学位論文要旨



No 120340
著者(漢字) 有本,貴英
著者(英字)
著者(カナ) アリモト,タカヒデ
標題(和) cDNAマイクロアレイ法による卵巣子宮内膜症性嚢胞における網羅的遺伝子発現解析
標題(洋) Genome-wide cDNA microarray analysis of gene-expression profiles involved in ovarian endometriosis
報告番号 120340
報告番号 甲20340
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2489号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋都,浩平
 東京大学 助教授 中川,恵一
 東京大学 助教授 渡邉,聡明
 東京大学 講師 関根,孝司
 東京大学 講師 百枝,幹雄
内容要旨 要旨を表示する

 子宮内膜症は、子宮内膜あるいはそれに類似する組織が子宮以外の部位で発生し発育する疾患である。生殖年齢女性に好発し、月経痛、性交痛、骨盤痛、不妊症の原因となることによって女性の Quality of Life を低下させる。これらの症状は子宮内膜症に非特異的であり、手術や腹腔鏡といった外科的処置を行わない限り診断が難しいことも多い。治療法は主として GnRH agonist やアンドロゲンなどの薬物療法と手術療法であるが、長期の薬物療法には副作用が伴うこと、またどちらの治療法も再発率が高いことが問題となっている。

 子宮内膜症が頻度の高い疾患であるにもかかわらず、その発生機序や遺伝子レベルの背景に関しては比較的明らかになっていない。子宮内膜症の本質を解明し、分子標的治療の候補遺伝子やマーカーとなる遺伝子を同定するために、私は同時にたくさんの遺伝子の発現パターンを解析することのできる方法であるcDNAマイクロアレイ法を用い、23,040遺伝子の中から卵巣子宮内膜症性嚢胞における遺伝子発現プロファイルを作成した。

 検体は子宮内膜症性卵巣嚢胞にて手術を行った患者23人(うち増殖期9症例、分泌期14症例)より、インフォームド・コンセントを得て取得した。嚢胞の内腔表面を scrape し鏡検下に上皮細胞を分離して、total RNA の抽出に用いた。一方対照検体としては14症例(うち増殖期7症例、分泌期7症例)より正所性子宮内膜を取得し、コラゲナーゼ処理後ナイロンフィルターを用いて濾過することによって上皮細胞を分離した。

 これらの検体から抽出した total RNA をT7 RNA 増幅法を用いて増幅し、得られた amplified RNA を逆転写し、子宮内膜症卵巣嚢腫上皮細胞由来の RNAを Cy5、正所性子宮内膜由来の RNAを Cy3 で標識することによって cDNAプローブを作成した。これらを 23,040 遺伝子のcDNA をスポットしたマイクロアレイ上で競合ハイブリダイゼーションさせ、得られたシグナルをスキャン、数値化し52個のハウスキーピング遺伝子の Cy5/Cy3 蛍光強度比の平均が1となるように正規化することによって発現比を解析した。

 信号強度の非常に低いデータは信頼性に欠けるため、マイクロアレイのスライド毎にカットオフ値を設定し、Cy3、Cy5の信号強度がともにカットオフ値以下の遺伝子は解析の対象から外した。そして各遺伝子の相対的な発現を、発現上昇(Cy5/Cy3 〓 2.0)、発現低下 (Cy5/Cy3 〓 0.5)、不変 (0.5 < Cy5/Cy3 < 2.0 )、発現せず(カットオフ値以下)の4種に分類した。

 その結果、増殖期・分泌期ともに70%以上の症例で発現上昇している遺伝子を15遺伝子(うち EST 2遺伝子)、増殖期のみ70%以上の症例で発現上昇している遺伝子を42遺伝子(うち EST 15遺伝子)、分泌期のみ70%以上の症例で発現上昇している遺伝子を40遺伝子(うち EST 10遺伝子)同定した。増殖期のみあるいは分泌期のみで発現上昇している遺伝子のほとんどは、もう一方の性周期でも、70%の症例には満たないものの発現上昇が認められた。子宮内膜症細胞は一部の遺伝子の発現を変化させることにより、増殖期・分泌期を通じて増殖を続けている可能性が示唆された。

 一方、増殖期・分泌期ともに70%以上の症例で発現低下している遺伝子は337遺伝子(うち EST164遺伝子)、増殖期のみ70%以上の症例で発現低下している遺伝子は144遺伝子(うち EST41遺伝子)、分泌期のみ70%以上の症例で発現低下している遺伝子は835遺伝子(うち EST428遺伝子)であった。

 さらに子宮内膜症で性周期を問わず発現上昇している遺伝子のうち代表的な10遺伝子について、G3PDH をコントロールとして半定量的 RT-PCRを行い、ほとんどの症例でマイクロアレイのデータと一致することを確認した。

 子宮内膜症で発現上昇している遺伝子の中に、HLA抗原や補体といった免疫系のものが多く認められた。今までにも子宮内膜症における免疫系の異常や自己抗体の産生を指摘した報告があるが、HLA抗原が子宮内膜症上皮細胞で過剰発現することによって、マクロファージによる抗原認識・提示が生じ自己免疫反応に関与する可能性がある。

 月経痛、性交痛、骨盤痛、不妊症を主症状とするエストロゲン依存性疾患という子宮内膜症の臨床像を裏付けるデータも多く得られた。例えば補体が高発現しているが、これは子宮内膜症病変における強い炎症の結果骨盤痛が生じていることを示唆させる。またロイコトリエンの生合成に必要とされるALOX5AP が23症例中22症例で発現上昇していた。これらの遺伝子が過剰発現することによって、強い炎症や癒着が生じ、卵管や卵巣にダメージを与えたり、卵や精子の運動あるいは胚の成長を妨げうる腹水を産生したりすることにより不妊症の原因になりうると考えられる。さらにナチュラルキラー活性を阻害し血管新生ひいては子宮内膜症間質細胞の増殖を誘導したり、初期胚の生育を阻害したりするTGFBI が発現上昇していたが、これも子宮内膜症の進展や不妊に関与していると考えられる。初期胚や卵管を、腹水や逆流月経血、微生物や精子といった外部環境から保護する役割のあるOVGP1 の発現が子宮内膜症では性周期を通じて低下していることも、子宮内膜症患者における不妊症に関与していると考えられる。

 子宮内膜症は良性病変であるが、増殖、浸潤、血管新生といった類腫瘍的性格を持っている。子宮内膜症患者は卵巣癌を発症するリスクが高いという報告があり、また上皮性卵巣癌のうち明細胞腺癌や類内膜腺癌では子宮内膜症の共存頻度が著明に高いという事実もある。マイクロアレイのデータにおいて、子宮内膜症組織ではTP53 やTP53BP2 の発現低下が認められたが、明細胞腺癌ではp53 の発現が低下しているという報告もあり、子宮内膜症におけるTP53 やTP53BP2 の発現低下が子宮内膜症の悪性化に関与している可能性がある。

 さらに、アポトーシスに関連する遺伝子である GADD34、GADD45A、GADD45B、PIG11 の発現が子宮内膜症上皮細胞では低下していた。これらの遺伝子の発現低下がアポトーシスを惹起するシグナルに影響を与え、子宮内膜症の類腫瘍的性格に関与している可能性がある。

 最後に子宮内膜症とエストロゲンとの関連についてであるが、過去の諸報告と同様、子宮内膜症組織でのESR1 の発現は、正所性子宮内膜と比べ低下していた。ESR2 に関しては子宮内膜症組織における役割は未知であるが、約半数の症例で発現低下を認めた。子宮内膜症におけるESR1とESR2の関与の程度は不明であるが、ESR1が正所性子宮内膜で高発現していることを考えると、子宮内膜症組織でESR1が発現低下していることは必ずしも子宮内膜症がエストロゲン依存性疾患であることと矛盾しないと考えられる。エストロゲンに反応してリボソームタンパク質の合成量が増加するが、マイクロアレイのデータではRPS23、RPS11、RPL11の発現上昇が認められることからも子宮内膜症とエストロゲンとの関連が示唆される。

 子宮内膜症の治療として内分泌療法や手術療法が行われているが、高い再発率、また薬物療法に伴う副作用などを考えると、新しいより良い治療法の確立は急務である。子宮内膜症上皮細胞を十分量取得するのが困難なこともあり、その遺伝子レベルのメカニズムや病態生理は明らかになっていない部分も多いが、T7 RNA増幅法を併用してcDNA マイクロアレイ法を行うことによって、子宮内膜症に関与するたくさんの遺伝子の網羅的な情報を得ることが可能となった。これらは子宮内膜症の新たな診断・治療法のための分子標的遺伝子を同定するために有用な基礎データになると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は子宮内膜症の発生機序や遺伝子レベルの背景を解明し、分子標的治療の候補遺伝子やマーカーとなる遺伝子を同定するため、23,040遺伝子より構成される cDNAマイクロアレイを用いて、卵巣子宮内膜症性嚢胞における遺伝子発現プロファイルの作成を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.卵巣子宮内膜症性嚢胞上皮細胞由来のRNAと、正所性子宮内膜由来のRNA をcDNAマイクロアレイ上で競合ハイブリダイゼーションさせた結果、増殖期・分泌期ともに70%以上の症例で発現上昇している遺伝子を15遺伝子(うち EST 2遺伝子)、増殖期のみ70%以上の症例で発現上昇している遺伝子を42遺伝子(うち EST 15遺伝子)、分泌期のみ70%以上の症例で発現上昇している遺伝子を40遺伝子(うち EST 10遺伝子)同定した。一方、増殖期・分泌期ともに70%以上の症例で発現低下している遺伝子を337遺伝子(うちEST164遺伝子)、増殖期のみ70%以上の症例で発現低下している遺伝子を144遺伝子(うち EST41遺伝子)、分泌期のみ70%以上の症例で発現低下している遺伝子を835遺伝子(うち EST428遺伝子)同定した。

2.子宮内膜症で性周期を問わず発現上昇している遺伝子のうち代表的な10遺伝子について、G3PDH をコントロールとして半定量的 RT-PCRを行ったところ、ほとんどの症例において子宮内膜症で発現上昇を認め、マイクロアレイのデータと一致することを確認した。

3.増殖期のみあるいは分泌期のみで発現上昇している遺伝子のほとんどは、もう一方の性周期でも、70%の症例には満たないものの発現上昇が認められた。

4.子宮内膜症で発現上昇している遺伝子の中に、HLA抗原や補体といった免疫系のもの、補体やALOX5APといった炎症と関連するものが多く認められた。一方癌抑制遺伝子であるTP53 やTP53BP2、またアポトーシスに関連する遺伝子である GADD34、GADD45A、GADD45B、PIG11 の発現が子宮内膜症では低下しており、子宮内膜症の類腫瘍的性格に関与している可能性が示唆された。

 以上、本論文は卵巣子宮内膜症性嚢胞において、cDNAマイクロアレイを用いて得られた遺伝子発現プロファイルの解析から、子宮内膜症で発現上昇・低下している遺伝子群を網羅的に明らかにした。本研究はこれまでほとんど明らかになっていない、子宮内膜症の発生・進展に関与する遺伝子のネットワーク網の解明と、子宮内膜症の新たな診断・治療法のための分子標的遺伝子の同定に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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