学位論文要旨



No 120403
著者(漢字) 古澤,拓郎
著者(英字)
著者(カナ) フルサワ,タクロウ
標題(和) 人口増加と現金経済がソロモン諸島ロヴィアナ言語集団の生業と食物摂取に及ぼす影響
標題(洋) Effects of Population Increase and Cash Economy on Subsistence and Dietary Intake of Roviana-speaking Communities in Solomon Islands
報告番号 120403
報告番号 甲20403
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2552号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 教授 小林,廉毅
 東京大学 助教授 黒岩,宙司
 東京大学 講師 神馬,征峰
 東京大学 講師 李,廷秀
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

 ソロモン諸島は、他の多くの発展途上国より遅れて人口増加と市場経済化が起こった国で、現在は経済発展の初期段階にある。人口の84%は農村部に住み、移動耕作による根茎類栽培や漁労・採集などの生業に従事してきたが、農村部における外国企業による森林伐採、都市部での商業等の発展により、地域社会が変化している。とくに森林伐採は、その環境への悪影響が注目を集めてきたが、農村部で住民に雇用やロイヤルティ収入を提供するという経済効果にも注目する必要がある。

 このような変化の中で、集団間、世帯間での生業戦略に違いが生じている。農業に大きく依存している世帯がある一方で、農業に加えて現金獲得活動に従事している世帯や、農業を行わず職業収入のみに依存している世帯が、一つの社会の中に存在している場合もある。

 また、ソロモン諸島を含むメラネシア地域では、開発に伴い感染症や低栄養状態が改善された一方で、食習慣の変化に伴う肥満など生活習慣病が増加してきたことも指摘されている。先行研究のほとんどは地域社会単位で行われており、世帯レベルでの生業と、そのようなリスクとの関係はほとんど研究されていない。

 本研究は、ソロモン諸島ウェスタン州ロヴィアナ言語集団の中で、人口過密な都市近郊部に位置するドゥンデ村と、人口が希薄でかつ20年前から森林伐採の影響を受けている農村部のオリヴェ村を対象とし、近代化に伴う人口学的・経済学的変化に対する世帯レベルでの生業適応の解明と、その健康への影響を明らかにすることを目的とした。特に、集団間および世帯間での違いに焦点をあてた。

2. 対象と方法

2-1.対象地

 ドゥンデ村(202世帯:1065人)は商業のセンターであるムンダの中心部に近いため、約30%の世帯は定期的な収入をもつ。一方、慣習的に利用が認められている土地が狭いため、「実質的な」人口密度が100人/km2を超えている。遠隔地に位置するオリヴェ村(65世帯:379人)は都市部への交通のアクセスがきわめて悪く、低人口密度(8人/km2)である。また後者では、森林伐採が1984年から行われ、特に1990年代に雇用とロイヤルティ収入が増大したが、2001年以降は近隣での操業の終了にともないそのいずれも大幅に減少した。2001年に行った身体計測を除くデータは、両村において2003年に収集された。

 詳細なデータ収集のために、ドゥンデ村とオリヴェ村からそれぞれ16世帯(111人)と15世帯(112人)を無作為に選定した。ドゥンデ村の対象世帯は、家計支持者が職業(公務員、看護師、商店主、修理工)を持っている5世帯(以後「都市型ドゥンデ」)と、定期的な収入を持たず農業に従事している11世帯(以後「農村型ドゥンデ」)とに分けて分析を行った。

2-2.方法

 農業に関しては、対象世帯が耕作している全ての畑面積を計測し、耕作年数と休耕年数を聞き取り、連続14日間の毎日、各世帯を訪問して収穫物を計量した。また、同時期に連続28日間の毎夕に各世帯を訪問し、収入源別の収入額および支出目的別の支出額を聞き取った。このとき、市場活動で取引された食物の量も聞き取った。

 食物摂取と活動時間に関しては連続7日間毎日、ドゥンデ村では7時から20時30分、オリヴェ村では7時から20時20分までそれぞれ90分と80分間隔で対象世帯を訪問した。この対象者は成人18歳以上全員とした。各訪問時には摂取した食物とその量を聞き取った。また対象者の活動を各訪問時に観察・記録し、農業と現金獲得活動に費やされた時間を推計した(スポットチェック法)。

 摂取された食物すべてについて、食品成分表を用いエネルギー、タンパク質、脂質の摂取量を計算した。収穫物、市場・商店で取引された食物については、価格とともにエネルギー量を計算した。

 世帯間や集団間での比較を行うために、トムソンの係数を用い、世帯の消費者単位(以後CU)と、成人男女(18歳-70歳)の人数である生産者単位(PU)を求めた。

 また、オリヴェ村については、林業会社およびその操業に伴い地域住民によって設立された会社(以後SDC社)への雇用経験、支払われたロイヤルティの金額など開発に関する変数、CU/PU比という人口学的変数、および家計支持者の教育歴など社会経済的指標を独立変数とし、現金収入と農作物収穫量(ともにCUあたり)を従属変数とし、ステップワイズ法による変数選択を用いた重回帰分析を行った。

 オリヴェ村については2001年度に身体計測を行い、栄養状態の指標であるBMI(kg/m2)を計算し、BMIが25以上を過体重、18.5未満を低体重とした。

3. 結果

3-1.農業・現金獲得活動

 都市型ドゥンデ、農村型ドゥンデ、オリヴェの3集団の間で世帯のCUとPUに差はなかった。

 CUあたりの収穫量はオリヴェが高く、農村型ドゥンデと都市型ドゥンデの間には有意な差はみられなかった。ここで、農業における休耕期間の長さは、オリヴェでは平均13年であったのに対し、農村型ドゥンデでは3年と有意に短かった。また、CUあたりの収入額は農村型ドゥンデとオリヴェは同程度で、都市型ドゥンデがそのいずれよりも多かった。

 各世帯の農業生産と食品の購入についてみると、ドゥンデの世帯は都市型、農村型のいずれにおいても、自家生産する農作物よりも購入植物性食品(主に穀類)から多くのエネルギーを得ており、オリヴェにおいても農作物の収穫が少ない世帯を中心に植物性食品を多く購入していた。

 現金収入についてみると、農村型ドゥンデは不定期な雇用や小規模な小売を行っている世帯があるが、そこからの収入は少なかった。オリヴェのほぼ全世帯は海産資源採集に従事していたが、農村型ドゥンデでは2世帯のみだった。

 活動時間および畑面積あたりの農作物収穫高(土地生産性)を比較すると、オリヴェがもっとも高く、農村型ドゥンデは都市型ドゥンデに近い値であった。一方、活動時間あたりの現金獲得額は都市型ドゥンデが12.0 SBD(ソロモン諸島ドル)であったのに対し、農村型ドゥンデでは3.6 SBD、オリヴェでは3.3 SBDと同程度であった。

3-2.食習慣

 総エネルギー摂取量を3者で比べると、男性でオリヴェが農村型ドゥンデより高かったことを除けば、有意な差はみられなかった。主なエネルギー源は購入植物性食品であったが、オリヴェでは根茎類からそれと同等もしくはそれ以上のエネルギーを摂取していた。生業との関係では、CUあたりの収穫量が少ない世帯がより多くの購入植物性食品を摂取していたが、これは収入額の違いとは無関係であった。

3-3.生業と栄養状態の関係

 オリヴェ村では男性の19.0%と女性の30.9%が過体重であった。また、CUあたりの収穫量が特に低い(第1三分位点以下)世帯に属する個人では、女性の83%、両性の57%が過体重であり、それ以外の世帯の個人より罹患率が有意に高かった。

3-4.農村社会における開発

 オリヴェ村の世帯の現金収入に最も影響を及ぼしている因子は、過去に林業会社やSDC社での労働に従事したメンバーがいることであった。一方、収穫量はPUが最も大きな影響を及ぼしていた。

4. 考察

 農村型ドゥンデ世帯の大半は、農業生産性が低いと同時に現金収入も少なかった。低い土地生産性は、人口過密により利用可能な土地が減少し、限られた土地を高頻度で利用して土壌を劣化させたためと考えられる。したがって、現金収入の増加がなければ、都市近郊部に居住する世帯は生計の維持が困難になることが示された。

 しかし、このような世帯は現金収入増加の努力をしているにもかかわらず、賃金労働や小売りといった都市型の現金獲得活動から得られる収入は少なく、環境の劣化のために農村型の現金獲得活動(特に、オリヴェで見られる海産資源採集)も十分に行えないため、現金獲得で不利な状況にある。人口密度の上昇に対する生業適応の代表的なものとして現金収入の増加が指摘されてきたが、本研究対象の大半の世帯にとってはこの適応戦略は適さないといえる。

 農村社会(オリヴェ村)においては、現金収入は地域的な企業での雇用経験に、農業生産は労働力に依存していることが示された。特に前者については、地域における雇用で身に付けた技術を地域内での他の活動に応用することで、収入増加がなされていることを示していた。

 低農業生産・低収入世帯は、エネルギー源としての購入植物性食品への依存が高かった。購入植物性食品は、値段あたりのエネルギー量が、村や町で取引される農産物に比べても高いため、農業生産が低い世帯が最も効率的にエネルギーを確保する手段である。しかし、オリヴェ村でみられたように、農業生産性の低さは過体重(肥満)の増加と関係しており、生産面で不利な世帯の成人が安価で高エネルギー食品を摂取することは生活習慣病のリスクとなる可能性が示された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、発展途上国における人口増加や現金経済の浸透に対して地域社会が取り得る戦略とその健康への影響を解明するために、急速に人口学的・社会経済学的環境が変化してきたソロモン諸島ロヴィアナ地域において長期間滞在して調査を行い、生業、食習慣と栄養状態を分析したものである。人口が希薄な農村部の世帯、人口過密な都市近郊部において定期的な給与を得ている世帯および自給的農業に依存している世帯の3世帯群間の比較、および農村部での世帯レベルの特性と生業および栄養状態との関係に焦点が置かれた。

1. 畑面積の計測、収穫高の計量、および活動時間調査から、都市近郊部において自給的農業に依存している世帯は、農村部における世帯と比べて面積あたりおよび活動時間あたりの農業生産性が低く、また各世帯成人1人あたりに調整された収穫高も低いことがわかった。この背景には人口過密にともない伝統的な移動耕作のシステムが崩れ、農業を持続的に行うことが困難になっている現状があった。このことはソロモン諸島においては人口増加に伴い自給的農業による食糧確保が難しくなっていることを示唆していた。

2. 現金収入源と収入額の詳細な調査と活動時間調査より、自給的農業に依存している世帯では、現金獲得活動に費やした時間あたりの収入額が、都市近郊部と農村部の間で差は無く、また各世帯成人1人あたりに調整された収入額も差が無かった。各世帯の現金獲得戦略の分析から、都市近郊部では都市型の現金獲得活動である労働や小売りによって得られる利潤が低いこと、および都市化にともなう環境劣化により資源採集という農村型の現金獲得活動が行えなくなったことが、現金収入増加の妨げとなっていると考えられた。これは都市化に伴い現金収入が増えるという仮説、および人口過密への適応戦略として現金収入増加により食糧確保できるという仮説がソロモン諸島ロヴィアナ地域においては当てはまらないことを示唆していた。

3. 成人の食事調査からエネルギーおよび栄養素の摂取量と摂取源を分析し、世帯レベルの農業生産と現金収入との関係を分析した結果、購入食品である米・小麦などの輸入穀類は都市近郊部と農村部のいずれにおいても主要なエネルギー・栄養素源となっていた。また、これらの食品の摂取は農業生産の低い世帯に属する成人で多く、それは現金収入と無関係であった。この背景には、現地で食品を購入する場合に輸入穀類の方が現地農産物よりも値段あたりのエネルギー・栄養素量が大きいことがあった。またこの結果から自給的農業の生産が下がった場合に、輸入穀類摂取を増加させることでエネルギー・栄養素摂取を維持することがソロモン諸島ロヴィアナ地域においては適切な戦略となっていることが示された。

4. 農村部において身体計測を行い、BMIを求めてそれが25以上を過体重者として、世帯レベルの農業生産と現金収入との関係を分析したところ、農業生産が特に低い(第1三分位以下)の世帯において過体重者が高い割合でみられたが、現金収入との関係はみられなかった。このことから、農業生産で不利な世帯の成人が安価で高エネルギー食品を摂取することが肥満など生活習慣病のリスクとなる可能性が示された。

5. 農村部における世帯レベルの属性と農業生産および現金収入の関係を重回帰モデルにより分析した結果、農業生産高は利用できる労働力の大きさに依存しており、一方現金収入の大きさは世帯主が地域内で活動している企業(外国系林業会社など)での労働経験と関係していた。これは世帯での労働力確保が自給的農業生産のために必要であると同時に、現金収入の増加のためには労働で得た経験や知識を農村部で活用することが必要であることを示唆していた。

 以上、本論文は信頼性の高い詳細なデータを収集し、人口学的および社会経済的環境の変化に対してソロモン諸島ロヴィアナ地域住民が取った適応戦略とその効果を評価し、都市近郊部においては低農業生産と低現金収入の世帯が多く、また農業生産の低い世帯の成人は輸入穀類摂取の増加とそれに伴う生活習慣病のリスクに直面していることを示した。また集団間および世帯間での差異に着目することで、同じ社会に属していても世帯によって戦略およびその影響が異なることも示した。本研究はこれまで詳細な研究がなされてこなかった、発展途上国における人口増加と現金経済浸透における生存および健康上の問題の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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