学位論文要旨



No 120405
著者(漢字) 松崎,素道
著者(英字)
著者(カナ) マツザキ,モトミチ
標題(和) 紅藻のゲノム解読と、それを活用したアピコンプレクサ原虫類の植物由来機能の探索
標題(洋) Sequencing of a red algal genome and application of its information for exploring plant-derived functions of apicomplexan parasites.
報告番号 120405
報告番号 甲20405
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2554号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 助教授 福岡,秀興
 東京大学 助教授 俣野,哲朗
 東京大学 助教授 渡邉,知保
内容要旨 要旨を表示する

序論

 アピコンプレクサ門は医学・獣医学上重要な寄生性病原原虫を多数含む分類群である。特にPlasmodium属は三大感染症のひとつマラリアの病原体であり、現在アフリカ・アジアの熱帯・亜熱帯地方を中心に流行し年間推定死亡者は100万人を越える。またトキソプラズマ症・クリプトスポリジウム症といった原虫症も後天性免疫不全症候群に関連した日和見感染症として注目されている。これらアピコンプレクサ類原虫による新興・再興感染症の対策と、特にマラリア原虫で顕著な薬剤耐性株への対応のため、新たな薬剤標的の探索が望まれている。

 近年になりアピコンプレクサ類原虫には、光合成能のない色素体「アピコプラスト」があることが知られるようになった。アピコプラストは原虫の宿主細胞への感染成立に必須であることからアピコンプレクサ類に共通する薬剤標的として注目されているが、その機能については不明な点が多い。アピコプラストは藻類を捕食することで獲得された二次共生色素体であるので、アピコンプレクサ類原虫の祖先は色素体と同時に藻類のゲノムを取り込んでいるはずである。アピコプラストが原虫にとって必須であることから明らかなように、二次共生によって新たに導入された植物由来機能がアピコンプレクサ類原虫にとって重要であり将来の薬剤標的となりうると考えられる。

 本研究の目的は、植物とアピコンプレクサ類との比較ゲノム解析によって、原虫にもたらされた植物由来機能を、それを担う遺伝子の形で網羅的に把握することである。これは将来新たな薬剤標的を探索するための準備として有用である。しかしこれまで利用可能な植物のゲノム情報は高等植物に限られ藻類のものがなかった。そこで私は、まず藻類初のゲノム情報を得るべく2001年より開始された原始紅藻Cyanidioschyzon merolae(以下シゾン)のゲノムプロジェクトの中核メンバーとして解析を進め、さらにそれを利用してアピコンプレクサ類の植物由来機能を担う遺伝子を探索した。本論文はこれを2部に分け、前半でゲノムプロジェクトにおいて私が主体的に取り組んだ解析について述べ、後半で比較ゲノム解析による植物由来機能の探索について述べる。

1.原始紅藻Cyanidioschyzon merolaeのゲノム解読

 シゾンは高温酸性の温泉に生息する微細な単細胞紅藻で、細胞構造が単純で各種オルガネラの細胞学的解析に向いている。さらに紅藻の中でも特に原始的な特徴を持っており、系統解析によって様々な二次共生色素体の起源に近いことが示されている。私はアピコンプレクサ類と植物との比較解析にシゾンのゲノム情報を利用する目的で、シゾンゲノムプロジェクトに積極的に参加してきた。

 このプロジェクトは多くの参加者・研究機関による共同研究として遂行された。ショットッガンライブラリの構築、各種ライブラリの大規模シーケンスとアセンブルなどは主として国立遺伝学研究所のグループが、BACライブラリの構築などは主として東京大学分子細胞生物学研究所と慶応大学のグループが、完全長cDNAライブラリの構築は主として東京大学医科学研究所のグループが、全体の統括、試料調製、染色体構造の完成および遺伝子の推定作業などは私を含む立教大学・東京大学・埼玉大学・熊本大学のグループで行った。私は、実験の結果得られる大量のデータを解析してデータベース化し、染色体構造の推定と遺伝子の同定作業を行い、さらに完成配列から生物学的知見を抽出するという中心的な役割を担った。以下に私が主体となって解析した内容について述べる。

 ショットガンシーケンスの結果は、コンピュータ上でアセンブルされた仮想的なDNA配列(コンティグ)として得られるが、それらの染色体上での位置・向きを決定し間隙の配列を決定する作業が必要である。BACライブラリ(Maruyama et al. 2004)の末端シーケンスデータを解析することにより作製されたライブラリのインサート長が良く揃っていることを確認し、複数のアセンブル結果を照合して矛盾を解消し、さらにコンティグ間の位置関係と距離を推定することで染色体上での位置と向きを決定した。

 続いて、完全長cDNAライブラリの末端シーケンスデータを解析して転写領域を検出し、さらに他生物の遺伝子との配列類似性を組み合わせて合計5,331個遺伝子を推定した。これらの遺伝子は染色体の末端部位で比較的頻繁に重複していることが観察された。シゾンのタンパク質遺伝子は、大部分がイントロンを欠いており、わずかに25遺伝子がイントロンを1つ、1遺伝子がイントロンを2つ持っているのみであった。これらのイントロンは厳格なコンセンサス配列を持っているが、一方でイントロンのスプライシングにかかわるよく保存されたタンパク質の一部がシゾンには存在しない。これはスプライシングのためのまだ認識されていない機構(代替となるタンパク質またはRNA)が存在することを示唆している。

 シゾンのtRNA遺伝子のうち4つは、真核生物のtRNAでは見られないD-loop領域にイントロンと考えられる挿入配列を持っていた。またシゾンの核ゲノム中に見つかる唯一のイソロイシンtRNAは原核生物特異的なGAUアンチコドンを持っていた。これら2種のtRNAは古細菌などから受け継いだ時点の古いtRNA遺伝子の特徴を残している可能性が考えられる。

 シゾンの遺伝子それぞれに対して最も類似した相同遺伝子を与える分類群を調べると、551遺伝子は明らかに緑色植物の遺伝子に類似であるのに対し、ほぼ同数の537遺伝子が明らかに動物の遺伝子に類似であるという結果が得られた。また含硫アミノ酸の代謝系において動物・植物双方の系が共存しているうえ、植物と共通する系の2酵素の一方は植物と異なる起源を持っていた。これらは緑色植物と紅藻との間には、高等動物と紅藻との間に匹敵するほどの大きな差異がある、という可能性を示唆している。

 以上の成果は、シゾンのゲノムが単に藻類初の全ゲノム情報であるという以上に、真核生物全般の成立や進化、共通性や多様性を議論する上で重要な情報を含んでいるということを示唆している(Matsuzaki et al. 2004)。なお、シゾンのゲノムプロジェクトに関するデータベースを整備して公開している(http://merolae.biol.s.u-tokyo.ac.jp/)。

2.アピコンプレクサ類の植物由来機能の探索

 アピコプラストの起源となった藻類が紅藻なのか緑藻なのかについては現在も議論が続いている。今回紅藻の核ゲノム情報を得たことで初めて、マラリア原虫の核コード遺伝子が紅藻と緑藻のどちらに由来しているのかを推定するための材料がそろったと言える。そこでアピコプラストの機能として提唱されているイソプレノイド合成系、脂肪酸合成系、ヘム合成系の酵素の遺伝子それぞれについて系統解析を行った。イソプレノイド合成系酵素の遺伝子ispGおよび脂肪酸合成系酵素の遺伝子fabIは、紅藻にはシアノバクテリア由来の遺伝子のみが、緑色植物とマラリア原虫ではクラミジア由来と推定される遺伝子のみが存在しており、明らかに緑色植物に由来することが示された。一方脂肪酸合成系酵素の遺伝子fabZは紅藻由来と推定された。これ以外のほとんどの遺伝子ではマラリア原虫遺伝子の由来を推定することができなかった。以上の結果は、1)アピコプラスト機能に関与する遺伝子の由来として少なくとも紅藻と緑藻の両方ともが考えられること、2)アピコプラストの起源を論じるためにはさらに多くの情報が必要であること、を意味している。

 さて以上の解析から、マラリア原虫のゲノム中に引き継がれた植物由来機能を探索する際に、今回解読されたシゾンのゲノム情報も併せて用いることの必然性が改めて示された。熱帯熱マラリア原虫の全推定遺伝子のうち、他の真核生物になく緑色植物または紅藻とのみ共通するものが植物由来の機能を担っていると考えられるが、そのような遺伝子は計246遺伝子あった。このうち148遺伝子は機能を推定できず、その少なくとも一部はアピコンプレクサ類原虫において未知の植物由来機能を担っていると考えられる。また計246遺伝子のうち紅藻のみと共通するものが137遺伝子あり、これらは今回シゾンのゲノムを解読することによって初めて認識された植物由来遺伝子だと言える。この中には特に、紅藻とアピコンプレクサ類原虫および関連の二次共生生物において配列上強く保存されているにもかかわらず、既知の他生物のゲノム中には配列類似性の認められる遺伝子がなく、また既知のモチーフを含まないという機能不明遺伝子があった。このような遺伝子は植物由来の未知機能を担っていると同時に、原虫にとって非常に重要な意味を持っていることが予想され、今後実証的解析を進めることでアピコンプレクサ原虫類にもたらされた植物由来の未知機能を明らかにできると考えている。展望

 今回解読した紅藻のゲノム情報を活用してマラリア原虫ゲノムとの比較解析を進めることで、原虫にもたらされた植物由来機能を担うべき遺伝子を網羅的に把握することができた。今後これらの遺伝子について実証的解析を進めることで、植物由来の未知機能を解明し新たな薬剤標的の発見につなげられるものと考えている。さらに現在アピコンプレクサ類やその他多くの二次共生生物のゲノム情報が明らかになりつつあるので、シゾンのゲノム情報はこれらの二次共生生物の機能を解析する際の比較対象として、大きく貢献できるものと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、アピコンプレクサ類原虫に導入された植物由来の機能を担う遺伝子を網羅的に把握するため、まず原始的な紅藻のゲノムを解読し、続いて紅藻と緑色植物とアピコンプレクサ類との比較ゲノム解析を試みたものであり、以下にあげる結果を得ている。

1.単細胞紅藻Cyanidioschyzon merolae(以下シゾン)のゲノムプロジェクトにおいて、インサート長が均質なBACライブラリの末端シーケンスデータの解析と複数のアセンブル結果の照合により、ショットガンシーケンスの結果得られた仮想的なDNA配列の染色体上での位置と向きを決定し、最終的に約16.5Mbpの全塩基配列を得た。また完全長cDNAライブラリの末端シーケンスデータを解析して転写領域を検出し、さらに他生物の遺伝子との配列類似性などを組み合わせて合計5,331個遺伝子を推定した。

2.シゾンの遺伝子の特徴として、染色体の末端部位で比較的頻繁に重複していることを明らかにした。またタンパク質遺伝子の大部分がイントロンを欠いており、ゲノム全体でイントロンはわずか27箇所であることを示した。一部のtRNA遺伝子がD-loop領域にイントロンと考えられる挿入配列を持っており、また核ゲノム中に見つかる唯一のイソロイシンtRNAが原核生物特異的なGAUアンチコドンを持っていたことから、シゾンのtRNA遺伝子が真核生物以前の古い特徴を残している可能性が示唆された。

3.明らかに緑色植物の遺伝子に類似している遺伝子が551あるのに対し、ほぼ同数の537の遺伝子が明らかに動物・真菌類の遺伝子に類似であることが示された。また含硫アミノ酸の代謝系において動物・植物双方の系が共存しており、かつ植物と共通する系の2酵素のうち一方は植物と異なる起源を持っていた。以上の結果から、緑色植物と紅藻との間には大きな差異があることが示唆された。

4.アピコプラストの機能として提唱されているイソプレノイド合成系、脂肪酸合成系、ヘム合成系の酵素の遺伝子それぞれについての系統解析により、熱帯熱マラリア原虫のイソプレノイド合成系酵素の遺伝子ispGおよび脂肪酸合成系酵素の遺伝子fabIは明らかに紅藻ではなく緑色植物に由来することが示された。一方で脂肪酸合成系酵素の遺伝子fabZは紅藻由来と推定されることから、アピコプラスト機能に関与する遺伝子の由来として少なくとも紅藻と緑色植物の両方ともが考えられることが示された。

5.熱帯熱マラリア原虫の全推定遺伝子のうち、他の真核生物になく緑色植物または紅藻とのみ共通するものが植物由来の機能を担っていると考えられるが、そのような遺伝子は計246遺伝子あり、そのうち137遺伝子は今回紅藻のゲノムを解読したことで初めて認識できたものであった。246遺伝子のおよそ半数は機能を推定できず、アピコンプレクサ類原虫における未知の植物由来機能の存在が示唆された。

 以上、本論文は、紅藻のゲノム情報を明らかにし、またそれによって初めて認識されたアピコンプレクサ原虫類の植物由来機能遺伝子を多数明らかにした。今後これらの遺伝子について解析を進めることで植物がアピコンプレクサ原虫類にもたらした機能の解明に貢献すると考えられ、本研究は学位の授与に値するものと考えられる。

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