学位論文要旨



No 120364
著者(漢字) 鈴木,基文
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,モトフミ
標題(和) Catechol-O-methyltransferase遺伝子Val158Met多型解析は前立腺癌に対するリン酸エストラムスチン療法の治療予後の予測に有用である
標題(洋)
報告番号 120364
報告番号 甲20364
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2513号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 助教授 中川,恵一
 東京大学 助教授 高橋,悟
 東京大学 助教授 川口,浩
内容要旨 要旨を表示する

1 目的

 リン酸エストラムスチン(EMP)は前立腺癌に用いられる内分泌化学療法剤である。17β-estradiolとnor-nitrogen mustardが結合した化学構造を持ち、EMPの代謝過程において17β-estradiolが生成されることが知られている。2-methoxyestradiol(2ME2)は17β-estradiolの代謝産物であり、腫瘍増殖抑制効果並びに血管新生抑制作用を持つ新規抗癌剤として注目されている。

 2ME2の生成に関わる酵素はcatechol-O-methyltransferase(COMT)である。158番目のコドンがバリン(Val)である場合のCOMT活性に比べて、同コドンがメチオニン(Met)である場合、その酵素活性が1/3から1/4に低下していることが報告されている。

 ヒト前立腺癌細胞株PC-3を用いて2ME2の殺細胞効果をMTT法により確認したところ、2ME2は濃度依存性に細胞増殖を抑制していた。またEMPにCOMT阻害剤を添加したところ、EMPの殺細胞効果はわずかながらも減弱することが分かった。

 そこで、EMPの代謝産物である17β-estradiolから2ME2が生成され、2ME2がEMP療法の治療効果の一部を担うと仮定し、Val158Met COMT遺伝子多型とEMP療法の治療予後との相関について検討した。

2 方法

2.1 対象患者と低用量EMP療法

 本研究の意義と方法ついて、記名によるインフォームドコンセントを得られた未治療前立腺患者72症例について、低用量EMP療法を行った。72例中32例にはEMP280mg/day経口単独投与を行い、40例に対してはEMP140mg/dayまたは280mg/day経口投与+LH-RH agonist皮下注射または外科的去勢による治療を施行した。治療効果の判定には前立腺特異抗原(prostate specific antigen;PSA)値を用いた。PSA値がnadir値から3回連続して上昇した場合、最初にPSA値が4.Ong/mLを超えた期日を生化学的PSA再燃と定義した。

2.2 Val158Met COMT遺伝子多型の判定

 検体は患者末梢血白血球(コントロール群においては腎臓)から抽出したゲノムDNAを使用した。前立腺癌Val158Met COMT遺伝子多型を含む領域をポリメラーゼ連鎖反応(PCR)法によって増幅させ、制限酵素NlaIIIによる切断を行い、制限断片長多型(RFLP)を4%アガロースゲル泳動にて判別した。ヒト前立腺癌細胞株から抽出したDNAについても同様にタイピングを行った。RFLP法の結果はTaqMan法によって追試した。

2.3 統計解析

患者背景のうちtumor status、Gleason score、治療方法の比較およびHardy-Weinberg平衡(HWE)、アレル頻度の検定にはx2テストを用いた。年齢、治療前PSA値、治療開始4週間後の血清17β-estradiol値、血清testosterone値の比較、検定にはunpaired t testを用いた。前立腺癌発症リスクの解析および副作用の種類とVal158Met COMT遺伝子多型との関連については名義ロジスティック回帰によりオッズ比と95%信頼区間を求めた。生存時間分析にはKaplan-Meier法を用い、群間の有意差検定にはlog-rank検定を用いた。また、多変量解析にはCox回帰モデルを用いた。本研究のprimary end pointは生化学的再燃(biochemical PSA failure)とし、低用量EMP療法開始から生化学的再燃までの期間をPSA failure-free survivalとした。統計処理にはJMP software version 4.0.5(SAS,Cary,NC,USA)を使用し、P<0.05を統計学的有意差ありと判定した。

3 結果

3.1 Val158Met COMT遺伝子多型タイピングの結果

 患者群の遺伝子型の分布はそれぞれVal/Val遺伝子型群26人(36.1%)、Va1/Met遺伝子型群42人(58.3%)、Met/Met遺伝子型群4人(5.6%)であった。

コントロール群における遺伝子型の分布はそれぞれVal/Val遺伝子型群65人(45.1%)、Val/Met遺伝子型群64人(44.4%)、Met/Met遺伝子型群15人(10.4%)であった。Va1158Met COMT遺伝子多型と前立腺癌発症のリスクについてVal/Va1遺伝子型群を対照とした結果、いずれの遺伝子型も前立腺癌発症の有意なリスクファクターとはなっていなかった。患者群の遺伝子型の分布はHWEから逸脱していた(P=0.015)。一方、コントロール群における遺伝子型の分布はHWEから逸脱していなかった(p=0.897)。アレル頻度については患者群とコントロール群の間で有意差はなかった(P=0.350)。

3.2 患者群の背景因子の比較

 患者群についてVal/Val遺伝子型群とVal/Met or Met/Met遺伝子型群の二群に分けて背景因子(年齢、tumor status、Gleason score、治療方法、治療前PSA値)を比較したが、いずれの背景因子も二群間に有意差を認めなかった。治療開始4週間後の血清17β-estradiol値、血清testosterone値を二群間で比較したが、ともに有意差はなかった。

3.3 Val158Met COMT遺伝子多型と低用量EMP療法の予後、副作用との関連

 Val/Val遺伝子型群はVal/Met or Met/Met遺伝子型群と比較して有意に生化学的非再燃率が高かった(P=0.027)。EMP単独療法を行った患者に限定して同様の検討を行った結果、非再燃率はVal/Val遺伝子型群で有意に高かった(P=0.044)。多変量解析の結果、Val158Met COMT遺伝子多型は生化学的PSA再燃率影響する有意な因子であり、ハザード比は4.784(95%信頼区間,1.226 to 31.567)であった。副作用の種類は発症頻度の高い順から、肝機能障害33症例、消化器障害(食欲低下、嘔気、嘔吐、胃痛など)29症例、下腿浮腫23症例となっていたが、Val158Met COMT遺伝子多型は副作用発症の有意なリスクフトァクターではなかった。

4 考察

 Val158Met COMT遺伝子多型が前立腺癌に対するEMP療法のPSA failure-free survivalと関連することが明らかとなった。EMP内服時における2ME2の血中濃度は現在のところ測定不可能であり、Val158Met COMT遺伝子多型の遺伝子型と2ME2の血中濃度の相関については明らかに出来なかった。

 EMP療法に対する前立腺癌の薬剤感受性の側面からは、前立腺癌組織のER発現量やER subtypeを考慮することで、治療の個別化が可能になる可能性もあると考えた。

 Val158Met COMT遺伝子多型の遺伝子型の分布がHWEから逸脱していたことは、前立腺癌罹患集団における遺伝学的な特徴と捉えることが出来るかも知れない。

5 まとめ

 Val158Met COMT遺伝子多型は前立腺癌に対するEMP療法のPSA failure-free survivalと関連することが明らかにされた。Val158Met COMT遺伝子多型が個別の症例における低用量EMP療法の治療成績の予測に有用である可能性が示された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、前立腺癌に対する低用量リン酸工ストラムスチン療法の治療予後が、catechol-O-methyltransferase遺伝子Val158Met多型の遺伝子型によって異なるか否かを検討したものであり、下記の結果を得ている。

(1)リン酸エストラムスチン(EMP)の代謝産物である17β-estradiolのその後の代謝過程で生成されると考えられる2-methoxyestradiol(2ME2)について、ヒト前立腺癌細胞株PC-3を対象とした殺細胞効果をMTT法により解析した。2ME2は濃度依存性にPC-3に対する殺細胞効果を発揮することが示された。

(2)EMPの殺細胞効果がcatechol-O-methyltransferase(COMT)阻害剤OR-486を添加した場合に変化するか否かを、PC-3を対象としてMTT法により解析した。EMP100μMに対してOR-486を1.0μM添加した時にEMPの殺細胞効果は最も減弱することが示された(対コントロール9%(P<0.01))。

(3)低用量EMP療法を施行した未治療前立腺癌患者72人と非担癌男性症例144人を対象とし、COMT遺伝子Val158Met多型の遺伝子型を制限酵素断片長多型解析法及びTaqMan法により決定した。患者群の遺伝子型の分布はそれぞれVal/Val遺伝子型群26人(36.1%)、Val/Met遺伝子型群42人(58.3%)、Met/Met遺伝子型群4人(5.6%)であった。各アレル頻度はValアレルが0.653、Metアレルが0.347で、タイピングの結果はHardy-Weinberg平衡(HWE)から逸脱していることが示された(P=0.015)。

一方、コントロール群における遺伝子型の分布はそれぞれVal/Val遺伝子型群65人(45.1%)、Val/Met遺伝子型群64人(44.4%)、Met/Met遺伝子型群15人(10.4%)であった。各アレル頻度はValアレルが0.674、Metアレルが0.326で、HWEからの逸脱を認めなかった(P=0.897)。アレル頻度については患者群とコントロール群の間で有意差はなかった(P=0.350)。また、Val158Met COMT遺伝子多型と前立腺癌発症のリスクについてVal/Val遺伝子型群を対照とした結果、いずれの遺伝子型も前立腺癌発症の有意なリスクファクターとはなっていない事が示された。

(4)患者群72症例についてVal/Val遺伝子型群とVal/Met or Met/Met遺伝子型群の二群に分けて背景因子(年齢、tumor status、Gleason score、治療方法、治療前PSA値)を比較したところ、いずれの因子も両群間に有意差を認めなかった。また、血清17β-estradiol値、血清testosterone値について治療開始4週間後の数値が評価可能であった61症例で比較したところ、ともに有意差を認めず、血清testosterone値の平均値は両群とも去勢レベル(5.0ng/mL)以下になっている事が示された。

(5)低用量EMP療法の治療予後は、Val/Val遺伝子型群の方がVal/Met or Met/Met遺伝子型群と比較して有意にPSA failure-free survivalが良好である事が示された(P=0.027)。3年非再燃率はVal/Val遺伝子型群89.4%であったのに対してVal/Met or Met/Met遺伝子型群は47.2%であった。EMP 280mg/day単独療法を行った患者32人に限定して同様の検討を行った結果、PSA failure-free survivalはVal/Val遺伝子型群で有意に良好で(P=0.044)、3年非再燃率はVal/Val遺伝子型群で91.7%、Val/Met or Met/Met遺伝子型群で46.7%であった。Cox比例ハザードモデルによる単変量解析および多変量解析の結果、Val158Met COMT遺伝子多型は生化学的再燃に関して有意な予後因子である事が示され、それぞれのハザード比は4.709(95%信頼区間,1.251 to 30.592)、4.784(95%信頼区間,1.226 to 31.567)であった。

(6)治療中に何らかの副作用を発症した症例数は全体で48症例(66.7%)あり、EMPの投与量別に見た副作用の発症頻度は、EMP140mg/dayを投与した31症例中19症例(61.3%)、EMP280mg/dayを投与した41症例中29症例(70.7%)であった。副作用の種類は発症頻度の高い順から、肝機能障害33症例、消化器障害(食欲低下、嘔気、嘔吐、胃痛など)29症例、下腿浮腫23症例となっていた。Val158Met COMT遺伝子多型と副作用発症のリスクについてVal/Val遺伝子型群を対照として解析したところ、肝機能障害(オッズ比,2.121; 95%信頼区間,0.798 to 5.639; P=0.137)、消化器障害(オッズ比,0.688; 95%信頼区間,0.254 to 1.864; P=0.348)、下腿浮腫(オッズ比,0.691; 95%信頼区間,0.240 to 1.990; P=0.461)という結果で、同多型と副作用発症リスクの間には有意差のない事が示された。副作用を理由に治療を中断した症例数は全体で18症例(25.0%)あり、EMPの投与量別には140mg/dayを投与した31症例中3症例(9.7%)、280mg/dayを投与した41症例中15症例(36.6%)が副作用を理由に治療を中断しており、EMPの投与量が多いほど副作用による治療中止例が多い傾向にあった。副作用による中止理由の内訳は消化器障害が11症例と最も多く、次いで肝機能障害4症例、下腿浮腫3症例であった。いずれの症例もEMPの内服を中止することで副作用による症状は軽快し、観察期間中に心筋梗塞や肺梗塞などの重篤な副作用を発症した症例はなかった。

 以上、本論文はCOMT遺伝子Val158Met多型の遺伝子型が前立腺癌に対するEMP療法のPSA failure-free survival値と関連することを明らかにした。同多型が個別の症例におけるEMP療法の治療成績の予測に有用である可能性が示され、学位の授与に値するものと考えられる。

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