学位論文要旨



No 120336
著者(漢字) 大石,元
著者(英字)
著者(カナ) オオイシ,ハジメ
標題(和) 癌抑制遺伝子BRCA1と相互作用する新規転写/修復共益因子複合体の機能解析
標題(洋)
報告番号 120336
報告番号 甲20336
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2485号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖発達加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 教授 門脇,孝
 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 助教授 水口,雅
 東京大学 助教授 上妻,志郎
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

 食生活の欧風化に伴い、本邦でも乳癌の発症頻度は上昇している。乳癌症例のほとんどは孤発性のものであるが、約5〜10%が家族性に発症するといわれている。1994年、家族性乳癌の遺伝子解析が進められ、ポジショナルクローニング法によりBRCA1, BRCA2が同定された。BRCA1は遺伝子座17q21に存在し、家族性乳癌においては約半数にBRCA1あるいはBRCA2に変異を認め、家族性乳癌・卵巣癌家系では約90%に変異を認めると報告されている。BRCA1変異キャリアーの有する腫瘍は残りの野生型のアレルのBRCA1遺伝子が失われるか不活化していることが分かっている。BRCA1変異を持つキャリアーでは生涯乳癌罹患率が50-85%であり、卵巣癌に関しては15-60%といわれている。

 BRCA1は癌抑制遺伝子として機能しており、その機能が障害される家族性変異では乳癌あるいは卵巣癌が高率かつに若年性に発生する。BRCA1の細胞内での機能は多彩であり、(1)DNA損傷修復(特に相同組み替えを必要とする2重鎖切断の修復)、(2)タンパクユビキチン化(その標的タンパクは同定されていない)、(3)転写調節(DNA損傷などの細胞ストレスに対して応答する遺伝子群の発現調節)、(4)細胞周期調節(G1/S, G2/M期で細胞周期を停止)といった生物学的なプロセスに関与している。その多岐にわたる機能の一部はBRCA1に相互作用する特定のタンパク質との結合を介して発現される。BRCA1はDNA修復・転写制御などに関連し、核内レセプターであるエストロゲンレセプターα(ERα)と相互作用するが、その機能はいまだに不明な点が多い。また、BRCA1の不活性化がどのような機序で発癌に至るのかはまだ明らかになっていない。

 BRCA1は220kDa(1863アミノ酸)の核タンパクであり、アミノ酸末端にRING フィンガー領域およびカルボキシル末端にBRCT(BRCA1 C-Terminus)モチーフの2回反復構造といった保存されたドメイン構造を有している。しかしながら、全体的な相同性を持つ既存のタンパクは知られていない。2回繰り返しのBRCTモチーフはBRCA1だけでなくDNA損傷を受けた際に細胞周期を調節する複数の遺伝子で認められている。BRCT領域の変異は家族性乳癌で頻発しており、BRCTの変異体ではBRCA1のDNA損傷修復能および転写活性化能の両機能が低下する。すなわちBRCT領域はBRCA1の機能発現の上で非常に重要な部位である。本研究では、BRCT領域と相互作用する転写/修復共役因子を同定し、その機能を解析した。

【方法および結果】

 HeLa S3細胞浮遊培養系よりDignamの方法に準じて核タンパクを調整し、陽イオンカラム(P11)とGST融合したBRCT領域を固定化したアフィニティーカラムを使用してBRCTと結合するタンパク複合体を精製し、MALDI/TOF-MS法により同定した。カラムより溶出させた複合体の中には、ヒストンアセチル化複合体でありERαとエストロゲン存在下で結合し、ERαの転写活性化因子として作用するTRRAP/hGCN5が存在することがわかった。さらに複合体の構成因子を解析するため、hGCN5を恒常的に発現するMCF-7乳癌細胞を用いて精製を行った。詳細な複合体精製のために、アフィニティ精製の溶出液をグリセロール密度勾配法にかけ、複合体を分離した。目的の複合体画分をさらにTOF-MSにて解析したところTRRAP/hGCN5複合体以外にMSH2/MSH6といったミスマッチ修復に関与する因子が含まれていることが明らかになった。MSH2/MSH6は、BRCA1と結合する巨大なDNA修復因子複合体BASC (BRCA1 associated genome surveillance complex) の構成因子であることが分かっているが、このほかのBASCの構成因子は見出されなかった。また、この複合体にはERαは含まれなかった。

 このBRCT-interacting hGCN5/TRRAP複合体(TRRAP/hGCN5/MMSH2/MSH6複合体)とBRCA1のタンパク間結合はGST pull down法、免疫共沈降法、Far Western Blotting法を用いて検討した。GST pull-down法およびFar Western Blotting法では、野生型BRCTとTRRAP/hGCN5/MSH2/MSH6複合体はTRRAPを介して結合し、乳癌家系でみられる点変異型BRCTはTRRAPと結合せず、この複合体との結合は無くなることが明らかとなった。免疫共沈降法では、乳癌細胞においてTRRAP/hGCN5/MMSH2/MSH6は細胞内で内在性の複合体として共存することが分かった。また、DNA修復複合体BASCの構成因子であるRAD50も共存していることが分かった。乳癌細胞以外の腎臓由来あるいは肝臓由来の細胞ではBRCA1とTRRAP/hGCN5の複合体形成を確認することはできなかった。

 BRCTの転写活性化能は、BRCTとgal4-DNA結合領域とのキメラタンパクを細胞内で発現させ、gal4 systemを組み込んだプラスミドをレポーターとしてMCF-7乳癌細胞に導入し、ルシフェラーゼ活性の測定により検討した。野生型BRCTの転写活性化能はBRCT-interacting hGCN5/TRRAP複合体(TRRAP/hGCN5/MSH2/MSH6複合体)存在下でより増強した。RNAi 法にて各因子の発現を減弱させると、BRCTの転写活性化能は減少した。hGCN5のヒストンアセチルトランスフェラーゼ(HAT) 活性の活性中心部分に点変異を入れ、その活性を減少させた突然変異体を用いたところ、BRCTの転写活性化能は弱まった。また、ERαの転写活性化能に対する影響を見るため、ERE-TATAをプロモーターに組み込んだルシフェラーゼアッセイの系でBRCA1及びこの複合体による転写活性の変化を見た。ERαの転写活性はE2存在下でBRCA1により抑制されるが、TRRAP/hGCN5を強制発現させるとその抑制が解除された。次に、BRCT-interacting hGCN5/TRRAP複合体の構成因子がBRCA1のコアクチベーターとして機能するべく、BRCA1に結合しその標的遺伝子上にリクルートされているかどうかを調べた。BRCTの両アレルに家族性乳癌家系の変異を持つHCC1937乳癌細胞に、BRCA1をアデノウイルスを用いて導入し、p21WAF1/CIP1のプロモーターを標的としたクロマチン免疫沈降法を行った。BRCA1が0.01% MMS(methylmethane sulfonate)によるDNA損傷で活性化されるとBRCA1はp21のプロモーター上にリクルートされた。それに伴いhGCN5/TRRAPが同様の領域に共存していることが分かった。また、その際に同プロモーター領域はヒストンH3がアセチル化された状態になっており、hGCN5複合体によるアセチル化であると推測された

 DNA修復能は、プラスミドを導入したHCC1937培養細胞系にDNA傷害性物質MMS 0.1% を添加し生細胞数を測定することにより検討した。乳癌細胞HCC1937において、RNAi 法によりTRRAP, hGCN5, MSH2各因子の発現を抑制したところBRCA1を介したDNA修復能が阻害され、細胞の生存数が減少した。また、hGCN5はBRCA1のDNA損傷修復能を増強した。HAT活性の欠失したhGCN5点変異体ではこの作用はみられなかった。

【結論】BRCA1とBRCT-interacting hGCN5/TRRAP複合体(TRRAP/hGCN5/MSH2/MSH6複合体)の結合は、BRCA1の転写制御およびDNA修復の両機能に必要であることが分かった。TRRAPとBRCTのタンパク-タンパク相互作用をみる実験より、BRCA1とBRCT-interacting hGCN5/TRRAP複合体の結合部位となっているのはTRRAPであることが明らかとなった。同時に家族性乳癌でみられる変異ではこのBRCTとTRRAPの相互作用が消失する。この結果より、BRCTの変異によるBRCA1の機能すなわち転写活性化能及びDNA損傷修復機能の低下はBRCT-interacting hGCN5/TRRAP複合体が結合できないことによるものと考えられた。hGCN5/TRRAP複合体はBRCA1を介したDNA損傷修復あるいは転写制御の共役因子として働き、そのHAT活性がBRCA1の転写・修復機能活性化に重要であることが明らかとなった。今回新規に同定したBRCT-interacting hGCN5/TRRAP複合体(TRRAP/hGCN5/MSH2/MSH6複合体)には、BRCA1に結合する DNA損傷複合体BASCの因子であるMSH2とMSH6が含まれていたが、それ以外のBASCの因子は見出すことはできなかった。しかし、anti-BRCA1抗体で免疫沈降するとBASCの一因子であるRAD50もhGCN5/TRRAPとともに見出された。このことよりhGCN5/TRRAP複合体はBRCA1上でBASCとより大きな複合体を形成し、BRCA1のDNA損傷修復能をより促進していると考えられる。すなわちhGCN5/TRRAP複合体のHAT活性が転写でも修復でも重要であることから、HAT活性によりクロマチン構造を修飾し、転写装置およびDNA修復装置がアクセスしやすい状況を作り出す役割をしていると考えられる。また、BRCA1がERαのリガンド依存的な転写活性化を抑制するうえで、この複合体との結合が重要であることから、BRCA1によりエストロゲンの下流のシグナルが転写制御レベルで抑制される機序の一部分が明らかになった。以上より、当研究により様々なBRCA1の機能発現にはhGCN5/TRRAP HAT複合体が必要であることが分かった。

 以上より、BRCA1の変異体での発癌における分子メカニズムを解明する上でこの複合体が鍵となる可能性を提起した。BRCA1の発癌抑制機能の組織特異性については今後の更なる検討が必要である。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、癌抑制遺伝子BRCA1の転写制御・DNA修復機能の発現の上で非常に重要な部位であるBRCT領域に結合するタンパク複合体を解析することにより、BRCA1の乳癌の発癌・進展における役割の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.HeLa S3細胞浮遊培養系より核タンパクを調整し、陽イオンカラム(P11)とGST融合したBRCT領域を固定化したアフィニティーカラムを使用してBRCTと結合するタンパク複合体を精製し、MALDI/TOF-MS法により同定した。カラムより溶出させた複合体の中には、ヒストンアセチル化複合体でありERαとエストロゲン存在下で結合し、ERαの転写活性化因子として作用するTRRAP/hGCN5が存在することが示された。さらに複合体の構成因子を解析するため、hGCN5を恒常的に発現するMCF-7乳癌細胞を用いて精製を行った結果、TRRAP/hGCN5複合体以外にMSH2/MSH6といったミスマッチ修復に関与する因子が含まれていることが明らかになった。

2.同定したTRRAP/hGCN5/MSH2/MSH6複合体とBRCA1のタンパク間結合はGST pull down法、免疫共沈降法、Far Western Blotting法を用いて検討した。野生型BRCTとTRRAP/hGCN5/MSH2/MSH6複合体はTRRAPを介して結合し、乳癌家系でみられる点変異型BRCTはTRRAPと結合せず、この複合体との結合は無くなることが明らかとなった。免疫共沈降法では、乳癌細胞においてTRRAP/hGCN5/MMSH2/MSH6は細胞内で内在性の複合体として共存することが分かった。

3.BRCTの転写活性化能は、BRCTとgal4-DNA結合領域とのキメラタンパクを細胞内で発現させ、gal4 systemを組み込んだプラスミドをレポーターとしてMCF-7乳癌細胞に導入し、ルシフェラーゼ活性の測定により検討した。BRCTの転写活性化能はBRCT-interacting hGCN5/TRRAP複合体(TRRAP/hGCN5/MSH2/MSH6複合体)存在下でより増強した。また、ERαの転写活性化能に対する影響を見るため、ERE-TATAをプロモーターに組み込んだルシフェラーゼアッセイの系でBRCA1及びこの複合体による転写活性の変化を見た。ERαの転写活性はE2存在下でBRCA1により抑制されるが、TRRAP/hGCN5を強制発現させるとその抑制が解除された。

4.DNA修復能は、プラスミドを導入したHCC1937培養細胞系にDNA傷害性物質MMSを添加し生細胞数を測定することにより検討した。BRCTに変異を持つ乳癌細胞HCC1937において、RNAi 法によりTRRAP, hGCN5, MSH2各因子の発現を抑制したところBRCA1を介したDNA修復能が阻害され、細胞の生存数が減少した。また、hGCN5はBRCA1のDNA損傷修復能を増強した。

 以上、本論文はBRCT領域と相互作用する新規の転写/修復共役因子BRCT-interacting hGCN5/TRRAP複合体を同定し、その機能解析よりBRCA1とこの複合体との結合はBRCA1の転写制御およびDNA修復の両機能に必要であることが分かった。また、BRCA1によりエストロゲンの下流のシグナルが転写制御レベルで抑制される機序が明らかになった。本研究はBRCA1に相互作用する新規複合体を同定し、その複合体の存在がBRCA1の機能発現の上で必須であることを示し、BRCA1の発癌抑制機能の解明に貢献するものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク