学位論文要旨



No 120347
著者(漢字) 東,浩太郎
著者(英字)
著者(カナ) アズマ,コウタロウ
標題(和) 骨肉腫の転移性に関わるパキシリンのチロシンリン酸化
標題(洋)
報告番号 120347
報告番号 甲20347
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2496号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖発達加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 助教授 川口,浩
 東京大学 助教授 高取,吉雄
 東京大学 助教授 矢野,哲
 東京大学 講師 高見澤,勝
内容要旨 要旨を表示する

1)はじめに

 腫瘍細胞の転移は、ホルモン・サイトカイン・細胞外基質といった細胞周囲の環境から影響を受けながら進行する。これらの刺激を細胞内で媒介する分子として受容体型および非受容体型チロシンキナーゼが重要な役割を演じている。細胞接着や足場非依存性の細胞増殖、細胞の移動や浸潤といった転移にかかわる現象の多くがチロシンリン酸化により調節を受けていることが知られている。

 骨肉腫は、骨原発の悪性腫瘍であり、10歳代の小児に好発する。肺転移を起こしやすいことが特徴とされ、診断時に20%の患者で肺転移を認める。肺転移をした骨肉腫の5年生存率は10から20%と非常に悪い予後を示している。従って、肺転移の制御は骨肉腫の予後改善のために必要である。

 ヒト骨肉腫細胞の転移モデルは従来存在しなかったが、このたび国立がんセンター生物学部においてヒト骨肉腫細胞株HuO9を親株とする低・高転移亜株が樹立された。高転移性の亜株であるM112・M132は2×106個の細胞をヌードマウスの尾静脈から注射すると200個以上の肺転移巣を形成し、マウスも早期に死亡する。一方、低転移性の亜株であるL12・L13は同様の注射で0から15個の転移巣しか形成せず、マウスも200日以上生存を認める。これらの亜株はそれぞれ独立して樹立されており、また転移能の他は、同じ親株由来のため発現している遺伝子の背景は似通っていると考えられ、転移能を規定する因子を解析するうえで、よいモデルであると考えられた。

 転移性の違いを反映するシグナル伝達の差異を解析するために、これらの亜株における蛋白のチロシンリン酸化の状態を比較した。その結果、68KDaの細胞骨格蛋白であるパキシリンに著明なリン酸化の違いを認めた。パキシリンはそれ自身酵素活性はないが、細胞が細胞外基質と相互作用するfocal adhesion(接着斑)において、細胞骨格蛋白やシグナル伝達分子と橋渡しする役割を果たしている蛋白である。パキシリンはTyr 31、Tyr 118の二箇所のチロシンが主としてリン酸化されることが知られており、他のシグナル伝達分子の結合部位となる。しかし、このリン酸化が細胞運動に対して促進的に働くか、抑制的に働くかに対しては相反する報告が存在している。

 本研究においては、高転移性の骨肉腫においてはパキシリンの発現亢進およびチロシンリン酸化の亢進を認め、パキシリンのリン酸化は骨肉腫においては運動能を促進していることを示した。また、高転移性の骨肉腫においてはパキシリンを基質とするSrcファミリーキナーゼの活性も亢進しており、このことも転移能亢進に寄与していると考えられた。

2)結果

高転移性亜株におけるパキシリンのチロシンリン酸化亢進

 低転移性・高転移性の亜株の細胞内蛋白を電気泳動し、チロシンリン酸化特異抗体(4G10)を用いてウェスタンブロッティングを行った。その結果、高転移性株において、高度にチロシンリン酸化を受けている蛋白を複数認めた。

 このうち最も差が顕著であった70 kDa付近の蛋白は、その分子量よりパキシリンではないかと推測し、ウェスタンブロッティングにて確認を行った。リン酸化パキシリン特異抗体(Try 118)を用いたウェスタンブロッティングにおいて、高転移性のM112・M132においてリン酸化パキシリンが多く存在することが示された。さらに、パキシリン抗体でブロットしたところ、高転移性株においては、パキシリンの発現量自体が増加していることが観察された。パキシリンの抗体にてパキシリンを吸収したcell lysateを電気泳動し4G10でブロットしたところ、70 kDa付近の顕著な差が消失しており、差を認めた蛋白はパキシリンであることが確認された。

 免疫染色により、パキシリンの局在を観察したところ、低転移性・高転移性株とも接着斑(focal adhesion)に局在しているが、発現量およびチロシンリン酸化は高転移性株にて増加を認めた。

高転移性亜株におけるSrcファミリーキナーゼの活性亢進

 パキシリンのチロシンをリン酸化するキナーゼとしては、Srcファミリーキナーゼ・FAK(focal adhesion kinase)・Ablが文献上報告されている。これらのキナーゼ活性を測定したところ、転移性と相関を認めるのはSrcファミリーキナーゼのみであった。細胞の運動能は、がん細胞の転移性を反映することが知られており、他のがん細胞の転移に関する研究ではよく評価指標として用いられている。実際HuO9亜株においても、運動能が転移性を反映することが樹立したグループより報告されており、我々もそれを確認した。細胞の運動能およびパキシリンのリン酸化に対するSrcファミリーキナーゼの影響を評価するため、Srcファミリーキナーゼの阻害薬であるPP2により細胞を処理した。PP2存在下のmigration assayにおいて、高転移性株の運動能が有意に低下しており、30分のPP2処理によってパキシリンのリン酸化もほぼ消失することも示された。これらのことより、Srcキナーゼの活性が、パキシリンのリン酸化および、細胞の運動能に重要な役割を果たしていることが示された。高転移株におけるSrcファミリーの活性上昇を示す際に、Srcファミリーを広く認識するpan-Src抗体(Src-2)を用いた。

 そこで、個別のSrc familyのメンバー(c-Src・Fyn・Yes・Fgr)の抗体を用いたキナーゼアッセイにより、どのSrcファミリーのメンバーがSrcファミリー全体の活性上昇に貢献しているのか検討した。その結果、高転移性株においてFynの自己チロシンリン酸化が亢進しており、Fynの寄与が推測された。

パキシリンの発現抑制による細胞運動能の低下

 パキシリンが直接細胞の運動能に影響していることを示すために、低転移性株L12に外来性のパキシリンを恒常的に過剰発現する細胞株を新たに樹立した。パキシリン抗体によるブロットにより、パキシリンはL12に比べ5倍以上多く発現しているが、リン酸化パキシリンはわずかに上昇を認めたのみであった。これらの細胞の運動能を評価したところ、パキシリンを過剰発現するL12の運動能は有意な上昇を認めず、運動能の亢進にはパキシリン自体の増加では不十分であり、リン酸化パキシリンの増加が必要である可能性が示唆された。

 次にRNAiの手法を用いて、パキシリンの発現抑制を試みた。パキシリンの発現量では1/3程度、リン酸化パキシリンでは2/3程度の減少を認めた。これらの細胞を用いてmigration assayを行ったところ、パキシリンのsiRNAで処理した細胞においては、LacZのsiRNAで処理した細胞と比較し有意な運動能の低下を認め、骨肉腫細胞においてパキシリンが細胞運動に促進的な影響を与える因子であることが確認された。

3)考察

 本研究では、高転移性の骨肉腫亜株においてSrcファミリーの活性が亢進しており、その基質であるパキシリンの発現も亢進していることを示した。結果としてパキシリンのチロシンリン酸化の亢進を認め、これが骨肉腫の細胞運動に対し促進的に働くことをRNAiの手法を用いて明らかにした。

 従来、ヒト骨肉腫細胞で肺に転移するモデルはなく、この研究はヒト骨肉腫細胞の転移性と細胞内シグナルの変化に関する初めての報告となる。

 Srcファミリーの活性上昇は大腸癌やメラノーマにおいて転移との相関が報告されている。それらの報告では、Srcファミリーのうち特定のメンバーの活性上昇が指摘されているが、今回の骨肉腫の解析ではFynの寄与が推測された。

 リン酸化パキシリンが、細胞運動に促進的にはたらくか、抑制的にはたらくかに関しては、相反する報告があった。本研究においては、高転移株においてパキシリンのリン酸化が亢進しており、RNAiによる発現抑制で運動性の低下を認めており、骨肉腫においては細胞運動促進的にはたらくことが示された。細胞運動を促進するか抑制するかは、パキシリンがリン酸化依存性に結合する下流のシグナル分子によると考えられる。促進的に作用する場合は、パキシリンはCrkと結合し、DOCK180, Rac1にシグナルを伝えると考えられている。しかし、本研究においては、下流分子の同定には残念ながら至らなかった。

 本研究の結果より、骨肉腫の肺転移を抑制するには、Srcキナーゼの活性およびパキシリンのリン酸化が標的となりうることが示唆された。骨肉腫においてSrcファミリーがどのようなメカニズムで活性化されているか、またパキシリンの下流分子が何であるのかを解明することが今後の課題である。これらもまた、骨肉腫治療のうえで重要な標的となりうるものである。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、小児に好発する悪性腫瘍である骨肉腫において、その予後改善の妨げとなっている肺転移の形成に関与する因子を探索したものである。チロシンリン酸化の違いがシグナル伝達の違いを反映しているのではないかという仮説に基づき、ヒト骨肉腫細胞株HuO9から樹立された低転移性株・高転移性株の比較を行ったところ、インテグリンシグナルに関与し、細胞外基質との接点である接着斑に局在するパキシリンのチロシンリン酸化が高転移性株において亢進していることが示された。

 さらに詳細な解析により、高転移性株においては、パキシリンの発現自体が上昇しており、パキシリンをリン酸化するSrcファミリーチロシンキナーゼの活性も上昇していることが示された。また、RNAiによるパキシリンの発現抑制に伴い、細胞の運動能が低下することも示されており、パキシリン自体が細胞の運動性に関与することも確認されている。

 以上の結果より、ヒト骨肉腫細胞において、パキシリンの過剰発現とSrcファミリーキナーゼの活性亢進が相乗的に作用することにより、転移性を高めていることが、本研究により明らかにされた。これは、パキシリンとがん細胞の転移性を関連づける最初の報告であり、また骨肉腫の肺転移の予防・治療に対しSrcファミリー、パキシリン、およびその下流分子が標的となりうることを期待させるものである。従って、本研究は学位の授与に値するものと考える。

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