学位論文要旨



No 120350
著者(漢字) 喩,静
著者(英字) YU,JING
著者(カナ) ユ,セイ
標題(和) Raloxifeneの血管内皮細胞アポトーシスに対する抑制作用およびその作用機序の解析
標題(洋)
報告番号 120350
報告番号 甲20350
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2499号
研究科 医学系研究科
専攻 加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 助教授 平田,恭信
 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 講師 世古,義規
 東京大学 講師 渡辺,博
内容要旨 要旨を表示する

 閉経前の女性では動脈硬化性疾患の発症頻度は男性に比べ低く明らかな性差が認められるが、閉経後次第に増加し70歳前後で性差がほぼ消失する。これらの疫学研究の結果から女性ホルモン、特にエストロゲンが女性に対し有益な役割を演じ、抗動脈硬化作用のあることが示唆され、実際に閉経後女性に対して、女性ホルモン補充療法(Hormone Replacement Therapy; HRT)が普及してきた。ところが、HERS (Heart and Estrogen/Progestin Replacement Study) 及びWHI (Women's Health Initiative HRT Study) の報告によると、HRTは、以前報告された乳癌や子宮癌や静脈血栓症などの副作用の増加とともに、心血管イベント抑制作用に否定的な結果が報告され、現在では心血管疾患予防としてのHRTの臨床応用に議論のあるところとなった。そこで、その有害事象を最小限に抑えるため、従来のHRTに代わる治療法として組織選択的エストロゲン受容体調節薬(Selective Estrogen Receptor modulator: SERM)が注目されている。第2世代SERMであるraloxifeneは、骨や脂質代謝などにはエストロゲンアゴニスト作用、乳腺と子宮にはエストロゲンアンタゴニスト作用を有することが明らかにされた。大規模臨床試験MORE (Multiple Outcomes of raloxifene Evaluation)によれば、raloxifeneは乳癌・子宮癌を増やさず、骨吸収を抑制し骨粗鬆症を改善できると同時に、心血管疾患抑制効果についてもエビデンスが示された。

 臨床及び基礎研究の結果より、raloxifeneにはいくつかの心血管作用をもつことが報告されている。例えば、脂質代謝の改善、降圧作用などの動脈硬化のリスクファクターに対し有益な影響を与える以外にも、血管壁への直接作用を有することが報告されている。Raloxifeneがin vitroでの血管平滑筋細胞の増殖・遊走を抑制すること、in vivoでバルーン傷害による内膜肥厚を抑制することなどの平滑筋細胞への作用、raloxifeneがeNOSを活性化することによりNOの産生を促進し内皮依存性血管拡張作用を有すること、接着因子発現を抑制するなど内皮細胞への作用が挙げられる。しかしながら、raloxifeneの血管内皮細胞アポトーシスに対する抑制作用はまだ報告されていない。

 Rossらにより提唱された傷害反応仮説(response-to-injury hypothesis)では、血管内皮機能障害が動脈硬化発症・進展に重要なプロセスであると位置づけられている。また、血管内皮細胞のアポトーシスは内皮機能障害をおこす他、動脈硬化巣のびらんに関与するため、心血管イベント発症の引き金と言われている。したがって、内皮細胞のアポトーシス抑制が動脈硬化性疾患の有効な予防・治療法になりうる可能性がある。しかしながら、そのメカニズムは必ずしも十分に明らかになっていない。

 以上の背景をもとに、本研究では、培養ウシ頸動脈内皮細胞 (BCECs) を用い、H2O2またはTNFαによる内皮細胞のアポトーシスに対して、raloxifeneが抑制作用を示すかどうか、もし示すとすれば、その機序について検討することを目的とした。先ず、(1) raloxifeneに血管内皮細胞アポトーシスに対する抑制作用があるかどうか検討した。次に、(2) raloxifeneによる内皮細胞アポトーシス抑制作用がエストロゲン受容体を介するかどうか検討した。次に、(3) H2O2またはTNFαによる血管内皮細胞アポトーシスに関与するシグナル伝達経路として、MAPキナーゼファミリー (p38MAPK, JNK, ERK1/2)とPI3K/Akt経路の役割について検討した。最後に、(4) raloxifeneの血管内皮細胞アポトーシス抑制作用を発揮するメカニズムとして、MAPキナーゼファミリー及びPI3K/Akt経路が関与するか、そして、その作用はgenomic action か、それともnon-genomic actionかを検討した。

 方法:ウシ頚動脈より酵素法により得られた内皮細胞(BCECs)、継体数6〜9を用いた。Raloxifeneを用いた実験では、dextran-coated charcoal にて処理しステロイドを除去したFBS(DCC-FBS)、およびphenol redを除いたM199を用いた。HUVECsの培養には、EGM2を用いて行った。アポトーシス誘導実験では、細胞が70-80%コンフルエントまで培養した後、培養液を除去し、PBS(-)で洗浄してから、血清を含まないphenol red-free M199に置き換え、増殖を停止させた。H2O2を用いた実験では、血清フリー6時間後、細胞を10-4mol/L H2O2に1時間暴露し、再びPBS(-)で2回洗浄し、phenol red-free M199に置き換え、各実験を行った。TNFα実験では、血清フリー16時間後、10ng/mL TNFαを含む培養液に置き換え、各実験を行った。

結果:

(1) コントロール(H2O2またはTNFα非処理)に比べ、DNAの断片化はH2O2またはTNFα添加により濃度依存性に有意に増加した。Caspase-3の活性化はTNFαにより誘導されるが、H2O2によっては誘導されなかった。さらに、caspase-3の阻害剤Ac-DEVD-CHDは、H2O2によって誘導したアポトーシスに影響を与えず、TNFαによるアポトーシスを濃度依存性に抑制した。

(2) H2O2またはTNFαで処理した後、同一倍率でとった写真から見ると、コントロールに比べ、内皮細胞の剥離はH2O2またはTNFαにより著明に促進し、接着細胞数がコントロールの約半数となっていたが、raloxifeneの投与下で、H2O2またはTNFαによる内皮細胞の剥離は抑制された。DNA断片化を定量してみると、アポトーシスはH2O2投与で2.25倍(vs control, p<0.01)に増加したが、raloxifeneの前投与により濃度依存性に減少し、10-6mol/L raloxifeneで42%(p<0.01)抑制した。BCECsと同様、HUVECsの実験でも、H2O2によるアポトーシスに対して、raloxofeneが濃度依存性に抑制することが示された。また、TNFαは、アポトーシスを4倍(vs control, p<0.01)に増加したが、raloxifeneの前投与によりアポトーシスは濃度依存性に減少し、10-6mol/L raloxifeneで45%(p<0.01)抑制した。RaloxifeneはTNFαによるcaspase-3の活性化を有意に40%抑制した。

(3) エストロゲン受容体の内因性リガンドであるE2はraloxifeneと同様に、H2O2またはTNFαによる内皮細胞のアポトーシスを濃度依存性に抑制した。一方、エストロゲン受容体拮抗薬ICI182780の前投与を行うと、raloxifeneの抗アポトーシス効果は消失した。

(4) H2O2またはTNFα刺激後、p38MAPK、JNK、ERK1/2およびAktは早期に活性化(リン酸化)が認められた。対照として用いたp38MAP、JNKとERK1/2の総蛋白レベルには経時的変化が認められなかった。さらに、H2O2またはTNFαによるアポトーシスは、p38阻害薬SB203580(10-7mol/L)とJNK阻害薬SP600125(10-7mol/L)で有意に抑制された。一方、ERK活性化酵素MEK1阻害薬PD98059(10-5mol/L) 、PI3K 阻害薬wortmannin (10-7mol/L)で有意に増強された。つまり、H2O2またはTNFαによる血管内皮細胞のアポトーシスにおいて、p38MAPKとJNKは細胞死シグナルとして、ERK1/2とPI3K/Aktは生存維持シグナルとして働いており、アポトーシスの伝達経路にそれぞれ異なる役割を演じている。

(5) RaloxifeneはH2O2または TNFαによるp38MAPKとJNK活性化に影響を及ぼさなかった。しかしながら、raloxifeneはERK1/2の活性化を有意に増強させた。さらに、raloxifeneのアポトーシス抑制効果はPD98059(10-5mol/L)の存在下では消失した。一方、raloxifeneはH2O2またはTNFαによるAkt活性化に影響を与えなかった。また、wortmannin (10-7mol/L)の投与下であっても、raloxifeneは有意にアポトーシスを抑制した。Raloxifeneは対照としたp38MAPK、JNK、ERKおよびAktの総蛋白レベルには影響しなかった。

(6) ERK1/2はraloxifeneの単独投与により早期に活性化され、15分においてピークとなり、2.5倍増強した。Actinomycin Dの前投与はraloxifeneによるERK1/2の活性化に影響を与えなかった。一方、ICI182780の投与下ではraloxifeneによるERK1/2活性化は認められなかった。RaloxifeneによるERK1/2の活性化作用およびそれによる抗アポトーシス作用はnon-genomic actionと推測された。

 本研究より、我々は初めてraloxifeneがエストロゲン受容体を介したnon-genomic actionを通じて、ERK1/2の活性化を増強することにより、H2O2またはTNFαによる血管内皮細胞アポトーシスを用量依存性に抑制することを発見した。本研究において認められたraloxifeneの酸化ストレス・炎症性サイトカインからの血管内皮細胞保護作用が、心血管イベント抑制作用の一機序である可能性が示唆された。将来、raloxifeneは閉経後女性の心血管疾患の予防・治療戦略になり得る可能性があると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、選択的エストロゲン受容体調節薬であるraloxifeneの血管内皮細胞保護作用を明らかにするため、ウシ頸動脈内皮細胞 (BCECs) を用いて、H2O2またはTNFαによる内皮細胞のアポトーシスへの抑制作用およびその作用機序を試しみたものであり、下記の結果を得ている。

(1) コントロール(H2O2またはTNFα非処理)に比べ、DNAの断片化はH2O2またはTNFα添加により濃度依存性に有意に増加した。Caspase-3の活性化はTNFαにより誘導されるが、H2O2によっては誘導されなかった。さらに、caspase-3の阻害剤Ac-DEVD-CHDは、H2O2によって誘導したアポトーシスに影響を与えず、TNFαによるアポトーシスを濃度依存性に抑制した。

(2) H2O2またはTNFαで処理した後、同一倍率でとった写真から見ると、コントロールに比べ、内皮細胞の剥離はH2O2またはTNFαにより著明に促進し、接着細胞数がコントロールの約半数となっていたが、raloxifeneの投与下で、H2O2またはTNFαによる内皮細胞の剥離は抑制された。DNA断片化を定量してみると、アポトーシスはH2O2投与で2.25倍(vs control, p<0.01)に増加したが、raloxifeneの前投与により濃度依存性に減少し、10-6mol/L raloxifeneで42%(p<0.01)抑制した。BCECsと同様、HUVECsの実験でも、H2O2によるアポトーシスに対して、raloxofeneが濃度依存性に抑制することが示された。また、TNFαは、アポトーシスを4倍(vs control, p<0.01)に増加したが、raloxifeneの前投与によりアポトーシスは濃度依存性に減少し、10-6mol/L raloxifeneで45%(p<0.01)抑制した。RaloxifeneはTNFαによるcaspase-3の活性化を有意に40%抑制した。

(3) エストロゲン受容体の内因性リガンドであるE2はraloxifeneと同様に、H2O2またはTNFαによる内皮細胞のアポトーシスを濃度依存性に抑制した。一方、エストロゲン受容体拮抗薬ICI182780の前投与を行うと、raloxifeneの抗アポトーシス効果は消失した。

(4) H2O2またはTNFα刺激後、p38MAPK、JNK、ERK1/2およびAktは早期に活性化(リン酸化)が認められた。対照として用いたp38MAP、JNKとERK1/2の総蛋白レベルには経時的変化が認められなかった。さらに、H2O2またはTNFαによるアポトーシスは、p38阻害薬SB203580(10-7mol/L)とJNK阻害薬SP600125(10-7mol/L)で有意に抑制された。一方、ERK活性化酵素MEK1阻害薬PD98059(10-5mol/L) 、PI3K 阻害薬wortmannin (10-7mol/L)で有意に増強された。つまり、H2O2またはTNFαによる血管内皮細胞のアポトーシスにおいて、p38MAPKとJNKは細胞死シグナルとして、ERK1/2とPI3K/Aktは生存維持シグナルとして働いており、アポトーシスの伝達経路にそれぞれ異なる役割を演じている。

(5) RaloxifeneはH2O2または TNFαによるp38MAPKとJNK活性化に影響を及ぼさなかった。しかしながら、raloxifeneはERK1/2の活性化を有意に増強させた。さらに、raloxifeneのアポトーシス抑制効果はPD98059(10-5mol/L)の存在下では消失した。一方、raloxifeneはH2O2またはTNFαによるAkt活性化に影響を与えなかった。また、wortmannin (10-7mol/L)の投与下であっても、raloxifeneは有意にアポトーシスを抑制した。Raloxifeneは対照としたp38MAPK、JNK、ERKおよびAktの総蛋白レベルには影響しなかった。

(6) ERK1/2はraloxifeneの単独投与により早期に活性化され、15分においてピークとなり、2.5倍増強した。Actinomycin Dの前投与はraloxifeneによるERK1/2の活性化に影響を与えなかった。一方、ICI182780の投与下ではraloxifeneによるERK1/2活性化は認められなかった。RaloxifeneによるERK1/2の活性化作用およびそれによる抗アポトーシス作用はnon-genomic actionと推測された。

 以上、本論文は、raloxifeneがエストロゲン受容体を介したnon-genomic actionを通じて、ERK1/2の活性化を増強することにより、H2O2またはTNFαによる血管内皮細胞アポトーシスを抑制することを明らかにした。本研究はこれまで十分に解明されず、有効な治療法が確立していない閉経後女性の心血管疾患の予防・治療法を考える上で重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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