学位論文要旨



No 120330
著者(漢字) 佐藤,博之
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ヒロユキ
標題(和) K選択標的遺伝子の探索によって得られた14-3-3σ遺伝子の機能と発現に関する研究
標題(洋)
報告番号 120330
報告番号 甲20330
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2479号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 橋都,浩平
 東京大学 講師 関根,孝司
内容要旨 要旨を表示する

 癌は遺伝子の病気であり遺伝子異常の蓄積によって発症する。この多段階発癌は古くから「自然選択によるクローン選択での進化の過程」と提唱され、進化生物学の概念が導入されてきた。1967年MacArthurとWilsonは、離島における生物種の進化を説明する際の環境による自然選択のモデルとして「r選択とK選択」を提唱した。r選択は、個体密度が低く栄養が充分にある状況で作用し、増殖率"r " (intrinsic growth rate)が最も大きい個体が選択される。一方K選択は、個体密度が高く充分な栄養などが得られない状況で作用し、ある生物種がある環境で生存出来る最大の個体数 (carrying capacity of the environment) "K "値が大きい個体が選択される。Cavalier-Smithは、この考えを原生生物に当てはめ、K選択下では細胞が大きくDNA含量が多い個体が生存に有利で、r選択下では増殖に適した小さくDNA含量の少ない個体が有利と推論した。そして千勝らは、ラット胎児線維芽細胞(rat embryo fibroblast, REF)にc-mycとEJ-rasを導入する発癌モデルに「r選択とK選択」を応用し、r選択ではp53のヘテロ接合性消失(loss of heterozygosity、LOH)クローンが、K選択では大型の多倍体クローンが優位性を獲得することを報告し、進化生物学の概念である「r選択とK選択」が発癌モデルにも有用であることを示した。

 そこで今回私は、千勝らが用いた実験系を利用してK選択下に腫瘍細胞に選択優位性を付与する遺伝子を単離することを試みた。細胞はREFにc-mycとEJ-ras(活性化H-ras)を導入し樹立された2倍体のフォーカス形成細胞MR8を使用した。レトロウイルスベクターpMXIを用い、すでにK選択を受けたMR8細胞よりcDNAライブラリーを作製した。パッケージング細胞Plat-Eを用いレトロウイルス化し、MR8親株細胞に感染させた後、r選択もしくはK選択を行った。2週ごとcDNAを回収増幅し、選択されたクローンに組み込まれたcDNAについてダイレクトシークエンスを施行したところ、14-3-3σ遺伝子が複数の培養から検出された。

 14-3-3σ蛋白は14-3-3ファミリー蛋白の1つで上皮系細胞にのみ発現を認め、p53によって転写が活性化される。そして、cdc2 / cyclin B複合体を細胞質に留めてG2期に細胞周期を止める作用を持つ。また、臨床的には乳癌などでその発現低下が多数報告されていることから、癌抑制蛋白と考えられている。その一方で、14-3-3σ蛋白はBADやBAXを不活化する抗apoptosis作用も持ち合わせており、膵臓癌などでその発現上昇が報告されてもいる。そこで、14-3-3σ遺伝子の発現について、REF、MR5とMR8細胞の親株及びr選択とK選択された細胞につき半定量的RT-PCRで解析を行った。他の6種の14-3-3ファミリー遺伝子とは違い、14-3-3σ mRNAの発現はr選択で著明に低下し、K選択(特に倍数移行すなわち4倍体への移行を示した細胞)で亢進しており、real-time RT-PCRではその差は20倍以上であった。蛋白レベルでも、REF、親株、r選択された細胞では発現を認めなかったがK選択後には発現を確認できた。

 また、p53遺伝子変異との関連を検討するために、p53に点突然変異を持ち高率にp53 LOHとなるMR5細胞の亜株についても14-3-3σの発現を解析した。その結果、p53 LOHの出現と14-3-3σの発現変化との間には関連は認められなかった。一方、K選択下での倍数移行と14-3-3σの高発現との関連性が認められた。14-3-3σの強制発現が細胞を多倍体化するとの報告があり、4倍体の出現に14-3-3σ高発現が関与した可能性がある。ただしMR9細胞由来の4倍体細胞や、MR8を短期間K選択した後に亜株化した4倍体細胞では、14-3-3σの高発現は認められず、14-3-3σ高発現が4倍体細胞の維持に不可欠なものではないと考えられた。

 次に、K選択下に14-3-3σ高発現が選択優位性を付与するかどうか、またその機序について検討した。まず、14-3-3σ遺伝子をIRES-GFP付のレトロウイルスベクターpMXs-IGでMR5親株細胞に導入後再度選択の実験を行った。その結果14-3-3σ遺伝子導入細胞のK選択の極早期には優位性が認められた。機序に関しては、同様の方法で14-3-3σ遺伝子を導入したMR5、MR8細胞で、actinomycin Dなどの薬剤や血清、糖飢餓などの低栄養状態で誘導されるapoptosisへの拮抗作用を解析した。しかしコントロールとの間に明らかな差を認めず、また同様に細胞周期停止作用も検討したが、G2停止作用は確認できなかった。

 最後にK選択における14-3-3σ高発現の機序について解析した。まず、K選択における14-3-3σ遺伝子の発現亢進には前記の通りp53は無関係であると考えられたので、ユビキチン・プロテアソーム経路での分解作用の関与を検討した。MR8細胞の親株と、r選択およびK選択後の細胞にプロテアソーム阻害剤MG132を添加後14-3-3σ蛋白の発現を観察したが、ユビキチン・プロテアソーム経路の関与も否定的と考えられた。

 乳癌などの多数の癌において14-3-3σ遺伝子のCpGアイランドのメチル化がその発現低下と関連して報告されている。ラット14-3-3σ遺伝子にもATGより85塩基5'側から622塩基3'側の部位に、Gardiner-Gardenの基準によるCpGアイランドが存在するので、そのメチル化状態をbisulfiteシークエンス法で確認した。その結果、ATGより5'側の領域において、r選択された細胞では著明なメチル化が、K選択され倍数移行した細胞では著明な非メチル化が観察された。r選択された細胞に5-aza-2'-deoxycytidine処理を行ったところ、脱メチル化とともに発現が亢進することを認め、発現抑制にメチル化が関与していることが確認できた。PCR産物のクローン化による各アレルの解析では、REFや親株ではそれぞれ、21.1%、27.5%と同程度のメチル化だったが、r選択後には97.5%のメチル化となり、K選択後には0.0%だった。選択に伴うメチル化状態の変化についてはE-cadherinの報告があるが、rとK選択によるメチル化の変化ほど極端な変化を示した報告はない。そしてMR5細胞を亜株化した細胞でも同様の解析を行ったところ、メチル化状態と14-3-3σ発現レベルの間に相関を認めた。つまり、r選択後はほぼ全てがメチル化し発現が低下した。一方K選択後は、倍数移行する群と2倍体を維持する群に分かれたが、前者では脱メチル化が進行し発現亢進する傾向が認められ、後者ではメチル化が進行し低発現のままだった。中でも高度にメチル化した細胞ではK選択下に脱メチル化することはなく、メチル化状態は不可逆性であった。これらの観察から、癌細胞のメチル化には可塑性と不可逆性の2つの側面があることが示された。14-3-3σのメチル化状態は、乳癌などではメチル化、膵臓癌などでは非メチル化と癌種によって両極端に分かれる。今回の結果によって、癌におけるCpGアイランドのメチル化状態は、由来する組織の違いではなく、発癌過程に受ける選択様式の違いが関わっている可能性が示された。

まとめ

 今回、私はK選択標的遺伝子の候補として14-3-3σ遺伝子を単離し、その発現解析からK選択下に脱メチル化と高発現が、r選択下にメチル化と発現低下が誘導されることを見出した。多段階発癌におけるメチル化と選択様式の密接な関連を示唆するとともに、メチル化が持つ可塑性と不可逆性の2つの側面を示した。癌遺伝子導入によるREFの発癌モデルは古典的実験系であるが、ジェネティクスのみならず、エピジェネティクスの実験モデルとしても今後期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 多段階発癌は「自然選択によるクローン選択での進化の過程」であり、その方向付けには、異常となる遺伝子そのものの作用だけでなく、微小環境における選択様式も大きな役割を果たす可能性がある。この仮説を支持する知見として、c-mycとEJ-ras導入ラット胎児線維芽細胞(REF)によるin vitroの発癌モデルの系において、個体密度による自然選択モデルである「r選択とK選択」が細胞に与える影響を解析した報告がある。r選択ではp53のヘテロ接合性消失(loss of heterozygosity、LOH)クローンが、K選択では大型の多倍体クローンが優位性を獲得することがすでに確認されている。しかしこの「K選択」下で腫瘍細胞に優位性を付与する遺伝子はまだ同定されていない。

 本研究はがん遺伝子導入REFによる発癌モデルにレトロウイルスによる遺伝子導入法を応用して、K選択下に選択優位性を付与する遺伝子を同定し、さらに同定した遺伝子につきその機能及び発現を解析したものであり、下記の結果を得ている。

1. すでにK選択を受けたREF由来の細胞株よりcDNAライブラリーを作製し、レトロウイルス化し親株細胞に発現導入した上でr選択もしくはK選択を行った。選択された細胞からcDNAをRT-PCRで回収した結果、14-3-3σ遺伝子およびpyruvate kinase遺伝子が複数の培養から回収された。しかし、14-3-3σ遺伝子のみにr選択後とK選択後の細胞間でmRNAの発現変化を認め、r選択で発現低下、K選択で発現亢進が認められた。

2. p53に点突然変異を持ち高率にp53 LOHとなるMR5細胞の亜株をK選択した細胞について14-3-3σの発現を解析した。その結果、14-3-3σの高発現はp53 LOHの出現と関連がなく、K選択下での4倍体出現との関連が認められた。ただしK選択後に4倍体でありながら14-3-3σの高発現を認めない細胞も存在することから、14-3-3σ高発現は4倍体細胞の維持に必須ではないと考えられた。

3. レトロウイルスベクターによる14-3-3σ強制発現細胞を用い、その選択優位性や、機能解析を行ったところ、14-3-3σ強制発現細胞のK選択での優位性は僅かに認められたが、これまでに報告されている抗apoptosis作用や、細胞周期停止作用は確認されなかった。

4. K選択後に高発現となった14-3-3σの発現調節について検討したところ、ユビキチン・プロテアソーム経路での蛋白分解作用の関与は否定的だった。一方、プロモーター領域のCpGアイランドの修飾による発現調節については、r選択後に97.5%、K選択後に0.0%と著明なメチル化の差が検出され、発現との強い関連を認めるとともに脱メチル化による発現増強を確認した。

5. 親株細胞の2つのアレルに由来するメチル化状態に多様性が存在したことから、メチル化状態の可塑性が認められた。一方MR5細胞の亜株のメチル化状態はr選択後一様にメチル化したのに対し、K選択においてもメチル化の進行が確認され、一旦進行したメチル化の不可逆性が示唆された。

 以上、本論文はK選択標的遺伝子の候補として14-3-3σ遺伝子を単離し、その発現解析からK選択下に脱メチル化と高発現が、r選択下にメチル化と発現低下が誘導されることを見出した。そして多段階発癌におけるメチル化と選択様式の密接な関連を示唆するとともに、メチル化が持つ可塑性と不可逆性の2つの側面を示した。大局的には、本研究は古典的実験系である癌遺伝子導入によるREFの発癌モデルがジェネティクスのみならず、エピジェネティクスの実験モデルにもなりうることを初めて示したものであり、多段階発癌でのエピジェネティクス解析に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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