学位論文要旨



No 120406
著者(漢字) 正田,卓司
著者(英字)
著者(カナ) ショウダ,タクジ
標題(和) 生体分子をターゲットとした新規機能性蛍光プローブの開発
標題(洋)
報告番号 120406
報告番号 甲20406
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1105号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 船津,高志
 東京大学 教授 夏苅,英昭
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 助教授 三田,智文
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

 生体分子の機能解明を行うには,分子自身の挙動を直接観察することが有効である.そこで細胞や組織が生きたままの状態で可視化することを目標とするバイオイメージング技術が大きな注目を集めている.中でも蛍光法は,目的物質を捕捉することでその蛍光特性が変化する機能性分子を用いる手法であり,このような機能性分子は蛍光プローブと呼ばれ,近年盛んに研究が行われている.

 本研究では生体への応用を目指した蛍光プローブを創製するための分子設計を行った.具体的な本研究のターゲットとして,細胞内に豊富に存在するMg2+,これまでに有用な蛍光プローブが存在しないCu+,およびタンパク質を特異的にラベル化可能な機能性ラベル化試薬の開発を試みた.蛍光団にはクマリン,フルオレセインおよびローダミンを用いることとした.これらは水系溶媒中にて蛍光量子収率(Φ)が高く,生物応用に適した蛍光色素であり,これら蛍光団に機能を付加していくことにより生物応用が可能な蛍光プローブになると考えた.

【本論】

1.Mg2+ 蛍光プローブのデザイン・合成

 細胞内でMg2+ は高濃度(約10-3 M)に存在し,その機能は蛋白質,核酸,膜等の構造安定化,酵素活性の補助,ATP との結合,イオンチャネルの制御等多岐にわたる.しかし遊離のMg2+ (10-4 - 10-3 M)の詳細な動態については不明な点が多い.これまでのMg2+ イメージングはAPTRA (o-aminophenol-N,N,O-triacetic acid) をキレーター構造に持つmagfura-2 等を用いて行われてきが,キレーター構造に由来する性質のためCa2+ に対する親和性が高く,Mg2+ のイメージングには適切ではない.選択的かつ実用的なMg2+ 蛍光プローブは存在しないのが現状である.

 本研究では細胞内のCa2+ 濃度(10-9 - 10-4 M)がMg2+ の濃度に比べて非常に低いという点に着目し,キレーター構造としてβ-ケト酸構造を選択した.β-ケト酸構造はMg2+ およびCa2+ に対して同等の親和性を示すことが知られており,このキレーターを蛍光プローブに応用することで,細胞内におけるMg2+ 濃度を検出する際にCa2+ 濃度変動の影響は受けないことを期待した.そこでまず7-hydroxycoumarin-3-carboxylic acid(HCCA)を用いてその蛍光特性を検討したところMg2+ の添加により,極大吸収のレッドシフト(344 nm → 400 nm )および388 nm 励起時における蛍光強度が約2倍に増加した.また蛍光強度の変化からKd は27 mM と算出された.Ca2+ を添加したところ同様のスペクトル変化が観察され,Kd は41 mM と算出された.以上のことからβ-ケト酸構造を有する蛍光色素はMg2+ ,Ca2+ を添加することで光学特性が変化し,また,Mg2+ に対してCa2+ よりも高い親和性を有することが示唆された.

 次に長波長励起が可能なフルオレセインを蛍光団としたMg2+ 蛍光プローブの開発に着手した.フルオレセインのカルボニル基に着目し,そのo-位にカルボキシル基が導入された,β-ケト酸構造を有する2'-CF(Fig. 2)をデザイン・合成した.2'-CF にpH 7.4 の中性条件下においてMg2+ を添加した場合吸収・蛍光スペクトルの変化をFig. 1(A,B)に示す.吸収スペクトルにおいては453 nm の淡色効果,493 nm の濃色効果,極大吸収のレッドシフト(477 nm → 493 nm)が,蛍光スペクトルにおいては493 nm 励起時における515 nm の蛍光強度が 11 倍に増加した.また,蛍光量子収率Φ は0.41 から0.75 に増加していた.以上のことから,2'-CF のMg2+ 添加による蛍光強度の増加は励起波長である493 nm のεの増加と蛍光量子収率の増加の 2 成分の寄与によるものと考えられる.この蛍光強度変化からKd は 15.8 mM と算出され,またCa2+ に比べて 10 倍以上親和性が高いことが示された(Fig. 1 (C)) .吸収スペクトルの変化がpH 依存的な変化と類似していることから,Mg2+ 添加,非添加時におけるpH 依存性を検討したところ,蛍光団のphenol 性OH 基のpKa がシフト(8:8 → 6:8)することが示された(Fig. 1 (D).細胞内におけるCa2+ 濃度は10-8 - 10-6 M であることから,2'-CF は細胞内におけるMg2+ 濃度を選択的に検出することが可能である.

 以上の結果からpH 7.4 の水溶液中において2'-CF はFig. 3 に示した構造をとり,Mg2+ に配位することでO- form となり,蛍光強度が増加するというメカニズムが示された.

 同様の原理を他の蛍光団にも応用するため,ローダミン誘導体をデザイン・合成した.この結果,2'-CF と同様のスペクトル変化,およびKd を示し,さらに長波長励起が可能なMg2+ 蛍光プローブの開発に成功した.

2. 蛍光強度増加型銅イオン蛍光プローブのデザイン・合成

 重金属イオンを検出する蛍光プローブは,ほとんどが金属添加によって消光(蛍光の消失)する性質を持つ.この消光機構の原因はエネルギー移動,電子移動,スピンー軌道相互作用などが挙げられているが,実際にはこれら全てが同時に起こっていると考えられ,複雑なメカニズムが予想される.近年,光誘起電子移動(Photoinduced electron Transfer,PeT)を発蛍光原理としたZn2+ ,Cd2+ の蛍光プローブが開発されている.これらはZn2+ やCd2+ を添加すると蛍光強度が増加するが,他の金属では消光することが知られている.Zn2+ やCd2+ は最外殻d 軌道が閉殻であるため上述の金属に由来する消光原因の寄与は小さいと考えられる.本研究ではCu+ も同じく最外殻d 軌道が閉殻であることに着目し,Cu+ に対するPeT を発蛍光原理とした蛍光プローブTXs のデザイン・合成を行った(Fig. 4(A).

 TXs のデザインには蛍光団にフルオレセイン,金属配位部位にはCu+ を安定かつ選択的に保持するためにSoft な配位子である硫黄S を有し,金属に配位することで蛍光団に直結しているアニリン部位の電子密度が低下し,蛍光強度が変化することを期待した.合成したTXs に,50% MeOH/HEPES buffer中 (pH 7.4)において Cu+ を添加したところ cTX で約 13 倍,oTX で約 19 倍に蛍光強度が増加し,Kd は 1 μM 以下であり,600 nM 以下において直線的に蛍光強度が増加することを確認した.また d 殻の構造が Cu+ と同様に閉殻である Ag+ を添加したところ,cTX で 42 倍,oTX で 11 倍の蛍光強度の増加が観察された.続いて選択性を検討したところ,両者とも第 11 族金属イオン添加時においてのみ蛍光強度が増加し (Fig. 4 (B)) ,高い選択性を有していることが示された.これらのことから TXs は水系溶媒中で機能し,さらに可視光による励起が可能な蛍光強度増加型銅イオン蛍光プローブであることが示された.

3. タンパク質を高感度かつ特異的にラベル化可能な機能性ラベル化試薬の開発

 細胞や組織が生きたままの状態でタンパク質の細胞内局在や動的挙動を直接的に可視化することは,タンパク質の生理機能を解明する上で極めて重要である.そのため従来では GFP との融合タンパク質を用いる手法がとられてきたが,GFP 自身のサイズや蛍光団形成のタイムラグが問題であり,目的タンパク質の挙動を正確に追跡できない可能性を考慮しなくてはならない.そこで私はタグとなる小分子ペプチドと反応する蛍光小分子を組み合わせて用いるラベル化法に着目し,高感度かつ特異的にラベル化可能な機能性ラベル化試薬の分子設計を行うこととした.

 タンパク質との反応点としてマレイミド基を有する蛍光ラベル化試薬に着目した.これらは SH 基との反応前後で蛍光強度が変化する例が報告されているがその発蛍光メカニズムは不明である.そこで私はマレイミド基が有する消光能は PeT によるものであると考え,量子化学計算および還元電位の測定を行ったところ,共に PeT が起こりうることを示唆する結果を得た.このことから,マレイミド基を有するラベル化試薬は,電子受容能の高い二重結合が SH 基と反応することで電子受容能の低い反応付加物へと変化し,その結果蛍光を発するというメカニズムを見出した.

 続いてこの原理に基づき,より効率の良い蛍光ラベル化試薬の開発を行った.Rehm-Weller 式によると短波長励起が可能な蛍光色素を用いた場合は,電子移動反応が起こりやすく,初期の蛍光量子収率が 0 に近くなると予想される.そこで短波長励起が可能かつ水溶液中で蛍光量子収率(〜0.9)の高い 7-hydroxycoumarin を蛍光団としたマレイミド基を有する化合物を数種類合成し,光学特性を検討したところ,Cys の添加前では蛍光を発せず,添加後に蛍光量子収率の劇的に増加(Φ= 0:02 → 0.75) することが確認された.

 以上の結果を踏まえて次にペプチドとの選択性を高めるデザインを施すこととした.具体的には分子内に反応点であるマレイミド基を 2 箇所に有する多点認識方式を採用した.合成した CcnCM2 の構造をFig. 5 (A)に示す.CcnCM2 は,初期状態で蛍光を発せず,Cys の添加により蛍光強度が増加した(Fig. 5 (B),Φ= 0.05 → 0.77).

 続いて分子内に 2 残基のCys を有するペプチド (Ac-AECACRA-OH ,および Ac-AECAACRA-OH)を用いて,CcnCM2 の光学特性を検討した.横軸に時間を,縦軸に蛍光強度をプロットした結果をFig. 5 (C) に示す.SH 基を分子内に一つ有する化合物として N-Acetylcysteine (NAC) を用いた.この結果から CcnCM2 は,分子内に SH 基を 2 カ所に有するペプチドに対して速やかに反応し,蛍光強度が増加することが示された.

 以上のことから,マレイミド基を有する蛍光ラベル化試薬は PeT の原理に基づいた蛍光制御が可能であることが明らかとなった.今後,ペプチド配列の検討,PeT の理論に基づく蛍光団のさらなる最適化を行うことでさらに高感度かつ高選択的な機能性蛍光ラベル化試薬が開発可能であることが示された.

【結論】

 本研究において私は,生体中の機能性分子を可視化するために必要な 3 種類の新規機能性蛍光プローブの開発を行った.1 つには,蛍光団の pH 依存的な変化を利用した Mg2+ 蛍光プローブは,選択性が高く,細胞内における Mg2+ 濃度を選択的に検出することが可能であることが示された.次に,銅イオン蛍光プローブは,PeT を蛍光制御のメカニズムとすることにより 50% MeOH/HEPES buffer 中において Cu+ に応答する蛍光強度増加型銅イオン蛍光プローブの開発に成功した.最後にタンパク質ラベル化試薬については,マレイミド基による蛍光色素の蛍光消光メカニズムが PeT によることを明らかとし,その原理を応用することで,水溶液中における最も蛍光強度比の大きいラベル化試薬および多点認識を利用した CcnCM2 の開発に成功した.

【発表論文】

 Shoda, T., Kikuchi, K., Kojima, H., Urano, Y., Komatsu, H., Suzuki, K., Nagano, T., Analyst, 2003, 128, 719-723

Figure 2 2'-CF の構造

Figure 1 Mg2+ 添加2'-CF の光学特性の変化.1 μM 2'-CF,50 mM HEPES pH 7.4 にて測定.

(A)吸収スペクトル,(B)蛍光スペクトル.(C)Mg2+ ,Ca2+ に対する選択性(D)Mg2+ 添加によるpH プロファイルの変化

Figure 3 pH 7.4 における2'-CF の構造

Figure 4 (A)TX の構造 (B)cTX の選択性.

Figure 5 (A) CcnCM2 の構造 (B) CcnCM2 の Cys 添加前後におけるスペクトル変化.10 μM CcnCM2 に100 μM Cys (終濃度) を添加.(C) CcnCM2 とペプチドとの反応性を比較した.5 μM CcnCM2 に peptide または NAC を添加した.測定条件 : 100 mM ナトリウムリン酸緩衝液 (pH 7.4),37℃.

審査要旨 要旨を表示する

 正田は生体への応用を目的とした多種類の蛍光プローブ開発研究を行った.具体的には,細胞内で重要な生理機能を担っているMg2+,有用な蛍光プローブが報告されていないCu+,およびタンパク質を特異的にラベル化できる機能性蛍光プローブの開発を行った.

1. Mg2+蛍光プローブのデザイン・合成

 細胞内でMg2+は高濃度(約10-3 M)で存在し,その機能はタンパク質,核酸,膜等の構造安定化,酵素活性の発現,イオンチャネルの制御等多岐にわたる.しかし遊離のMg2+(10-4〜10-3 M)の詳細な動態については不明な点が多い.これまでのイメージングはプローブとしてAPTRA(o-aminophenol-N,N,O-triacetic acid)をキレーター構造に持つmagfura-2 等を用いて行われてきたが, Ca2+に対する親和性が高く,Mg2+のイメージングには適切ではない.選択的かつ実用的なMg2+蛍光プローブの開発が求められていた.

 本研究ではキレーターとしてβ-ケト酸を選択した.このキレーターを蛍光プローブに組み込むことで細胞内におけるMg2+を検出する際に、細胞内に低濃度で存在するCa2+による影響は受けないと考えられる.まず,クマリン骨格にβ-ケト酸を組み込んだ蛍光プローブを合成した.この蛍光特性を検討した結果,Mg2+に対してCa2+よりも高い親和性を有することが示された.

 次に長波長励起が可能なフルオレセインを蛍光団としたMg2+蛍光プローブ(2'-CF)の開発を行った.フルオレセインのカルボニル基に着目し,そのo-位にカルボキシル基を導入した.蛍光特性を検討した結果,Ca2+に比べてMg2+に対する親和性が10倍以上高いことが示された.細胞内におけるCa2+濃度は10-9〜10-4 Mであることから,2'-CFは細胞内におけるMg2+を選択的に検出できることが明らかとなった.

2. 蛍光強度増加型銅イオン蛍光プローブのデザイン・合成

 重金属イオンを検出する蛍光プローブの多くは金属イオン添加によって消光(蛍光の消失)する.この消光機構の原因にはエネルギー移動,電子移動,スピン-軌道相互作用などが考えられている.しかしながら,Zn2+やCd2+は最外殻d軌道が閉殻であるため上述の金属イオンに由来する消光原因の寄与は小さい.本研究ではCu+も同じく最外殻d軌道が閉殻であることに着目し,PeTを蛍光制御原理とした蛍光プローブTXsのデザイン・合成を行った.

 TXsは蛍光団にフルオレセイン,金属イオン配位部位にCu+の選択的配位子を有し,Cu+が配位することで蛍光強度が増加するようにデザインされたものである.TXsを合成し、その蛍光特性を検討した結果,TXsは水系溶媒中,可視光による励起が可能な蛍光強度増加型銅イオン蛍光プローブとして機能することが明らかになった.

3. タンパク質を高感度かつ特異的にラベル化可能な機能性蛍光プローブの開発

 生きたままの状態で細胞や組織中のタンパク質の局在や動的挙動を直接イメージングすることは,タンパク質の生理機能を解明する上で極めて重要である.従来,GFP との融合タンパク質を用いる手法がとられてきたが,GFP 自身のサイズや蛍光団形成のタイムラグ,さらには目的タンパク質の挙動を正確に追跡できないなどの問題があった.そこでタグとなる小分子ペプチドと反応して,蛍光を発するプローブの開発を計画した.

 タンパク質との反応点としてマレイミド基を有する蛍光ラベル化試薬に着目した.この試薬の蛍光強度は SH 基との反応後、大きく増加するが,その発蛍光メカニズムは不明であった.正田はマレイミド基の有する消光能はPeTによるものであると考え,量子化学計算および還元電位の測定を行ったところ,PeTが起こりうることを示す結果を得た.すなわちマレイミド基を有する蛍光ラベル化試薬は電子受容能の高い二重結合がSH基と反応することで電子受容能の低い反応付加物へと変化し,その結果PeTが解消され,蛍光強度が大きく増加したと考えられる.

 この原理に基づき,より効率の良い蛍光ラベル化プローブの開発を行った.水溶液中で蛍光量子収率(〜0.9)の高い 7-hydroxycoumarin を蛍光団としたマレイミド基を有する化合物を数種類合成し,光学特性を検討したところ,Cys の添加前では蛍光を発せず,添加後に蛍光量子収率が劇的に増加(Φ = 0.02 → 0.75)することを見出した.この結果を踏まえて次にペプチドとの選択性を高めるデザインを行った.具体的には分子内に反応点であるマレイミド基を2箇所有する多点認識方式を採用した.合成したCcnCM2は分子内にSH基を2個有するペプチドに対して速やかに反応し,蛍光強度の増加が示された.以上,マレイミド基を有する蛍光ラベル化試薬のデザインとしてPeT原理による蛍光制御が可能であることを明らかにし、それに基づいた蛍光ラベル化プローブの開発に成功した。

 正田は生体中の機能性分子をイメージングできる3種類の新規機能性蛍光プローブの開発を行った.蛍光団のpH依存的な変化を利用したMg2+蛍光プローブは選択性が高く,細胞内におけるMg2+を検出することが可能であった.続いて,PeTを蛍光制御のメカニズムとしたCu+応答性蛍光強度増加型のCu+蛍光プローブの開発に成功した.更に、タンパク質ラベル化プローブについては,マレイミド基による蛍光ラベル化試薬の蛍光消光メカニズムにPeTが関与していることを明らかにし,その原理を応用することで,多点認識を利用したCcnCM2の開発に成功した.これらの成果の薬学研究に対する寄与は大きく,博士(薬学)の業績にふさわしいものと評価できる.

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