学位論文要旨



No 120371
著者(漢字) 佐々木,京子
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,キョウコ
標題(和) 霊長類ES細胞を用いた再生医学研究 : センダイウイルスベクターによる遺伝子導入とヒツジ体内微小環境を利用した分化誘導
標題(洋)
報告番号 120371
報告番号 甲20371
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2520号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋都,浩平
 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 助教授 鄭,雄一
 東京大学 講師 吉村,浩太郎
内容要旨 要旨を表示する

 1998年にヒト胚性幹細胞(embryonic stem cell; ES cell)が樹立されて以来,この細胞が三胚葉性の多分化能と無制限増殖能 (自己複製能) を併せ持つため,再生医療への応用が期待されている.しかし,ヒトES細胞はヒト初期胚から樹立されるため倫理的な制約が強い.筆者は,ヒトES細胞とほぼ同じ特徴を持つ霊長類ES細胞をモデル細胞として使用した.本研究では,第1章で,わが国で開発された組み換えウイルスベクターであるセンダイウイルス(SeV)ベクターを用いてカニクイザルES細胞への遺伝子導入を試みた.第2章では,カニクイザルES細胞をヒツジ胎仔に移植し,in vivoの体内微小環境を利用して造血系へ分化誘導し,サル/ヒツジ造血キメラを作製することを試みた.

第1章 センダイウイルスベクターによるサルES細胞への遺伝子導入

1. 研究の背景

 霊長類ES細胞の基礎研究や臨床応用を進める上で,安全で効率の良い遺伝子導入法の確立が必須であるが,マウスES細胞への遺伝子導入に比べて困難であると指摘されている.最近では,霊長類ES細胞に対する遺伝子導入はレンチウイルスベクターが有効であるというのが共通認識となりつつあるが,ゲノムに組み込まれるタイプのウイルスベクターは,宿主ゲノムの挿入変異,メチル化および相同組み換えによる複製能を持つウイルス生成の危険が伴う.本研究では, SeVベクターを用いてカニクイザルES細胞への遺伝子導入を試みた.さらに,遺伝子導入後の細胞に抗ウイルス剤リバビリンを投与することによってSeVベクターの転写・複製を抑制し,導入遺伝子の発現を調節可能かどうか検討した.

2. 実験方法・結果

サルES細胞へのGFP遺伝子の導入

 本研究で用いたSeVベクター(SeV18+/ΔF-GFP)は,SeVが感染する際に標的細胞との膜融合に必要なF(fusion)蛋白をコードするF遺伝子を欠失させてあるため,自己複製能を保持したまま非伝播性であるという特性を持つ.

カニクイザルES細胞に対しSeVベクターでGFP遺伝子の導入を行い,その発現をフローサイトメーターで解析した.遺伝子導入後2日目には60%の細胞がGFPの蛍光を発しており,遺伝子導入効率は濃度依存性であった.また,遺伝子導入後のES細胞をそのまま継代培養し続けると,GFPの発現は少なくとも1ヶ月間認められた.遺伝子導入後のES細胞においてGFP陽性コロニーの選別を1回のみ行い,未分化状態を維持しながら継代培養を続けたところ,約90%の細胞がGFPを発現し,この高い遺伝子発現は一年間以上にわたって維持された.すなわち,感染したSeVベクターゲノムは細胞質内で自己複製が可能なため,細胞分裂によって希釈されないことを示している.

遺伝子導入後のES細胞の多分化能の解析

 SeVベクターでGFP遺伝子導入後のES細胞を免疫不全マウス(NOD/SCODマウス)の皮下に移植すると緑色の蛍光を発し,三胚葉成分を含むテラトーマ(奇形腫)が形成された.また,蛍光顕微鏡観察すると腫瘍は内部まで均一に蛍光を発していた. また,GFP遺伝子導入後のES細胞をin vitroで分化誘導すると,嚢状の胚様体,MAP2陽性の神経細胞,NBT還元試験陽性(活性酸素産生による殺菌能を検出)の成熟した好中球を含む造血コロニーの形成が可能であった.分化後の細胞はすべて強いGFPの蛍光を発していた.すなわち,遺伝子導入後も導入前と同様の三胚葉性分化能を維持し,その最終分化後もGFPの発現が減弱しないことから導入遺伝子発現の「サイレンシング」は起こっていないことを示している.

SeVベクターの安全性―DNA相を介さない複製・転写―

 SeVベクターのゲノムの自己複製能およびDNA非依存性を確認した.SeVベクターでGFP遺伝子導入後のES細胞からゲノムRNAを抽出して,RNA-PCRにて SeVゲノム配列(580bp)の増幅を行った.SeVゲノム由来のバンドを検出し,細胞内でのSeVゲノムの自己複製が証明された.一方,ゲノムDNAを抽出して,SeVゲノム配列(580bp)およびGFPのcDNA(356bp)に対するDNA-PCRではどちらも検出されず,ウイルスゲノムの複製およびGFPの発現はDNA非依存性であることが確認された.

抗ウイルス剤投与による導入遺伝子発現の調節

 はじめに,アカゲザル腎細胞由来株LLC-MK2細胞を使用し, SeVベクターでGFP遺伝子導入後2日目に,各濃度(0-4 mM)のリバビリンを投与し,培養を継続した.細胞内のウイルス粒子量を赤血球凝集試験で測定すると,リバビリン投与によって濃度依存性に減少した.細胞の蛍光顕微鏡観察でもGFPの発現は濃度依存性に減弱していた.リバビリンによるLLC-MK2細胞傷害は認めなかった.

 続いて,SeVベクターでGFP遺伝子導入後のカニクイザルES細胞におけるリバビリンの効果を検討した. ES細胞でもリバビリン投与によって濃度依存性にGFPの発現が減少した.しかし,高濃度(1 mM以上)のリバビリン投与はES細胞の増殖を妨げることが判明した.一方,低濃度(0.5−0.75 mM)のリバビリン投与ではGFPの発現を半減させることができ,リバビリン投与後も細胞の継代は可能だったが, GFPの発現も投与前のレベルまで戻った.

3. 考察

 F欠失型SeVベクターによって,カニクイザルES細胞の三胚葉分化能を損なわずに,極めて効率よく長期間安定に発現する遺伝子導入が可能であった.SeVベクターはDNA相を経ないため宿主DNAを傷つけない安全な遺伝子導入法であるといえる.導入したGFP遺伝子の発現は,抗ウイルス剤リバビリンで調節できる可能性が示されたが,カニクイザルES細胞では細胞傷害性が観察され,今後更なる検討が必要である.

第2章 ヒツジ体内微小環境を利用したサルES細胞の分化誘導

1. 研究の背景

 近年,様々な細胞,組織そして臓器の移植が行われるようになったが,その大きな障壁のひとつがドナー不足である.ヒトES細胞は無限増殖能と多分化能を合わせ持つため,この細胞を様々な機能細胞に分化させることによって移植の供給源とする研究への期待が高まっている.従来のES細胞の分化研究はもっぱらin vitroで行われてきたが、胎仔in vivoの微小環境を用いればES細胞の分化をいっそう有利に進められることが予想される。本研究では,カニクイザルES細胞をヒツジ胎仔に移植し,in vivoで胎仔の微小環境を利用して造血系へ分化誘導しサル/ヒツジ造血キメラを作製することを試みた.

2. 実験方法・結果

In vitroで造血系に初期分化させたサルES細胞のヒツジ胎仔への移植

 カニクイザルES細胞を、BMP-4やVEGF等のサイトカインの存在下、ストローマ細胞OP9上で6日間培養した。この細胞(初期中杯葉に相当、平均4.8 x 107個)を妊娠約60日 (満期147日)のヒツジ胎仔肝臓内に移植した(n=4)。出生後、骨髄を採取し造血コロニーアッセイを行い、形成された造血コロニーをサルに特異的なβ2-ミクログロブリン(β2-MG)遺伝子に対するPCR法で解析した。このうちキメラヒツジ2頭に対して、ヒトSCFを投与した。

サルの造血をもつキメラヒツジの誕生

 満期で出生した仔ヒツジの腸骨より骨髄を採取し,造血コロニーアッセイを行った.14日目に,個々の造血コロニーを吊り上げてDNAを抽出し,カニクイザルに特異的なβ2-MG配列に対するコロニーPCRを行った.出生した4頭のヒツジ全例で1-2 %(平均;1.2 %)の割合でサル由来造血コロニーを検出した.移植から最長で17ヶ月間が経過してもサル由来造血コロニーを検出できた.また,移植を行った全ヒツジにおいてテラトーマ等の腫瘍形成は認めなかった.

ヒトSCF投与による移植細胞の選択的増幅効果

 ヒツジ本来の内因性の造血に対して,移植細胞由来のサルの造血を選択的に増幅させる目的で,出生した4頭のうち2頭に対して,ヒトSCFを60μg/Kg,18日間と5日間の2サイクル連日腹腔内投与した.骨髄由来の造血前駆細胞(CFU)におけるキメラ率,すなわちサル由来CFU比率(サル由来CFU/全CFU数)は,2頭とも反応性に上昇し(最高13.2%),その後SCFの投与を停止すると投与前のレベル(1-2%)まで戻った.ヒトSCFを投与したことに伴う明らかな副作用は認めなかった.

サル由来細胞はSCF投与後に末梢血中でも検出されたが,PCRサザンブロッティングで評価すると0.1%未満の低いレベルであった.

ヒト臍帯血移植とのキメラ率の比較

 初期分化培養6日目のカニクイザルES細胞の対照として,ヒト臍帯血CD34陽性細胞をヒツジ胎仔に移植した(平均移植細胞数;1.8 x 106 cells/胎仔,n=4).出生した仔ヒツジの骨髄中で移植細胞由来CFU比率1%のキメラ率を達成するために必要な移植細胞数を算出すると,前者で4.3 x 107 cells/胎仔に対し,後者で6.0 x 105 cells/胎仔であった.

3. 考察

 In vitroで初期中胚葉細胞に分化させたサルES細胞をヒツジ胎仔肝臓に移植することによって,1年間以上の長期にわたりサルの造血を有するキメラヒツジが誕生した.このことは,ヒツジ骨髄中におけるサルES細胞由来の造血幹細胞の存在を示唆している。またサル/ヒツジの造血比率は、サルの造血を選択的に刺激するサイトカイン投与によって上げることができた。本研究においては非ヒト霊長類ES細胞を用いて実験を行ったが,ヒトES細胞を同様の方法で用いた場合,ヒツジの体内でヒトの血液を作ることが可能になるかもしれない.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はヒト胚性幹細胞(embryonic stem cell; ES cell)を用いた再生医学研究およびその臨床応用において重要と考えられている,ES細胞に対する安全で効率の良い遺伝子導入法の確立,およびES細胞からin vivoでさまざまな機能細胞へ分化誘導させる,大型動物アッセイ系の確立を目指すため,カニクイザルES細胞をモデルとして用いて検討を試みたものであり,下記の結果を得ている.

1. カニクイザルES細胞に対しF欠失型センダイウイルス(SeV)ベクターでGFP遺伝子の導入を行った.本研究で用いられたSeVベクター(SeV18+/ΔF-GFP)は,SeVが感染する際に標的細胞との膜融合に必要なF(fusion)蛋白をコードするF遺伝子を欠失させてあるため,自己複製能を保持したまま非伝播性であるという特性を持つ.2,10,50 transducing unit (TU)/cellsで24時間暴露して遺伝子導入し,その発現をフローサイトメーターで解析したところ,2日目には最高で60%の細胞がGFPの蛍光を発しており,遺伝子導入効率は濃度依存性であった.また,遺伝子導入後のES細胞をそのまま継代培養し続けると,GFPの発現は少なくとも1ヶ月間認められた.さらに,遺伝子導入後のES細胞においてGFP陽性コロニーの選別を1回のみ行い,未分化状態を維持しながら継代培養を続けると,約90%の細胞がGFPを発現し,この高い遺伝子発現は一年間以上にわたって維持された.同様に細胞質内で発現するアデノウイルスベクター,アデノ随伴ウイルスベクターを用いた実験では,遺伝子導入効率はいずれも20%以下と低く,発現も7日後には1%以下にまで低下した.すなわち,感染したSeVベクターゲノムは細胞質内で自己複製が可能なため,細胞分裂によって希釈されないことが示された.

2. SeVベクターでGFP遺伝子導入後のES細胞を免疫不全マウス(NOD/SCODマウス)の皮下に移植すると,緑色の蛍光を発し三胚葉成分を含むテラトーマ(奇形腫)が形成された.蛍光顕微鏡観察すると腫瘍は内部まで均一に蛍光を発していた. また,GFP遺伝子導入後のES細胞をin vitroで分化誘導すると,嚢状の胚様体,MAP2陽性の神経細胞,NBT還元試験陽性(活性酸素産生による殺菌能を検出)の成熟した好中球を含む造血コロニーの形成が可能であった.分化後の細胞はすべて強いGFPの蛍光を発していた.すなわち,遺伝子導入後も導入前と同様の三胚葉性分化能を維持し,その最終分化後もGFPの発現が減弱せず,導入遺伝子発現の「サイレンシング」は起こらないことが示された.

3. SeVベクターでGFP遺伝子導入後のES細胞からゲノムRNAを抽出して,RNA-PCRにて SeVゲノム配列(580bp)の増幅を行ったところ,SeVゲノム由来のバンドを検出し,細胞内でSeVゲノムの自己複製が行われていることが示された.一方,ゲノムDNAを抽出して,DNA-PCRにて SeVゲノム配列(580bp)およびGFPのcDNA(356bp)配列の増幅を行ったところ,どちらも検出されず,ウイルスゲノムの複製およびGFPの発現はDNA非依存性であることが示された.

4. 導入遺伝子の発現を抗ウイルス剤投与によって調節可能か検討した. まず,アカゲザル腎細胞由来株LLC-MK2細胞を使用し, SeVベクターでGFP遺伝子導入後2日目から各濃度(0-4 mM)の抗ウイルス剤リバビリンを投与し,培養を継続した.赤血球凝集試験にて細胞内のウイルス粒子量を測定すると,リバビリン投与によって濃度依存性に減少した.細胞の蛍光顕微鏡観察でもGFPの発現は濃度依存性に減弱した.リバビリンによるLLC-MK2細胞傷害は認めなかった.続いて,SeVベクターでGFP遺伝子導入後のカニクイザルES細胞に各濃度(0-4 mM)の抗ウイルス剤リバビリンを投与し,培養を継続した. ES細胞でもリバビリン投与によって濃度依存性にGFPの発現が減弱した.しかし,高濃度(1 mM以上)のリバビリン投与はES細胞の増殖を妨げた.一方,低濃度(0.5−0.75 mM)のリバビリン投与ではGFPの発現を半減させることができ,リバビリン投与終了後も細胞の継代は可能だったが, GFPの発現は投与前のレベルまで戻った.

5. カニクイザルES細胞を,BMP-4やVEGF等のサイトカインの存在下,ストローマ細胞OP9上で6日間培養した.この細胞(初期中杯葉細胞に相当、平均4.8 x 107個)を妊娠約60日 (満期147日)のヒツジ胎仔肝臓内に移植した(n=4).出生後,骨髄を採取し造血コロニーアッセイを行い,形成された造血コロニーを吊り上げてDNAを抽出し,カニクイザルに特異的なβ2-ミクログロブリン(β2-MG)遺伝子に対するコロニーPCR法で解析した.出生した4頭のヒツジ全例で1-2 %(平均;1.2 %)の割合でサル由来造血コロニーを検出した.移植から最長で17ヶ月間が経過してもサル由来造血コロニーを検出できた.移植を行った全ヒツジにおいてテラトーマ等の腫瘍形成は認めなかった.免疫寛容状態のヒツジ胎仔体内で,サルES細胞が生着して造血系に分化誘導されたことが示された.

6. 出生した4頭のうち2頭に対して,ヒツジ本来の内因性の造血に対してサルの造血を選択的に刺激する目的で,ヒトSCFを60μg/Kg,18日間と5日間の2サイクル連日腹腔内投与した.サル由来造血前駆細胞(CFU)比率(サル由来CFU/全CFU数)は,2頭とも反応性に上昇し(最高13.2%),その後ヒトSCFの投与を停止すると投与前のレベル(1-2%)まで戻った.ヒトSCFを投与したことに伴う明らかな副作用は認めなかった.サル由来細胞はヒトSCF投与後に末梢血中でも検出されたが,PCRサザンブロッティングで評価すると0.1%未満の低いレベルであった.サル/ヒツジ造血比率はヒトSCF を投与することによって選択的増幅効果が得られることが示された.

 以上,本論文はヒトES細胞のモデルとしてカニクイザルES細胞を用い,F欠失型SeVベクターによって, 安全で効率よく長期間安定に発現する遺伝子導入法を確立した.導入したGFP遺伝子の発現は,抗ウイルス剤リバビリンで調節できる可能性が示された. ウイルスベクターを用いて遺伝子導入したES細胞の遺伝子発現を抗ウイルス剤を用いて調節するという試みは新しいアプローチである.この遺伝子導入方法で霊長類ES細胞に任意の遺伝子を導入し,更に,発現調節できるようになると期待され,霊長類ES細胞の基礎実験および臨床応用に対する重要な貢献をなすと考えられる.

 続いて,In vitroで初期中胚葉細胞に分化誘導したサルES細胞をヒツジ胎仔肝臓に移植することによってin vivoの体内微小環境を利用した造血系分化誘導を行い,サル/ヒツジ造血キメラの作成に成功した.サル/ヒツジの造血比率は,ヒトSCF投与によって移植細胞の選択的増幅効果が得られた.これらの結果は,キメラヒツジ骨髄中におけるサルES細胞由来の造血幹細胞の存在を示唆している.この系は幹細胞のアッセイ系として有用であると考えられる.さらに,将来のヒトES細胞を用いた細胞移植療法に対する重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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