学位論文要旨



No 120398
著者(漢字) 柳澤,理子
著者(英字)
著者(カナ) ヤナギサワ,サトコ
標題(和) カンボジアにおける妊産婦の受療行動と分娩介助者選択要因
標題(洋) Health Seeking Behavior of Pregnant Women in Cambodia And Determinants of Birth Attendant Choice
報告番号 120398
報告番号 甲20398
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2547号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 村嶋,幸代
 東京大学 助教授 黒岩,宙司
 東京大学 助教授 土屋,尚之
内容要旨 要旨を表示する

[目的] 途上国において、妊産婦死亡率改善の鍵を握るのがskilled birth attendantであることは広く知られている。しかしskilled birth attendantが地域に配置されても、TBA(Traditional Birth Attendant)を選択する産婦は少なくない。Skilled attendantとunskilled attendantがどのように選択されるのか、その要因は明らかになっていない。本研究の目的は、1)妊娠出産に伴う病態に対する妊産婦の受療行動を、専門家(skilledpersonnel)受診の有無を焦点に記述する、2)分娩介助者選択要因を明らかにする、3)skilled birth attendantの選択がアウトカムの改善に結びついているかを明らかにする、ことである6

[方法] 調査地は、カンボジアコンポンチャム県メーモット郡(人口約12万人)である。対象は15-49歳のリプロダクティブ年齢の女性で、調査時から過去3ヶ月以内に出産を経験した者である。既存の資料から推計される同郡のリプロダクティブ年齢の女性は約3万人で、3ヶ月の推計分娩数は833-1131であった。

 対象者はCommunity-Based Surveillance System(CBSS)を利用して探索した。CBSSは出生、死亡、妊婦を保健ボランティアを通じて登録するシステムである。加えて調査チームが各村内を回り、CBSS登録に漏れた対象者がいないかを確認した。1046人が見出され、内3回の訪問すべてに不在であった女性及び郡外に転出した女性を除いた980人を調査対象とした。

 受療行動は、妊娠出産に関連した18の病態について尋ねた。この内、妊娠中の出血、分娩中及び産後の多量出血、遷延分娩、痙攣、産後の高熱の5症状を、possible life-threatening conditionsとした。それぞれの症状は、先行文献及び出産を経験した女性と医療従事者へのインタビューをもとに、文化的な表現方法に考慮して定義した。

 分娩介助者選択要因を検討するための分析枠組みは、Andersenの行動モデルを基に構成した。独立変数はpredisposing characteristics、enabling resources、needsから成るが、分娩介助者との事前接触(妊娠中及び過去の出産時)を、分娩介助者選択に対する曝露因子とした。従属変数はskilledまたはunskilled birth attendantの選択であるが、skilled attendantには医療機関に勤務している場合と、在宅分娩の介助を行う場合とがある。このため、次の4分類で分析した。すなわち分娩場所の選択(施設か在宅か)、家庭分娩における実際の分娩介助者選択(skilledかunskilledか)、家庭分娩における分娩介助者選択意図(skilledかunskilledか)、及び意図された分娩介助者の変更(変更か不変か)である。

 アウトカムは新生児死亡、分娩中及び産後の多量出血、産後の高熱、及び分娩に対する主観的満足度によって測定した。

 データは、構成的質問紙を用いた面接調査によって収集した。Possible life-threatening conditionsを経験した女性の内、特に重篤であった23人に対しては、半構成的面接によってさらに詳細な情報を収集し、専門家受診を妨げる要因を抽出した。

 受療行動は、症状ごとに専門家受診者の割合を記述した。分娩介助者選択要因は、ロジスティック回帰により分析した。許容度、VIF、相関によって多重共線性を検討した。相関は、順序変数に対してはスピアマンの順位相関係数、名義変数に対してはφ係数、Cramer's Vを用いて計算した。年齢と分娩回数の間に強い相関が認められたため(rs=0.763,p<0.001)、それぞれの変数を含む2つのモデルを設定して分析を行い、未調整及び調整済みodds比と95%信頼区間を算出した。モデルの適合度は、Hosmer-Lemeshow test及びNagelkerke'sR2によって検定した。またアウトカムは施設分娩と家庭分娩、家庭分娩におけるskilled attendantとunskilled attendant、及び分娩介助者変更と不変との間で、x2検定及びFisher's exact testによって検定した。

[結果] 対象者980人中、skilled attendantによって介助された者は194人(19.8%)、unskilled attendantによる介助は769人(78.5%)、分娩介助者がいなかった者は17人(1.7%)であった。107人(10.9%)が施設で、873人(89.1%)が家庭またはそれに準ずる場所で出産した。268人(27.3%)は初産婦であり、267人(27.2%)は4経産以上であった。

 受療行動分析では、分娩中及び産後の多量出血、遷延分娩、痙攣、産後の高熱、及び新生児の異常を除き、最も多かった行動は放置もしくは家庭療法であった。妊娠中の出血は43.3%が、また全身の浮腫は70.0%が放置された。Possible life-threatening conditionsでは、プライベートセクターまたはリファーラル病院を利用する者が多かった。しかしskilled personnel利用率は、遷延分娩44.4%、分娩中及び産後の多量出血38.7%、妊娠中の出血33.3%、産後の高熱24.5%と低く、多くはprivate practitionerに頼っていた。これら4症状のskilled personnel利用には、分娩回数、保健施設までの距離、経済状況、教育年数が関連しており、特に距離では保健センターから2km以内、リファーラル病院から10km以内、教育歴では4年以上が、少なくとも50%の専門家受診率を確保する上で有利に作用することが示された。

 半構成的面接によって抽出された医療受診の阻害要因は、受診決断の遅れから医療施設到着後の不適切な治療に至るすべての段階に認められた。妊産婦自身の危険性の不認知と共に、TBAまたはprivate practitionerの技術的過誤(不適切な判断または処置)は、最初の段階における重要な阻害要因であった。

 分娩介助者選択要因の分析では、施設分娩の選択要因と家庭分娩におけるskilled attendant選択要因は異なることが明らかになった。しかしどちらにおいても、birth attendantとの事前接触は有意な決定要因であった。施設分娩選択の要因として、年齢を含むモデル1及び分娩回数を含むモデル2の両方で有意であった変数は、教育(7年以上)、妊婦健診受診(4回以上)、及び遷延分娩(あり)であった。

 家庭分娩においては、年齢が35歳以上の者は24歳未満の者よりも、夫が農業以外の職業の者は農業従事者よりも、人工妊娠中絶経験者は非経験者よりも、保健センターまでの距離が5km以内の者はより遠方の居住者よりも、よりskilled attendantを選択する傾向にあった。妊婦健診受診は有意な要因ではなかったが、前回の出産でskilled attendantを選択した者はそうでない者よりもskilled attendantを、unskilled attendantを選択した者はunskilled attendantを選択する傾向にあった。特に前回unskilled attendantを選択した者では、次の出産でunskilled attendantを選択する可能性が、初産婦に比較し5〜7倍高かった。意図分析の結果は、実際の分娩介助者選択要因の結果とほぼ同様であった。

 分娩介助者変更の分析では、人工妊娠中絶経験者は非経験者よりも、また分娩が遷延した者はそうでない者よりも、意図とは異なる分娩介助者によって出産していた。両変数のodds比は非常に高く(それぞれOR:9.05,95%CI:3.02-27.07,OR:12.10,95%CI:4.86-30.10、いずれもモデル1)、これらが主要な決定要因であることが示された。一方リファーラル病院から10km以内に住む者は20km以上の者よりも、また前回unskilled attendantを選択した者は初産婦よりも分娩介助者変更が少なかった。

 アウトカム分析では、施設分娩の者は施設外分娩の者よりも、新生児死亡、分娩中及び産後の多量出血が有意に多かった。また分娩介助者を変更した者では新生児死亡、分娩中及び産後の多量出血及び産後の高熱が有意に多かった。しかし家庭分娩においてはいずれの項目にもskilled attendantとunskilled attendantの間に有意差はみられなかった。満足度では、施設分娩か家庭分娩か、skilled attendantかunskilled attendantかのいずれにも、有意差はみられなかった。

[考察] 本研究は、カンボジア農村の妊産婦には、出血、遷延分娩などの異常を自覚しながらも、専門家による医療に到達しない者が多くいることを明らかにした。Possible life-threatening conditionsにおける医療機関の受診率は、風邪や下痢などの一般疾患よりも高いが、異常を自覚した妊産婦の半数以上は適切な医療を受けておらず、三次医療機関が示した高いdeath-on-arrivalのデータを裏付けている。危険な兆候の不認知や受診の遅れは、unskilled personnelの技術的過誤によっても強化されていると思われる。妊娠中のTBAの役割は限定されており、また異常に対する医療を提供するのはprivatepractitionerである。TBAを地域資源として有効活用しようとする活動は多くみられるが、妊産婦死亡率低減を目的とする活動では、むしろprivate practitionerを視野に入れる必要がある。

 分娩介助者選択の分析では、施設分娩は一義的には、異常の認知によって選択されることが示された。一般的に受療行動の決定要因としてあげられる経済的要因、地理的近接性も、他の因子を調整すると施設選択の要因とはならず、施設分娩が非常に少ない地域では、産科的異常の重みが他の要因を凌駕しているものと考えられる。施設分娩率を向上させる上で介入可能な要因は、女性の教育向上と妊婦健診を通じてのskilled attendantとの事前接触である。

 しかし家庭分娩では別の論理が働いている。家庭分娩では、前回の分娩介助者を再選択する傾向がある。特に一度unskilled attendantを選択すると、次の出産でskilledattendantに変更することは困難であり、初産婦は介入のtarget populationとして重要である。残念ながら、妊婦健診を通じてのskilled attendantとの事前接触は、家庭分娩ではskilled attendant選択の要因とはなりえない。分娩施設を直接受診する先進国のANCと違い、調査地域のANCは巡回チームによって実施されており、たとえそこでskilledattendantによる分娩の勧告がなされても、突然、それも多くは夜間陣痛が始まる分娩時の移動の困難さや機会費用を含めた経済的困難さを克服する強い動機には至らないのだと思われる。多くの妊娠出産に伴う異常は、妊婦健診での発見や予防が困難であることから、妊産婦死亡率低減に対する妊婦健診率向上の戦略は、少なくともcommunity-based programを進める地域では、不十分な結果しか生まないであろう。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、妊産婦死亡率削減に関する重要な要因であるskilled birth attendantによる分娩介助率の向上に資するため、妊産婦の病院到着時死亡率が高いカンボジアの農村において、産科異常時における妊産婦の受療行動と、女性の分娩介助者選択に関連する要因の分析を試みた研究であり、以下の結果を得ている。

1. 妊娠中の出血、分娩中及び産後の多量出血、遷延分娩、痙攣、産後の高熱の5症状において、医師、看護師、助産師などの専門家受診率を検討した結果では、受診率が最も高かった遷延分娩でも44.4%にとどまっており、異常を自覚しながらも、専門家による医療に到達しない妊産婦が多いことが示された。また専門家受診には、分娩回数、保健施設までの距離、経済状況、教育年数が関連しており、距離では保健センターから2km以内、リファーラル病院から10km以内、教育歴では4年以上が、少なくとも50%の専門家受診率を確保する上で有利に作用することが示された。

2. 分娩介助者選択要因の分析では、施設分娩か施設外分娩か、家庭分娩において実際にskilled attendantを利用したかunskilled attendantを利用したか、家庭分娩においてskilled attendantを意図したかunskilled attendantを意図したか、分娩中に分娩介助者を変更したか否か、の4分類でロジスティック回帰分析が行われた。いずれの分析においても、高い共線性が認められたageとparityのそれぞれを含む2つのモデルでの分析が行われた。施設分娩を選択する決定要因は、教育(7年以上)、妊婦健診受診(4回以上)、及び遷延分娩(あり)であった。中でも遷延分娩のodds比は2つのモデルのいずれにおいても高く(6.5/6.8)、施設分娩は一義的には異常の認知によって選択されていることが示された。

3. 家庭分娩におけるskilled attendant選択の決定要因は、年齢(35歳以上)、夫の職業(農業以外)、人工妊娠中絶経験(あり)、保健センターまでの距離(5km以内)であった。また前回の出産でskilled attendantを選択した者はそうでない者よりもskilled attendantを、unskilled attendantを選択した者はunskilled attendantを選択する傾向にあった。特に過去にunskilled attendantを選択した者では、次の出産でunskilledattendantを選択する可能性が初産婦に比較し5〜7倍高くなり、初産婦への介入が重要であることが明らかになった。

4. 分娩中の分娩介助者変更の分析では、人工妊娠中絶経験(あり)、および遷延分娩(あり)のodds比が2つのモデルのいずれにおいても非常に高く(それぞれ11.6/12.1、8.8/9.1)、これらが主要な決定要因であることが示された。リファーラル病院からの距離(10km以内)、また前回の出産でunskilled attendantを選択した者では、分娩介助者変更が少なかった。

5. 施設分娩か施設外分娩か、家庭分娩においてskilled attendantかunskilled attendantか、分娩中に分娩介助者を変更したか否かのそれぞれで、新生児死亡、分娩中及び産後の多量出血、産褥期の高熱の発生率を比較したところ、施設分娩の者は施設外分娩の者よりも、新生児死亡、分娩中及び産後の多量出血が有意に高く、また分娩介助者を変更した者では3指標のいずれもが有意に高かった。しかし家庭分娩においてはいずれの項目にもskilled attendantとunskilled attendantの間に有意差はみられず、家庭分娩におけるskilled attendant選択が必ずしも予防的に作用しているわけではないことが示唆された。

 以上、本論文はヵンボジアの農村において、高い病院到着時死亡率の背景にある妊産婦の受療行動を明らかにするとともに、施設分娩選択および家庭分娩における分娩介助者選択の要因を明らかにした。本研究は、把握が困難だと言われているpopulation-basedでの妊産婦の受療行動を明らかにしたものであり、またこれまで一括して捉えられていたskilled attendantによる分娩を施設分娩と家庭分娩とに区別して分析することで、それぞれに対する有効な政策の策定に貢献すると考えられ、学位授与に値するものと考えられる。

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