学位論文要旨



No 120363
著者(漢字) 山本,哲史
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,テツフミ
標題(和) マウス心移植モデルを用いたアンジオテンシンII受容体拮抗薬による移植後動脈硬化抑制作用の検討
標題(洋) Effects of Angiotensin II type 1 recepter blocker on transplant arteriosclerosis in a murine model of cardiac transplantation.
報告番号 120363
報告番号 甲20363
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2512号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 矢作,直樹
 東京大学 助教授 平田,恭信
 東京大学 助教授 武内,巧
 東京大学 講師 本村,昇
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背 景

 心移植は末期心不全患者にとって唯一長期生存が見込める治療法である。1967年以来、全世界で66,000件以上の心移植が行われており、1,5,10年生存率はそれぞれ約80,70,50%と徐々に改善してきている。近年の免疫抑制療法の進歩、特にcyclosporineの使用により心移植後の拒絶反応は劇的に減少した。しかし、慢性期の拒絶反応と考えられる瀰漫性の冠動脈硬化の進行は心移植患者の長期予後にとって最も重要な問題の一つであり、移植5年以降の死因の16.2%を占めている。移植後動脈硬化の成因としてはrecipientの骨髄由来細胞の関与が示唆されているものの十分に解明されておらず、有効な治療法は確立されていない。

 アンジオテンシンII受容体拮抗薬(ARB)は現在降圧薬として広く用いられている。血管新生や動脈硬化への関与など、アンジオテンシンIIの持つ幅広い作用が次第に明らかになり、ARBの抗血管新生作用や抗動脈硬化作用も注目されてきている。アンジオテンシンIIには主に2種類の受容体(アンジオテンシンIIタイプ1受容体(AT1R)とアンジオテンシンIIタイプ2受容体(AT2R))があり、心血管系への作用は主にAT1Rを介している。

 今回我々は、マウス腹部異所性心移植モデルを用い、AT1R拮抗薬であるcandesartanとvalsartanを用いて移植後の冠動脈硬化抑制作用及び循環血液中の平滑筋前駆細胞に与える影響を検討した。

方 法

<マウス>6〜9週齢のマウスを用いた。DBA/2マウス(ドナー)の心臓を摘出、B10.D2 マウス(レシピエント)の腹部へ異所性移植した。レシピエントマウスはcandesartan(1mg/kg/day)投与群、valsartan(10mg/kg/day)投与群とvehicle(0.5%カルボキシルメチルセルロース)投与群に分け、移植手術の7日前より投与を開始、犠牲死させるまで投与を継続した。レシピエントマウスはそれぞれ薬物投与開始前及び犠牲死直前に血圧及び心拍数を測定した。

<組織学的検索>移植30日後にレシピエントマウスを犠牲死させ移植心を摘出した。摘出した移植心はホルマリン固定後、パラフィン包埋し、組織切片をつくりHE染色、EVG染色及び免疫染色(抗α-SMA抗体、抗CD45抗体)を施行した。HE染色から細胞浸潤の程度をISHLT scoreに従い5段階評価した。また、EVG染色から冠動脈硬化の程度(内膜肥厚の程度=I/M ratio:Intima area/Medial area ratio)を計測した。I/M ratioは心外膜下の比較的径の大きい動脈と心筋内の小径動脈に分けて計測した。

<免疫組織染色>冠動脈病変の機序の検討のため、移植14日後に移植心を摘出、凍結切片を作成し抗α-SMA、CD31、CD45、ICAM-1、VCAM-1、MCP-1及びTGF-β1抗体を用いて免疫染色を施行した。コントロールとしてドナー心から同様に凍結切片を作り、免疫染色施行した。

<血清IL-6濃度>非移植マウス及びレシピエントマウス(移植後14日、30日後)から血液を採取、血清分離し、ELISA法にてIL-6濃度を測定した。

<循環血液中の平滑筋前駆細胞数>移植後14日目に採血した血液から溶血法にて白血球を分離し、3x105の細胞ずつ培養を行った。培養液はHuMedia-SG2を用い、10ng/mlのbFGFと10ng/mlのPDGF-BBを添加、37℃、5%CO2の環境にて培養した。培養液は4日目に交換、培養細胞は8日目に4%パラホルムアルデヒドにて固定し、抗α-SMA抗体にて染色した。α-SMA陽性の多角形細胞を平滑筋様細胞と判断し、各視野(HPF)の陽性細胞の数を計測した。

<RT-PCR>骨髄細胞中のAT1Rの発現を調べるため、7日間valsartan及びvehicleを投与されたB10.D2マウスの大腿骨から骨髄細胞を採取した。全RNAを抽出し、AT1R及びGAPDHに対してRT-PCR施行した。

結 果

<移植後動脈硬化>candesartan投与前後で血圧は有意に低下したが、valsartan投与前後では血圧及び心拍数に差はなかった。移植後30日目に摘出した移植心は、軽度の炎症細胞浸潤から出血を伴う心筋壊死まで様々な程度の拒絶状態を呈しており、ISHLT scoreは薬物投与群とvehicle群で差はなかった。冠動脈も様々な程度の内膜肥厚を呈しており、肥厚内膜は主としてα-SMA陽性細胞とCD45陽性細胞で構成されていた。

 冠動脈病変はvalsartan群(n=9)ではvehicle群(n=8)に比べ有意に軽度であり(I/M ratio:vehicle 0.66±0.08, valsartan 0.39±0.05, p<0.01)、動脈径にかかわらずこの傾向を認めた(心外膜下動脈:vehicle 0.63±0.15, valsartan 0.29±0.05, p<0.05; 心筋内小動脈:vehicle 0.68±0.07, valsartan 0.44±0.06, p<0.05)。candesartanでも同様の傾向が見られた。

<免疫組織染色>移植14日後に摘出した移植心での免疫染色では、炎症細胞(CD45, F4/80)や接着因子(ICAM-1, VCAM-1)、サイトカイン(TGFβ1,MCP-1)の局在に2群で明らかな差はなかった。血管内皮細胞(CD31陽性細胞)は2群ともに正常に保たれていた。

<血清IL-6濃度>血清IL-6濃度は移植2週間後に有意に高値となったが、4週間後にはbaseline値に低下、この傾向はcandesartan投与にかかわらず同様であった。

<循環血液中の平滑筋前駆細胞>末梢血中の白血球をbFGFとPDGF-BBの存在下に培養すると、4日目には一部の細胞で紡錘型の形態変化を認めた。培養8日目に細胞を固定、抗α-SMA抗体にて染色したところvalsartan群(n=5)ではvehicle群(n=4)に比し、抗α-SMA抗体陽性細胞が有意に減少していた(vehicle 30.3±4.4cells/HPF, valsartan 18.0±1.5cells/HPF, p=0.01)。candesartanでも同様の結果であった。

<RT-PCR>RT-PCRにてvehicle群、valsartan群とも骨髄細胞中にAT1Rの発現を認めた。

考 察

 本研究ではマウス異所性心移植モデルにおけるARB(candesartan及びvalsartan)の作用に関して検討した。candesartan及びvalsartan投与により移植後の冠動脈硬化は有意に抑制されたが、炎症細胞浸潤や接着分子、サイトカインの発現や局在はほとんど影響を受けなかった。しかし、candesartanとvalsartan投与による内膜肥厚の抑制は、レシピエント末梢血液中のα-SMA陽性細胞に分化可能な白血球数の減少と関係していた。

 移植後動脈硬化の病因に関してはまだほとんど明らかになっていないが、通常の動脈硬化と同様、主として局所の炎症性線維性増殖に起因すると考えられている。AT1Rの刺激によりさまざまな種類の細胞に対する伝達経路が活性化される。ACE阻害剤やARBの投与により移植片の血管病変が抑制されることはこれまでにも示されていたが、AT1Rのブロックが移植後動脈硬化を抑制するメカニズムは十分に解明されていない。

 移植後14日の検討では、candesartan及びvalsartan投与は接着因子やMCP-1の発現、炎症細胞浸潤の程度に影響を与えなかった。ARBの抗炎症作用は免疫機能が十分に活性化された状態にあるレシピエントにおいては、他の免疫抑制剤ほどの強い作用を示さないと考えられる。

 移植後動脈硬化は大部分は平滑筋細胞の過増殖によるものであり、アンジオテンシンIIは平滑筋細胞の増殖や肥大を誘導しうると同時に、バルーン血管形成後の平滑筋細胞の過形成を促進すると考えられているTGF-β1の合成を活性化しうる。このため、candesartan及びvalsartanの動脈硬化抑制作用は局所のアンジオテンシンIIにより誘導される平滑筋細胞の過形成を抑制することで発揮されると考えられる。

 最近の研究では、ドナー中膜の平滑筋細胞だけでなくレシピエントの循環血液中の細胞も心臓移植片の新生内膜形成に関与していることが示されている。さらに、平滑筋前駆細胞がヒトの血液中にも存在していること、ヒトの冠動脈プラークは骨髄由来の平滑筋細胞に富んでいることも報告されている。candesartan及びvalsartanが末梢血中の平滑筋様細胞数を有意に減らしていること、骨髄細胞はAT1Rを発現していることより、AT1Rをブロックすることで移植後動脈硬化の病因に関与する骨髄由来の平滑筋前駆細胞の遊走や分化を抑制している可能性が示唆された。candesartan及びvalsartanの移植後動脈硬化抑制作用の少なくとも一部分は平滑筋前駆細胞の数と機能の調節によりなされていると思われる。

まとめ

 マウス異所性心移植モデルにて、candesartan及びvalsartanを用いたAT1Rのブロックより移植後冠動脈硬化の進行が抑制され、同時にレシピエント循環血液中の平滑筋前駆細胞の減少が認められた。ARBは高血圧患者の治療に広く用いられており副作用も比較的少ない。近年の臨床研究では、ARB投与により心不全患者や心筋梗塞患者の心血管イベントの発症が有意に減少することが示されている。無作為研究で効果が示されれば、candesartanやvalsartanは心移植後の冠動脈硬化予防のために使用できるかもしれない。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は心臓移植患者の長期予後に大きく関与する冠動脈硬化のメカニズムを明らかにするため、マウスの腹部異所性心移植モデルを用いて、アンジオテンシンII受容体拮抗薬(ARB)投与による冠動脈硬化への影響の解析を試みたものであり、以下の結果を得ている。

1. 心移植の7日前よりマウスにARBを投与したところ、移植後30日での冠動脈病変が有意に抑制された。この傾向は動脈径の大小にかかわらず認められた。candesartan(1mg/kg/day)投与では血圧が低下したが、valsartan(10mg/kg/day)投与では血圧は変化しなかった。このことよりARBは血圧には依存せずに冠動脈病変抑制作用を持つことが示唆された。

2. 移植30日後に摘出した移植心の病理所見は、軽度の炎症細胞浸潤から出血を伴う心筋壊死まで様々な程度の拒絶状態を呈しており、拒絶スコアはARB投与の有無で差はなかった。冠動脈の肥厚内膜は主としてα-SMA陽性細胞とCD45陽性細胞で構成されていた。

3. 移植14日後の移植心を免疫染色施行したところ、炎症細胞(CD45,F4/80)や接着因子(ICAM-1,VCAM-1)、サイトカイン(TGFβ1,MCP-1)の局在にはARB投与により差を認めなかった。またIL-6血中濃度をELISA法により測定したが移植14、30日後ともARB投与による影響は認めなかった。

4. 移植14日後にレシピエントマウスの末梢血中より白血球を分離し、bFGFとPDGF-BBの存在下に培養したところ、培養4日目には一部の細胞で紡錘形の形態変化を認めた。培養8日目に細胞を固定し抗α-SMA抗体にて染色したところ、ARB投与群で陽性細胞数が有意に減少していた。これはARB投与により、レシピエント循環血液中の平滑筋前駆細胞数が減少していることを示唆していると考えられた。

5. マウス大腿骨より採取した骨髄細胞から全RNAを抽出し、RT-PCRを施行したところ、アンジオテンシンIIタイプ1受容体(AT1R)の発現を認めた。ARB投与が骨髄細胞中のAT1Rをブロックすることで移植後動脈硬化の病因に関与する骨髄由来の平滑筋前駆細胞の遊走や分化を抑制している可能性が示唆された。

 以上、本論文はマウス腹部異所性心移植モデルにおいて、ARBを用いたAT1Rのブロックより移植後冠動脈硬化の進行が抑制され、同時にレシピエント循環血液中で平滑筋前駆細胞が減少していることを明らかにした。本研究はこれまで十分に解明されず、有効な治療法が確立していない移植後動脈硬化の原因解明と、その予防法を考える上で重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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