学位論文要旨



No 120375
著者(漢字) 福田,明
著者(英字)
著者(カナ) フクダ,アキラ
標題(和) 破骨細胞の生存および機能における低分子量Gタンパク質の役割に関する研究
標題(洋)
報告番号 120375
報告番号 甲20375
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2524号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 助教授 高取,吉雄
 東京大学 客員助教授 星,和人
 東京大学 講師 井上,聡
 東京大学 講師 福本,誠二
内容要旨 要旨を表示する

 低分子量Gタンパク質はさまざまな成長因子受容体シグナルの下流に位置し、活性型であるGTP結合型と不活性型であるGDP結合型を行き来することでさまざまな細胞機能のスイッチとして働いている。細胞の癌化や細胞周期、アポトーシスに関わるRasは最も古くから研究されており、Raf/MEK/ERKのいわゆる古典的MAPキナーゼカスケードの活性化が機能発現に重要であることが知られている。破骨細胞においてもこの経路が生存、アポトーシスの制御因子の一つであることがアデノウィルスを用いた遺伝子導入で示されている。RhoA、Rac1、Cdc42を始めとするRho ファミリー低分子量Gタンパク質はいろいろな細胞でやはり成長因子受容体シグナルの下流に位置し、細胞骨格の制御に関わることが知られている。破骨細胞においても、低分子量Gタンパク質は、その翻訳後の脂質修飾であるプレニル化が阻害されることで、窒素含有ビスフォスフォネートの主要な標的分子となっていることが示唆され注目されている。しかし、これまで破骨細胞におけるRho ファミリー低分子量Gタンパク質の役割を検討した報告は少なく、特にRho ファミリー低分子量Gタンパク質と破骨細胞生存との関わりやその下流シグナルの詳細は明らかでない。

 本研究ではまず、主要なRho ファミリー低分子量Gタンパク質であるRhoA、Rac1、Cdc42のドミナントネガティブ型変異体のアデノウィルスを作製し、これらウィルスを用いて、それぞれの低分子量Gタンパク質の破骨細胞の生存、活性における役割を検討した。19番目のスレオニンをアスパラギンに置換したRhoA、17番目のスレオニンをアスパラギンに置換したRac1、Cdc42はGDPと結合した状態が持続するため、それぞれドミナントネガティブ型(RhoADN, Rac1DN,Cdc42DN )として機能する。また12番目のグリシンをバリンに置換したRac1は恒常活性型 (Rac1CA)となる。これらのcDNAのN端にEnhanced Green Fluorescent Protein (EGFP)を結合した融合タンパク質のcDNAをin vitro ligation 法を利用してアデノウィルスに組み込んだ。これまでの先行研究の結果と同じく、RhoA、Rac1の活性を抑制すると、破骨細胞の骨吸収は著明に減少した。さらにRac1の機能抑制では破骨細胞の生存も抑制され、この効果はRac1に特異的であった。そこで、以降Rac1の破骨細胞での機能とRac1が関わるシグナル伝達の経路に着目して実験を進めた。

 Rac1はアクチンの重合を促進し、葉状突起 (lamellipodia)の形成、細胞膜のrufflingを誘導することが知られている。そしてその標的分子(effector)として主に細胞骨格の制御に関わるWAVE/Scar proteins や PAK(p21-activated kinase)などの分子が報告されている。一方、Rac1はある種の細胞では細胞の生存シグナルに関与することが明らかになっている。従来Rac1はJNKの活性化を介してアポトーシスを促進させるという報告が多いが、逆に抗アポトーシス作用を持つという報告も最近相次いでいる。活性型Rac1の発現がIL-3依存性の血球系の細胞株BaF3におけるアポトーシスを抑制したとした報告や、Rac1とRhoGが紫外線により誘発されるCOS7細胞のアポトーシスを抑制したとする論文がある。さらにRac1のノックアウトマウスでは胚の内胚葉と外胚葉の間で多数の細胞死を起こすことで胎生致死になることが見いだされている。これらの結果はRac1が多くの細胞で、その生存のシグナルに深く関わることを強く示唆している。

 次にRac1が介する成長因子のシグナルを検討した。破骨細胞の生存を促進する因子としては、RANKL、IL-1α、TNF-α 、M-CSFなどが既に知られているが、なかでもM-CSFに注目した。M-CSFは破骨細胞に対して最も強力な抗アポトーシス作用を持つサイトカインの一つであるだけでなく、細胞のspreading、移動にも関わり、そのことがRac1との関連を想起させるためである。すると、予想通りM-CSFの投与は速やかにRac1を活性化した。また、M-CSF の添加により破骨細胞の生存は促進されたが、Rac1DNの過剰発現により、この生存促進効果はほぼ完全に打ち消された。逆にRac1CA によりRac1のシグナル伝達経路を活性化することでサイトカインなどを加えることなしに破骨細胞の生存は促進された。これらの結果より、Rac1がM-CSFの下流で破骨細胞の生存促進のシグナルを伝えることが示された。

 次にRac1がいかなる経路を介してこのような生存シグナルを伝えるのかをさらに検討した。これまで破骨細胞の生存シグナルとして大きく、二つの経路が知られている。一つはRas/MEK/ERKのいわゆる古典的MAPキナーゼカスケードであり、もう一つはPI-3'キナーゼ/ Aktの経路である。そこでMEKの選択的阻害剤であるPD98059、PI-3'キナーゼの阻害剤であるワートマニン、LY294002、PI-3'キナーゼの下流のmTOR (mammalian target of Rapamycin)の阻害剤とされるラパマイシンと活性型の変異体のAktを発現するアデノウィルスを用いて実験を行った。Rac1CAは著明に破骨細胞生存を促進し、PD98059はこれを抑制する傾向はあったが、有意差はなかった。一方PI-3'キナーゼ阻害剤である、ワートマニンとLY294002は共に完全にこれを抑制した。ラパマイシンでも同様の傾向が見られた。さらにAktによる破骨細胞の生存促進効果を確かめるために、活性型Aktを破骨細胞に発現させると純化後24時間での生存率はやはり有意に上昇した。以上の結果からRac1による破骨細胞の生存促進のシグナルにはMEK/ERKの経路よりもPI-3'キナーゼ/ Aktの経路がより大きく関与することがわかった。このことをさらにタンパクレベルの検討で確認した。通常低分子量Gタンパク質の活性化には、グアニンヌクレオチド交換因子 (guanine nucleotide exchange factor : GEF) が働き、GDP結合型からGTP結合型に変換されることが必要である。しかし、Rac1のGEFとして知られているもののほとんどはPI-3'キナーゼによって活性化されることが知られているため、ここまでの結果と相容れないためである。そこでまず、M-CSFによるRac1の活性化がPI-3'キナーゼ阻害剤のLY294002で抑制されるかを調べると、全く抑制されなかった。一方PI-3'キナーゼの触媒サブユニットp110の過剰発現で生じるAktのリン酸化はRac1DN により部分的に抑制された。同様にM-CSF添加で生じるAktのリン酸化もRac1DNでのみ部分的に抑制されたが、この効果はERKのリン酸化に関しては認められなかった。以上の結果からM-CSF刺激後の破骨細胞において、Rac1とPI-3'キナーゼはどちらかが上流に位置するという単純なシグナル伝達経路では説明が困難で、相互作用をもちつつシグナル伝達がされるのではないかと考えられた。実際、Rac1 とPI-3'キナーゼのヒエラルキーには議論の余地があり、Rac1はPI-3'キナーゼの下流にあるという報告が多い中で、逆の報告も見受けられる。またRac1 とPI-3'キナーゼは positive feedback loopを形成し、お互いのシグナルに関わるという報告もあり、本研究の結果を支持するものである。

 最後にRac1の活性化あるいは不活化が破骨細胞の細胞骨格に与える影響を検討した。予想に反し、アクチンリングの形成は恒常活性型、ドミナントネガティブ型のいずれでも明かな影響を受けていなかった。これまで、トリの多核巨細胞へのプラスミドによる遺伝子導入や、ラットの骨から採取した破骨細胞への抗Rac1抗体のマイクロインジェクションでは著明な細胞形態の変化が報告されている。この違いは、使用した細胞の違いや、遺伝子導入の方法、発現の効率、評価に用いた方法の相違などによる可能性がある。一方、動的な細胞骨格の変化を評価するため、微速度ビデオ顕微鏡撮影の画像を画像解析ソフトで定量化し、M-CSF投与の前後で比較したところ、投与後に生じる膜運動の活性化がRac1DNを過剰発現させると有意に抑制されていることがわかった。あくまでM-CSFの添加という非生理的な状況ではあるが、Rac1DNが動的な細胞骨格の制御に関わることが示された。

 本研究から示唆されたM-CSFとRac1による破骨細胞の生存に関するシグナル伝達をまとめた。Rho ファミリー低分子量Gタンパク質の一つRac1は、M-CSF受容体の下流に位置し、破骨細胞の生存シグナルをPI-3'キナーゼと相互作用をもちつつ伝達し、Aktを活性化、破骨細胞生存を促進すると考えられた。また、Rac1は細胞膜の運動を制御することにより、骨吸収能に関与すると思われた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は低分子量Gタンパク質の中で、従来、成長因子受容体シグナルの下流に位置し、主に細胞骨格の制御に関わることが知られていたRho ファミリー低分子量Gタンパク質、特にRac1と破骨細胞の機能および生存との関わり、さらにそれらのシグナル伝達の詳細を検討したものであり、下記の結果を得ている。

1. 主要なRho ファミリー低分子量Gタンパク質であるRhoA、Rac1、Cdc42の恒常抑制型変異体(RhoADN, Rac1DN,Cdc42DN )のアデノウィルスを作製し、これらを用いて破骨細胞の生存、活性におけるRho ファミリー低分子量Gタンパク質の役割が検討された。RhoA、Rac1の活性を抑制すると、破骨細胞の骨吸収は著明に減少したが、Rac1の機能抑制では破骨細胞の生存も抑制され、この効果はRac1に特異的であることが示された。

2. Rac1が介する成長因子のシグナルが検討された。破骨細胞の生存を促進する因子のうち、M-CSFに注目している。M-CSFは強力な抗アポトーシス作用を持つと同時に、細胞のSpreading、移動にも関わり、Rac1との関連を想起させるためである。M-CSFの投与は速やかにRac1を活性化し、M-CSF の添加により破骨細胞の生存は促進されたが、Rac1DNの過剰発現により、この生存促進効果はほぼ完全に打ち消された。逆に恒常活性型のRac1CA によりRac1のシグナル伝達経路を活性化することでサイトカインなどを加えることなしに破骨細胞の生存は促進された。これらの結果より、Rac1がM-CSFの下流で破骨細胞の生存促進のシグナルを伝えることが示された。

3. Rac1が生存シグナルを伝える経路の検討として、Ras/MEK/ERKのいわゆる古典的MAPキナーゼカスケードとPI-3'キナーゼ/ Aktの経路のそれぞれについて、特異的阻害剤と活性型変異体のAktを発現するアデノウィルスを用いて実験が行われた。Rac1CAは著明に破骨細胞生存を促進したが、MEKの阻害剤PD98059はこれを有意には抑制しなかった。一方PI-3'キナーゼ阻害剤である、ワートマニンとLY294002は共に完全にこれを抑制した。さらに、活性型Aktを破骨細胞に発現させると破骨細胞の生存は有意に延長した。以上の結果からRac1による破骨細胞の生存促進のシグナルにはMEK/ERKの経路よりもPI-3'キナーゼ/ Aktの経路がより大きく関与することがわかった。

4. さらに、シグナル伝達のタンパクレベルでの検討がなされた。まず、M-CSFによるRac1の活性化がPI-3'キナーゼ阻害剤で抑制されるかを調べると、全く抑制されなかった。一方PI-3'キナーゼの触媒サブユニットp110の過剰発現で生じるAktのリン酸化はRac1DN により部分的に抑制された。同様にM-CSF添加で生じるAktのリン酸化もRac1DNでのみ部分的に抑制されたが、この効果はERKのリン酸化に関しては認められなかった。以上の結果からM-CSF刺激後の破骨細胞において、Rac1とPI-3'キナーゼはどちらかが上流に位置するという単純なシグナル伝達経路では説明が困難で、相互作用をしつつシグナル伝達がされるのではないかと結論づけられた。

5. Rac1の不活化が破骨細胞の細胞骨格に与える影響についての検討が、微速度ビデオ顕微鏡撮影の画像解析によりなされた。動的な細胞骨格の変化を評価するため、M-CSF投与の前後で画像解析を行ったところ、投与後に生じる膜運動の活性化がRacDNを過剰発現させると有意に抑制されていることがわかった。RacDNが動的な細胞骨格の制御に関わることが示された。

以上、本論文は従来、細胞骨格の制御に関わるとされてきたRho ファミリー低分子量Gタンパク質の一つRac1が、破骨細胞の生存シグナルにも大きく関わることが初めて示され、そのシグナル伝達経路として、Rac1がM-CSF受容体の下流に位置し、生存シグナルをPI-3'キナーゼとAktを介して伝えることが示された。また、同時にRac1は細胞膜の運動を制御することにより、骨吸収能に関与する可能性も示唆された。本研究は、病的な骨量減少を引き起こす疾患の治療薬として、破骨細胞のアポトーシスをターゲットにする上で不可欠な、その分子生物学的メカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク