学位論文要旨



No 120396
著者(漢字) 佐瀬,恵理子
著者(英字)
著者(カナ) サセ,エリコ
標題(和) 在日韓国・朝鮮人ハンセン病療養所入所者による病いの経験 : 韓国との比較質的研究
標題(洋) Illness Experiences of Korean Former Leprosy Patients in Japan's Leprosarium : A Comparative Qualitative Study with South Korea
報告番号 120396
報告番号 甲20396
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2545号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 助教授 黒岩,宙司
 東京大学 教援 赤林,朗
 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 教授 甲斐,一郎
内容要旨 要旨を表示する

第一章 緒言

1.背景

 ハンセン病は、らい菌による慢性感染症で主に末梢神経と皮膚を侵す。特効薬の発見(1943年)、多剤併用療法の確立(1981年)等により、世界の新規患者は62万人(2002年)に減少した。世界保健機関は2005年までに世界規模の制圧(有病率1例<10,000人)を目指している。

 日本はハンセン病隔離政策(以下、政策)を1907-1996年に実施した。この間、ほとんどのハンセン病療養所入所者はらい菌陰性(臨床医学上のハンセン病治癒=元患者)となり、国内制圧も果たした。一方、政策は日本の植民地統治下、朝鮮半島等にも適用された。また、徴用・労働で渡日し発病した患者は日本国内の療養所に隔離された。

 日本13ヶ所の国立ハンセン病療養所入所に3,500人が入所している(厚生労働省2004年)。このうち、183人(約5%)は在日韓国・朝鮮人入所者(以下、在日入所者)である。

2.研究目的

 在日入所者が、ハンセン病治癒後・政策廃止後も日本の療養所に居続ける経緯と、本人・家族・社会の相互作用を当事者の視点から検討した。同様に、韓国のハンセン病療養所およびハンセン病定着村の韓国人元患者にも調査を実施した。その比較から、とくに未調査である、政策廃止後の在日入所者の病いの経験(疾病等に関する当事者の主観的な経験:Kleinman 1988)のプロセスを明らかにすることを研究目的とした。

第二章 研究方法

1.データ収集・分析方法

 グラウンデッド・セオリーに基づき半構造化インタビュー(以下、面接)を行った。

2.研究参加者

 38人(3集団)が面接に応じた。在日入所者(n=12)、韓国のハンセン病療養所*入所者(n=13)、3定着村**居住者(n=13)である。

*唯一現存する韓国の国立療養所(入所者759人)。植民地支配下(1916年)、日本が設立した。

**ハンセン病元患者6,082人と家族が暮らす共同体(韓国内88ヶ所)で、主に韓国の政策廃止(1963年)前後に設立された。

3.データ収集

 各焦点時期((1)発病時、(2)診断時、(3)在宅療養中、(4)療養所入所時、(5)療養所入所中、(6)政策廃止時、(7)現在)における、研究参加者の自己観・家族観・社会観とその相互作用を問うた(全71項目)。

 Maximum variationサンプリング(データ偏重防止)後、理論的サンプリング(生成概念から次の焦点決定)を行い、理論的飽和化(新概念の不生成)を確認し面接を終了した。面接期間は2003年4月から翌年4月である。

4.データ分析

 継続的比較法により、概念のバリエーション、不一致・反対事例を検討した。次に、概念の関係をサブ・カテゴリ(抽象化された概念)に集約し、その関係をコア・カテゴリに統合した。最後に、カテゴリ間の関係とその要因を検討し理論を導いた。

5.データの妥当性

 データの妥当性の向上のため、(1)研究参加者への非構造化インタビュー(54.4時間)、(2)関係者(医師、医療ソーシャルワーカー:MSW等)への同インタビュー(110時間)、(3)観察調査、(4)文献・資料研究、(5)不一致・反対事例の検討、(6)データの量的処理、(7)データ解釈の研究参加者の確認・専門家による助言のtriangulationを図った。

6.倫理的配慮

 本校倫理委員会の承認後、調査地責任者の承諾を得て、各研究参加者に研究目的を説明し面接と録音の同意を得た。調査後、各研究参加者の精神的サポートのため、医師・MSW・牧師と連携を図った。

第3章 結果

研究参加者

 38人(男性26人、女性12人、56-88歳、平均年齢77歳)が、1人2-6回、合計93時間(65回)の面接に回答した。

結果1.共通の経緯(ハンセン病発病-現在)

 平均14(8-43)歳で発病したが、多くは2(0.5-20)年間放置し、17(11-46)歳でハンセン病診断を受けた。研究参加者の半数が自ら療養所に入ったと語り、平均入所期間は58(2-71)年であった。29人は(元)同病者と結婚したが、発病後、子供を持ったのは定着村の研究参加者(n=5)のみであった。全員らい菌陰性で、韓国籍を有していた。

結果2.共通の病いの経験(療養所・定着村に居続ける経緯と相互作用)

 全研究参加者の結果の核として、治癒後、政策廃止後も、家族・親族に"迷惑"を掛けぬよう、家に戻ることを「遠慮」(コア・カテゴリ)している点が明らかになった。

 治癒後、社会復帰(社会生活・就労)した研究参加者(n=10)の半数は帰郷し、労働外出(療養所からの通勤)をした人(n=4)もいる。

 しかし、払拭されないハンセン病の「レッテル」(サブ・カテゴリ1)、また、視力障害・指変形等の「後遺症」(サブ・カテゴリ2)等のため、療養所・定着村に戻った。家族・親族の多くは研究参加者の存在または疾病を社会から隠している。それらが「レッテル」、研究参加者の「後遺症」、「自己偏見」(サブ・カテゴリ3)と相互作用し、「遠慮」に統合される傾向が観られた(図)。この傾向は、居住地、サブ・カテゴリの重軽度に関わらず共通点として抽出された。また、全員、今後も家に戻る予定がない点が明らかになった。

結果3.在日入所者の病いの経験

 在日入所者の特徴として、二重の「レッテル」・「自己偏見」(在日韓国・朝鮮人+ハンセン病元患者)の知覚が示された。「後遺症」等のため日常生活支援を要するが、優生保護法により子供が持てなかった在日入所者は世話を頼る当てがない。二重の「レッテル」・「自己偏見」も加わり、療養所外での自立生活は極めて困難であると考えていた。また、日本の政策廃止は"遅すぎ、"長期入所中、韓国に引き揚げた家族は死亡し、国籍上の母国帰国も現実的でないと目していた。

第四章 考察

1.新しい知見

 家族への"迷惑"回避のため、止むを得ず(1)研究参加者の半数が自ら入所した点、(2)今後も家に戻る予定がない点が窺われた。

2.生成された理論

 本研究結果と他のスティグマ研究との比較から、次の理論(限定事象についての体系的な説明)が生成された。

理論1.ハンセン病政策のスティグマ助長の可能性

 共通の外的要因として示されたハンセン病の「レッテル」は、スティグマ(Goffman 1963)と換言できる。特効薬発見後の政策継続、患者家屋の消毒などが、社会的スティグマを助長したと類推される。スティグマや隔離の恐れによる患者のハンセン病放置は、「後遺症」の悪化を招いた可能性が高く(Lockwood 2004)、それらが「自己偏見」に結びつき、家族への「遠慮」を継続させたと推察される。当事者面接の分析から、日本および日本の政策に源を発する韓国の政策がスティグマを助長した可能性が示唆された。

理論2.在日入所者のアイデンティティの葛藤

 在日入所者は日本語・習慣の習得後も韓国籍を有している。二重の「レッテル」・「自己偏見」と相互作用し、多くの在日入所者は高齢となっても、「自分は何者であろうか」とアイデンティティの葛藤(Chamaz 1997)を示していた。

3.本研究の優位点と限界

 面接調査は、心の揺らぎ等、動的かつ複雑な心理状況を捉えるうえで優位であり、長期間の調査は、研究参加者や関係者(医師、介護員、MSW)と調査者のラポール(良好な人間関係)構築の一助になったと考えられる。また、サンプリング法、継続的比較法、妥当性の向上措置により、内的一般化、すなわち、在日入所者および韓国人元患者がハンセン病治癒後・政策廃止後もなぜ家に戻らないのか(集団的・病いの経験)を提示できたと考える。

 一方、研究の限界として、複数言語(日・韓・英)の翻訳過程で発生するバイアスの可能性が挙げられる。また、外的一般化(社会復帰中の在日韓国・朝鮮人および韓国人元患者、在日および韓国人以外のハンセン病元患者、元患者家族の病いの経験)は本研究の範囲を超える。

4.結論

 二十世紀、世界のハンセン病医療は、治癒と制圧遂行を目指し大きく発展した。日本・韓国のほとんどの患者が治癒し、国内制圧も達成した。しかし、政策廃止後、多くの元患者が療養所に留まった。とくに未解明であった、政策廃止後の在日入所者の病いの経験により、家族への「遠慮」が明らかになった。その根拠として、スティグマ(「レッテル」)、「後遺症」、「自己偏見」が挙げられた。また、"遅すぎた"日本の政策廃止は在日入所者の帰国時機も奪ったことが示唆された。

 日本・韓国の療養所には、高齢で「後遺症」を有する入所継続希望者がいる。その運営継続は不可欠であり、ニーズに対応したサービス(例:アイデンティティの葛藤への心理的ケア等)が求められる。

 これまでも、感染症対策(含:隔離政策)は医学的根拠に基づき実施・廃止されるべきであると主張されてきた。本研究により、廃止の機を逸した政策は、治癒後・政策廃止後も元患者を家族・社会から疎外する可能性が提示された。また、感染症対策・制圧は、外国人を含む患者個人の犠牲上に成立してはならぬ点が明確に示された。

図 家族への「遠慮」プロセス

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、これまで未解明であった、在日韓国・朝鮮人ハンセン病元患者(在日入所者)が、ハンセン病隔離政策廃止後(1996年)も、日本の療養所に継続的に入所する要因を、病いの経験(当事者の主観的な体験)から検討することを目的としている。半構造化インタビュー(面接調査)を実施し、グラウンデッド・セオリーに則り分析を行った。韓国の国立療養所、同ハンセン病定着村の韓国人元患者への面接調査との比較から、以下の知見を得ている。

1. 3集団共通の経緯(ハンセン病発病から現在)

 合計38人(男性26人、女性12人、平均年齢77歳)が面接に回答した。居住地は、日本の国立療養所(n=12)、韓国の国立療養所(n=13)、同定着村(n=13)で、全員、韓国籍を有していた。

 平均14(8-43)歳にハンセン病を発病し、ほとんどの研究参加者が2(0.5-20)年間放置した後、17(11-46)歳でハンセン病診断を受けていた。研究参加者の半数が自ら療養所に入り、平均入所期間は58(2-71)年である。発病後、子供を持ったのは定着村の研究参加者(n=5)のみであった。また、全員らい菌陰性で、臨床医学的に治癒した元患者であった。

2. 3集団共通の病いの経験(療養所・定着村に居続ける経緯と相互作用)

 研究参加者が、家族・親族に"迷惑"を掛けることを避け、ハンセン病治癒後、政策廃止後も、家に戻ることを「遠慮:」(コア・カテゴリ)している点が明らかになった。その背景として、治癒後、退所後も払拭されない、ハンセン病の「レッテル」(サブ・カテゴリ1)、視力障害・指変形等の「後遺症」(サブ・カテゴリ2)、それらによって生じた「自己偏見」(サブ・カテゴリ3)が見出された。3集団の共通する病いの経験として、これらが相互作用し、「遠慮」(コア・カテゴリ)に統合される傾向が観られた。研究参加者全員、今後も家に戻る予定がない点も明らかになった。

3. 在日入所者の病いの経験(二重の「レッテル」・「自己偏見」)

 在入所者が、在日韓国・朝鮮人として、またハンセン病元患者として、二重の「レッテル」・「自己偏見」を知覚していることが提示された。「後遺症」等のため日常生活支援を要するが、優生保護法等により子供が持てず、日本国内に世話を頼る当てがほとんどない。そのため、療養所外での自立生活は極めて困難であると考えていた。また、日本の隔離政策廃止は遅すぎ、入所のため家族と韓国に引き揚げることができず、家族の死亡後、韓国帰国も現実的でないと考えている点も明らかになった。

4. ハンセン病政策のスティグマ助長の可能性

 払拭されないハンセン病の「レッテル」は、スティグマといえる。社会的スティグマや隔離を恐れたハンセン病の放置は「後遺症」の悪化に影響した可能性が高く、それらが「自己偏見」に結びつき、家族への「遠慮」を継続させたと推察された。

 面接調査の分析から、特効薬発見(1943年)後の政策継続、患者家屋の消毒など、目本の長期隔離政策が、社会的スティグマを助長した可能性が類推された。また、韓国初のハンセン病隔離政策は、日本が植民地統治下に制定した(1935年)ものであり、日本の政策に源を発する韓国の政策が社会的スティグマを助長した可能性も示唆された。

5. 在日入所者のアイデンティティの葛藤

 在日入所者は、日本語・習慣の習得後も韓国籍を有し、隔離政策廃止後も、ハンセン病療養所に入所し続けている。二重の「レッテル」・「自己偏見」も加わり、多くの在日入所者は高齢となっても、アイデンティティの葛藤を示していることが明らかになった。

 以上、本研究は、これまで顧みられることが少なかった在日入所者の病いの経験を、長期間の面接調査に基づき検討した。また、未調査であった韓国人元患者にも同様の調査を行い、ハンセン病治癒後・隔離政策廃止後もなぜ家に戻らないのかを、グラウンデッド・セオリー法により明らかにした。在日入所者は、遅すぎた日本の隔離政策廃止により、韓国への帰国時機を失したことも示された。また、本研究の療養所入所者は今後も家に戻る予定がないことから、日本・韓国の療養所運営継続の必要性が示された。

 本研究は、疾病治癒・隔離政策廃止後も元患者が家族や社会から疎外される可能性を、病いの経験により具体的に提示したものである。外国人を含む患者個人に配慮した公衆衛生、とくに感染症対策の理念に重要な示唆を与えると考えられ、学位授与に値すると認められる。

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