学位論文要旨



No 120415
著者(漢字) 孫,相敏
著者(英字)
著者(カナ) ソン,ソウビン
標題(和) 水中での触媒的エステル化反応の開発と新規キラルホスフィンphenyl-P-prolineの開発研究
標題(洋)
報告番号 120415
報告番号 甲20415
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1114号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 助教授 金井,求
 東京大学 助教授 徳山,英利
内容要旨 要旨を表示する

 近年、有機溶媒に替わる「環境に優しい反応溶媒」の探索が活発に行われている。その中で最も魅力的なものとして水が挙げられる。水は、無毒・無害であるだけではなく、通常用いられる有機溶媒に比べ極めて安価であるという利点もある。また、水は有機溶媒と異なる性質を持つことから、ユニークな反応性や選択性の発現が期待される。一方、触媒的不斉合成反応の開発は、現代有機合成化学及び化学工業において最も重要な課題の一つである。その鍵となるのが触媒のデザインであり、立体因子と電子因子の両方を考慮した触媒のデザインが高い選択性の発現につながるものと考えられる。

 本研究で筆者はまず、水中で有効に機能する触媒に関する検討を行い、界面活性剤型 Bronsted酸触媒を用いることで、水中での脱水的エステル化反応を実現した。また、新しいキラル触媒の開発を目指し、新規キラルホスフィン phenyl-P-proline の開発研究を行い、その合成法を確立した。更に、これを用いる不斉合成反応を開発し、重要な反応機構の知見も得ることができたので、以下述べる。

(1) 界面活性剤型 Bronsted 酸触媒下での水中での脱水的エステル化反応の開発 1

 水中での有機合成反応には界面活性剤型触媒が有効である。これは界面活性剤型触媒と反応基質が水中でエマルション液滴を形成し、その粒子が疎水的反応場として機能するためと考えられる。筆者は、このような水中に存在する疎水的な反応場を活用すれば、これまで不可能と考えられてきた「水中での脱水反応」も実現可能であると考えた。すなわち、界面活性剤型 Bronsted 酸触媒存在下、カルボン酸にアルコールを作用させると、まず、疎水性基質と触媒が水中でエマルション液滴を形成する。そのエマルション液滴の表面にはプロトンが濃縮されて存在しているため、酸触媒存在下でのエステル化反応が速やかに進行し、エステルと水分子を生成する。この水分子は疎水的なエマルション液滴の中に存在しにくく、液滴の外に放出される。このように、界面活性剤型 Bronsted 酸触媒と反応基質によって疎水的な反応場を形成することができれば、これを活用することにより、脱水反応が水を溶媒としても実現できると考えた。

 実際、界面活性剤型 Bronsted 酸触媒として p-dodecylbenzenesulfbnic acid(DBSA)を用い、カルボン酸にアルコールを作用させるとエステル化反応が水中で円滑に進行することを見出した(Eq. 1)。また、基質であるカルボン酸の脂溶性の違いを利用した選択的エステル化反応 (Eq. 2) や、メタノールのような水溶性のアルコールがエマルション液滴の外部に放出されるトランスエステル化反応 (Eq. 3)も実現できることを明らかにした。

 本章で得られた知見は、水中での触媒的有機合成反応の更なる可能性を示したばかりでなく、様々な環境調和型脱水反応の開発に重要な指針を与えたものと考えられる。

(2) 新規キラルホスフィン phenyl-P-proline の開発 2

 プロリンは、不斉金属触媒反応におけるキラルアミン配位子の原料として広く用いられている一方、ごく最近、それ自身が優れた有機分子触媒であることが明らかにされている。筆者は、プロリンの立体因子を保持しながら、新たな電子因子の期待できるプロリンのホスフィンアナログ、phenyl P-proline (1-phenylphospholane-2-carboxylic acid, 1) をデザインした。この分子は、それ自身がキラル配位子として働くだけでなく、様々な誘導体への変換が可能であり、極めて有用な不斉源になると期待される。この化合物は、対応するカルボン酸ボラン錯体(2)の脱ボラン化で得られ、また、2 は鍵中間体であるα-phospholanyllithium ボラン錯体(3)を経由する、phenylphospholane ボラン錯体(4)の脱プロトン化-カルボキシル化反応で合成できるものと考えた(Scheme 1)。

 様々なアミン存在下で 4 の脱プロトン化-カルボキシル化反応を検討した結果、アミンとして 1,2-dipiperidinoethane を用いると高収率で 2 が得られるが、アミンのジアステレオ選択性に及ぼす影響がほとんどないことが明らかになった (Eq. 4)。その原因を解明すべく、2-trimethylstannylphospholane ボラン錯体、trans-5 と cis-5 を合成し(Eq. 5)、様々なアミン存在下で n-BuLi によるスズからリチウムへのトランスメタル化後、速やかに CO2 で生成した中間体 3 をトラップする実験を行った。その結果、いずれのジアステレオマーを用いても反応は立体特異的には進行せず、ほぼ同じ選択性で 2 が得られることが分かった(Eq. 6)。これは、中間体 3 の二つのジアステレオマーが-100℃においても異性化してしまうことを示唆する結果である。その構造に関するさらなる情報は、trans-3 の X 線結晶構造解析から得ることができた(Figure 1)。

 (±)-2-mixture は再結晶化により単一のジアステレオマーの(±)-2 へ導き、quinine による光学分割後、光学的に純粋な 2 を良好な収率で得ることができた。引き続き pyrrolidine で処理すると脱ボラン化が円滑に進行し、目的とする 1 を良好な収率で与えた(Scheme 2)。

 さて、パラジウム触媒下での不斉アリル化反応は有機合成化学において極めて有用な反応であり、配位子として様々なキラルホスフィン、またはキラル P,N 型配位子が用いられている。筆者はまず、1 を本反応の不斉配位子として用い、種々の条件検討を行ったところ、モデル反応において良好なエナンチオ選択性をもって目的のアリル化体が得られることを見出した (Eq. 7)。

 次に、より高い選択性を実現するため、1 の誘導体を合成し反応に用いることにした、アミン部分に tetrahydroisoquinoline 骨格が導入されたアミド cis-8 と trans-8 を合成した (Eq. 8)。

1-hydroxy-7-azabenzotriazole (HOAt)を添加しないと、(±)-2 のアミド化反応が立体特異的に進行することから、8 の相対立体配置を決定した。また、アミド cis-8 と trans-8 のボラン還元を行うことで (Eq. 9, 10)、新規光学的純粋な P,N 型配位子 (9) を合成することができた。

 得られた P,N 型配位子をアリル化反応に用いたところ、cis-9 が有効に機能し、高いエナンチオ選択性をもって目的とするアリル化体が得られることを明らかとした(Table 1)。更に、配位子とパラジウムのモル比を変えてみたところ、その比が 1:1 以下のときには反応が全く進行しないのに対し、1:1 より大きいときには同じエナンチオ選択性をもって目的のアリル化体を与えるだけではなく、比が 2:1 まで上がるにつれ収率の向上が見られた。これらの結果から、本 P,N-型配位子は P,N-キレート型配位子として機能するのではなく、ホスフィン単座型配位子として機能するものと推定している。

 Pdに対し、2 当量の cis-9 を用い、基質一般性を検討したとことろ、求核剤としてベンジルアミンやジケトンを用いても、高収率かつ高エナンチオ選択性をもって反応が進行することが明らかになった (eq. 11, 12, 13)。

 このように、本章で、筆者は、新規キラルホスフィン phenyl-P-proline (1) の開発研究を行い、その効率的ルートを確率しただけでなく、重要な機構的知見も得ることができた。本章で得られた知見は、キラルホスフィン化合物の合成に重要な指針を与えているものと考えられる。また、phenyl-P-proline (1) を不斉源として用いる、高エナンチオ選択的不斉合成反応の開発にも繋がるものと考えられる。

[参考文献](1) (a) Manabe, K.; Sun, X.-M.; Kobayashi, S. J. Am. Chem. Soc. 2001, 123, 10101. (b) Manabe, K.; Iimura, S.; Sun, X.-M.; Kobayashi, S. J. Am. Chem. Soc. 2002, 124, 11971.(2) (a) Kobayashi, S.; Shiraishi, N.; Lam, W. W.-L.; Manabe, K. Tetrahedron Lett. 2001, 42, 7303. (b) Sun, S.-M.; Manabe, K.; Lam, W. W.-L.; Shiraishi, N.; Kobayashi, J.; Shiro, M.; Utsumi, H.; Kobayshi, S. Chem. Eur. J. 2005, 11, 361.

Scheme 1. Design and Retrosynthesis of 1

Figure 1. X-ray Crystal Structure of DPE Coordinated trans-3

Scheme 2. Synthesis of Optically Pure 1

Table 1. Proper Ratio of Palladium to Ligand 8

a Reaction time was 6 h.

審査要旨 要旨を表示する

 近年、有機溶媒に替わる「環境に優しい反応溶媒」として水が注目されている。水は、無毒、無害であるだけではなく、通常用いられる有機溶媒に比べて極めて安価であり、また、有機溶媒と異なる性質を持つことから、水を溶媒として用いることによりユニークな反応性や選択性の発現が期待される。

 本論文第一章では、これまで不可能と考えられてきた「水中での脱水反応」を実現した結果について述べている。まず、水中で有効に機能する触媒に関する検討を行い、界面活性剤型 Bronsted 酸触媒が優れた結果を与えることから、ここでは、界面活性剤型触媒と反応基質が水中でエマルション液滴を形成し、これが疎水的反応場として有効に機能しているものと考察している。そこで、このような水中に存在する疎水的な反応場を活用すれば、これまで実現不可能と考えられてきた「水中での脱水反応」も実現可能であると考えた。すなわち、界面活性剤型 Bronsted 酸触媒存在下、カルボン酸にアルコールを作用させると、まず、疎水性基質と触媒が水中でエマルション液滴を形成する。そのエマルション液滴の表面にはプロトンが濃縮されて存在しているため、酸触媒存在下でのエステル化反応が速やかに進行し、エステルと水分子を生成する。この水分子は疎水的なエマルション液滴の中に存在しにくく、液滴の外に放出される。このように、界面活性剤型 Bronsted 酸触媒と反応基質が疎水的な反応場を形成することができれば、これを活用することにより、脱水反応が水を溶媒としても実現できるという仮説を立てた。

 次に実際、この仮説を検証すべく実験を行い、界面活性剤型 Bronsted 酸触媒として p-dodecylbenzenesulfonic acid (DBSA) を用い、カルボン酸にアルコールを作用させるとエステル化反応が水中で円滑に進行することを見出している。また、基質であるカルボン酸の脂溶性の違いを利用した選択的エステル化反応や、メタノールのような水溶性のアルコールがエマルション液滴の外部に放出されるトランスエステル化反応も実現できることを明らかにしている。

 本章で得られた結果は、水中での触媒的有機合成反応の新しい可能性を示したばかりでなく、将来的には人工酵素の機能として求められる水中での脱水反応の開発に重要な指針を与えるものと評価される。

 続いて本論文第二章では、これも現代有機合成化学における最重要課題として位置づけられる、不斉触媒の開発研究を行っている。不斉触媒を用いる有機反応は、少量の不斉源から大量の光学活性化合物を得ることのできる、光学活性化合物の合成法の中では最も効率のよい方法を提供する。ここでは触媒のデザインが極めて重要であり、立体因子と電子因子の両方を考慮した触媒のデザインが高い選択性の発現につながるものと考えられる

 天然アミノ酸であるプロリンは、不斉金属触媒反応におけるキラルアミン配位子の原料として広く用いられている。一方、ごく最近、それ自身が優れた有機分子触媒となることが明らかにされている。本論文では、プロリンの立体因子を保持しながら、新たな電子因子の期待できるプロリンのホスフィンアナログ、phenyl P-proline(1-phenylphospholane-2-carboxylic acid)を考案している。この分子は、それ自身がキラル配位子として働くだけでなく、様々な誘導体への変換が可能であり、極めて有用な不斉源になるものと期待される。この化合物は、鍵中間体であるα-phospholanyllithium ボラン錯体を経由する、phenylphospholane ボラン錯体の脱プロトン化-カルボキシル化反応と、それに引き続くカルボン酸ボラン錯体の脱ボラン化で得られるものと考察している。

 実際に、様々なアミン存在下で phenylphospholane ボラン錯体の脱プロトン化-カルボキシル化反応を検討した結果、アミンとして 1,2-dipiperidinoethane を用いると高収率でカルボン酸ボラン錯体が得られるが、アミンのジアステレオ選択性に及ぼす影響がほとんどないことを明らかにしている。その原因を解明すべく、2-trimethylstannylphospholane ボラン錯体の trans 体と cis 体を合成し、様々なアミン存在下で n-BuLi によるスズからリチウムへのトランスメタル化後、速やかにCO2 で生成した中間体をトラップする実験を行っている。その結果、どちらのジアステレオマーを用いても反応は立体特異的には進行せず、ほぼ同じ選択性でカルボン酸ボラン錯体が得られることを見出している。これは、中間体の二つのジアステレオマーが -100℃においても異性化してしまうことを示唆する結果である。大変興味深いことに、本論文ではα-phospholanyllithium ボラン錯体の X 線結晶構造解析および 1H、13C、6Li、7Li NMR による構造解析に成功しており、その構造に関する詳細の情報を得ている。なお、本論文で示されたα-phospholanyllithium ボラン錯体の X 線結晶構造解析は、類似の化合物では初めての X 線結晶構造解析例であり、空気中の湿気や酸素に極めて敏感な化合物の X 線結晶構造解析に成功した点は、実験技術の点からも評価される。

 カルボン酸ボラン錯体は再結晶により単一のジアステレオマーへ導くことができ、quinine による光学分割後、光学的に純粋な化合物を良好な収率で得ることができ、引き続き pyrrolidine で処理すると脱ボラン化が円滑に進行し、目的とする phenyl P-proline が良好な収率で得られることを明らかにしている。

 さて、パラジウム触媒下での不斉アリル化反応は極めて有用な反応であり、配位子として様々なキラルホスフィンまたはキラル P,N 型配位子が用いられている。本論文ではまず、新たに合成した phenyl P-proline を本反応の不斉配位子として用い、モデル反応において良好なエナンチオ選択性をもって目的のアリル化体が得られることを見出している。次に、より高い選択性を実現するため、phenyl P-proline の誘導体を合成し反応に用いている。アミン部分に tetrahydroisoquinoline 骨格を導入したアミドの cis-体と trans-体を合成し、引き続きボラン還元を行うことで新規光学活性 P,N 型配位子を合成している。得られた P,N 型配位子をアリル化反応に用いたところ、cis-体が有効に機能し、高いエナンチオ選択性をもって目的とするアリル化体が得られることを明らかにしている。さらに、配位子とパラジウムのモル比に関して興味深い知見を得ている。すなわち、その比が 1:1 以下のときには反応が全く進行しないのに対し、1:1 より大きくなると反応が進行しだし、2:1 まで上がるにつれ収率は向上する。また、エナンチオ選択性に関しては、収率に関わらず一定の高い値を示す。これらの結果から、本 P,N-型配位子は P,N-キレート型配位子として機能するのではなく、ホスフィン単座型配位子として機能するものと推定している。Pd に対し、2 当量の cis-体の配位子を用い基質一般性を検討したところ、求核剤としてベンジルアミンやジケトンを用いても、高収率かつ高エナンチオ選択性をもって反応が進行することを明らかにしている。

 以上のように、本論文は水を溶媒として用いる水中での脱水反応、新規キラルホスフィン phenyl-P-proline の開発およびその効率的合成に伴う重要な反応機構的知見の獲得、さらには、phenyl-P-proline およびその誘導体を不斉源として用いる、高エナンチオ選択的不斉合成反応の開発を行っている。これらの研究は、医薬品合成を指向した現代有機合成化学の基幹をなす際だった成果であり、博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

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