学位論文要旨



No 120399
著者(漢字)
著者(英字) Hansman,Grant
著者(カナ) グラント,ハンスマン
標題(和) 小児におけるノロウイルス及びサポウイルスの感染疫学とウイルスゲノムの組換え、構造蛋白質発現とその応用に関する研究
標題(洋) Norovirus and Sapovirus : Childhood Infections,Recombination,and Expression of the Recombinant Capsid Protein
報告番号 120399
報告番号 甲20399
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2548号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 助教授 岩田,力
 東京大学 助教授 黒岩,宙司
 東京大学 助教授 渡辺,知保
内容要旨 要旨を表示する

本研究では、カリシウイルス科に属しヒトに感染してウイルス性急性胃腸炎を引き起こすノロウイルス(Norovirus)とサポウイルス(Sapovirus)のアジア地域における疫学調査を施行し、日本ばかりでなくアジア地域のノロウイルス、サポウイルス感染状況の把握を試みた。次に、細胞で培養できず、ヒト以外に感染モデル動物も存在しないため、ウイルスに関する研究の遅れているノロウイルス及びサポウイルスのゲノム塩基配列の解析および発現を行った。さらに、昆虫細胞及び組換えバキュロウイルスを用いたノロウイルス、サポウイルスのウイルス様中空粒子(VLPs)の発現とVLPsを利用した抗原ELISAシステムを構築した。本論文は以下に示した4つの異なる章で構成される。

 第1章では、タイ王国(以下タイとした)、ベトナム共和国(以下ベトナムとした)及びモンゴル共和国(以下モンゴルとした)のノロウイルス、サポウイルスに関する疫学調査について述べた。タイでは、2000年7月より2001年7月までの一年間にわたり、チェンマイ県で散発性下痢症によって入院した小児患者105例の糞便検体を用いてノロウイルス、サポウイルスの構造蛋白質領域を標的としたRT-PCRを施行した。調査した105例の内9例がノロウイルス陽性であった。また、4例がサポウイルス陽性であった。陽性検体のPCR増幅産物の塩基配列を決定し、木村の2パラメーター法により遺伝学的距離を算出し、近隣結合法(NJ法)による解析を行った。その結果、ノロウイルスでは、Mc37株を除く全ての株はゲノタイプGI/3,GI/8,GI/9,GII/1,GII/3,GII/10にクラスタリングさで発見し得た新しいゲノタイプであることを明らかにした。サポウイルスでは、3株がゲノタイプSG-I-aに、残る2株がSG-II-a,SG-II-bにそれぞれクラスタリングされた。タイでは、ノロウイルスに加えてサポウイルスも多様なゲノタイプが広く分布していることを明らかにした。ベトナムでの調査は1999年12月より2000年11月までの1年間にわたり、ホーチミン市で散発性下痢症によって入院した小児患者1339例のノロウイルス、サポウイルスに関する調査を施行した結果、72例がノロウイルス陽性を呈した。しかし、サポウイルス陽性であった患者は1例のみであった。ベトナムで検出されたノロウイルスのゲノタイプは78%がGII/4であり、世界に広く分布すると報告された主要株がベトナムでも主要株であることを明らかにした。また、ノロウイルス感染患者の季節別変動を調べたところ、雨季よりも乾季に患者数が多いことを明らかにした。モンゴルにおいては2003年の7月から8月にかけて、異なる世帯より採取した36例の健常者を含む小児を調査したところ、9例がノロウイルス陽性、1例がサポウイルス陽性を呈した。また、同じ村で採取されたノロウイルスで100%の塩基配列相同性を示す株が発見された。この研究から、ノロウイルスには無症候性キャリアーが存在し、ヒトーヒト伝播を起こす可能性を示唆した。3つのアジア地域の研究により、ノロウイルスは無症候性キャリアーを発端とするヒトーヒト伝播、食品を媒介する通常の糞口感染で、アジア地域に広く分布しており、散発性の非細菌性小児下痢症の一因となっていることが明らかになった。サポウイルスでは、タイでの検出率とベトナム、モンゴルでの検出率に統計学的に有意な差があることが明らかになった。サポウィルスは、食材や飲料水を媒体とするノロウイルスの伝播様式ではなく、地域差に関係した伝播様式を有する可能性を、本研究で初めて示唆した。

 第2章では、第1章で増幅に成功したノロウイルス3株、サポウイルス株4株のゲノム全長塩基配列を解析し、ゲノムリコンビネーションについて調べた。ノロウイルスでは非構造蛋白質をコードするオープンリーディングフレーム(ORF)1と、構造蛋白質をコードするORF2との境界であるORF1&2ジャンクション領域で遺伝子組換えを起こすことが知られている。一方、サポウイルスについては全く調べられていない。そこで、新しいノロウイルスのゲノタイプとして発見したMc37株と9912-02F株、026株のゲノム全長塩基配列を決定し、データベース上でMc37と最も近縁であったSaitama U1株と比較した。構造蛋白質領域(Capsid);ORF2の分子系統解析では、Mc37株はGII/10に、Saitama U1,9912-02F株はGII/12のそれぞれ異なるゲノタイプにクラスタリングされたが、構造蛋白質領域(ポリメラーゼ);ORF1では全て一つのクラスターに集合した。この結果は、ORF1&2ジャンクション領域でMc37に遺伝子組換えが起きていることを示唆していた。SimPlot解析を用いて上記3株のゲノム全長塩基配列を解析したところ、ORF1領域約5000塩基に渡り95%以上の相同性を示した。しかし、ORF1&2ジャンクション領域を境に相同性は約46%にまで急落した。これらの結果から、Mc37は新たな遺伝子組換え型株であることが示された。また、後の章で述べる組換えバキュロウイルスを用いて発現させたMc37のVLPと026のVLPは全く異なる抗原性を示した。これらの結果から、ノロウイルスが共通の非構造蛋白質領域;ORF1を用い、構造蛋白質領域;ORF2以降を遺伝子レベルで交換して、抗原性を変化させ、宿主の免疫反応から逃れ、日本ばかりでなく、アジア地域広範にわたり新たな流行を引き起こしている可能性を示唆した。

 サポウイルスでは、タイで得られたMc10株と日本で得られたC12株のゲノム全長塩基配列を比較した。両株は、非構造蛋白質領域までの約5000塩基で85.5%以上の高い相同性を示したが、非構造蛋白質と構造蛋白質領域のジャンクション以降では相同性が急落した。この結果サポウイルスで初めてゲノムの組換えが起きていることが明らかにされた。カリシウイルス科のノロウイルス属、サポウイルス属でゲノムの組換えが起きていることが明らかになり、構造蛋白質と非構造蛋白質のジャンクション領域で起きるこの組換えが、カリシウイルスのゲノム進化において、宿主域の拡張や新たな感染の流行に重要な役割を演じていることが初めて明らかにされた。

 第3章では、バキュロウイルス発現系を用いたウイルス様中空粒子の作成について述べた。第2章で述べたように、両ウイルス属は構造蛋白質領域を遺伝子組換えによって組換え、抗原性を変化させて宿主に適応した進化を繰り返していると考えられる。これらウイルス粒子の抗原性を調べることは、ウイルスの疫学研究のみならず、ウイルスの感染防御を研究する上で極めて重要である。しかし、ノロウイルスのみならずサポウイルスもヒト以外の感染動物が存在せず、培養細胞によるウイルス増殖系もない。そこで、ノロウイルス及びサポウイルスの構造蛋白質領域を組み込んだ組換えバキュロウイルスを作成し、昆虫細胞を用いた発現システムでウイルス様中空粒子(VLP)の作成を行った。ノロウイルスについては、第1章で発見した新たなゲノタイプを含む、これまでにVLPの作成及び免疫血清の作成が行われていない株についてVLPを発現し、免疫血清を得ることに成功した。さらに、サポウイルスはSG-I-aのMc114株、SG-II-cのC12株、SG-V-a株のNK24株を選択し、VLPの発現を試みた。Mc114株、NK24株は、ダビデの星と呼ばれるサポウイルス特有の表面構造を有する、ウサギ免疫、モルモット免疫血清作成に十分な量のVLPが発現された。C12株は、電子顕微鏡観察でVLPを確認できたが、免疫血清の作成に十分な量は得られなかった。しかし、SG-IIおよびSG-VのVLP作成に成功した例はなく、本研究の成果は極めて重要である。また、NK24 VLPは、大多数を占める約45nmの粒子の他に小型な粒子が混在していた。小型粒子は、構造蛋白質のN末端または、C末端が削られた分子から構成されている可能性もあり、現在、さらなる研究を進めている。また、発現に成功したサポウイルスのVLPの形態を詳細に解析するため、クライオ電子顕微鏡解析が進行中である。

 第4章では、発現に成功したMc114株、NK24株VLPを用いて作成した、抗VLPウサギ免疫血清、および抗VLPモルモット免疫血清を利用したサポウイルス抗原検出ELISAシステムの構築について述べた。前章で作成したサポウイルスSG-I VLPとSG-V VLPから、それぞれ抗SG-I VLPウサギ免疫血清(以下SG-Iウサギ抗体)、抗SG-I VLPモルモット免疫血清(以下SG-1モル抗体)、抗SG-V VLPウサギ免疫血清(以下SG-Vウサギ抗体)、抗SG-V VLPモルモット免疫血清(以下SG-Vモル抗体)を得た。これらの抗体をVLPのウエスタンブロッティングに用いた場合、SG-IとSG-Vの間にわずかな交差反応性が認められた。しかし、両抗体はSG-II VLPには全く反応しなかった。SG-IとSG-IIよりも分子遺伝学的に近縁であるSG-Vが、アミノ酸配列レベルでも近縁であることを初めて裏付けることに成功した。次に、ウサギ抗体をキャプチャーに、モル抗体をディテクターに用いたELISAシステムを構築し、VLPを用いて検討した。SG-I VLPとSG-V VLPは互いに異なる抗原性を示し、交差反応性は認められなかった。この結果から、ウエスタンブロッティングで認められた交差反応性は、アミノ酸の直鎖配列に依存する反応であり、VLPを形成した際に粒子表面に表出するアミノ酸残基に対しては交差反応性がないことが明らかになった。構築したELISAシステムをサポウイルス感染患者糞便材料のスクリーニングに用いたところ、SG-I陽性検体の検出に成功した。今後、SG-I,SG-V以外のサポウイルスに対する抗体の作成など、まだ課題は残っているが、本ELISAシステムは、初めてのサポウイルス抗原検出システムであり、その簡便性、ランニングコストの低さから、今後のサポウイルス疫学に有用である。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、カリシウイルス科に属し人に感染してウイルス性急性胃腸炎を引き起こすノロウイルス(Norovirus)とサポウイルス(Sapovirus)のアジア地域における疫学調査、両ウイルスのゲノム塩基配列の解析および発現を行った。さらに、昆虫細胞及び組換えバキュロウイルスを用いたウイルス様中空粒子(VLPs)の発現とVLPsを利用した抗原ELISAシステムを構築した。本研究では以下の結果を得ている。

1.タイ王国(以下タイとした)、ベトナム共和国(以下ベトナムとした)及びモンゴル共和国(以下モンゴルとした)のノロウイルス、サポウイルスに関する疫学調査では、ノロウイルスの新しいゲノタイプMc37株を発見した。またタイでは、ノロウイルスに加えてサポウイルスも多様なゲノタイプが広く分布していることを明らかにした。ベトナムでは、世界に広く分布すると報告されたノロウイルスGII/4株がベトナムでも主要株であることを明らかにした。また、ノロウイルス感染患者は、雨季よりも乾季に患者数が多いことを明らかにした。モンゴルでは、ノロウイルスには無症候性キャリアーが存在し、ヒトーヒト伝播を起こす可能性を示唆した。3つのアジア地域の研究により、ノロウイルスは無症候性キャリアーを発端とするヒトーヒト伝播、食品を媒介する通常の糞口感染で、アジア地域に広く分布し、散発性の非細菌性小児下痢症の一因となっていることを明らかにした。サポウイルスでは、タイでの検出率とベトナム、モンゴルでの検出率に統計学的に有意な差があった。サポウイルスは、食材や飲料水を媒体とするノロウイルスの伝播様式ではなく、地域差に関係した伝播様式を有するを可能性が示唆した。

2.ノロウイルス3株、サポウイルス株4株のゲノム全長塩基配列を解析し、ゲノムリコンビネーションについて調べた。ノロウイルスでは、SimPlot解析を用いてゲノム全長塩基配列を解析から、Mc37は新たな遺伝子組み換え型株であることが示された。また、組換えバキュロウイルスを用いて発現させたMc37のVLPは、ORF1の相同性が高かった026のVLPと異なる抗原性を示した。これらの結果から、ノロウイルスが共通の非構造蛋白質領域;ORF1を用い、構造蛋白質領域;ORF2以降を遺伝子レベルで交換して、抗原性を変化させ、宿主の免疫反応から逃れ、日本ばかりでなく、アジア地域広範にわたり新たな流行を引き起こしている可能性を示唆した。サポウイルスでは、Mc10株とC12株のゲノム全長塩基配列を比較し、C12株のゲノムリコンビネーションを発見した。ノロウイルス属、サポウイルス属でゲノムの組換えが起きていることが明らかになり、構造蛋白質と非構造蛋白質のジャンクション領域で起きるこの組換えが、両ウイルス属のゲノム進化において、宿主域の拡張や新たな感染の流行に重要な役割を演じていることが明らかにされた。

3.バキュロウイルス発現系を用いたウイルス様中空粒子の作成に取り組み、サポウイルスのSG-I-aのMc114株、SG-II-cのC12株、SG-V-a株のNK24株のVLP作成に世界で初めて成功した。また、発現に成功したサポウイルスのVLPの形態を詳細に解析するため、クライオ電子顕微鏡解析が進行中である。

4.免疫に十分な量のVLPの発現に成功したMc114株、NK24株VLPを用いて、抗VLPウサギ免疫血清、および抗VLPモルモット免疫血清を用い、サポウイルス抗原ELISAシステムの構築に成功した。今後、SG-I,SG-V以外のサポウイルスに対する抗体の作成、追加など、まだ課題は残っているが、本ELISAシステムは、初めてのサポウイルス抗原検出システムであり、その簡便性、ランニングコストの低さから、今後のサポウイルス疫学に有用である。

 以上、本論文は、アジア地域におけるノロウイルスおよびサポウイルスの網羅的疫学調査を通じ、不顕性感染者を発端とするヒトーヒト伝播の可能性を示唆した。また、構造蛋白質と非構造蛋白質のジャンクション領域で起きるこの組換えが、カリシウイルスのゲノム進化において、宿主域の拡張や新たな感染の流行に重要な役割を演じていることを明らかにした。さらに、発見以来約30年にわたり成し得なかったサポウイルスのVLPの大量発現と、ELISAシステムによる検出系の構築に成功した。これらの業績は今後のヒトに感染するカリシウイルス科のウイルスの疫学だけでなく、基礎研究にも重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値する。

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