学位論文要旨



No 120432
著者(漢字) 百瀬,暖佳
著者(英字)
著者(カナ) モモセ,ハルカ
標題(和) 細胞膜受容体刺激から活性酸素産生に至る好中球シグナル伝達機構の解析
標題(洋)
報告番号 120432
報告番号 甲20432
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1131号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 教授 一條,秀憲
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

 細菌感染に対する宿主の生体防御において重要な役割を担う好中球は、体内へ侵入してきた細菌から遊離してくる走化性因子(ホルミルペプチド)の濃度勾配にしたがって、感染部位へと遊走する。細胞遊走に関与しているのは、主に三量体GTP結合蛋白質(Gi)と共役しているfMLP受容体であるが、殺菌作用のある活性酸素(O2-)や酸性消化酵素の放出を制御することも、fMLP受容体の果たす役割の一つである。細菌感染部位では、好中球細胞膜上に存在するFcγ受容体もまた、fMLP受容体と同様に重要な機能を担っている。宿主のIgGによってすみやかに覆われた細菌は、IgGのFc部分を介してFcγ受容体に認識され、貪食によって一掃される。先に当研究室では、好中球様に分化させた細胞において、FcγII受容体でプライミングした際に、fMLP刺激による活性酸素の産生が相乗的に増加するという現象を見出した(図1)。

 fMLP刺激による活性酸素産生が他の受容体からのシグナル等によって増強されるプライミング効果は、好中球ではよく知られた現象であるが、詳細な分子機構は未だ明らかにされていない。そこで、好中球様に分化させたヒト細胞株THP-1を用い、相乗的な細胞応答を引き起こすシグナル伝達機構の解明を試みた。

【結果】

1. 相乗的な活性酸素産生に介在する分子の探索

FcγII受容体とfMLP受容体を共に刺激(以下、共刺激と略記)した際の相乗的な活性酸素産生は、Src型チロシンキナーゼ阻害薬のPP2によってほぼ完全に抑制された。そこで、相乗的な細胞応答を誘起する分子の候補として、まずSrc型チロシンキナーゼを考えた。Srcファミリーの中で、Fynの活性化がFcγII受容体の架橋刺激で起こることを見出したが、fMLP刺激によってその活性化に変動は認められず、相乗性を担う分子の実態はFynでないと結論付けた。一方で好中球における活性酸素産生に対しては、PI3-キナーゼ阻害薬のwortmanninが非常に強い抑制効果を示すことが報告されている。そこで、PI3-キナーゼの産物であるPIP3の変動について検討したところ、共刺激時に顕著な産生量の増大が認められ、また、その増強分がPP2によってほぼ完全に抑制されることを見出した。したがって、共刺激時の好中球における相乗的な活性酸素産生という細胞応答は、チロシンキナーゼ(Fyn)活性とリンクしたp85/p110型のPI3-キナーゼ近傍を介して起こる現象であると考えられた。

 受容体刺激に伴うp85/p110型PI3-キナーゼの活性化には、チロシンリン酸化されたアダプター蛋白質との結合が必要である。FcγII受容体の架橋刺激によって、2種のアダプター蛋白質c-CblとGab2がチロシンリン酸化されてPI3-キナーゼと結合し、その脂質キナーゼ活性を亢進することを明らかにした。共刺激時、Gab2と結合するPI3-キナーゼの活性のみが相乗的に増強されたことから(図2)、細胞内PIP3産生の増強はGab2によって引き起こされるものと考えられた。また、Gab2ノックアウトマウス由来の好中球や、PI3-キナーゼと結合できないGab2変異体を導入した細胞において、相乗的な活性酸素産生が顕著に抑制された。これらの結果より、相乗的なPIP3産生や活性酸素産生を誘起する分子として、PI3-キナーゼのアダプターGab2の重要性が考えられた。そこでGab2に着目し、さらに詳細な検討を進めた。

2. Gab2の分子量シフトを引き起こすメカニズムの解明

 刺激依存的なGab2の動態について検討したところ、fMLP刺激によってSDS-PAGE上でのGab2の移動度が高分子量側へシフト(分子量シフト)する現象を見出した。百日咳毒素(Gi/Goと受容体との脱共役)、およびPD98059(ERKキナーゼ阻害薬)で細胞を処理した際に、その分子量シフトが抑制されたことから、Gi、およびERKの活性化を介してGab2が何らかの化学修飾を受けている可能性が示唆された。リン酸化セリン/スレオニンホスファターゼ処理によってGab2の分子量シフトが抑制されたこと、in vitroにおいてERKがGab2をリン酸化したことより、Gab2の分子量シフトを引き起こす化学修飾は、ERKによるセリン/スレオニン残基へのリン酸化であると考えられた。

3. Gab2を介した相乗的な細胞応答

 PD98059処理によってGab2の分子量シフト(セリン/スレオニン残基のリン酸化)が抑制されている条件下、Gab2によるPI3-キナーゼ活性の増強はほぼ完全に抑制された。同様に、細胞内PIP3産生(図3A)や活性酸素産生(図3B)も、共刺激時に見られる増強分のみがPD98059処理によって特異的に抑制された。これらの結果より、FcγII受容体とfMLP受容体からのシグナルがGab2上でクロストークして、相乗的な細胞応答を誘起することが示唆された。

4. fMLP受容体を介したERKの活性化機構の解析

 fMLP受容体からERKの活性化に至る経路を明らかにする目的で、種々の阻害薬による検討を行った。その結果、百日咳毒素、wortmannin、1級ブタノールのそれぞれで細胞を処理した際に、ERKの活性が顕著に抑制されることを見出した。fMLP受容体の下流で活性化されるPI3-キナーゼはp101/p110型である。また、1級ブタノール存在下では、PLDの活性化に伴うホスファチジン酸の産生が阻害される。wortmanninと1級ブタノールに対する感受性から、ERKの活性化におけるp101/p110型PI3-キナーゼとPLDの関与が示された。さらにwortmanninと1級ブタノールの共存下で、fMLP刺激によるERKの活性がほぼ完全に抑制されるという結果を得た(図4)。以上の結果より、fMLP刺激によるERKの活性化には、p101/p110型PI3-キナーゼとPLDが協調的に作用していることが考えられた。また、Gab2の分子量シフト(セリン/スレオニン残基のリン酸化)はwortmannin、1級ブタノールの処理によって抑制されたことから、p101/p110型PI3-キナーゼ、PLDを介して活性化されたERKがGab2をリン酸化する可能性が示唆された。

 チロシンキナーゼ型受容体によるERKの活性化に関しては、古典的MAPK経路(Ras/Raf/MEK/ERK)を介するシグナル伝達がよく解析されている。古典的MAPK経路においてERKはその上流キナーゼであるMEKにより活性化され、MEKはさらにその上流キナーゼ、Rafによるリン酸化で活性化する。RafはGTP型の低分子量G蛋白質、Rasとの結合により活性化する。本研究において、G蛋白質共役型のfMLP受容体を介してもMEKのリン酸化が検出され、このリン酸化がwortmanninや1級ブタノールの処理によって消失することを見出した。さらに、fMLP刺激に応じて増加するGTP型Rasの量は、wortmannin処理、および、1級ブタノール処理によって顕著に抑制されるという結果を得た。したがって、p101/p110型PI3-キナーゼとPLDがfMLP刺激によるRasの活性化に関与し、Rasより始まる古典的MPAK経路を介して、ERKの活性化を引き起こしている可能性が示唆された。

【まとめ】

 本研究において、1) アダプター蛋白質Gab2がFcγII受容体の架橋刺激によってチロシンリン酸化され、p85/p110型PI3-キナーゼと結合すること、2) fMLP刺激下、Gab2がERKによってセリン/スレオニンリン酸化され、結合するp85/p110型PI3-キナーゼの活性を増強しうることを明らかにした。さらに、3) Gab2のセリン/スレオニン残基をリン酸化するERKの活性化にはp101/p110型PI3-キナーゼとPLDが介在しており、4) Gab2上で2種の受容体からのシグナルがクロストークした結果、細胞内PIP3産生や活性酸素産生の増強を引き起こしている可能性を見出した。

 PI3-キナーゼには、チロシンリン酸化されたアダプター蛋白質との結合によって活性化されるp85/p110型と、三量体GTP結合蛋白質共役型受容体の刺激で産生したGβγによって活性化されるp101/p110型がある。FcγII受容体の架橋刺激によってGab2はチロシンリン酸化されてp85/p110型PI3-キナーゼと結合し、その活性化を引き起こす。さらにfMLP刺激が加わると、Gab2が結合しているタイプとは異なるp101/p110型のPI3-キナーゼとPLDがシグナル伝達経路の上流で活性化する。その下流で活性化されたERKは、Gab2のセリン/スレオニン残基をリン酸化する。こうして、Gab2と結合するp85/p110型PI3-キナーゼの活性をさらに亢進させ、PIP3産生の増強を引き起こしているものと考えられる。PIP3産生の増大が、最終的な細胞応答としての相乗的な活性酸素産生を誘起する、という本研究で得られた好中球シグナル伝達のモデルを図5に提示した。

図1 Fcγ-Rll、およびfMLPR共刺激時の相乗的な活性酸素(O2-)産生

図2 c-Cbl、Gab2によって活性化されるPI3-キナーゼ

図3 細胞内PIP3産生と活性酸素産生に対するPD98059処理の効果

図4 fMLP刺激に依存したERKの活性化に対する阻害薬の効果

図5 相乗的活性酸素産生を誘起する好中球シグナル伝達のモデル図

審査要旨 要旨を表示する

 細菌感染に対する宿主の生態防御において、好中球は重要な役割を果たす免疫担当細胞の一種である。好中球は、主に殺菌作用をもつ活性酸素を産生して体内より異物を排除する。活性酸素はG蛋白質共役型の走化性因子fMLP受容体を介して産生されるが、同時に炎症性サイトカイン等で好中球を刺激すると、活性酸素の産生量が相乗的に増強するプライミング現象が知られていた。しかしながら、好中球のプライミング現象を引き起こす詳細な分子機構は不明であった。「細胞膜受容体刺激から活性酸素産生に至る好中球シグナル伝達機構の解析」と題する本論文においては、免疫グロブリンFCγII受容体によるプライミング機構を解析し、相乗的な活性酸素産生に介在する分子として脂質リン酸化酵素PI3-キナーゼのアダプター分子Gab2を見出した。さらに、FcγII受容体とfMLP受容体からのシグナルがGab2上の多重のリン酸化を介してクロストークした結果、相乗的な活性酸素産生が誘起される新たな可能性を提示している。

1. 相乗的な活性酸素産生はPI3-キナーゼのアダプターGab2を介する

 種々の阻害薬等による検討から、相乗的活性酸素産生を誘起する分子として、チロシンキナーゼ活性とリンクしたp85/p110型PI3-キナーゼの可能性を示した。このPI3-キナーゼはチロシンリン酸化されたアダプターとの結合によって活性化されるが、そのアダプターとしてGab2を見出した。FCγII受容体の架橋刺激によってチロシンリン酸化されたGab2は、PI3-キナーゼと結合してその活性を亢進させるが、fMLP受容体を同時に刺激すると、Gab2を介するPI3-キナーゼの活性が顕著に亢進した。また、Gab2ノックアウトマウス由来の好中球やp85/p110型PI3-キナーゼと結合できないGab2変異体を導入した細胞においては、相乗的な活性酸素の産生が消失した。したがって、この相乗的な細胞応答にはp85/p110型PI3-キナーゼが介在し、その脂質キナーゼ活性を調節するアダプター分子Gab2の重要性が示された。

2. fMLP刺激によって活性化されたERKはGab2をリン酸化する

 刺激依存的なGab2の動態について解析を進め、Gab2がFcγII受容体刺激によるチロシンリン酸化に加えて、fMLP受容体刺激によって化学修飾を受けることを明らかにした。阻害薬等による検討から、fMLPによるGab2の化学修飾はセリン/スレオニン残基へのリン酸化であり、G蛋白質Giを介して活性化されたERKがこのリン酸化に寄与することが示された。

3. Gab2の多重のリン酸化によって相乗的な細胞応答が引き起こされる

 FcγII受容体とfMLP受容体を同時に刺激すると、Gab2に結合したPI3-キナーゼの活性は顕著に増強される。MEK1阻害薬PD98059処理によってGab2のセリン/スレオニンリン酸化を抑制した条件下では、両受容体の同時刺激によるPI3-キナーゼ活性の増強が、ほぼ完全に抑制されることを見出した。また、同様の条件下において、両受容体を同時に刺激した時の細胞内PIP3産生の増強分、および活性酸素産生の増強分は特異的に抑制された。以上の知見から、Gab2のセリン/スレオニン残基へのリン酸化によりPI3-キナーゼの活性が増強し、細胞内PIP3産生が増大した結果、相乗的な活性酸素産生が誘起される可能性が示された。

4.fMLP刺激によるERK活性化にはPI3-キナーゼとホスホリパーゼDが関与する

 種々の阻害薬を用いた検討より、fMLP受容体からERK活性化へと至る経路には、先に同定した分子種とは異なるp101/p110型PI3-キナーゼとホスホリパーゼDが介在することを見出した。また、両分子の下流において、MEKのリン酸化、およびGTP型Ras量の増加が認められた。以上の結果より、fMLP刺激によってp101/p110型PI3-キナーゼとPLDが活性化され、Rasより始まる古典的MAPキナーゼ経路介してERKの活性化に至るシグナル伝達経路の存在が新たに示された。

 本研究においては、好中球の相乗的な活性酸素産生に介在する分子として、p85/p110型PI3-キナーゼとそのアダプターGab2を同定した。FcγII受容体の架橋刺激によってチロシンリン酸化されたGab2はp85/p110型PI3-キナーゼと結合するが、G蛋白質共役型のfMLP受容体刺激は、Gab2のセリン/スレオニン残基をリン酸化することを明らかにした。さらに、Gab2のセリン/スレオニン残基は、p101/p110型PI3-キナーゼとホスホリパーゼDの下流で活性化されたERKによってリン酸化されること、Gab2のセリン/スレオニン残基のリン酸化がPI3-キナーゼの活性を増強し、その結果として相乗的な活性酸素産生という細胞応答に寄与することを示している。これらの研究成果は、好中球が効率よく異物の排除を行う上での活性酸素産生を誘起する分子基盤の理解に有用な知見を提供しており、博士(薬学)の学位として十分な価値があるものと認められる。

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