学位論文要旨



No 120418
著者(漢字) 垣内,力
著者(英字)
著者(カナ) カイト,チカラ
標題(和) カイコ感染モデルを用いた細菌間で保存された新規病原性遺伝子の同定
標題(洋)
報告番号 120418
報告番号 甲20418
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1117号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 助教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

[序]

病原性細菌の病原性因子、即ち感染組織の破壊を担う毒素や宿主免疫系からの防御に関わる因子は病原性細菌が宿主動物体内で生存・増殖するために重要である。病原性因子は宿主体内の一定の場所において、感染過程の特定の時期に発現することが知られている。しかし、病原性因子のの発現制御の全貌は明らかになっていない。この問題を解明するための有効な方法として、私はカイコを感染モデル動物として用い、病原性が低下した細菌の変異株を検索することにより新規病原性遺伝子の同定を試みた(文献1)。

[方法と結果]

1) カイコ感染モデルの構築

多数の菌株の病原性を感染モデル動物を用いて評価する際には数多くの動物個体数を扱うことが必要である。マウスなどの哺乳動物は倫理面、コスト面から、数多くの個体数を扱うことには不適である。その問題点を解決するために私はカイコ感染モデルを構築した。

 カイコは体が大きく、動きが緩慢であるために,ショウジョウバエなどの小型の昆虫に比べて注射が容易である。また低コストで、倫理的問題も少ないことから、マウス感染モデルでは困難な数多くの個体数を扱う実験が可能である。

 カイコ 5 令幼虫 10 頭に黄色ブドウ球菌RN4220株(1 x 107 CFU)を血液内注射すると、30時間後に半数が黒色化し死亡した(図1A,文献2、3)。ヒトに対する病原体の注射によるカイコの死滅は、コレラ菌や緑膿菌などの病原性細菌の他、カンジダなどの病原性真菌でも認められたが、大腸菌などの非病原性細菌では認められなかった。黄色ブドウ球菌注射後には血液や組織中での菌の増殖が認められた。また、このカイコの病原性細菌による死亡は臨床上有効な抗生物質の投与によって治療が可能であった。これらの結果は病原性細菌の増殖によってカイコ幼虫が感染死していることを示唆している。昆虫であるカイコは哺乳類と共通した自然免疫機構を備えていることが知られている。カイコ感染モデル系を用い病原性が低下した変異株を検索することにより、組織傷害に関わる毒素産生に必要な遺伝子や、宿主の自然免疫に対抗するための防御機構を担う遺伝子を同定できると私は考えた。

2)カイコ感染モデルを用いた黄色ブドウ球菌の新規病原性遺伝子の同定

私は新規の病原性遺伝子を同定する戦略として、黄色ブドウ球菌ゲノムプロジェクトで見出された細菌間で保存された589個の機能未知遺伝子に着目した(文献4)。これらのうち100個の遺伝子について相同組み換え法により欠損株を作成し、カイコ血液中に注射した。その結果、3種類の機能未知遺伝子の欠損株が野生株(WT)に比べてカイコに対する殺傷能力を低下していることが判明した(図1B)。私はこれらの遺伝子を cvfA、cvfB、cvfC遺伝子(conserved virulence factor)と名付けた。cvfA及びcvfC欠損株のLD50値は野生株よりも3.5倍高いことから、両遺伝子の産物はカイコだけでなく、マウスに対する殺傷能力にも寄与することが明らかになった(表1)。

 cvfA、cvfB、cvfC 欠損株のカイコ及びマウスに対する殺傷能力が低下している原因を知るために、これらの変異株において既知の細胞外毒素産生量が低下しているかを検討した。溶血活性は cvfA 及び cvfC 欠損株で顕著に低下し、cvfB 欠損株でもわずかであるが低下していた(図 2)。また、cvfA 欠損株ではプロテアーゼ活性、DNase 活性も低下していた。従って、cvfA、cvfB、cvfC 欠損株の病原性が低下している原因として、細胞外毒素産生の低下が考えられる。

3) A 群連鎖球菌 cvfA 遺伝子のカイコ及びマウスに対する殺傷能力への寄与

私が黄色ブドウ球菌で同定した cvfA、cvfB、cvfC遺伝子は他の様々な病原性細菌でも保存されている(表2)。黄色ブドウ球菌以外の病原性細菌においてもcvfA遺伝子が病原性に寄与するかを知る目的で、私はA群連鎖球菌のcvfA遺伝子欠損株を作出した。A群連鎖球菌のcvfA欠損株を注射したカイコが死亡するのにかかる時間は親株よりも長く、この遅延は野生型cvfA遺伝子の導入により相補された(図3)。さらにマウスに対する殺傷能力についても、cvfA欠損株のLD50値は親株よりも7倍高いことが分かった(表1)。また、A群連鎖球菌のcvfA欠損株においては、細胞外毒素である溶血毒素、DNase、プロテアーゼ、ストレプトキナーゼの活性が野生株に比べ低下していた。これらの結果は黄色ブドウ球菌だけでなく、A群連鎖球菌においてもcvfA遺伝子が病原性に寄与していることを示唆している。

4) カイコ体液及び動物血清による cvfA 遺伝子の発現誘導

病原性遺伝子の多くは宿主体内で発現誘導されることが知られている。黄色ブドウ球菌の cvfA遺伝子が宿主因子により発現誘導されるかについて、染色体上の cvfA 遺伝子のプロモーター領域の下流に β-ガラクトシダーゼ(β-gal)遺伝子をレポーター遺伝子として導入した菌株(cvfAp::lacZ 株)を作出して検討した。カイコ体液、あるいは動物血清を培地に添加した場合、非添加に比べて5倍以上の β-gal 活性が検出された(図 4A)。この結果はカイコ体液、及び哺乳動物血液中に cvfA 遺伝子の発現を誘導する成分が存在していることを示唆している。

5) カイコの自然免疫を担うメラニンによる cvfA 遺伝子の発現誘導

上記の実験で cvfAp::lacZ 株の培養液にカイコ体液を添加すると、β-gal 活性の上昇とともに培地が黒色化するという現象が観察された。この黒色化は昆虫の自然免疫機構を担うフェノールオキシダーゼ (PO)反応が引き起こすメラニン(黒色色素)合成によると考えられる。PO 阻害剤として知られているフェニルチオ尿素は、培地の黒色化とβ-gal 活性の上昇の両者を阻害した。この結果から私はカイコ体液中の PO 反応により生じたメラニンが cvfA 遺伝子の発現を誘導するという可能性を考えた。この点を検証するため、メラニンの合成標品を培地に添加したところ、レポーター遺伝子由来のβ-gal 活性の上昇が見られた(図 4B)。従って、カイコの自然免疫を担うPO 反応の最終産物であるメラニンにより cvfA 遺伝子の発現が誘導されると考えられる。ここで見出した現象は病原性細菌が昆虫の自然免疫機構の発動を認知し、病原性遺伝子を発現するこれまで知られていない新しい機構の存在を示唆している。

[まとめと考察]

本研究で私は、ヒトに対する病原性細菌によるカイコの感染モデルを確立した。さらに、このカイコ感染モデルを用いて、細菌間で保存された 3 つの新規病原性遺伝子 cvfA、cvfB、cvfC を同定した。このうち cvfA 遺伝子は黄色ブドウ球菌だけでなく A 群連鎖球菌においてもカイコ及びマウスに対する殺傷能力に寄与することを私は示した。カイコ感染モデルは様々な病原性細菌の病原性遺伝子の同定に有用であると考えられる。さらに私は cvfA 遺伝子の発現が宿主側の因子により誘導されることを明らかにした。カイコ感染モデルを用いた病原性因子の網羅的探索により、病原性因子発現機構の理解が深まると私は期待している。

[発表論文]1) Kaito C, Kurokawa K, Matsumoto Y, Terao Y, Kawabata S, Hamada S, Sekimizu K. in revision.2) Kaito C, Akimitsu N, Watanabe H, Sekimizu K. Microb Pathog. (2002) 32:183-90.3) Hamamoto H, Kurokawa K, Kaito C, Kamura K, Manitra Razanajatovo I, Kusuhara H, Santa T, Sekimizu K. Antimicrob Agents Chemother. (2004) 48:774-9.4) Kuroda M, Inoue R, Kaito C, Sekimizu K, Hiramatsu K., et al. Lancet. (2001) 357:1225-40

図1. A. 黄色ブドウ球菌によるカイコの感染死

B. 機能未知遺伝子欠損株のカイコ殺傷能力

表1. cvfA、cvfB、cvfC 欠損株のマウス殺傷能力

図2. cvfA、cvfB、cvfc 欠損株の細胞外毒素産生

矢印は寒天培地中の赤血球、タンパク質、DNA が分解されている領域を示す。

図3. A 群連鎖球菌 cvfA 欠損株のカイコ殺傷能力

cvfA-compl.: 野生型 cvfA 遺伝子を導入した cvfA-

表2.cvfA、cvfB、cvfC 遺伝子の細菌間での保存性

図 4. A. カイコ体液、及び動物血清による cvfA 遺伝子プロモーター活性の上昇 B. メラニンによる cvfA 遺伝子プロモーター活性の上昇

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、カイコを感染モデル動物として用いて、細菌間で保存された新規病原性遺伝子を同定したものである。

 病原性細菌が宿主体内に侵入し、増殖する課程においては、様々な毒素や宿主免疫からの防御因子が宿主体内の適切な場所で発現される必要がある。これらの病原性因子の発現制御機構の全貌は明らかにされていない。その全貌を明らかにしていく上で、病原性細菌の新規病原性因子を網羅的に同定することは有用だと考えられる。多数の遺伝子変異株の病原性を評価することにより、病原性因子を同定するためには、多数の個体数を扱うことが可能な感染モデル動物が必要である。これまで、病原性細菌の感染モデル動物として、マウスなどの哺乳動物が用いられていた。 しかし、哺乳動物は倫理面、コスト面から数多くの個体数を扱うことには不適である。筆者はカイコを感染モデル動物として用いて、数多くの個体数を扱うことを容易とし、ヒトに対する病原性細菌である黄色ブドウ球菌の新規病原性遺伝子の同定を行った。

 筆者は、カイコが黄色ブドウ球菌の血液内注射により死亡することを見出した。カイコが死亡するまでに、黄色ブドウ球菌がカイコの血液、及び組織中で増殖していること、さらに、この死亡が抗生物質により治癒されることから、筆者はカイコが黄色ブドウ球菌のカイコ体内での増殖により感染死すると判断した。

 筆者は、黄色ブドウ球菌のゲノムプロジェクトに参画し、その染色体には細菌間で保存されている機能未知の遺伝子が 589 個あることを見いだしている。これらの機能未知遺伝子の 100 個について遺伝子欠損株を作成し、カイコに対して殺傷能力を低下している変異株を検索した。同定された 3 つの遺伝子は、マウスに対する病原性にも寄与した。さらに、ヒトの赤血球にたいして作用する溶血毒素の産生にも寄与した。よって、カイコ感染モデルは、ヒトに対する病原性細菌の病原性因子を同定する上で有用だと考えられた。これらの遺伝子は細菌間で保存された機能未知遺伝子の中から同定されたことから、cvfA、cvfB、cvfC(conserved virulence factor)と命名した。

 次に筆者は、同定された病原性遺伝子の一つ cvfA が黄色ブドウ球菌以外の病原性細菌において病原性に寄与するかを検討した。その結果、A 群連鎖球菌においても、cvfA 遺伝子はカイコ及びマウスに対する殺傷能力に寄与し、細胞外毒素産生に寄与することを見いだした。

 筆者は更に、cvfA 遺伝子の発現が宿主体内の因子により誘導されるかについて検討した。その結果、cvfA 遺伝子のプロモーター活性は動物血清、及びカイコ体液の培地への添加により上昇することを示した。さらにカイコ体液中の自然免疫を担うメラニンが cvfA 遺伝子のプロモーター活性を上昇させることを見出した。この結果は cvfA 遺伝子が昆虫の自然免疫に対抗するために発現されることを示唆している。

 以上、本研究は、カイコを感染モデル動物として利用して、多数の菌株の病原性を評価することにより新規病原性遺伝子を同定し、同定された新規遺伝子の機能に基づいて病原性の全貌を明らかにするという新しい病原性の研究手法を確立した。この新たな研究手法の提案は病原性細菌の病原性の解明に貢献するところが大きく、博士(薬学)に値すると判断した。

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