVベクターに比べ弱かった。

4.HIV Gagタンパク質及び、Envタンパク質発現SeVベクター、AdVベクターを用いてDCにHIVタンパク質を効率よく発現させることが可能であることが示された。

5.ウイルスベクター導入DCの細胞表面マーカーの変化を調べ、ウイルスベクターを導入することによるDCへの影響を解析した。SeVベクター、AdVベクター共にDCのmaturationを誘導する傾向があることが明らかとなった。

6.HIV感染者由来DCを用いてHIV特異的免疫の誘導をIFN-γのELISPOTを用いて解析した。SeVベクター感染DC、AdVベクター感染DCを用いてHIV特異的免疫を誘導可能であることが示された。

 以上、本論分はHIV感染者個体内のHLA-A24拘束性CTLエピトープの配列が明らかとなると共に、日本人におけるHIVの特有の進化が明らかとなった。また、SeVベクター、AdVベクターを用いてDCに効率よく遺伝子導入可能であり、HIV特異的免疫の誘導が可能であることが明らかとなった。今後HIV感染症に対する研究と治療への応用が期待され、日本人HIV感染者に対しDCを用いたCTL誘導型の免疫遺伝子治療を行う場合においてに重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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