学位論文要旨



No 120419
著者(漢字) 川村,暢幸
著者(英字)
著者(カナ) カワムラ,ノブユキ
標題(和) 赤血球系譜細胞での遺伝子発現における転写伸長因子S-IIの機能
標題(洋)
報告番号 120419
報告番号 甲20419
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1118号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 教授 北,潔
内容要旨 要旨を表示する

1. 始めに

 遺伝子発現を適切に制御することは生体の恒常性維持や発生・分化といった数々の生命現象において重要である。近年、転写伸長段階における遺伝子発現制御の例が見いだされ、その重要性が指摘されているが、分子機構の詳細については不明な点が多い。

 S-II は当教室において、RNA polymerase II の RNA 合成活性の促進を指標に精製された転写伸長因子である。生化学的な解析から、S-II が RNA polymerase II と直接相互作用すること、並びに、RNA polymerase II の持つ3'->5' exonuclease 活性を促進することが明らかにされている。S-II はこの 3'->5' exonuclease 活性の促進により転写中断の解除を促進し、その結果として転写量を増加させると考えられている。

 S-II は酵母からヒトに至るまで真核細胞に普遍的に存在している。当教室での酵母を用いた解析により、S-II は転写反応時に RNA 中に誤って取り込まれた塩基を除去する段階で働いて、正確な遺伝子発現に寄与することが示された。当教室における解析により、S-II 遺伝子欠損マウスは胎齢 13.5 日前後で致死となることが示された。さらに S-II 欠遺伝子損マウス胚においては、末梢血中の成熟型赤血球数の減少がみられた。また、赤血球に特異的に発現する遺伝子(glycophorinA、β-globin など)の発現量が低下していた。従って、S-II は哺乳類の胚発生中期において赤血球産生に必須の役割を果たしていると考えられる。

 本研究では S-II の赤血球産生における役割を分子レベルで明らかにすることを目的として、S-II が赤血球産生に必要な遺伝子の発現を促進するという仮説のもと実験を行った。

2. S-II 遺伝子欠損マウス胎児肝におけるアポトーシスの上昇と Bcl-xL 遺伝子の発現量低下

 これまでの S-II 遺伝子欠損胚の解析から胎児肝における赤血球産生異常が示唆されていた。そこで、胎児肝における赤血球産生に異常が見られるか否かについて検討を行ったところ、S-II 遺伝子欠損胚ではペルオキシダーゼ反応陽性を示すヘモグロビン陽性細胞数が減少しており、この結果から、S-II 遺伝子欠損胚では胎児肝における赤血球産生量に異常を来していることが明らかとなった。

 次に S-II 遺伝子欠損胚の胎児肝における赤血球産生の減少は、赤血球系譜細胞がアポトーシスにより減少している為ではないか、と考え検証を試みた。その結果、S-II 遺伝子欠損マウス胎児肝では野生型と比べて、TUNEL 陽性細胞の数が増加しており、また、TUNEL 陽性細胞は赤血球産生の場である Blood island 様構造を形成していたことから、S-II 遺伝子欠損胚では赤血球系譜細胞(赤芽球)のアポトーシスが亢進していると考えた。

 赤血球分化の過程において、抗アポトーシス因子 Bcl-xL の発現が重要な役割を果たしていることが報告されていることから、S-II 遺伝子欠損胚の赤血球系譜細胞では Bcl-xL 遺伝子の発現量が低下している可能性を考え、定量的 RT-PCR 法によって調べた結果、Bcl-xL 遺伝子の発現量は S-II 遺伝子欠損胚では野生型の約 1/2 に低下していた(Fig.1)。この結果から、S-II 遺伝子欠損胚が、胎性致死となり、赤血球産生に異常を来しているのは Bcl-xL 遺伝子の発現の低下によるものと考えている。

3. Erythropoietin-STAT5 シグナル伝達経路の解析

 Bcl-xL 遺伝子は、Erythropoieitn によって活性化される転写因子 STAT5 の標的遺伝子である。このシグナル伝達経路に異常が生じている場合、Bcl-xL 遺伝子の発現低下が考えられる。そこで、Erythropoietin の発現量と、この過程の制御に重要な役割を果たしていることが知られている STAT5 の発現量、並びに、活性化状態について S-II 遺伝子欠損胚と野生型胚で差が見られるか比較を行った。

 胎児肝における Erythropoietin の発現量を定量的 RT-PCR 法により定量したところ、S-II遺伝子欠損胚における発現量は野生型と比べて低下しておらず、むしろ上昇していた。

 次に、STAT5 の発現量を同様に定量的 RT-PCR 法によって調べたところ、S-II 遺伝子欠損胚における発現量は野生型と同程度であり、低下していなかった。また、抗活性化型 STAT5 抗体を用いた Western blotting 法により、S-II 遺伝子欠損胚でも、Erythropoietin 刺激による STAT5 の活性化も野生型と同程度に起こることがわかった(Fig.2)。これらの結果から、S-II 遺伝子欠損胚においてErythropoietin シグナル受容から STAT5 の活性化までの経路が正常に動作していることが示された。

4. S-II による Bcl-xL 遺伝子の発現促進

 S-II 遺伝子欠損胚で Erythropoietin 刺激により STAT5 が活性化されるにもかかわらず、Bcl-xL 遺伝子の発現量が低下していたという結果から、私は Bcl-xL 遺伝子の転写段階において S-II が促進的に寄与する可能性を考え、レポーターアッセイによる解析を試みた。その為まず、外来プラスミドの導入が容易な Embryonic fibroblast 細胞株を S-II 遺伝子ヘテロ欠損胚から樹立した。樹立した細胞株について、S-II 遺伝子の遺伝子型を Southern blotting 法により決定し、S-II タンパク質発現の有無を Western blotting 法により確認した。

 次に S-II が Bcl-xL 遺伝子の転写に促進的に寄与するという仮説を検証するため、BclxL遺伝子のプロモーター領域と 5'非翻訳領域を含む配列にホタルルシフェラーゼ遺伝子を連結した Bcl-xL レポーターを用いて検討を行った。S-II 欠損 EF 細胞株に、Bcl-xL レポータープラスミドと S-II の発現プラスミドを同時に導入したとき、S-II の発現プラスミドを導入しないときと比べて、S-II の導入量依存にレポーター活性が上昇し(Fig.3)、S-II を最大量導入した場合にはレポーター活性は約 2 倍に上昇した。この結果から、S-II は Bcl-xL 遺伝子の発現に際して、促進的に寄与することを示された。

 また、Bcl-xL レポーターの発現に寄与する S-II の領域の同定を行ったところ、全長型 S-II を導入したとき Bcl-xL レポーターの上昇が見られる条件において、S-II の C 末端領域(130-301 アミノ酸残基)を導入した場合には、レポーター活性の上昇が見られず、S-II の N 末端領域(1-123 アミノ酸残基)を導入した場合には、全長型を導入した場合と同様にレポーター活性の上昇が見られた(Fig.4)。この結果から、従来の試験管内や酵母での報告とは異なり、Bcl-xL 遺伝子の発現促進には S-II の N 末端領域だけで必要十分であることが示された。

5. まとめと考察

 本研究で私は、Bcl-xL 遺伝子の発現量が S-II 遺伝子欠損胚で低下していることを示した。Bcl-xL は抗アポトーシス因子であり、その遺伝子欠損マウスも S-II 遺伝子欠損マウスと同じように発生中期で致死となる。また、S-II 遺伝子欠損マウス胎児肝において、アポトーシスを起こしている細胞の増加が認められたことから、S-II 遺伝子欠損マウスでは Bcl-xL 遺伝子の発現量が低下した結果、赤血球系譜細胞がアポトーシスを起こして減少し、赤血球産生量が低下しているのではないかと私は考えている。

 私は、S-II 遺伝子欠損胚において Erythropoietin-STAT5 シグナル伝達経路が正常に動作していたことから、Bcl-xL 遺伝子の転写以降の段階で S-II が寄与すると考えた。そこで、Bcl-xL レポーターを用いた解析を行い、S-II が Bcl-xL の遺伝子発現を促進することを示した。定量的 RT-PCR 法による Bcl-xL 遺伝子の発現量の解析結果と合わせると、S-II 遺伝子欠損胚で約 1/2 に低下していた発現量が、レポーターアッセイにおいて S-II の共発現により約 2 倍に上昇することから、S-II は直接 Bcl-xL 遺伝子の転写を促進していると考えている。また、S-II 遺伝子欠損胚で Erythropoietin や STAT5 の mRNA レベルでの発現量は低下していないのに対し、Bcl-xL の mRNA 量が低下するという結果は、すべての遺伝子の転写反応に S-II が必要であるのではなく、Bcl-xL など特定の遺伝子の転写反応に S-II が促進的に寄与することを示しており、本研究は S-II が細胞内で特定の遺伝子の発現を直接促進することを示した初めての例であると考えている。

 S-II の部分欠損変異体を用いた Bcl-xL レポーターアッセイにより、Bcl-xL 遺伝子の発現促進には S-II の N 末端領域だけで必要十分であることを示した。この結果は、これまでに得られていた試験管内や酵母細胞内における報告と異なる物であり、S-II の N 末端領域の生体内での重要性を示唆する知見である。S-II の N 末端領域は組織特異的な転写因子と相互作用することが報告されていることから、Bcl-xL 遺伝子の発現促進に際しても、これらの転写因子との相互作用が転写反応に寄与する可能性や、S-II の N 末端領域が C 末端領域とは違う機構により転写伸長を促進する可能性が考えられる。

Fig.1

S-II 遺伝子欠損胚の胎児肝における Bcl-xL遺伝子の発現量低下

Fig.2

野生型胚・S-II 遺伝子欠損胚の胎児肝におけるErythropoietin 刺激による STAT5 の活性化

Fig.3

S-II の共発現による Bcl-xL レポーター活性の上昇

Fig.4

部分欠失変異 S-II の共発現による Bcl-xL レポーター活性への効果

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、真核生物の転写伸長因子 S-IIの、マウス生体内での遺伝子発現における機能を解析したものである。

 S-IIは、RNA polymerase IIのRNA合成活性の促進を指標に精製された転写伸長因子である。これまでの研究により、S-II遺伝子欠損マウスは胎齢13.5日前後で致死となることが示され、さらにS-II遺伝子欠損マウス胚において、赤血球産生の異常が見いだされていた。

 申請者は、S-II遺伝子欠損マウス胚を用いて、胎児肝における赤血球産生が低下していることを見いだした。また、S-II遺伝子欠損胚の胎児肝ではアポトーシスを起こした細胞数が増加していることを見いだし、そのアポトーシスを起こした細胞は赤血球系譜細胞(赤芽球)である可能性を指摘した。次に、赤血球分化の過程において重要な役割を果たしていることが報告されている抗アポトーシス因子Bcl-xLの発現量を定量的RT-PCR法によって調べ、S-II遺伝子欠損胚の胎児肝でBcl-xL遺伝子の発現量が、野生型胚の約1/2に低下していることを示した。

 申請者は、Bcl-xL遺伝子の発現がErythropoietin-STAT5シグナル伝達系路により制御される点に着目し、S-II欠損胚におけるErythropoietin-STAT5シグナル伝達系路の動作解析を試みた。まず、Erythropoietin (Epo)の発現量について定量的RT-PCR法により調べた結果、S-II欠損胚におけるEpo発現量は野生型と比べて低下していなかった。次にSTAT5の発現量について定量的RT-PCR法、及びWestern blotting法により調べた結果、S-II欠損胚におけるSTAT5発現量も野生型と比べて低下していなかった。最後にSTAT5のEpo刺激に応じた活性化状態についてWestern blotting法により調べた結果、S-II欠損胚の胎児肝細胞をEpo刺激した場合も野生型と同程度にSTAT5が活性化された。以上の結果から、S-II欠損胚においてもEpo-STAT5シグナル伝達系路は、STAT5の活性化までの段階について正常に動作していることを示した。

 さらに、申請者は、S-II遺伝子欠損胚においても、Epo-STAT5シグナル伝達系路の正常動作にもかかわらず、Bcl-xL遺伝子の発現量が低下していた点について、S-IIがBcl-xL遺伝子の転写段階で促進的に寄与することを予想し、申請者が樹立したS-II欠損Embryonic fibroblast細胞株とBcl-xL遺伝子のプロモーター領域と5'非翻訳領域にレポーター遺伝子を連結したコンストラクトを用いたレポーターアッセイにより検証した。その結果、S-IIの共発現により、レポーター活性が上昇することを示した。また、このレポーター活性の上昇はS-IIのC末端領域を導入した場合には、レポーター活性の上昇が見られず、S-IIのN末端領域を導入した場合には、全長型を導入した場合と同様にレポーター活性の上昇が見られることを示した。この結果から、従来の試験管内や酵母での報告とは異なり、Bcl-xL遺伝子の発現促進にはS-IIのN末端領域だけで必要十分であることを示した。

 以上、本研究は、赤血球産生におけるS-IIの機能について、赤血球産生に必須なBcl-xL遺伝子の発現に際して促進的に寄与することを示し、S-IIによるBcl-xL遺伝子の発現促進は赤血球産生に必須であることを提唱したものである。申請者の報告は、マウス生体内でS-IIが特定の遺伝子の発現促進に寄与すること、並びに、S-IIのN末端領域が遺伝子発現に促進的に寄与することを示した初めての報告であり、分子生物学に寄与するところが大である。また、S-II欠損マウスの致死性という表現型について分子レベルで原因を提示し、マウス胚発生におけるS-IIの重要性を指摘した点は発生生物学に寄与するところが大である。したがって、本研究は、博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

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