学位論文要旨



No 120359
著者(漢字) 北堀,和男
著者(英字)
著者(カナ) キタホリ,カズオ
標題(和) 間歇的高血流を用いた新しい逆行性脳還流の脳保護効果について : 大動脈手術における新しい脳保護法の実験的検討
標題(洋)
報告番号 120359
報告番号 甲20359
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2508号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢作,直樹
 東京大学 教授 花岡,一雄
 東京大学 助教授 宮田,哲郎
 東京大学 助教授 川原,信隆
 東京大学 助教授 郭,伸
内容要旨 要旨を表示する

背景と目的

 大動脈弓部を含む大動脈手術において、弓部再建中の脳保護は極めて重要である。循環停止中の脳保護補助手段として考案された逆行性脳環流法により、許容される大動脈弓部再建時間は延長できたと考えられる。しかし、この方法に対して、25mmHg程度の圧では脳を充分には還流していないうえ浮腫を助長するのみというのが、否定的な意見がある一方、より高い圧(40mmHg前後)で行った場合でも、通常より脳保護が良好で浮腫にも差がないと主張する研究者も存在し、賛否分かれるところである。そこで、我々は、従来の方法に加え、間歇的に血流を増加させることによって、浮腫を極力抑え、さらによりよい脳保護を得られるのではないかと考え、成犬を用いた実験的検討を行った。

対象と方法

雑種成犬18頭(25.2±4.1kg; 20-32kg)を、6頭ずつ無作為に次の3群に分けた。単純循環停止群(CA群)、定常流逆行性環流群(c-RCP群)、間歇的逆行性脳環流群(int-RCP群)の3群である。すべての動物は、人工心肺下にpH stat法を用いて26℃の中等度低体温まで冷却した。次いで上行大動脈を遮断し、心筋保護停止液を注入し心停止を得た。大動脈弓部を切開し大気開放したのち、 1時間の循環停止を行った。CA群は循環停止のみ、c-RCP群は定常的に25mmHgを維持した逆行性脳環流法を加え、int-RCP群は15mmHgから間歇的(約30秒ごと)に逆行性血流を増加し45mmHgまで静脈圧を上昇させる逆行性脳環流を行った。その後、大動脈切開を閉鎖し人工心肺を再開して37℃まで再加温されたのち、人工心肺から離脱し、以後12時間観察した。

結果

脳脊髄液

 脳脊髄液は、循環停止終了時、術後3時間、6時間、12時間に採取した。術後12時間後の脳脊髄液中のタウ蛋白濃度は3群とも正常域を越えて上昇していた。3群間では、CA群1313±463pg/ml、c-RCP群1449±693pg/mlに比べるとint-RCP群は247±70pg/mlと有意に低値であった(図1)。

網膜血管の観察

 眼底カメラを用いて網膜を写真上に記録した。網膜写真をコンピューターに取り込み、黄斑部辺縁での網膜動静脈の血管径を測定した。CA群では動静脈ともに血流は認められなかった。術前とほぼ同等の血流が認められたのは、c-RCP群では、4頭(67%)、int-RCP群では全頭(100%)であった。25mmHgの静脈圧では、c-RCPの1例が網膜静脈に血流を認めなかった。一方、int-RCP群では、静脈圧が35mmHgを超えると全例の静脈内に血流を認めた(図2)。静脈に血流を認めたものは全て動脈にも血流を認めた。静脈内に血流が認められ始める静脈圧は22.2±7.2mmHg(15mmHg〜35mmHg)であった。

病理学的検討

術後12時間経過後、直ちに脳組織を延髄まで摘出し、ホルマリン固定後、脳幹部、海馬、頭頂葉、前頭葉、延髄から薄切標本を作製した。Hematoxylin Eosin染色を施し、虚血性変化を調べた。虚血の影響を受けやすい海馬は、CA1〜4、分子層に分けて評価した。評価法は、全体のうちに占める障害を受けた神経組織の割合を用い次のようにした。正常0点、10%未満1点、10〜25%2点、26〜50%3点、51〜75%4点、76%以上5点。

図3に示すように、int-RCP群は他群に比べて虚血性変化が少ない。

考察と結語

 逆行性脳環流法の利点を列挙すると、脳組織への酸素および代謝物質の運搬、空気や粥状硬化などの塞栓物質の除去、低体温の維持、さらに複雑な送血路の確保が不要で簡便なことが挙げられる一方で、逆行性では脳に有効な血液の還流はできていない、さらには浮腫を助長すると言った主張もあり、逆行性脳環流の評価は賛否分かれるところである。

 静脈圧を20〜25mmHgに上昇させて、静脈から動脈へと血液を還流させる方法では血液がほとんど脳へは到達しない原因に、順行性から逆行性に血流を切り替える際、静脈叢が一旦潰れてしまい静脈血管抵抗が上昇し、これに打ち勝ち血流を逆行性に再開するためには25mmHgより高い圧が必要である可能性がある。しかし、25mmHg以上の高い静脈圧で一定に送血し続けると脳浮腫を招く恐れが非常に強い。これらの事実を踏まえ、我々は新たな逆行性脳還流法を考案した。従来よりやや低圧(15mmHg)の一定の逆行性送血に加え、間歇的(約30秒後ごと)に血流を増加させる(45mmHgまで)方法である。この方法は、逆行性に血液を送ろうとするときに発生する静脈血管抵抗を超えて脳への還流を可能とするとともに、常時高圧をかけることで生じ得る脳浮腫を防げるのではと考えた。

 血流を観察する方法として網膜の血管を用いたが、発生学的には網膜は脳の循環系の一部から発生しており、網膜の動静脈は脳の動静脈のある意味で代表と見ることもできる。しかも網膜は、非侵襲的に観察できる唯一の脈管系である。ここに注目し、逆行性脳環流時の血行動態を観察したが、やはり25mmHgでは逆行性の血流が見られないものも存在する。しかし、静脈圧を上昇させることで全例に逆行性の血流を確認することができた。血流が認められる平均圧は22.2±7.2mmHg(15〜35mmHg)と、従来適用されたよりより高い静脈圧が必要なことを示唆している。

 脳神経損傷の指標として脳脊髄中のタウ蛋白を測定したが、タウ蛋白とは神経軸索に存在し微小管と結合している蛋白で、神経細胞の障害で脳脊髄液中に放出される。通常は脳脊髄液中にはほとんど認められず、これの上昇は神経障害を意味するため良い指標とされている。我々の実験では、CA群、c-RCP群がint-RCP群に比べて有意にタウ蛋白が高値を示しており、病理学的結果ともその傾向は合致する。脳組織の中でも海馬領域は最も虚血に弱いとされており、我々の結果も海馬領域の虚血性変化に有意差が認められた。さらに臨床症状から導いた回復指数の結果も合わせて考えると、int-RCP群でより虚血性変化が少なく、神経障害も少なかったためと考えることができる。

 通常の逆行性脳還流は時に静脈血管抵抗に抗せず有効な還流が得られない可能性がある。しかし、間歇的高血流を用いることで静脈叢を拡張させ逆行性脳環流を維持し、延いてはより高い脳保護効果が得られた。この新しい逆行性脳環流法は、大動脈手術においてもより有効な脳保護をもたらす可能性がある。

a,e; control: b,f; 15mmHg: c,g; 25mmHg: d,h; 45mmHg

図1、術後12時間後の脳脊髄液中のタウ蛋白濃度

図2、int-RCP群における網膜血管の観察

図3、虚血性変化の病理学的評価

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は胸部動脈瘤の手術に際して行う超低体温循環停止下における新しい逆行性脳還流法の脳保護法についての研究である。従来の方法は、近年その保護効果を疑問視する文献が散見される。そこでさらに脳保護効果を高める方法として、間歇的な高血流を用いた逆行性脳還流法を考案し、成犬を用いた動物実験によりその効果を高められるという下記のような結果が得られた。

 1.26度1時間の循環停止のみの群は、術後の覚醒が不十分で痙攣を併発するなど問題が多かった。

 これに間歇的高血流を用いた逆行性脳還流を付加すると、その覚醒度が向上し、なかには完全に覚醒する個体も存在するなどの臨床症状の改善をみた。

 2.眼底動静脈を観察したところ、循環停止下では虚脱する動静脈も、逆行性の血流を与えると静脈はもとより動脈にも血液が充填することが分かった。ただし、25mmHgの圧では完全に静脈が満たされない場合もあった。一方45mmHgまで上昇させると、全例において網膜動静脈に十分血液が満たされた。

 3.脳脊脊髄液中のタウ蛋白を測定した。タウ蛋白は細胞内の微小管に結合している蛋白で神経細胞が損傷を受けると脳脊髄液中にタウ蛋白が放出される。これを用いて神経細胞の損傷を評価した。

 術後6時間ごろよりタウ蛋白濃度は上昇してくるが、間歇的な高血流の群においては、術後12時間の脳脊髄液中のタウ蛋白が有意に少なく脳神経の障害が最小であった事を示唆された。

 4.病理学的検討では、障害を受けた神経細胞を全体の細胞の割合として評価比較した。比較した部位は、視床、海馬(C1―4、分子層)、頭頂葉、前頭葉、延髄である。結果は、延髄以外のすべての部位で、間歇的高血流の逆行性脳還流群に、単純循環停止群や従来の逆行性脳還流群より障害が少なかった。

 以上、本論文は成犬を用いて、間歇的高血流を用いた逆行性脳還流法という新しい脳保護法の効果を調べた。臨床所見、眼底の網膜動静脈の観察、脳脊髄液中のタウ蛋白濃度、病理学的検査所見などから、従来の単純循環停止法や定常流で行う逆行性脳還流法に比べて脳保護効果が高く、ひいては実際の臨床にも応用でき、手術成績の向上に貢献できると考えられるため、学位の授与に値するもの考えられる。

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