学位論文要旨



No 120438
著者(漢字) 中尾,和人
著者(英字)
著者(カナ) ナカオ,カズヒト
標題(和) 扁桃体による歯状回シナプス可塑性の調節
標題(洋)
報告番号 120438
報告番号 甲20438
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1137号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 川原,茂敬
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

 記憶・学習などの脳高次機能は、神経回路網のダイナミックな可塑的変化を基盤にしている。長期増強(Long-term potentiation:LTP)や長期抑圧(Long-term depression:LTD)はシナプス可塑性のモデルとして、精力的に研究が行われている。特に、記憶形成に重要な役割を担っていると思われる海馬では、その研究が著しい。

 一方、扁桃体は、海馬と同じ古皮質由来の脳部位で、恐怖や情動に深く関与していると考えられてきた。しかしながら、最近の行動薬理学的解析から、扁桃体は単に恐怖記憶を形成するだけでなく、他の脳部位の記憶を調節しているのではないかという仮説が提唱されてきている。しかし、この仮説を証明するような電気生理学的解析は今まで十分に行われてこなかった。そこで、私は、海馬-扁桃体両者の神経連絡が残っている麻酔下ラットを用い、扁桃体刺激による歯状回シナプス可塑性への影響について詳細に解析を行った。

【方法と結果】

 雄のWistar系ラット(290g〜390g)をウレタン-クロラロース麻酔し、内側貫通線維(MPP)を刺激して、歯状回(Dentate gyrus:DG)より誘発する集合シナプス電位(fEPSP)を記録した。また同時に扁桃体基底外側核(Basolateral amygdala:BLA)を刺激し、MPP-歯状回シナプス可塑性に対する影響を検討した。

1. BLA刺激による歯状回顆粒細胞の活性上昇

 BLA刺激2時間後、神経活動の指標であると考えられているc-Fos活性染色を行った。BLA刺激群は、刺激した同側の歯状回で高いc-Fos発現が認められた。

 次に、BLAおよびMPPを刺激し、層に対して垂直に記録電極を移動して細胞外電位を記録し、

電流源密度解析法を使い、シナプス電位の発生源を求めた。MPP刺激による電流吸い込みはinner molecular layerに、BLA刺激による電流吸い込みはouter molecular layerに観察された(Fig.1)。またBLA刺激による誘発電位の潜時がMPPと比べ長かったことから、BLAはMPPと異なり、複数のシナプスを介してouter molecular layerにシナプスを形成し、歯状回顆粒細胞の活性を上昇させていると思われる。

2. BLA刺激によるBCM曲線への影響

 In vivoでは難しいと言われていたLTDをコンスタントに誘導するため、私はlow frequency burst stimulation(LFBS)を見出した(Fig.2A)。この刺激条件のpulse数のみを変えることにより、刺激の強さに応じ、LTDからLTPまで連続的に誘導することに成功した(Fig.2D)。これはBienenstock,Cooper,Monroらによって提唱されたBCM曲線をin vivoで具現化したものであり、BCM曲線の閾値は以前または同時に生じた神経活動によって変化すると言われている。そこで、BLAに強い刺激として64pulsesのLFBSをMPP刺激と同時に与え、MPP-DGシナプスにおけるBCM曲線への影響について検討した。MPPのみに12pulsesのLFBSを与えると、LTPは誘導しなかったが、同時にBLAに64pulsesのLFBSを伴うと、LTPが誘導された(Fig.2B)。逆に、MPPのみに4pulsesのLFBSを適用するとLTDが誘導されるが、同時にBLAに64pulsesのLFBSが伴うとLTDが阻害された(Fig.2C)。同様に刺激条件を変えて検討してみたところ、BLAに強い刺激が伴うとBCM曲線は上にシフトすることがわかった(Fig.2D)

 次に、MPPに適用する刺激条件を8pulsesのLFBSに固定し、同時にBLAに与えるLFBSのpulse数を変えて検討したところ、同様にBCM曲線を示せた。したがって、BLAの刺激の強さによってMPP-DGシナプスの可塑性が変化すると考えられる。

 そこで次に、BLAに弱い刺激として4pulsesのLFBSをMPP刺激と同時に与え、MPP-DGシナプスにおけるBCM曲線への影響について検討した。MPP刺激のみでLTPを誘導する条件に、同時にBLAに4pulsesのLFBSを適用すると、LTPが阻害された(Fig.3A)。逆に、MPP刺激のみでLTDが誘導される条件に、同時にBLAに4pulsesのLFBSが伴うとLTDが増強された(Fig.3B)。同様に刺激条件をふって検討してみたところ、BLAに弱い刺激が伴うとBCM曲線は下にシフトすることがわかった(Fig.3C)。

3. BLA活動履歴による歯状回シナプス可塑性への影響

 priming刺激としてBLAに高頻度刺激あるいは低頻度刺激を与えると、BLA-DGシナプスにLTPおよびLTDが誘導された(Fig.4A)。その5分後に、BLAとMPPに同時刺激を行うと、BLA primingの影響で、MPP-DGシナプス可塑性が変動した(Fig.4B)。また、BLA-DGシナプスの波形の大きさとMPP-DGシナプスの可塑的変化率の間には高い相関性があった(Fig.4C)。以上より、BLA-DGシナプスの結合の強さが歯状回シナプス可塑性の調節を決定していると示唆された。

【まとめと考察】

 本研究において、私は以下の点を明らかにした。(1)BLAは、歯状回のouter molecular layerにシナプスを形成し、歯状回顆粒細胞の活動を上昇させている。(2)BLAは、その活動に基づき、両方向に歯状回シナプス可塑性をコントロールしている。(3)BLAによる歯状回シナプス可塑性の調節は、BLA-DGの結合の強さ、すなわちBLAの活動履歴に依存している。

 以上のようなBLAによる歯状回シナプス可塑性のメタ調節は、扁桃体による海馬依存性学習の修飾に相当すると思われる。本研究は、海馬と扁桃体、すなわち情動と記憶の関係を考える上で非常に重要な知見であると思われ。

Fig.1 BLA刺激による歯状回誘発電位の電流源密度解析

Fig.2 BLAに強い刺激を与えた時の歯状回シナプス可塑性への影響

Fig.3 BLAに弱い刺激を与えた時の歯状回シナプス可塑性への影響

Fig.4 BLA活動履歴による歯状回シナプス可塑性への影響

審査要旨 要旨を表示する

 記憶・学習などの脳高次機能は、神経回路網のダイナミックな可塑的変化を基盤にしている。長期増強(Long-term potentiation:LTP)や長期抑圧(Long-term depression:LTD)はシナプス可塑性のモデルとして、精力的に研究が行われている。特に、記憶形成に重要な役割を担っている海馬では、広範な研究が行われているが、海馬内のシナプス伝達解析が主であり、海馬外の神経活動による影響を解析した研究は驚くほど少ない。

扁桃体は海馬と同じ古皮質由来の脳部位で、恐怖や情動に深く関与していると考えられてきた。最近の行動薬理学的解析から、扁桃体は恐怖記憶の形成だけでなく、他の脳部位の記憶を調節しているのではないかと考えられるようになってきた。しかし、その電気生理学的な実証は今までほとんどなされていない。本研究では麻酔下ラットを用い、海馬体-扁桃体の神経連絡が存在する状態で扁桃体活動と歯状回シナプス可塑性との関係を詳細に解析した。

 扁桃体基底外側核(Basolateral amygdala:BLA)を電気刺激し、2時間後に神経活動の指標であるc-Fosの発現レベルを解析した。その結果、BLA刺激により同側の歯状回で高いc-Fosレベルの上昇が認められ、扁桃体の神経活動により歯状回の活動も上昇することを確認した。次に、BLAおよび内側貫通線維(MPP)を刺激し、樹状突起に沿って記録電極をゆっくり刺入し電流源密度解析を行った。シナプス部位と考えられる電流吸い込み部位はMPP刺激の時は内側分子層、BLA刺激の時は外側分子層で観察された。またBLA刺激による誘発電位の潜時がMPPと比べて長かった。従って、BLAからの神経投射はMPPとは異なり、複数のシナプスを介し、またMPPとは異なる部位にシナプスを形成し、歯状回顆粒細胞の活性を上昇させていることを明らかにした。

 In vivo記録ではLTDをコンスタントに解析する条件設定が難しかったが、low frequency burst stimulation(LFBS)が最適であることを見出した。この刺激条件でパルス数のみを変えることにより、刺激の強さに応じてLTDからLTPまで連続的に誘導することに成功した。これはBienenstock,Cooper,Monroらによって提唱されたBCM曲線をin vivoで初めて具現化したものである。BCM曲線の閾値は以前または同時に生じた神経活動によって変化すると考えられている。そこで、BLAに強い刺激として64pulsesのLFBSをMPP刺激と同時に与え、MPP-DGシナプスにおけるBCM曲線への影響について検討した。MPPのみに12pulsesのLFBSを与えると、LTPは誘導されなかったが、同時にBLAに64pulsesのLFBSを伴うと、LTPが誘導された。逆に、MPPのみに4pulsesのLFBSを適用するとLTDが誘導されるが、同時にBLAに64pulsesのLFBSが伴うとLTDが阻害された。同様に刺激条件を変えて検討してみたところ、BLAに強い刺激が伴うとBCM曲線は上にシフトすることが分かった。

 次に、MPPに適用する刺激条件を8pulsesのLFBSに固定し、同時にBLAに与えるLFBSのパルス数を変えて検討したところ、同様にBCM曲線が得られた。BLAに弱い刺激として4pulsesのLFBSをMPP刺激と同時に与え、MPP-DGシナプスにおけるBCM曲線への影響について検討した。MPP刺激のみでLTPを誘導する条件に、同時にBLAに4pulsesのLFBSを適用すると、LTPが阻害された。逆に、MPP刺激のみでLTDが誘導される条件に、同時にBLAに4pulsesのLFBSが伴うとLTDが増強された。同様に刺激条件を変えて検討してみたところ、BLAに弱い刺激が伴うとBCM曲線は下にシフトすることがわかった。

 プライミング刺激としてBLAに高頻度刺激あるいは低頻度刺激を与えると、BLA-DGシナプスにLTPおよびLTDが誘導された。その5分後に、BLAとMPPに同時刺激を行うと、プライミングの影響で、MPP-DGシナプス可塑性が変動した。また、BLA-DGシナプスの波形の大きさとMPP-DGシナプスの可塑的変化率の間には高い相関性があった。以上より、BLA-DGシナプスの結合の強さが歯状回シナプス可塑性の調節を決定していることが示唆された。

 本研究では扁桃体の神経活動による海馬体のシナプス可塑性変動を解析し、BLAの活動レベルにより歯状回シナプス可塑性が両方向に変化すること、また、BLA-DGの結合強度、すなわちBLAの活動履歴に影響されることを明らかにした。以上のような、BLAによる歯状回シナプス可塑性のメタ調節は、扁桃体による海馬依存性学習の修飾に相当すると考えられる。従って、情動と記憶の関係を明らかにする上で本研究の果たした役割は非常に大きく、博士(薬学)に値すると判断した。

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