学位論文要旨



No 120331
著者(漢字) 中村,ゆかり
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,ユカリ
標題(和) K選択による多剤耐性獲得に関する研究
標題(洋)
報告番号 120331
報告番号 甲20331
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2480号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 助教授 矢野,哲
内容要旨 要旨を表示する

 がん治療が進んだ現在においても、我々が直面する大きな障壁に抗がん剤耐性細胞の存在がある。抗がん剤耐性は、成立過程の違いからしばしば自然耐性と獲得耐性に分類される。前者は初回治療時にがんが薬剤に対して抵抗性を示すもので、P-糖蛋白などの抗がん剤排泄機構がもともと存在する部位に発生した消化器がんなどが含まれる。一方後者は化学療法に暴露され、耐性細胞が残存進展した場合をいう。しかし造血器腫瘍分野でしばしば遭遇する初回不応例の耐性は、いずれにも分類することができない。元来耐性の形質を持たない組織から発生し、化学療法に一度も暴露されずに獲得する耐性については、別個に自然獲得耐性として分類するべきではないだろうか。この自然獲得耐性に対する有効な対策を講ずるには、耐性細胞の出現とそのクローン選択過程を再現できる実験系が必要である。

 Fouldsが、がんがたった一つの腫瘍細胞から起こり、質的に異なった段階を経て多段階的に進展していくという多段階発がんモデルを提唱して以来、がんの発生進展は、突然変異と自然選択の原理に従うミクロの進化過程と考えられてきた。千勝らはこの多段階発がんにおける選択過程に注目し、異なる選択様式が腫瘍細胞に与える作用を解析する目的で、MacArthurとWilsonによって提唱された離島における生物種の進化のメカニズムを解析する概念(rとK選択)を、がん細胞の培養法に適用した。すなわちr選択とは個体密度が低く、栄養が十分ある状況で作用する選択で、増加率rがもっとも大きな個体が選択される。一方K選択では、個体密度が高く十分な栄養が得られない状況で作用する選択で、増殖率ではなく生存率が高い個体が選択される。千勝らは、c-mycと活性型H-rasを導入したラット胎児線維芽細胞をrとK選択という相異なる選択様式に置くことで、K選択においてのみ多倍体が出現し、r選択でp53変異体が選択されることを示し、発がん過程における選択様式の重要性を示唆した。

 本研究ではrとK選択の抗がん剤感受性に及ぼす影響を検討し、K選択下においてのみ多剤耐性が獲得されることを示す。さらにK選択における耐性機序を検討するとともに、これまで報告された耐性機序解析モデルとの比較を行い、K選択が生体内での多段階発がん過程における自然獲得耐性を再現できる実験系であるかを検証する。

 ラット胎児線維芽細胞にc-mycとEJ-rasを導入して腫瘍化させた細胞株をrとK選択下で培養した。r選択では指数関数的な細胞増殖が得られ、K選択では、3-4日ごとに培養皿の2分の1を継代した。8週間の選択後、細胞の抗がん剤感受性をsulforhodamine B(SRB)アッセイで検討した。K選択細胞はr選択細胞に比べて、doxorubicin hydrochloride (DOX)、1-β-D-arabinofuranosyl cytosine (Ara-C)、vincristine sulfate(VCR)に対して有意な感受性の低下を認め、多剤耐性を獲得した。さらにDOX、Ara-Cに対する耐性は、長期の細胞の生存を評価するclonogenicアッセイでも確認された。

 K選択による多剤耐性獲得の機序としていくつかの可能性が想定され検討を加えた。第一に、本研究で使われた2つの細胞株はK選択下において多倍体細胞が優位となる細胞株であるため、細胞の倍数性が抗がん剤感受性に影響している可能性がある。そこでK選択早期に樹立した2倍体と4倍体細胞の亜株におけるDOX、Ara-C、methotrexate (MTX)に対する感受性をSRBアッセイで比較検討した。DNA含量と抗がん剤感受性の関連を示唆する結果は得られなかったが、多倍体が耐性獲得に有利に働いた可能性は否定できない。

 第二に、p53経路の異常の関与である。これまでp53遺伝子異常が抗がん剤感受性に与える影響が報告されているが、本研究ではp53遺伝子異常を有する細胞株の抗がん剤感受性は、p53機能が正常な細胞株とほぼ同様であった。さらにp53機能の正常な細胞にp53優位抑制型変異体を導入した細胞株のDOX、Ara-Cに対する感受性は、r選択細胞に比べむしろやや亢進していた。従ってp53遺伝子異常が直接耐性に関与している可能性は低い。しかし、p53遺伝子変異は細胞増殖を加速させ、微小環境においてはrからK選択への急速な移行をもたらす可能性がある。in vivoで示されるp53遺伝子変異にともなう抗がん剤耐性の報告は、p53変異によって加速された細胞増殖がもたらす生体内でのK選択が、多剤耐性クローンの選択を助長しているとも考えられる。

 第三に、細胞の増殖速度が抗がん剤感受性に及ぼす影響がある。SRBアッセイのデータから細胞の倍化時間を求めた。r選択に比べK選択細胞では、多くの細胞で増殖速度が低下しており、DOX、Ara-C、VCR、MTXの細胞周期特異的薬剤の50%増殖抑制濃度と倍化時間の間に相関関係が認められた。K選択では増殖速度が遅くとも生存力のあるクローンが生き残ると考えられ、K選択による増殖速度の低下が直接的に抗がん剤耐性に寄与した可能性がある。

 第四に、K選択自体が直接抗がん剤耐性を誘導する可能性がある。K選択による耐性は高密度の状態で細胞を継代することで得られる。従ってその耐性を考える際には、これまでに報告された高密度で得られるconfluence- dependent resistance(CDR)や、低グルコース、低血清、低酸素などのストレスに対する細胞応答によってもたらされる耐性を考慮しなくてはならない。本研究では、感受性試験の前にK選択細胞をr選択に置きストレスから開放しているが、さらに遷延した影響を取り除くためにK選択細胞を2週間以上r選択に置きDOXに対する感受性をSRBアッセイ、clonogenicアッセイで検討した。両アッセイにおいてK選択直後とほぼ同様の感受性が維持されていた。K選択で獲得した耐性形質は失われず、これまで報告されている一過性の現象とは違い構成的であることが示された。

 第五の可能性は、P-糖蛋白の発現亢進とそれによる細胞内のDOX蓄積量の低下である。半定量的RT-PCRでは、K選択細胞においてMDR1/P-糖蛋白の発現亢進が認められ、K選択細胞はr選択細胞と比較して、サイクロスポリン存在下で細胞へのDOX蓄積量を増加させ、DOXに対する感受性を亢進させた。また、nuclear transcription factor Y α(NF-YA)の高発現が認められ、MDR1/P-糖蛋白発現亢進に関与している可能性が示めされた。また、MDR1/P-糖蛋白を強制発現させた親株細胞は、K選択下でクローン選択される傾向が認められた。MDR1/P-糖蛋白が抗がん剤をくみ出す機能とは別に抗アポトーシス機能を有するという報告もあり、MDR1/P-糖蛋白発現細胞自体がK選択の直接的な標的になる可能性がある。

 さらに第六の可能性として、その他の耐性関連遺伝子の発現変化があげられる。K選択によって獲得された多剤耐性は、P-糖蛋白の基質ではないAra-Cにも耐性であり、半定量的RT-PCRの結果からcytidine deaminaseの発現亢進とequilibrative nucleoside transporter1の発現低下の関与が示唆された。以上の検討からK選択細胞では、複数の耐性関連遺伝子の発現が変化していた。K選択では多様性が維持され、生き残るための異なる戦略をもつ個体が共存しうると言われている。K選択による多剤耐性獲得もまた単一の機序では説明できない。

 c-mycとEJ-rasを導入した発がんモデルでは、多倍体細胞、p53遺伝子変異、INK4a/ARF遺伝子座の欠失などが生じるが、そのうち多倍体とp53遺伝子異常は、rとK選択でその出現を操作できることが示されている。本研究では、抗がん剤耐性がr選択ではなくK選択においてのみ出現することが示された。多倍体、p53遺伝子異常、多剤耐性細胞の出現といったヒトのがんで見られる様々な現象が再現できることから、rとK選択は多段階発がんにおけるクローン選択過程の一部を再現している可能性がある。また、K選択における多剤耐性は、1)正常細胞からスタートし、既存の細胞株を使用していない。2)がん遺伝子を導入しており、耐性関連遺伝子は使用していない。3)クローン選択に抗がん剤を使用していない。4)構成的な多剤耐性が獲得される。5)1cm大のがんとなる細胞数で抗がん剤耐性細胞が樹立される。6)ヒト腫瘍で指摘されているいくつかの機序が関与している。7)正常細胞から耐性クローン出現までの全過程をin vitroで再現できる。などが特徴としてあげられる。これらの点からK選択は、これまで報告されている耐性機序解析モデルとは違うユニークな実験系で、生体内での自然獲得耐性の発生を少なくとも一部再現していると思われる。腫瘍の進展に伴う異常な細胞増殖は必然的にK選択に陥るが、そのK選択によって多剤耐性形質を獲得することは、がんが治療抵抗性へと進展していく必然性を物語っている。K選択による多剤耐性の分子機序をさらに解明することは、がん征圧にむけて、難治性腫瘍の発生機構の解明とその治療成績の向上に寄与するものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

がんは、一つの細胞からおこり質的に異なった段階を経て多段階的に進展していく。近年この多段階発がん過程における種々のmolecular eventが各種のがんで明らかにされ、それらの遺伝子の作用が注目されてきた。抗がん剤耐性に関わる遺伝子もその一つである。しかし、どのような選択を経てこれらの遺伝子異常を持つ細胞が前面にでてきたのかは、いまだ明らかにされていない。この選択様式の重要性を示すものとして千勝らは、c-mycと活性型H-ras (EJ-ras)を導入したラット胎児線維芽細胞の培養系に、個体密度による自然選択モデルであるr選択とK選択を適用し、r選択でp53遺伝子変異体が、K選択で多倍体クローンが選択されることを報告した。

本研究は、このrとK選択という相異なる2つの選択が抗がん剤感受性に与える影響を検討し、さらにその機序について解析したもので、下記の結果を得ている。

1.ラット胎児線維芽細胞にc-mycとEJ-rasを導入して腫瘍化させた細胞株を低細胞密度で維持して指数関数的増殖が得られるr選択と、3-4日ごとに培養細胞の2分の1を継代することで高細胞密度を維持したK選択下で培養した。8週間の選択後、細胞の抗がん剤感受性をsulforhodamine B(SRB)アッセイで検討し、K選択細胞がr選択細胞に比べて、doxorubicin hydrochloride (DOX)、1-β-D-arabinofuranosyl cytosine (Ara-C)、vincristine sulfate(VCR)に対して感受性の有意な低下を示し、K選択下で多剤耐性を獲得することが示された。さらにDOX、Ara-Cに対する耐性は、長期の細胞の生存を評価するclonogenicアッセイでも確認された。また、K選択下で得られた多剤耐性は一過性ではなく、構成的であった。

2. K選択における多剤耐性機序として、次の結果が得られた。

1)r選択細胞に比べK選択細胞において、P-糖蛋白の高発現がmRNAレベルで認められ、effluxアッセイ、SRBアッセイ、clonogenicアッセイによってP-糖蛋白がK選択における多剤耐性に関わっていることが示された。

2)P-糖蛋白と相関したNF-YAの高発現がmRNAレベルで認められ、NF-YAによる発現調節の可能性が示された。

3)P-糖蛋白を強制発現させた細胞は、K選択下で選択される傾向が認められた。

4)細胞の増殖速度と細胞周期特異的抗がん剤の感受性の間に相関が認められ、K選択細胞の増殖速度の低下が抗がん剤耐性に直接関与したと考えられた。

5)r選択細胞に比べK選択細胞で、cytidine deaminaseの発現亢進とEquilibrative nucleoside transporter1の発現低下がmRNAレベルで認められ、Ara-C耐性への関与が示唆された。

6) K選択下では多倍体が優位となるが、倍数性が抗がん剤感受性に直接寄与する証拠は得られなかった。

7)p53遺伝子変異のK選択における耐性への直接的関与は認められなかった。

以上、本研究ではc-mycとEJ-rasを導入したラット胎児線維芽細胞を用いて、K選択においてのみ抗がん剤耐性を獲得することを示した。このことは、同一の遺伝子をもつ細胞株であっても異なる選択が作用することで、異なる抗がん剤感受性を獲得することを意味し、多段階発がんにおける耐性クローンの選択過程をin vitroで示した。さらに、その耐性機序は単一ではなく複数のプロセスが関与していることを示し、いずれも臨床上抗がん剤耐性や予後に関わるものであった。よって、それらの疾患におけるin vivoでの悪性化への過程にもK選択が関与している可能性を示している。また、これまで報告されている抗がん剤耐性機序を解析するモデルとの比較検討では、K選択における耐性が、抗がん剤耐性遺伝子を導入したり抗がん剤に暴露したりすることなく、またストレス下で誘導した一過性のモデルとは異なり新しくユニークなモデルであると考えられた。

以上より、本論文はin vitroの発癌モデルがrとK選択を使い分けることで多剤耐性機構の解析に有用であることを示した独創的な研究である。また、がん征圧に向けて難治性腫瘍の発生機構の解明とその治療成績の向上に寄与すると期待され、学位の授与に値すると考えられる。

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