学位論文要旨



No 120380
著者(漢字) 早乙女,貴子
著者(英字)
著者(カナ) サオトメ,タカコ
標題(和) 脱神経後萎縮筋のMRIによる評価に関する研究
標題(洋)
報告番号 120380
報告番号 甲20380
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2529号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,耕三
 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 助教授 伊良皆,啓治
内容要旨 要旨を表示する

[はじめに]

 筋の評価はリハビリテーションを開始し、その効果を判定する上で重要な指標となる。筋力に影響を及ぼす要因として、筋の形態と機能が挙げられる。筋断面積が大きいほど発揮可能な筋力が増し、また、筋力の発揮には運動単位の活動が必要とされる。従って筋の評価には、筋の形態と機能両面の測定が重要と考えられる。日常診療の場では筋力低下の評価方法として徒手筋力テスト(manual muscle test:MMT)が最も一般的に用いられている。MMTで正確に筋力測定を行うには、決められた肢位での測定が必要とされ、被験者の理解と協力を要するため、関節拘縮や高次脳機能障害などを合併している症例では正確な測定が困難である。CTやMRI画像を用いた筋質量や断面積、体積の測定による評価法も提案されているが、測定手法により結果に差異が認められるため課題が多い。理想的な筋の評価方法は、簡便に施行でき、測定対象者が限定されず侵襲がないこと、測定対象の筋のみの構造や性質を数値化し、定量的に表せることだが、これらを満足する筋の評価方法は現時点ではない。

 Magnetic resonance imaging(MRI)は非侵襲的に生体組織の3次元的な観察が可能なため、極めて有用な診断手法とされる。近年、生体内の水の拡散現象を観察できるMRIを用いた拡散の研究が盛んに行われている。生体内では組織構造により水の拡散が制限されるため、水分子の拡散は方向によって異なる異方性を有する。この拡散異方性を利用した生体組織構造の解析にMRIが応用されるようになった。またMRI装置を用いて生体の代謝を測定するMagnetic resonance spectroscopy(MRS)で、生体組織の特性を定量的に評価することができるようになった。

 本研究ではラットをモデル動物として、脱神経処置により筋の形態と特性が変化した神経原性萎縮筋とMRIを用いて、以下の3点について検討を行った。

(1)骨格筋の構造変化を検出することが可能か。

(2)拡散テンソルの各種指標の算出により、萎縮筋における拡散異方性の変化が示せるか。

(3)骨格筋の生化学的変化を検出することが可能か。

(1)では正常な筋と萎縮筋に対しMRIによる拡散の検出法(PGSE法)を施行し、測定された信号を拡散強調MRIの理論式に当てはめて筋線維径の推計を試みた。筋組織標本から求めた筋線維径の実測値と推計値を比較検討した。(2)ではPGSE法の信号測定結果を構成要素とする拡散テンソルを用いて、拡散異方性の指標(固有値λ1,平均拡散能,fractional anisotropy)を求めた。(3)では1H-MR spectroscopyで得られた水とcreatineのスペクトルを解析し、単位体積(voxel)当りのcreatine濃度を推計した。

[実験方法]

 9週齢のWistar rat(オス)の左坐骨神経を切断し、神経原性筋萎縮モデルとした。神経切断処置を施したラット(N=4〜5)を処置群、処置後2,4,8週目に対応する週齢の健常ラット(N=4〜5)を対照群とした。処置群は処置後2,4,8週目にMRI撮影を行った。ラット左下腿水平断のT1強調画像の腓腹筋上に2×2×2mm3のvoxelを設定し、そこから得られた信号測定結果を用いて(1)から(3)の実験を行った。

(1)PGSE法による信号減衰曲線を用いた筋線維径の推計

 q gradientを6方向に印加した際に得られる信号測定結果を用いて、以下の実験を行った。q=γδg/2πと定義され、γは1Hの磁気回転比、gおよびδはそれぞれq gradientの強度とパルス幅である。

a.印加軸2方向の信号減衰曲線を用いた筋線維径の推計:q gradientの印加で得られた信号減衰曲線で、最も傾きの緩やか又は急な曲線が得られた印加軸方向をそれぞれ筋線維に垂直、平行と近似した。筋線維に対し平行にq gradientが印加された場合の信号測定結果から、式(1):E(q)=exp(-4π2q2DΔ)を用いて筋線維に含まれる水の拡散係数の推計値Dを計算し、筋線維に対して垂直と定義した印加軸方向の測定信号を、正方形の領域に拡散物質が閉じ込められたとき用いることができる信号減衰の理論式であるTannerの式(2):

E(q)=2{1-cos(2πqa}/(2πqa)2+4(2πqa)2∞〓n=1exp(-n2π2DΔ/a2)×{1-(-1)ncos(2πqa)}/{(2πqa)2-(nπ)2}2

に当てはめ、筋線維径を推定した.

b.拡散テンソルによる筋線維径の推計:拡散テンソルを構成する6つの要素は、6方向のq gradient印加軸方向の信号測定結果から求めた。拡散テンソルの固有方程式の解である固有値と、固有値に対応する固有ベクトルを用いて、「筋線維の走行は拡散テンソルの最大固有値に対応し、固有ベクトルの方向に一致する」と仮定した。一般にq gradientは筋線維に斜めに加えられるため、式(1)(2)を基に信号減衰の式を拡張した式(3):S(q)=Aexp{-4π2(q・ε1)2(Δ-δ/3)D}×ET(q・ε2,a,D,Δ)×ET(q・ε3,a,D,Δ)が得られる。(3)に(2)を当てはめて信号の測定結果に最も良く合致するように筋線維の横断面を正方形と仮定したときの1辺の長さaを求めた。

c.腓腹筋標本の組織学的検討:MRI撮像後、ラットの左腓腹筋を採取しHE染色・SERCA1抗体組織標本を作製した。肥染色標本で、画像解析ソフトを用いた筋線維径の測定を行った。

(2)拡散テンソルの拡散異方性指標の測定

 固有値を利用し、拡散テンソルにおける楕円体長軸方向の見かけの拡散係数を意味する固有値λ1、異方性を排除した拡散を比較する平均拡散能(MD)、異方性の強さを表すfractional anisotropy(FA)を求めた。

(3)1H-MR spectroscopyによる腓腹筋の生化学的評価

a.水とcreatineのT1,T2緩和時間の変化:T1,T2緩和時間を求めるために、繰り返し時間(TR)とエコー時間(TE)のパラメータを次のように変えて水とcreatineの信号を測定した。

水のT1測定のTR=0.5,1.0,1.5,2.0s,TE=15ms,水のT2測定時のTR=8.0sec,TE=15,30,45,60ms,creatineのT1測定時のTR=1.0、,1.7,3.0sec,TE=25ms,creatineのT2測定時のTR=1.7sec,TE=50,75,100,125ms

 creatineの測定時は水のスペクトルを抑制し、1800回加算した。TR,TEを変化して得られた水とcreatineのスペクトルのデータを次式(4)に当てはめ、水とcreatineのT1,T2緩和時間を求めた。A:信号のスペクトルの高さを決定する定数、β:信号のスペクトルの幅を決定する定数である。式(4):ξ(F,TE,TR)=A×exp{-β(f-f0)2}×exp(-TE/T2)×{1-exp(-TR/T1)}

b.Bottomleyの式を用いたcreatine濃度の定量:水とcreatineのT1,T2緩和時間の測定結果と腓腹筋の水分含有量をBottomley(1997)が提案した次式(5)に当てはめて計算した。

CR(mol/kg)=2×ACR/√BCR×[w]/3×AW/√Bw×{1-exp(-TR/T1W)}exp(-TE/T2W)/{1-exp(-TR/T1CR)}exp(-TE/T2CR) (5)

ACR/√βCR:creatineの信号強度、AW/√βW:水の信号強度、T1CR:creatineのT1緩和時間、T2cR:creatineのT2緩和時間、T1w:水のT1緩和時間、T2w:水のT2緩和時間、W:腓腹筋の水分含有量である。

[実験結果]

(1)PGSE法による筋線維径の推計

1.印加軸2方向の信号測定結果を用いた筋線維径の推計値は、2群間で筋線維径の有意差は認められなかった。

2.拡散テンソルを用いた筋線維径の推計値は、2群間の処置後8週で有意差を認めた(*:P<0.05)。

3.処置群の筋線維断面積と筋線維径は有意に縮小していた。萎縮筋はTypeII線維変化を認めた.

(2)拡散テンソルを用いた異方性指標の算出

固有値λ1、MDは2群間・各群内とも経過期間により有意差が見られなかった。FAは処置後8週で2群間に有意差を認めた。(*:p<0.05)

(3)1H-MRSによるcreatine濃度の推計

1.水とcreatineのT1,T2緩和時間は、2群間で処置後2週の水とcreatineのT1緩和時間、処置後4週の水のT2緩和時間で有意差を認めた(*:p<0.05)。

2.腓腹筋の水分含有量は2群間で有意差があり、処置群における水分量の著明な減少が確認された(**:p<0.01)。

3.creatine濃度の推計値は処置後8週で2群間に優位傾向を認めた(†:p<0.1)。

[考察]

 PGSE法で得られた筋線維径推計値は組織標本から求めた実測値と差があり、本研究で用いた条件や式による正確な筋線維径の推計はできなかった。本手法の仮定条件等をさらに検討することによって筋の構造変化を捉えられる可能性もありうるものと考えた。また、1H-MRSを用いた研究では、単位体積(voxel)当りの水とcreatineのT1,T2緩和時間や腓腹筋に含まれる生化学物質creatineの濃度を推計する手法を提案し、1H-MRSにより筋の生化学的変化を捉えられる可能性を示した。本研究結果は、MRIが筋の形態・機能の定量的評価に応用可能であることを示した。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、MRIによる水の拡散の検出法(pulsed-gradient spin-echo : PGSE)と生体の代謝を測定する方法Magnetic resonance spectroscopy(MRS)を用いて、神経原性萎縮筋の構造変化と生化学的変化の検出の可能性について検討し、以下の結果を得ている。

1. PGSE法でラットの左腓腹筋に6方向から傾斜磁場q gradientを印加して得られたnuclear magnetic resonance (NMR)信号の内、2方向の印加軸の信号測定結果を用いて得られた筋線維径の推計値は、対照群と処置群間で有意差が見られなかった。

2. PGSE法でラットの左腓腹筋に6方向から傾斜磁場q gradientを印加して得られたnuclear magnetic resonance (NMR)信号の測定結果を構成要素とした拡散テンソルを用いて得られた筋線維径の推計値は、処置後8週で2群間の推計値に有意差が見られた(*:p<0.05)。

3. 正常な腓腹筋と萎縮した腓腹筋で作成したHE染色標本の画像解析結果より実測した筋線維径の平均値は、処置群で有意に縮小していた(**:p<0.01)。

4. 正常な腓腹筋と萎縮した腓腹筋で作成したSERCA1抗体染色標本では、萎縮筋がTypeII線維へ変化した所見を認めた。

5. PGSE法で得られた筋線維径推計値は、組織標本から求めた実測値と差があり、本研究で用いた条件や式による正確な筋線維径の推計はできなかった。

6. 正常な筋に比し、萎縮筋の筋線維径推計値は短く、一部統計学的な有意差も得られたものもあった。本手法の仮定条件等をさらに検討することによって筋の構造変化を捉えられる可能性もありうるものと考えられた。

7. 正常な筋と萎縮筋における拡散テンソルで導かれる拡散異方性の指標を計算した結果、固有値λ1と平均拡散能MDは有意差が見られなかったが、fractional anisotropyは処置後8週で2群間に有意差が見られた(*:p<0.05)。

8. 1H-MRSを用いて、ラットの正常な腓腹筋と萎縮した腓腹筋から水とcreatineのスペクトルを選択的に取得し、水とcreatineのT1,T2緩和時間を求めた。水のT1緩和時間は、処置後2週で2群間に有意差が見られた(*:p<0.05)。水のT2緩和時間は、処置後4週で有意差が見られた(*:p<0.05)。creatineのT1緩和時間は、処置後2週で2群間に有意差が見られた(*:p<0.05)。creatineのT2緩和時間は2群間で有意差を認めなかった。

9. 1H-MRSを撮像した腓腹筋の水分含有量を測定した。2群間では、全経過期間で有意差が見られた(**:p<0.01)。

10. 水とcreatineの信号強度とT1,T2緩和時間、腓腹筋の水分含有量を、既知の式に当てはめて、単位voxel当りのcreatine濃度を推計した。処置後8週で2群間に有意傾向を認めた。(†:p<0.1)。1H-MRSで得られたスペクトルから、筋の生化学的変化を捉えられる可能性を示した。

以上、本論文は、MRIにより筋の構造変化と生化学的変化を定量的に捉えられる可能性があることを明らかにした。これらのことはPGSE法1H-MRSの臨床応用に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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