学位論文要旨



No 120427
著者(漢字) 藤幸,知子
著者(英字)
著者(カナ) フジユキ,トモコ
標題(和) 攻撃性の高いミツバチの脳から検出された新規昆虫ピコルナ様ウイルス、Kakugoウイルスの同定と解析
標題(洋)
報告番号 120427
報告番号 甲20427
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1126号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 野本,明男
内容要旨 要旨を表示する

序論

  攻撃性は、多くの動物が自己保存や種保存のために備える性質だが、その制御機構には不明な点が多い。私は、こうした動物の攻撃性に関わる脳内の分子的基盤を探るため、セイヨウミツバチに着目した。ミツバチは、多くの個体が 1 つの集団(コロニー)を構成して生活する社会性昆虫である。雌の成虫が女王蜂と働き蜂にカースト分化し、女王蜂が生殖行動を行なう一方、働き蜂はコロニーの維持のための労働に従事し、羽化後の日齢に伴って育児(幼虫や女王蜂の世話)から門番(外敵からの防衛)、採餌(蜜や花粉の採集)へと分業する。中でも巣の入口にいる門番蜂は攻撃性が高く、捕食者であるスズメバチ等からコロニーを防衛する役割を担う。このように、ミツバチでは攻撃行動が分業されているため、攻撃性の高い個体を明確かつ容易に分離できる。また、針を用いたミツバチの攻撃は攻撃個体自身に致命傷を与えてしまう自己犠牲的(=利他的)行動であり、動物の社会行動の進化を考える上でも興味深い。

 私は修士課程において、門番蜂の中でスズメバチを攻撃した働き蜂(攻撃蜂、図 1)と、巣の中におり、スズメバチから逃避した働き蜂(逃避蜂)を採集し、攻撃蜂の脳に選択的に存在する RNA を Differential display 法を用いて検索した。その結果、新規な RNA を同定し、 Kakugo RNA と名付けた(修士課程では Agg-2 として発表)。この RNA の部分配列(約 6.6kb)を解析した結果、様々なピコルナ様ウイルスのゲノム RNA の 3' 側の領域と有意な相同性を示したことから、 Kakugo RNA が新規なピコルナ様ウイルスのゲノム RNA であり、ミツバチの攻撃性にウイルス感染が関与する可能性を提示した。しかしながら、 Kakugo RNA は部分配列しか決定されておらず、機能的なウイルスゲノム RNA であるかは不明だった。本研究では、まず Kakugo RNA が新規なピコルナ様ウイルスのゲノム RNA として機能することを示した。また、このウイルスの感染と攻撃行動との関連をさらに調べるため、様々な棲息条件下のコロニーの働き蜂を用いて疫学的解析を行ったので以下に報告する。

1. Kakugo cDNA の全塩基配列の決定と解析

 5' RACE 法により決定した cDNA (10,152bp) にコードされたタンパク質のアミノ酸配列は、既知のピコルナ様ウイルスのゲノムにコードされるポリプロテインと高い相同性を示した(図 2)。ピコルナ様ウイルスでは、ゲノム RNA に由来するポリプロテインが切断され、ビリオンタンパク質やヘリカーゼ等、ウイルスの増殖に関わる複数の機能タンパク質が生成する。 Kakugo RNA がコードするタンパク質は、機能タンパク質と予想される全てのドメインを含んでいた。系統解析の結果、 Kakugo RNA は昆虫に感染する昆虫ピコルナ様ウイルスのゲノムと特に近縁だった(図 3)。また、 Kakugo RNA がミツバチのゲノム DNA 上にコードされている可能性を排除するために、ミツバチゲノム DNA を用いてサザンブロット解析を行った結果、 Kakugo RNA に対応するシグナルは検出されず、 Kakugo RNA が新規な昆虫ピコルナ様ウイルスのゲノム RNA であることが強く示唆された。

2. Kakugo RNA のウイルスゲノムとしての機能解析

 まず、 Kakugo RNA が生体内で、ウイルスゲノム RNA としてウイルス粒子内に存在することを確認するため、 Kakugo RNA を含む組織粗抽出液をショ糖密度勾配遠心法によって分画した。各画分中の RNA 量を定量した結果、遊離の Kakugo RNA 以外に Kakugo RNA を含む画分が検出され、後者はマーカーとして用いたポリオウイルス粒子の画分と一致した。このことは、 Kakugo RNA がウイルス粒子内にゲノム RNA として存在することを示唆している。

 次に、ウイルスとしての感染性を検討するため、攻撃蜂の組織粗抽出液を Kakugo RNA が検出されない採餌蜂頭部へ注射し、経時的に頭部から RNA を抽出し、 Kakugo RNA を定量的 RT-PCR 法により定量した。その結果、注射 3 日後に Kakugo RNA の増加が認められた。一方、採餌蜂の組織粗抽出液を用いた場合は Kakugo RNA の増加は認められなかった。以上の結果は、 Kakugo RNA が感染性のウイルス粒子(Kakugo ウイルス)のゲノム RNA であることを示している。

3. Kakugo ウイルス(KV)の疫学的解析

 これまでの実験では約 100 匹の攻撃蜂をまとめて Kakugo RNA を検出していたため、攻撃蜂における KV の感染率は不明であった。そこで、個体毎に Kakugo RNA を定量し、ウイルスの感染率や量を調査することで、 KV 感染とミツバチの攻撃性との関連性をさらに解析した。本郷キャンパス内と本学部附属薬用植物園内において 2003 年 4 月から 2004 年 8 月までに複数のコロニーから採集した攻撃蜂、のべ 100 匹以上について KV 感染量を調べた。KV 感染量は、定量的 RT-PCR 法によって Kakugo RNA と actin mRNA を定量し、 actin mRNA 量に対する Kakugo RNA 量の相対量として算出した。本実験系の検出感度を考慮し、KV量が 0.001 以上を示した個体を感染個体としてその数を調べた。その結果、感染が認められたのは 1 匹のみだった。このことから、攻撃蜂のほとんどは KV に感染しておらず、 KV 感染は攻撃行動に必須ではない可能性が考えられた。

 一方、様々な働き蜂について、多くの個体数をまとめて KV 量を検討した結果、コロニーレベルでの KV 量が 0.101 以下の状況下で攻撃蜂に特異的な KV の感染が生じていたが、コロニーレベルでの KV 量が 7.626 以上の状況では攻撃蜂以外の働き蜂からも KV が検出される例が見い出された。このことから、 KV の攻撃蜂特異的な感染が、コロニーレベルでの KV 量が少ない状況に限定して成立している可能性が考えられた。

 KV 量の高いコロニーの一つにおいて、巣内の働き蜂における KV 感染率・量を経時的に検討した結果、 2004 年 11 月 24 日の時点での感染率は約 1.6% だったが、 2004 年 12 月 3 日には約 11.9% に上昇した。また、1 個体当たりの KV 感染量にも増加傾向が見られ、感染の拡大が推定された(図 6)。このコロニーでは、ミツバチのコロニーに寄生するミツバチヘギイタダニが繁殖していた他、幼虫の死骸が多数存在し、ミツバチの疾病であるチョーク病様の徴候も見られた。コロニーが病的な状態にある場合に、攻撃蜂以外の働き蜂にも KV の感染が拡大し、感染率が上昇する可能性が考えられた。また、ダニからも KV が検出されたことから、ダニを介した KV の感染経路も想定された。

まとめと今後の展望

 本研究において私は、攻撃蜂の脳から見出した Kakugo RNA が新規な昆虫ピコルナ様ウイルスのゲノム RNA であることを示し、攻撃性の高いミツバチの脳に KV が感染していたことを明らかにした。

 また、KV の疫学調査の結果から、攻撃行動と KV の関係は、(1) コロニーにおける KV 量が少ない場合には攻撃蜂特異的な KV 感染が見られる、(2) コロニーにおける KV 量が多い場合には攻撃蜂以外にも KV 感染が見られる、という、2 つの段階に分かれる可能性が考えられた。これは、KV 感染と攻撃性との関連について、感染の有無だけでなく、感染量という要素を考慮する必要があることを示唆した点で、重要な知見である。

 KV 量が少ない条件においては、KV の感染が、働き蜂の攻撃性を亢進している可能性がある。また逆に、攻撃蜂が KV に感受性になっている可能性も考えられる。いずれの場合も、KV 感染個体による自己犠牲的攻撃行動は、コロニーからの病原体(= KV)の排除に寄与する、コロニーレベルでの防御応答として機能する可能性がある。コロニーが病的な状態におかれた条件では、KV をコロニーから排除しきれなくなり、コロニー全体に KV 感染が拡大する可能性も、今回提示された。

 一方、ごく最近、ミツバチの病原性ウイルスとして知られていた deformed wing virus (DWV) のゲノムが他の研究グループによってデータベースに登録され、 KV と 98% の相同性が持つことが考えられた。今後は、今回検出されたウイルスの中に DWV が混入していた可能性についても検討する必要があると考えている。今後は、より広範な疫学調査によって、KV 感染と攻撃行動やコロニーの病理状態、また個体差や環境条件などの交絡因子との関連を解明するとともに、クローン化 KV を用いた感染実験によって攻撃行動との因果関係を証明していくことが重要であろう。

 動物の攻撃性とウイルス感染との関連については不明な点が多いが、近年、ヒトの攻撃性にもウイルス感染が関与する可能性が指摘されている。今後、KV 研究の進展によって、動物の本能行動とウイルス感染との関連の一端が解明されると期待している。

<参考文献> Fujiyuki T, et al., (2004). J. Virol. 78, 1093-1100.

図1 巣の入口でスズメバチ (矢頭)に攻撃する攻撃蜂(矢印)

図2 Kakugo RNA がコードするタンパク質の構造

数字は 5' 末端からの塩基番号。VP ; ビリオン (キャプシド) タンパク質, Hel ; ヘリカーゼ, Pro ; プロテアーゼ, RdRp ; RNA 依存 RNA ポリメラーゼ。

図3 Kakugo RNAと他のウイルスゲノム RNA との系統解析

ウイルス名に続けて宿主を( )で記す。各分岐点の数値はブートストラップ値を示す。枝の長さはアミノ酸置換数の推定値に比例している。

図4 ショ糖密度勾配遠心法による Kakugo RNA の分画

A; Kakugo RNA の検出される細胞粗抽出液を用いた結果。矢印はマーカーに用いたポリオウイルス粒子の検出画分の位置を示す。B; A で用いた細胞粗抽出液由来の total RNA を用いた結果。

図5 Kakugo ウイルスの感染性

採餌蜂の頭部に攻撃蜂由来細胞粗抽出液(●)、採餌蜂由来細胞粗抽出液(▲)、バッファー(■)を接種し、経時的に Kakugo RNA を定量した。縦軸は Kakugo RNA の量を actin mRNA 量で補正した値を相対値として示す。(◆)は無処理の個体。N; 用いた個体数、bar; 平均値±SEM、*; p < 0.05。

図6 KV 感染率と各感染個体における KV 感染量の変動

KV 量は Kakugo RNA の actin mRNA に対する相対量として示す。( ) 中は感染個体数/調べた個体数。

審査要旨 要旨を表示する

 攻撃性は、多くの動物が自己保存や種保存のために備える性質だが、その制御機構には不明な点が多い。本論文では、こうした動物の攻撃性に関わる脳内の分子的基盤を探るため、セイヨウミツバチを用いた研究を行なっている。ミツバチは社会性昆虫であり、雌が女王蜂と働き蜂にカースト分化し、女王蜂が生殖行動を行なう一方、働き蜂はコロニーの維持のための労働に従事し、羽化後の日齢に伴って育児から門番、採餌へと分業する。中でも巣の入口にいる門番蜂は攻撃性が高く、スズメバチ等からコロニーを防衛する役割を担う。針を用いるミツバチの攻撃は、攻撃個体自身にも致命傷を与える利他的行動であり、動物の社会行動の進化を考える上でも興味深い。

 申請者は修士課程において、ミツバチの攻撃性に関わる遺伝子候補を同定するため、門番蜂の中でスズメバチを攻撃した働き蜂(攻撃蜂)と、巣の中にいて、スズメバチから逃避した働き蜂(逃避蜂)を採集し、攻撃蜂の脳に選択的に存在する RNA を Differential display 法を用いて検索した。その結果、様々なピコルナ様ウイルスのゲノム RNA と相同性を示す RNA (Kakugo RNA)の cDNA 断片を同定し、ミツバチの攻撃性にウイルス感染が関与する可能性を指摘した。しかしながら、Kakugo RNA は部分配列しか決定されておらず、機能的なウイルスゲノム RNA かは不明だった。そこで本研究ではまず、Kakugo RNA が新規なピコルナ様ウイルスのゲノム RNA として機能するか検討した。また、このウイルスの感染と攻撃行動との関連を詳細に調べるため、様々な棲息条件下のコロニーの働き蜂を用いて疫学的解析を行っている。

 先ず、5' RACE 法により、ほぼ全長と思われる 10,152bp の cDNA を単離した。その結果、コードされるタンパク質のアミノ酸配列は、既知のピコルナ様ウイルスのゲノムにコードされるポリプロテインと高い相同性を示した。系統解析の結果、Kakugo RNA は昆虫に感染する昆虫ピコルナ様ウイルスのゲノムと特に近縁だった。このことは、Kakugo RNA が新規な昆虫ピコルナ様ウイルスのゲノム RNA であることを強く示唆している。

 次に Kakugo RNA が生体内で、ウイルス粒子内に存在することを確認するため、Kakugo RNA を含む攻撃蜂の組織粗抽出液をショ糖密度勾配遠心法によって分画した。その結果、遊離の Kakugo RNA 以外に、ポリオウイルス粒子と同じ沈降係数の分画に Kakugo RNA を含む画分が検出され、Kakugo RNA がウイルス粒子内にゲノム RNA として存在することが示唆された。

 次に、ウイルスとしての感染性を検討するため、攻撃蜂の組織粗抽出液を Kakugo RNA が検出されない採餌蜂腹部へ注射し、経時的に頭部から RNA を抽出し、 Kakugo RNA を定量的 RT-PCR 法により定量した。その結果、注射 3 日後に Kakugo RNA の増加が認められた。以上の結果は、Kakugo RNA が感染性のウイルス粒子(Kakugo ウイルス)のゲノム RNA であることを示している。

 さらに Kakugo ウイルスの疫学調査により、働き蜂の個体毎、また分業に伴う分布を検討した。ウイルス量は、RT-PCR 法で定量した actin mRNA 量に対する Kakugo RNA 量の相対量として算出した。その結果、コロニーレベル(約 100 匹の働き蜂をまとめて測定)での感染量が低い(0.1 以下)状況では攻撃蜂特異的に Kakugo ウイルスが検出されたが、感染量が高い(7以上)の状況では、攻撃蜂以外の働き蜂からも検出される例があった。このことから、Kakugo ウイルスの攻撃蜂選択的な感染は、コロニーレベルのウイルス感染量が低い状況で生じる可能性が考えられた。

 Kakugo ウイルス感染量の高いコロニーの 1 つにおいて、働き蜂における感染率を検討した結果、2004 年 11 月 24 日での感染率は 1.6%だったが、12 月 3 日には 12%に上昇し、感染の拡大が推定された。このコロニーは、ミツバチの疾病の 1 つであるチョーク病の徴候を示しており、コロニーが病的な状態では、攻撃蜂以外の働き蜂にも感染が拡大する可能性が考えられた。ただし、現時点では Kakugo ウイルスに極く近縁の Deformed wing ウイルス(最近、データベースに登録されたもの)を一緒に検出している可能性があり、両者を区別した検出法の検討が、今後の課題として残っている。

 以上、本研究では、攻撃蜂の脳から発見された Kakugo RNA が新規な昆虫ピコルナ様ウイルスのゲノム RNA であることを示し、攻撃性の高い働き蜂の脳にKakugo ウイルスが感染していたことを明らかにした。また、疫学調査の結果から、攻撃蜂選択的な感染が生じるには、コロニーレベルでのウイルス感染量が重要な要因になる可能性を指摘した。本研究は、新規ウイルスを同定し、ウイルス感染が宿主昆虫の攻撃性と関連する局面を見出した点で,ウイルス学、動物行動学への寄与があり、博士(薬学)の学位に値すると判断した。

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