学位論文要旨



No 120343
著者(漢字) 石渡,瑞穂
著者(英字)
著者(カナ) イシワタ,ミズホ
標題(和) 発育期脳の神経細胞におけるマウスサイトメガロウイルス前初期蛋白IE2の持続的発現
標題(洋)
報告番号 120343
報告番号 甲20343
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2492号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖発達加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 助教授 中安,信夫
 東京大学 助教授 水口,雅
 東京大学 講師 藤井,知行
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

 サイトメガロウイルス(CMV)は母子感染を起こす病原微生物として近年注目されている。その胎内感染は、妊娠中の初感染や再活性化、再感染などのときおこり、主に経胎盤的にウイルスが胎児に感染すると考えられている。発生頻度は全出産の約0.4-1.0%といわれており、そのうち5-10%が重篤な巨細胞封入体症であり、残り約10%は発育期に神経学的後障害をおこすといわれている。この機序については、ウイルスが脳に持続感染を起こすことによって出現すると推測されているが、現在までのところ機序の解析に結びつく報告は極めて少なく、残念なことに現状ではこの神経学的後障害を治療および予防する方法は報告されていない。ヒトサイトメガロウイルス(HCMV)は種特異性が極めて高く動物実験が行えないため、この機序の解析のためにヒトの感染系のモデルになりうることを確認の上で、HCMVと特徴がよく類似しているマウスサイトメガロウイルス(MCMV)の実験系を用いて研究を行った。

 CMVは200近い蛋白質をコードする大きなDNAウイルスで、前初期、早期、および後期遺伝子がカスケードをなして発現する。前初期(IE)抗原は、早期および後期遺伝子の発現を制御するだけでなく、細胞特異的感染感受性、潜伏感染と再活性化などにも関わりCMVの病原性に関与していると考えられている。HCMVとMCMVの主要前初期遺伝子はHCMVのie1とie2がMCMVのie1とie3に相当し、enhancer/promoter(E/P)から5'方向に発現する。MCMVにはこれに加えて、E/Pから3'方向に発現するie2遺伝子がありHCMVに対応する遺伝子が分かっていない。MCMVのie2遺伝子はin vitroおよび in vivoにおけるウイルス増殖にとって必須遺伝子でないことが知られているがその役割は明らかでない。

 CMVの脳への感染では、急性期感染においてはグリア系細胞に許容感染し、感染が慢性期に移行すると神経細胞に持続感染を起こすといわれている。よってCMVによる発育期脳障害の病理発生を明らかにする上で、ウイルス感染の細胞特異性は非常に重要な点である。現在までの報告では発育期脳の神経細胞およびグリア細胞でMCMVの遺伝子発現の動態が異なることが示されており、前初期蛋白IE1がグリア細胞における許容感染に関与しているのと対照的に、早期蛋白E1がCMVの神経細胞への持続感染に重要な役割があるといわれている。また、MCMV早期遺伝子e1 promoterを導入したトランスジェニックマウスを作成した報告によると、e1 promoterが神経細胞に限局して発現しているとのことであった。

 グリア細胞では前初期遺伝子promoterが活性化され、IE1蛋白を発現、その結果としてカスケード式に早期蛋白、後期蛋白が発現していき許容感染が成立すると考えられる。しかし神経細胞ではIE1蛋白の発現がなくてもE1蛋白が発現して持続感染を維持できる何らかの機構が存在することが考えられるが、その機構の詳細は未だに不明である。

【目的】

 以上をふまえた上で、現在までその機能についての報告がほとんどされていなかったMCMV主要前初期遺伝子ie2およびie3遺伝子産物に対する抗体を作成し、その特異性を実験的に確認した上で、培養細胞系およびMCMV周産期感染マウス脳において、前初期蛋白IE2とIE3の発現動態を免疫組織化学的に解析した。これにより、サイトメガロウイルスの胎内感染後の神経細胞への持続感染の成立における前初期蛋白IE2とIE3の役割を示唆した。

【材料と方法】

ウイルスと感染:MCMVはSmith株を用いマウス胎仔線維芽細胞 (MEF)で増殖させた。MCMVは出生直後(24時間)のBALB/cマウス脳へハミルトン注射器を用いて 2x104 PFU (plaque forming units)を注入し、感染後3日(dpi)、7dpi、 11 dpi、 14 dpiに屠殺して脳を取り出し、下記に述べる今回作成した抗体により免疫染色を行い解析した。

抗体の作成:1) MCMVIE2抗原に対する抗体の作成;MCMV前初期遺伝子をPCRで増幅し、発現ベクターにつなぎpGEX2T-GST-IE2を作成した。これを大腸菌でGSTとの融合蛋白として発現させ、SDS-ポリアクリスアミドゲルで分離精製しラットに免疫した。脾細胞をマウスミエローマ細胞(SP2)と融合し、ハイブリドーマを作成した。感染および非感染培養細胞でスクリーニングして特異的ハイブリドーマを分離した。

2) MCMV IE3抗原に対する抗体の作成;おなじくie3 exon5の一部をPCRで増幅し、発現ベクターに挿入しpET-28-IE3Rx5を大腸菌で発現させ、上記と同様に分離精製してラットに免疫し血清をとって、ポリクローナル抗体とした。

抗体の特異性:MCMVのIE遺伝子 ie1, ie2, ie3および早期遺伝子e1 cDNAをRT-cDNAのライブラリーからPCRで増幅し、発現ベクターpDNA3.1につないだ作成したプラスミドを 293細胞にPolyFectで移入した発現させそれぞれの抗体で免疫染色を行った。抗IE1抗体および抗E1抗体は既に作成し報告した。

Western blot: MEFを感染価MOI 5で感染し、感染後2時間(h), 4 h, 6 h, 8 h, 12 h, 24 h, 48 h 及び 72 hに細胞を取り、SDS-PEGEで泳動し、PVDF膜に移し、抗体と反応させ、enhanced chemiluminescence 法でバンドを検出した。

免疫二重染色:4%PFAで固定しパラフィン包埋した脳の切片について、はじめに抗IE2及び抗IE3抗体で反応させ、DIG-標識 Fab fragmentおよび抗DIG peroxidase-標識Fabで反応させAECで赤く発色し、続いて神経前駆細胞の抗体である抗nestin抗体、神経細胞のマーカーである抗NeuN抗体あるいはグリア細胞のマーカーである抗GFAP抗体を反応させ、ALP標識streptavidintと反応させ、Fast blue BBで青く発色させた。

【結果】

1) 融合蛋白法で大腸菌に発現させたMCMV IE2及びIE3抗原によって特異抗体を作成し、その特異的発現を検出することが出来た。

2) Western blotで IE2は46 kDa、IE3は88 kDaのバンドを認め、IE2抗原は前初期抗原発現状態で発現するが感染の経過とともにその発現は強まった。IE抗原は感染早期にその発現が強く、感染後期に再び強まる二相性を示した。

3) 感染培養細胞においては IE2抗原は核内にびまん性に発現し、感染後期は細胞質にも顆粒状に発現した。IE3抗原は感染早期には核内に点状に発現し、感染の経過とともに点状構造の増大と数の減少を認め、感染後期には核内封入体にも発現を認めた。

4) 出生24時間後MCMV感染マウス脳においては、IE3抗原は感染早期に脳室壁に発現しやすく、感染後期にはその発現が検出出来ないのに対して、IE2抗原は感染初期には発現しにくく、感染後期の大脳皮質および海馬で持続的に発現しやすい傾向を示した。

5) 二重染色の結果、IE2抗原はNeuN陽性細胞(神経細胞)で感染初期から感染後期にわたり持続的に発現しやすく、IE3は感染初期にGFAP陽性細胞(グリア細胞)で発現し、その後減弱していく傾向を示した。感染初期では特にIE3は脳室壁の神経前駆細胞のマーカーである nestin陽性細胞で発現しやすい傾向を示した。

【考察】

CMVの前初期(IE)遺伝子は転写因子として働き、早期遺伝子、後期遺伝子の発現を調節し、感染感受性、細胞特異性に関与することによって多様な病変を生ずると考えられている。MCMV ie2遺伝子は in vitroにおいても in vivoにおいてもウイルスの増殖に必須ではないとされてきが、その機能と役割は明らかでなかった。本研究はIE2抗原に対する特異抗体を大腸菌を用いた融合蛋白発現法によって作成し、その発現を免疫染色によって初めて示した。感染培養細胞において核内にびまん性に発現し、IE3抗原の点状の発現と全く異なった発現様式を示した。今回IE3抗原の免疫染色による発現パターンをみたのは初めてであるが、予想したようにすでに報告されているHCMVのIE2抗原の発現パターンと同じであった。

 MCMVが感染した発育期マウス脳において、IE2抗原は神経細胞特異的に発現しやすい傾向を示し、感染が遷延化するとその発現が神経細胞に持続する傾向を示した。これに対してIE3抗原は感染初期に脳室壁のventricular zoneの神経前駆細胞で発現しやすく、感染早期にグリア細胞で特異的に発現しやすい傾向を示し、感染が遷延化するとその発現は検出できないことが分かった。このことは、既に報告した前初期抗原IE1と同様に、IE3抗原は感染早期にグリア細胞での溶解感染する時に発現しやすく、IE2抗原は神経細胞に持続的に発現して持続感染の成立に関与している可能性があると考えられる。

 MCMV ie2はヒトサイトメガロウイルスにおけるカウンターパートがみつかっていない遺伝子のため、この結果をそのまま人体へ臨床的に応用することは難しいと思われるが、今後のHCMVに関する研究の発展次第では、MCMVの前初期遺伝子ie2に相当する部分がワクチンや遺伝子治療などのターゲットとして認識され、胎内感染による神経障害の予防もしくは治療に役立つ可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、母子感染により児に神経学的障害を及ぼすことで知られるサイトメガロウイルスについて、その神経障害がおこる機序をマウスおよびマウスサイトメガロウイルスを用いた実験系により解析したものである。

 サイトメガロウイルスはグリア系細胞においては許容感染を起こし、神経細胞では持続感染しやすいことが報告されていた。それに関してこれまでウイルス遺伝子の細胞特異的発現による感染動態の解析により、いくつかの報告が出されていた。そのなかで、許容感染を起こしやすいグリア細胞では前初期蛋白IE1が発現しやすく、その反面持続感染に移行しやすい神経細胞においては前初期蛋白IE1の発現がみられないにもかかわらず早期蛋白E1が発現、しかも持続的に発現し、持続感染が成立しているという知見があった。しかし、ではなぜ前初期蛋白IE1の発現なしに、本来前初期から早期、後期へとカスケード式に発現してウイルスの複製を進めるCMVが、神経細胞において持続感染を成立させているのかは謎であった。

 この研究では、現在までその働きが明らかにされてこなかったマウスサイトメガロウイルス主要前初期蛋白のうちIE2とIE3の特異的抗体を作成した。そして培養細胞系およびMCMV周産期感染マウス脳において、前初期蛋白IE2とIE3の発現動態を免疫組織化学的に解析することにより、サイトメガロウイルスの胎内感染後の神経細胞への持続感染の成立におけるIE2蛋白およびIE3蛋白の役割を示唆した。具体的には、下記に示す結果が得られている。

1. マウスサイトメガロウイルス主要前初期蛋白のうちIE2とIE3の機能解析のために、IE2蛋白に対するモノクローナル抗体を初めて作製し、その特異性を確認した。同時に、MCMV IE3蛋白に対するポリクローナル抗体を作成して特異性を確認した。

2. 作成した抗IE2抗体と抗IE3抗体を用いて、感染培養細胞におけるIE2とIE3の発現動態と分布を確認した。感染培養細胞において、IE2とIE3はいずれも感染後2時間後には蛋白の発現が確認でき、またIE状態において発現が増強された。IE2、IE3の感染培養細胞における細胞内局在についても、時間的、空間的な違いがみられた。IE3は初期から核内に点状に発現し、感染後期に至るまで核内にとどまっていた。一方、IE2は感染初期には核内にびまん性に発現を認めるものの、感染後期には細胞質にまで発現が拡大していた。このことから、IE2遺伝子はIE promoterの転写調節因子としての前初期遺伝子の機能だけではなく、感染後期に細胞質内で機能を発揮する後期遺伝子としての機能も併せ持っている可能性が示唆された。

3. MCMV感染発育期脳におけるIE2とIE3の発現動態と分布を確認したところ、IE2は神経細胞に優位に発現し、以後神経細胞に持続的に発現が続く傾向があった。そしてIE3は感染初期にグリア細胞に優位に発現し、以後発現が消失していくことが確認できた。さらに初期の感染においては、いずれの蛋白も神経前駆細胞に発現することが示された。

 この論文は、以上に示された結果に文献的考察を加え、今まで未知に等しい存在であったマウスサイトメガロウイルス前初期蛋白IE2は、転写調節因子としての前初期蛋白の機能だけではなく、後期蛋白としての機能も併せ持つmultifunctionな蛋白であり、発育期脳でのCMV持続感染の成立において重要な役割を担っていることを初めて示した。そして現在のところ有効な治療法が存在しないサイトメガロウイルス母子感染による神経障害について、前初期蛋白IE2をターゲットとしたワクチン開発や遺伝子治療など臨床応用への可能性を初めて提言したものである。サイトメガロウイルス母子感染による児への神経障害の機序の解明および新しい治療への道の開拓に大きく貢献したと考えられ、博士の学位の授与に値するものと考えられる。

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