学位論文要旨



No 120339
著者(漢字) 広田,泰
著者(英字)
著者(カナ) ヒロタ,ヤスシ
標題(和) 卵巣および子宮内膜におけるprotease-activated receptor(PAR)に関する研究
標題(洋)
報告番号 120339
報告番号 甲20339
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2488号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松島,綱治
 東京大学 教授 花岡,一雄
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 助教授 水口,雅
 東京大学 講師 金森,豊
内容要旨 要旨を表示する

 女性生殖領域における排卵、月経、着床、分娩発来などの現象は、サイトカインなどの化学伝達物質を介した白血球遊走や血管透過性亢進などを伴う一種の炎症反応と考えられており、また炎症さらにそれに引き続く組織形成、組織再構築が、排卵、月経などの生理現象の重要な機序となっている。通常成人の組織においてダイナミックな炎症や組織再構築が起こるのは創傷などの病的な事象に限定されているのに対し、卵巣・子宮などの生殖器官は生理的な状態で周期的に起こっている例外的な部位といえる。女性生殖器に起こる生理学的現象を炎症という概念を基に解析していくことはその現象を理解する上で極めて重要であると考えられる。

 好中球やリンパ球、肥満細胞などの白血球が主に分泌する蛋白分解酵素(プロテアーゼ)が炎症や組織の再構築に関与する主要な物質として知られる。その中で、トロンビン、トリプターゼ、トリプシンなどのセリンプロテアーゼが、G蛋白共役型受容体であるprotease-activated receptor(PAR)を介して向炎症、組織修復、細胞遊走などに作用することが近年注目されており、様々な病態形成への関与が報告されている。特に凝固因子として従来知られているトロンビンは、PARを介した凝固、炎症、白血球走化、細胞増殖、アポトーシス、血管新生など、多様な生物学的機能を持つことが分かってきている。PAR活性化機序の特徴は、酵素作用によりN末端細胞外ドメインの一部が切断され、残存切断端のアミノ酸配列が自身に対するリガンドとして作用することである(図1参照)。このリガンド部分を遊離のペプチドとして投与してもPARは活性化される(PARアゴニストペプチド)。PARにはPAR1〜4の4つのサブタイプがあるが、PAR1、PAR3、PAR4はトロンビンがリガンドであり、その中でPAR1が中心的に作用するといわれている。PAR2はトリプターゼ、トリプシン、エラスターゼ、プロテイナーゼ3などがそのリガンドとなる。

 卵巣における排卵および子宮内膜における月経という生理的炎症やその後におこる組織再構築、また子宮内膜と関連して異所性子宮内膜組織を形成し骨盤内を中心とした腹腔内炎症疾患である子宮内膜症という病的炎症へのPARの関与が推測されたため、1. 卵巣におけるPAR1の意義についての検討、2. 子宮内膜におけるPAR2の意義についての検討、3.子宮内膜症の病態におけるPAR1、PAR2の関与についての検討を行った。

1.卵巣におけるPAR1の意義についての検討

 排卵は炎症類似の現象である。卵胞は外側の莢膜と基底膜を挟んで内側の顆粒膜細胞および卵細胞より構成される。顆粒膜細胞は、莢膜を形成する莢膜細胞とともにエストロゲンおよびプロゲステロンという卵巣ステロイドホルモン産生の中心細胞である。下垂体前葉から分泌されるゴナドトロピンである黄体化ホルモン(luteinizing hormone:LH)の急激な上昇(LHサージ)により、卵胞が破れて卵細胞が腹腔内に排出される。この現象を排卵と呼び、排卵により顆粒膜細胞は莢膜細胞とともに黄体細胞へと分化し黄体を形成する。顆粒膜細胞およびその周囲に浸潤している白血球との間のサイトカインなどの化学伝達物質を介した相互作用が排卵の重要な機序と考えられている。排卵時、卵胞では白血球の浸潤と細胞間隙の浮腫が認められるが、これは形態学的には炎症と相違ない変化である。それと同時に卵胞壁にフィブリンの沈着が認められるが、これによりトロンビンなどの凝固因子の活性化が存在したことを推測できる。最近の報告で卵胞液中にトロンビンを産生する経路が存在することが示されており、トロンビンが排卵の過程で何らかの機能を持っていることが推測されたため、以下の研究を行った。

 体外受精・胚移植施行患者からインフォームドコンセントのうえ採卵時に採取した卵胞液から分離培養した顆粒膜細胞を用いて、トロンビンの受容体であるPAR1 mRNAの発現を確認した。また、トロンビンがPAR1を介して白血球遊走作用を持つIL-8・MCP-1の産生を誘導した。この作用はエストロゲンにより増強された。さらに、排卵を促進するプロテアーゼであるMMP-2およびMMP-9の活性を亢進させた。以上の結果から、卵巣顆粒膜細胞におけるPAR1の白血球遊走、卵胞壁の融解作用が推測され、PAR1が排卵に促進的に作用することが示唆された。

 以上より、排卵期卵胞では活性化されたトロンビンが種々の炎症関連因子を誘導し、排卵に関与していること、そしてこれらの因子の制御にPAR1が関わっていることが示された。

2.子宮内膜におけるPAR2の意義についての検討

 月経とは子宮内膜の機能層が剥脱し血液とともに流出する現象であるが、排卵と同じように、月経も炎症類似の現象であると考えられている。月経時には組織の浮腫が起こり、様々な炎症細胞の流入が認められる。子宮内膜においては月経期に好中球や肥満細胞などの白血球浸潤が増加する。特に組織の剥脱には白血球などの炎症細胞から分泌されるプロテアーゼの作用が重要とされている。また月経時の子宮内膜の細動脈床からの出血の止血機転にはトロンビンを介した凝固因子の活性化が関与すると考えられている。

 以上のことから月経時には好中球由来のエラスターゼ、プロテイナーゼ3や肥満細胞由来のトリプターゼによるPAR2の活性化が推測されたため、以下の研究を行った。

 インフォームドコンセントのうえ手術時に採取したヒト子宮内膜を実験に使用した。ヒト子宮内膜組織におけるPAR2の存在を示し、PAR2の発現に周期性があり月経期に発現上昇を認めることを明らかにした。また、培養子宮内膜間質および上皮細胞ではPAR2の活性化により、炎症性サイトカインIL-8の産生亢進、上皮の組織再構築に関与するMMP-7の産生亢進、子宮内膜間質細胞の増殖、肥満細胞を誘導・活性化する因子であるstem cell factor(SCF)の発現亢進などの作用を示した。

 この事実により、トリプターゼ、プロテイナーゼ3、エラスターゼなどの白血球由来のプロテアーゼが、PAR2を介して月経時の炎症と月経後の組織修復過程に関与している可能性が示された。

3.子宮内膜症の病態におけるPAR1、PAR2の関与についての検討

 月経および子宮内膜と関連して、月経周期を有する女性において形態学的に子宮内膜類似病変が子宮以外の部位、主に骨盤内に生じる、子宮内膜症という疾患がある。生殖臓器において、各種のプロテアーゼが、排卵や月経などの生理的現象の際に起こる一種の炎症を惹起するが、一方で子宮内膜症や月経困難症などの病的炎症においてもプロテアーゼが関与していると推測される。子宮内膜症は生殖年齢女性の10%にみられ、QOLや妊孕性の低下をきたす疾患として女性生殖領域では「現代の難病」ともいえる疾患である。子宮内膜組織またはそれに類似した組織が子宮以外の部位で発生し発育する疾患である子宮内膜症は、月経痛、慢性骨盤痛、不妊症などを引き起こす慢性炎症性疾患と考えられており、この病態においては生理的現象としての炎症と異なり、炎症抑制機構いわゆるネガティブ・フィードバック機構の破綻が起こっていることが推測される。

 インフォームドコンセントのうえ手術時に採取した子宮内膜症性卵巣嚢胞壁から分離培養した子宮内膜症細胞をトロンビンで刺激すると、白血球遊走能を有するIL-8、MCP-1や血管収縮、子宮筋収縮に作用するプロスタグランジンの合成酵素であるcyclooxygenase-2(COX-2)などの炎症関連物質の発現亢進および細胞増殖マーカーであるPCNAの陽性細胞率の増加を認め、さらにトロンビンおよびIL-8の刺激により凝固系でトロンビンの上位に位置する物質であるtissue factor発現増加を認めた。組織因子によりさらにトロンビンが活性化するというポジティブ・フィードバックの存在が子宮内膜症という炎症性疾患の病態形成の一因になっていると考えられた(図2参照)。また、子宮内膜症では肥満細胞や好中球が病変部で増加、活性化しているという報告や子宮内膜症患者の腹腔内貯留液中でSCFが増加しているという報告がありPAR2の子宮内膜症の病態への関与が推測されたため、子宮内膜症細胞をPAR2アゴニストペプチドで刺激したところ、IL-6、IL-8などの炎症性サイトカインの発現が亢進し、PCNA陽性細胞の増加を認めた。これらのことから、SCFの作用で遊走し活性化した肥満細胞が分泌するトリプターゼや、IL-8の作用で遊走し活性化した好中球が分泌するエラスターゼやプロテイナーゼ3が、PAR2を介して炎症性サイトカインの産生をさらに促進し、さらなる白血球遊走を誘導するというポジティブ・フィードバック機構の存在が想定された(図2参照)。また、PAR1およびPAR2を介した子宮内膜症細胞増殖による病変の進展機構も明らかとなった。

 本研究により得られた結果から、生殖臓器においてPARは生理的および病理的局面において関与していることがわかった。排卵、月経という生理的現象や子宮内膜症の病態形成におけるPARに関する新しい知見が得られた。

図1.PARの活性化の機序

図2.子宮内膜症におけるPAR1、PAR2のポジティブ・フィードバック機構

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、卵巣における排卵および子宮内膜における月経という生理的炎症、また子宮内膜と関連して異所性子宮内膜組織を形成し骨盤内を中心とした腹腔内炎症疾患である子宮内膜症という病的炎症における、トロンビン、トリプターゼ、トリプシンなどのセリンプロテアーゼをリガンドとするG蛋白共役型受容体であるprotease-activated receptor(PAR)の関与について明らかにするため、

1.卵巣におけるPAR1の意義についての検討

2.子宮内膜におけるPAR2の意義についての検討

3.子宮内膜症の病態におけるPAR1、PAR2の関与についての検討

を行い、下記の結果を得ている。

1.体外受精・胚移植施行患者からインフォームドコンセントのうえ採卵時に採取した卵胞液から分離培養した顆粒膜細胞を用いて、トロンビンの受容体であるPAR1 mRNAの発現を確認した。また、トロンビンによりPAR1を介して白血球遊走作用を持つIL-8、MCP-1産生が誘導された。この作用はエストロゲンにより増強された。さらに、排卵を促進するプロテアーゼであるMMP-2およびMMP-9の活性を亢進させた。以上の結果から、卵巣顆粒膜細胞におけるPAR1の白血球遊走、卵胞壁の融解作用が推測され、PAR1が排卵に促進的に作用することが示唆された。

 以上より、排卵期卵胞では活性化されたトロンビンが種々の炎症関連因子を誘導し、排卵に関与していること、そしてこれらの因子の制御にPAR1が関わっていることが示された。

2.インフォームドコンセントのうえ手術時に採取したヒト子宮内膜を実験に使用した。ヒト子宮内膜組織におけるPAR2の存在を示し、PAR2の発現に周期性があり、月経期に発現上昇を認めることを明らかにした。また、培養子宮内膜間質および上皮細胞ではPAR2の活性化により、炎症性サイトカインIL-8の産生亢進、上皮の組織再構築に関与するMMP-7の産生亢進、子宮内膜間質細胞の増殖、肥満細胞を誘導、活性化する因子であるstem cell factor(SCF)の発現亢進などの作用を示した。

この事実により、トリプターゼ、プロテイナーゼ3、エラスターゼなどの白血球由来のプロテアーゼが、PAR2を介して月経時の炎症と月経後の組織修復過程に関与している可能性が示された。

3.インフォームドコンセントのうえ手術時に採取した子宮内膜症性卵巣嚢胞壁から分離培養した子宮内膜症細胞をトロンビンで刺激すると、白血球遊走能を有するIL-8、MCP-1や血管収縮、子宮筋収縮に作用するプロスタグランジンの合成酵素であるcyclooxygenase-2(COX-2)などの炎症関連物質の発現亢進および細胞増殖マーカーであるPCNAの陽性細胞率の増加を認め、さらにトロンビンおよびIL-8の刺激により凝固系でトロンビンの上位に位置する物質であるtissue factor発現増加を認めた。組織因子によりさらにトロンビンが活性化するというポジティブ・フィードバックの存在が子宮内膜症という炎症性疾患の病態形成の一因になっていると考えられた。また、子宮内膜症細胞をPAR2アゴニストペプチドで刺激したところ、IL-6、IL-8などの炎症性サイトカインの発現が亢進し、PCNA陽性細胞の増加を認めた。これらのことから、肥満細胞が分泌するトリプターゼや、好中球が分泌するエラスターゼやプロテイナーゼ3が、PAR2を介して炎症性サイトカインの産生をさらに促進し、さらなる白血球遊走を誘導するというポジティブ・フィードバック機構の存在が想定された。また、PAR1およびPAR2を介した子宮内膜症細胞増殖による病変の進展機構も明らかとなった。

 以上、本論文は生殖臓器における生理的および病理的局面でのPARの関与を明らかにした。生殖臓器におけるPARに関する新しい知見が得られたことは、排卵、月経という生理的現象や子宮内膜症の病態形成における機序の解明に貢献すると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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