学位論文要旨



No 120341
著者(漢字) 尾崎,さおり
著者(英字)
著者(カナ) オザキ,サオリ
標題(和) ヒトパピローマウィルス16型L1キャプシド蛋白質の発現調節に関する研究
標題(洋)
報告番号 120341
報告番号 甲20341
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2490号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖発達加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 橋都,浩平
 東京大学 助教授 岩田,力
 東京大学 助教授 渡邉,聡明
 東京大学 講師 藤井,知行
内容要旨 要旨を表示する

要旨

 ヒトパピローマウイルス(HPV)は約8000塩基対の2本鎖環状DNAをゲノムとする直径55nmの正二十面体ウイルスであり、塩基配列の一部が異なる80以上の遺伝子型が報告されている。16や18型等のゲノムは子宮頸癌から分離されており、高リスク型HPVと呼ばれる。これまでの研究で、高リスク型HPVは女性生殖器粘膜の基底細胞に持続感染し、子宮頸癌発症の最大リスクファクターとなることが示されてきた。

従って、持続感染細胞からHPVを排除することができれば、子宮頸癌の発症は予防できる。持続感染の維持を阻害する方法を探るために、HPV16型(HPV16)の生活環を支える分子機構を明らかにすることが、本研究の目的である、

 HPV16は性行為等で生じる粘膜の微少なキズから侵入し、基底細胞に感染するが直ちにウイルス増殖が起こることはない。核内に運ばれたウイルスゲノムはエピソームとして維持される。ゲノムが存在してもウイルス抗原を産生しないため、感染細胞が免疫系の攻撃を受けることはない。宿主となった細胞が分裂し、基底層に留まる場合は、ごく小規模なゲノムの複製が起こり、ゲノムが娘細胞に分配される。細胞あたり数10から200コピー程度のウイルスゲノムが維持されると推定されている。

宿主細胞が粘膜形成の最終分化を始めると、HPVゲノムの複製とキャプシド蛋白質(L1及びL2蛋白質)の発現が起こり、HPV粒子が形成される。この粒子が周辺に感染して新たな持続感染病巣を形成したり、他のヒトへの感染を引き起こす。このように、HPV16は免疫系からの攻撃を避けながら、宿主細胞が死に至る分化を始めると一過性の増殖をするという、極めて巧みな持続感染によってヒトの集団に維持されている。

しかし、HPV16遺伝子群の発現調節が粘膜形成の分子機構をどのように利用しているのかは不明な点が多い。

 HPV16のゲノムには2つのプロモーター、P97とP670、がある。P97はHeLaや293細胞等のヒト培養細胞で活性を示し、E6、E7遺伝子の転写を担っている。P670は表皮角化細胞の分化を誘導できる特殊な細胞培養で活性を示し、E1やL1、L2遺伝子の転写を担っている。最近、hSkn-1aと呼ばれる転写因子が表皮角化細胞の分化を誘導することがわかり、hSkn-1aをHeLa細胞で発現させるとサイトケラチン10やインボルクリン等の分化マーカー蛋白質群の発現誘導が起こることが明らかにされた。

P670の下流にホタルルシフェラーゼ遺伝子をつないで、hSkn-1aの発現プラスミドと共にHeLa細胞に導入すると、細胞抽出液にルシフェラーゼ活性が認められ、hSkn-1aによってP670が活性化されることが示された。しかし、hSkn-1a存在下でもL1蛋白質の発現は認められない。即ち、L1蛋白質の合成はP670の活性だけでなく、転写後から翻訳に至る過程でも抑制されていることがわかってきた。ウイルス粒子が形成されずにゲノムのみが維持されることがHPV16持続感染の特徴である。従ってL1蛋白質の発現抑制が、持続感染に極めて重要であると考えられる。本研究では、L1蛋白質の発現抑制の分子機構を明らかにすることをめざした。

 HPV16のL1遺伝子を、強い転写活性を持つサイトメガロウイルス(CMV)初期プロモーターの下流につないでHeLa、C33A、293細胞等に導入しても、L1蛋白質を検出できなかった。遺伝子の発現には、転写、スプライシング、CAPの付加、PolyAの付加、細胞質への移行、リボソームでの蛋白質合成が必要であり、これらの段階のどこかが抑制されていることになる。

 まず、ORFの塩基配列そのものが抑制的な仕組みを持つと推定し、L1遺伝子の全長に渡ってアミノ酸を変えずに塩基配列のみを変えるコドン変異体を作製した。この変異遺伝子からはL1mRNA及びL1蛋白質の発現が検出できた。そこで、野生型のL1遺伝子とコドン変異L1遺伝子のキメラを作製し、発現抑制機能がL1遺伝子のどの領域によって担われているかを調べた。様々なキメラ遺伝子からのL1蛋白質の発現は、基本的にL1mRNA量と平行しており、発現抑制はmRNA量の低下が直接の原因であることがわかった。

全長1518塩基長のL1遺伝子のうち、5'端から515塩基までを野生型に置換すると、変異遺伝子からのL1蛋白質の発現が検出できなくなることが示され、5'端から515塩基までの領域(Suppressing Region:SR)が抑制を担うことがわかった。

 SRの抑制機能はL1遺伝子に限って示されるのか、それとも他の遺伝子のORFに挿入しても発現抑制効果があるか調べた。ルシフェラーゼ遺伝子の翻訳開始コドン(ATG)の5'側、遺伝子の内部、翻訳停止コドン(TAA)の3'側等にSRを挿入し、SV40初期プロモーターにつないで293T細胞に導入した。転写されたRNA量を調べると、SRが転写開始部位の5'端からおよそ1000塩基長以内に存在する場合にRNA量が著しく低下することがわかった。ベータガラクトシダーゼ遺伝子にSRを挿入する実験でもほぼ同様の成績が得られた。即ち、mRNAのCAPに近い領域にSR由来配列が存在すると、L1遺伝子に限らずmRNA量の低下が起こることがわかった。

 SRをルシフェラーゼ遺伝子の5'端からおよそ1000塩基長の領域に挿入し、SV40初期プロモーターにつないで293T細胞に導入すると、SRを持つRNAが少量ではあるが検出できた。そこで、このRNAとSR由来配列を持たないRNAの分解速度を比較した。

発現プラスミドを細胞に導入し、48時間経過後に培養液にアクチノマイシンDを添加して新たなmRNA合成を停止させた。その後、経時的に細胞からRNAを抽出し、ノーザンブロッティグによって両RNAの残存量を経時的に測定した。8時間までのRNAの残存曲線は、SR由来配列の有無に影響されなかった。

 一方、SRを5'端に持つルシフェラーゼ遺伝子にT7プロモーターをつなぎ、試験管内で大腸菌の抽出液で転写反応を行うと、SRを持たない場合と同様にRNAが合成された。合成されたRNAの5'端にCAPを、3'端にpolyAを付加してからHeLa細胞に導入すると、細胞内で発現するルシフェラーゼ活性はSR由来配列の有無に影響されなかった。従って、SR由来配列を持つmRNAは細胞質で安定で、正常に翻訳されることがわかった。

アクチノマイシンDを使った実験の成績と合わせて、L1の発現抑制は細胞質ではなく、核内で起こることが強く示唆された。

 ルシフェラーゼORFの5'側にSRを配置した発現プラスミドを細胞に導入しても、そこから転写されたmRNAは検出されない。しかしSRの両側をスプライシングのドナー及びアクセプター配列で挟んでおくと、SRが除かれたmRNAが検出される。この成績は、SRを付加した場合も転写は起こるが、RNAが速やかに分解されることを示唆している。分解はRNA上のSR配列に依存しており、SRがスプライシングで除かれるとRNAの分解が止まるらしい。

 細胞は不完全なmRNAを核内で速やかに分解・除去する機能(Nonsense Mediated Decay:NMD)を持っている。この分解は、G418や低濃度のシクロヘキシミド(CH)で阻害されることが知られている。そこで、SRないしmSRを5'端に持つルシフェラーゼ遺伝子を細胞に導入し、G418やCHでNMDを阻害したが、やはり5'SR遺伝子から転写されたmRNAレベルが上がることはなかった。

 これまで得られた成績からSRの機能は次のように推定できる。

 1)SRは転写を阻害することはない。

 2)5'端に近い領域にSR由来配列を持つRNAは核内で速やかに分解される。

 3)SR由来配列を持っていても、成熟したmRNAであれば安定で、正常に翻訳される。

 4)SRを持つ遺伝子から転写されたRNAにCAPやpolyAが付加され、スプライシングが起こってmRNAとして成熟するまでの短い間に、分解が進むらしい。

分解はNMDとは異なる機構である。

 HPV粒子は、粘膜の表層に近い部分でのみ検出される。即ち、分化が進んだ角化細胞でのみL1蛋白質の合成が起こることから、HPV16の生活環の中でSRの果たす役割は、分化の最終段階でのみL1蛋白質が発現するよう調節することらしい。基底層細胞での持続感染状態では、P670は不活化されており、L1遺伝子の転写は起こらない。分化をはじめた基底層細胞では、hSkn-1aの発現が起こって、分化に特異的な細胞遺伝子群の発現変動が順次誘導される。

P670はhSkn-1aによって活性化され、L1遺伝子の転写が起こる。しかし、分化の初期段階にある細胞ではSRを介してmRNAの核内での分解が起こり、L1蛋白質の合成には至らない。分化が進んだ細胞ではSRの機能が失われ、L1mRNAの分解が止まり、L1蛋白質が合成されると考えられる。

 表皮形成の過程では、特定の遺伝子群は発現が誘導され、別の遺伝子群は発現が抑制される。これらの多数の遺伝子の発現は、分化の進行につれて極めて秩序だって制御されているが、調節の分子機構は未だ明らかになっていない。SRの機能も、細胞遺伝子の発現調節の機構を利用して調節されていると考えられる。現在、ヒト初代表皮角化細胞培養の分化誘導とSRの機能変化を調べている。

 SRによるL1蛋白質の発現抑制を解除する機構がわかれば、解除を阻害する方法を開発することができよう。もし低分子の阻害剤等が利用できれば、分化の進んだ細胞においてもL1蛋白質の発現を抑制し続けることで、HPV16の粒子形成を阻害できる。子宮頸癌の発症予防が可能になると期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

 子宮頸癌発症の最大リスクファクターは、ヒトパピローマウイルス(以下、HPV)の潜伏持続感染である。HPV16のキャプシド蛋白質であるL1蛋白質が最終分化段階にある表皮細胞でしか発現しない仕組みを明らかにするために、この発現抑制機構について検討した。

 HPV16のL1遺伝子を、強い転写活性を持つサイトメガロウイルス(CMV)初期プロモーターの下流につないでさまざまな細胞に導入しても、L1蛋白質を検出できなかった。ORFの塩基配列そのものが抑制的な仕組みを持つと推定し、L1遺伝子の全長に渡ってアミノ酸を変えずに塩基配列のみを変えるコドン変異体を作製した。この変異遺伝子からはL1mRNA及びL1蛋白質の発現が検出できた。そこで、野生型のL1遺伝子とコドン変異L1遺伝子のキメラを作製し、発現抑制機能がL1遺伝子のどの領域によって担われているかを調べた。様々なキメラ遺伝子からのL1蛋白質の発現は、基本的にL1mRNA量と平行しており、発現抑制はmRNA量の低下が直接の原因であることがわかった。

全長1518塩基長のL1遺伝子のうち、5'端から515塩基までを野生型に置換すると、変異遺伝子からのL1蛋白質の発現が検出できなくなることが示され、5`端から515塩基までの領域(Suppressing Region:SR)が抑制を担うことがわかった。

 SRの抑制機能はL1遺伝子に限って示されるのか、それとも他の遺伝子のORFに挿入しても発現抑制効果があるかルシフェラーゼ遺伝子について調べたところ、転写されたRNA量より、SRが転写開始部位の5'端からおよそ1000塩基長以内に存在する場合にRNA量が著しく低下することがわかった。ベータガラクトシダーゼ遺伝子でも同様の成績が得られた。即ち、mRNAのCAPに近い領域にSR由来配列が存在すると、L1遺伝子に限らずmRNA量の低下が起こることがわかった。

 発現プラスミドを細胞に導入後、培養液にアクチノマイシンDを添加して新たなmRNA合成を停止させた。その後、経時的に細胞からRNAを抽出し、その残存量を経時的に測定した。8時間までのRNAの残存曲線は、SR由来配列の有無に影響されず、一度、検出可能となったRNAについては分解速度に差はないことがわかった。

 一方、in vitroで転写反応を行うと、SRをもつDNAもSRを持たない場合と同様にRNAが合成された。合成されたRNAにCAPとpolyAを付加してからHeLa細胞に導入すると、細胞内で発現するルシフェラーゼ活性はSR由来配列の有無に影響されなかった。従って、SR由来配列を持つmRNAは細胞質で安定で、正常に翻訳されることがわかった。以上より、L1の発現抑制は細胞質ではなく、核内で起こることが強く示唆された。

 ルシフェラーゼORFの5'側にSRを配置した発現プラスミドを細胞に導入しても、そこから転写されたmRNAは検出されない。しかしSRの両側をスプライシングのドナー及びアクセプター配列で挟んでおくと、SRが除かれたmRNAが検出される。この成績は、SRを付加した場合も転写は起こるが、RNAが速やかに分解されることを示唆している。分解はRNA上のSR配列に依存しており、SRがスプライシングで除かれるとRNAの分解が止まるらしい。

 SRないしmSRを5`端に持つルシフェラーゼ遺伝子を細胞に導入し、G418やCHでNMDを阻害したが、やはり5`SR遺伝子から転写されたmRNAレベルが上がることはなかった。以上の結果より、SRの機能としては、

 1)SRは転写を阻害することはない。

 2)5'端に近い領域にSR由来配列を持つRNAは核内で速やかに分解される。

 3)SR由来配列を持っていても、成熟したmRNAであれば安定で、正常に翻訳される。

 4)SRを持つ遺伝子から転写されたRNAにCAPやpolyAが付加され、スプライシングが起こってmRNAとして成熟するまでの短い間に、分解が進むらしい。

分解はNMDとは異なる機構である。

 以上、本論文は、HPV16L1蛋白質の発現抑制機構の一つとしてSRの存在を明らかにし、その機能を解析した。

 L1蛋白質はウイルス粒子中にもっとも多く存在する蛋白質であり、免疫系の格好の標的となりうる。本研究によって明らかにされたSRの機能を阻害することによって、L1蛋白質の合成を人為的に誘導し、免疫系による感染細胞の除去やウイルス粒子形成の阻害が可能になると期待され、学位の授与に値するものと考えられる。

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