学位論文要旨



No 120441
著者(漢字) 馬場,敦
著者(英字)
著者(カナ) ババ,アツシ
標題(和) トポイソメラーゼ阻害薬による神経細胞死の機構解析
標題(洋)
報告番号 120441
報告番号 甲20441
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1140号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 助教授 西山,信好
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

 神経細胞死は発達期、あるいは脳血管障害等の病態時など様々な局面において認められ、その機序も多様である。トポイソメラーゼI阻害薬camptothecin (CPT)はDNA に障害を与え、増殖細胞では細胞周期のS 期において細胞を死に至らしめ、アポトーシスの典型として研究されている。しかしながら分裂を終えた分化を終了した神経細胞においても、CPT を含めトポイソメラーゼ阻害薬は、急速な細胞死を惹起する。この細胞死の過程において、細胞周期関連蛋白質の発現および酵素活性の変動に代表される、細胞周期異常進行が関与することが示唆されているものの、細胞死の詳細なメカニズムは不明である。

 ヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)は、ヒストンアセチル化酵素と共役してクロマチン構造を変化させる酵素であり、HDAC により様々な遺伝子の転写が負に制御されている。我々は神経細胞死の過程において、HDAC 阻害薬が細胞周期阻害蛋白質の発現変動を介して、神経保護作用を呈することを示してきた。以上の知見より本研究では、各種細胞周期停止薬物の神経保護作用とその機構を解析することにより、トポイソメラーゼ阻害薬による神経細胞死の機構を解析した。

【方法】

 胎生18 日齢Wistar 系ラット大脳皮質より調製した培養神経細胞(Div4)に各種トポイソメラーゼ阻害薬及び被験薬物を適用した。細胞生存率は曝露12hr後にMTT 法にて評価した。曝露後一定時間を経過した後に全細胞抽出液を調製し、Western blotting により蛋白発現量の変動を、クロマチン免疫沈降法によりアセチル化ヒストンと結合するクロマチンDNA の変動を検出した。統計は一元配置分散分析の後、Tukey 多群比較により検定した。

【結果】

1. トポイソメラーゼ阻害薬による細胞死に対する、各種細胞周期停止薬物の保護作用の検討

細胞周期進行はcyclin/cyclin dependent kinase (CDK)複合体形成に伴うCDK 活性の上昇により制御されている。そこでCPT (10 μM)による細胞死に対し、CDK 阻害薬olomoucine (1-100 μM)及び purvaranol A (10 nM―1 μM)、更に細胞周期を停止させるヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)阻害薬trichostatin A (TSA; 0.3-300 nM) の作用を検討した(Fig 1)。 両CDK 阻害薬はCPT 曝露後12hrまでの細胞死に有意な影響を及ぼさなかったのに対し、TSA は細胞死の約90%を抑制した。また、CPT 適用後G1 後期進行の指標であるRb 蛋白質のリン酸化状態を免疫抗体染色を用いて検出したところ、細胞が死に至らない段階でRb がリン酸化され、更にTSA (300 nM)及びolomoucine (100 μM)はいずれもこのリン酸化を抑制した。以上の結果より、本実験系においても細胞周期の再進行が確認されたものの、TSA の保護作用は細胞周期進行と異なる機構によるものであることが示唆された。

 TSA の作用点を探るため、他のHDAC 阻害薬suberoyl bis-hydroxamic acid (SAHA) の保護作用を検討した(Fig 2A)。 SAHA は1-30 μM の濃度域でCPT の細胞死に対しTSA と同等の保護作用を呈した。 また、TSA (300 nM)の保護作用はCPT 曝露後3hrまでに適用を開始すれば、共添加時と同等であった(Fig 2B)。 また、Western blotting法にて、TSA によりアセチル化ヒストン量が増加することが確認された(Fig 5A)。更に、各種HDAC 阻害薬はCPT と同様、トポイソメラーゼII阻害薬etoposide (ETP; 5 μM)の細胞死も抑制した。これらの結果より、TSA はトポイソメラーゼ阻害薬による細胞死に対し、単純な拮抗関係でなく、HDAC 活性の調節を介して保護作用を呈する事が示唆された。

2. HDAC 阻害薬の下流で制御される神経保護因子の探索

 HDAC はクロマチン構造の変化を誘発し、種々の遺伝子発現を負に制御していることが知られている。脳由来神経栄養因子(BDNF)は中枢神経系において細胞の生存・分化を促進する重要な神経保護因子であり、HDAC はメチルCpG 結合タンパクMeCP2 と複合体を形成することでBDNF の転写を負に調節しているとされる。以上の知見より、本実験系においてHDAC 阻害薬の保護作用にBDNF が関与する可能性を検討した。BDNF の主要な受容体であるTrk 型チロシンキナーゼ阻害薬k252a(100-300 nM )の適用により、CPT 、ETP の神経毒性に対しTSA の呈する保護作用は有意に阻害された(Fig 3A、B)。 また、k252a (300 nM )の適用開始時間を変更したところ、CPT 曝露4hrまでに適用開始すれば同等の抑制を示した(Fig 3C)。この時間経過はTSA による保護作用の場合とよく一致していた。更にBDNF 機能阻害抗体(3-10 μg/ml)の適用によりk252a と同等の保護作用の抑制が観察された(Fig 3D)ことから、TSA の作用にBDNF-Trk 系の亢進が寄与することが考察された。

 この仮説の傍証として、外因的にBDNF を適用することによってCPT、ETP の細胞死は有意に抑制された(Fig 4A、B)。k252a の共添加によりBDNF の作用が完全に消失したことから、この保護作用はTrk 型受容体を介することが明らかとなった(Fig 4C、D)。 TrkB の下流で活性化される主要な情報伝達系について検討したところ、MEK 阻害薬PD98059 により保護作用は完全に消失し、PI3 キナーゼ阻害薬Wortmaninn およびLY294002 により部分的に抑制された。この結果から、本実験系での細胞生存の維持にはMAPK 及びPI3K 系が重要な役割を果たすことが示唆され、神経細胞死における栄養因子除去モデルの場合とよく一致していた。

 HDAC 阻害薬とBDNF の神経保護作用の関係を更に検討するため、Western blotting法によりアセチル化ヒストン量を検出した(Fig 5A)。 CPT 曝露後4hrまでにアセチル化ヒストン量の低下が観察された。この低下はBDNF(30 ng/ml) 共添加により消失し、TSA(300 nM)により逆にヒストンの高アセチル化状態が検出された。アセチル化ヒストン抗体を用いたクロマチン免疫沈降法により、結合しているBDNF のexon3、exon4 promoter 領域を検出したところ、CPT 適用によりexon3、exon4 いずれのpromoter でも結合の低下が観察され、TSA の共添加により通常の結合状態まで回復していた(Fig 5B)。 BDNF の各promoter 領域の活性化機構が異なることを考え合わせれば、CPT による細胞死においてはHDAC を介して複数の機構によりBDNF の転写が抑制され、TSA はその転写を活性化することで神経保護作用を呈するものと考えられた。

【総括】

 本研究において、トポイソメラーゼ阻害薬の細胞死においてヒストン脱アセチル化が亢進し、その下流でBDNF の転写が抑制されることを初めて明らかとした。これまでの知見では中枢神経細胞においても増殖性細胞と同様の機構により細胞死が誘導されるものと考えられてきたが、本研究によりBDNF産生という神経細胞に特異的な機構を介した経路が神経細胞死に寄与することが初めて示唆された。

Fig 1 細胞周期停止薬物の保護作用

縦軸は無処置群の細胞生存率 **P<0.01 vs CPT、単位はμM

Fig 2 HDAC 阻害薬の保護作用

**P<0.01 vs CPT or ETP

Fig 3 HDAC 阻害薬の保護作用はBDNF-Trk を介する

**P<0.01 vs CPT or ETP 、#P<0.05, ##P<0.01 vs CPT+TSA or ETP + TSA

Fig 5 CPT によりHDAC 活性が上昇し、BDNF の転写が抑制される

A CPT (10 μM)、及びBDNF (30 ng/ml)あるいはTSA (300 nM)の共添加、1hr後(左)、4hr後の細胞抽出液を用い、抗アセチル化ヒストンH4 抗体を用いて検出した。

B CPT (10 μM)あ.るいはTSA (300 nM)の共添加4hr 後の細胞抽出液より抗アセチル化ヒストンH3 抗体(AcH3)および抗アセチル化ヒストンH3 抗体(AcH4)抗体を用いてクロマチン免疫沈降を行い、exon3 promoter 及びexon4 promoter を認識するprimer を用いてPCR により結合DNA を検出した。

審査要旨 要旨を表示する

 神経細胞死は発達期、あるいは脳血管障害等の病態時など様々な局面において認められ、その機序も多様である。トポイソメラーゼI阻害薬であるcamptothecin (CPT)はDNA に障害を与え、増殖細胞では細胞周期のS 期において細胞を死に至らしめ、典型的なアポトーシスを来すため、多くの研究がなされている。しかし、分裂を終え分化を終了した成熟神経細胞においても、CPTなどのトポイソメラーゼ阻害薬は急速な細胞死を惹起する。この細胞死の過程において細胞周期異常進行が関与することが示唆されているものの、詳細なメカニズムは不明である。

 ヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)は、ヒストンアセチル化酵素と共役してクロマチン構造を変化させる酵素であり、様々な遺伝子の転写を負に制御している。今までの研究で、神経細胞死の過程において、HDAC 阻害薬が細胞周期阻害蛋白質の発現変動を介して、神経保護作用を呈することを示してきた。本研究では、各種細胞周期停止薬物の神経保護作用とその機構を解析することにより、トポイソメラーゼ阻害薬による神経細胞死の機構を解析した。実験にはラット胎仔の大脳皮質より調製した初代培養神経細胞を用いた。

 まず、トポイソメラーゼ阻害薬による細胞死に対する、各種細胞周期停止薬物の保護作用を検討した。細胞周期進行はcyclin/cyclin dependent kinase (CDK)複合体形成に伴うCDK 活性の上昇により制御されている。そこでCPT による細胞死に対する、CDK 阻害薬olomoucine とpurvaranol A 、更に細胞周期を停止させるHDAC阻害薬trichostatin A(TSA)の作用を検討した。両CDK 阻害薬はCPT 曝露後の細胞死に有意な影響を及ぼさなかったのに対し、TSAは細胞死の約90%を抑制した。また、CPT適用後G1 後期進行の指標であるRb 蛋白質のリン酸化状態を免疫抗体染色を用いて検出したところ、細胞死に至らない段階でRb がリン酸化され、更にTSA 及びolomoucine はいずれもこのリン酸化を抑制した。以上の結果より、CPTによる細胞死においても細胞周期の再進行が確認されたが、TSAの神経保護作用は細胞周期進行と異なる機構によるものであることが示唆された。

 TSA 以外のHDAC 阻害薬 suberoyl bis-hydroxamic acid もTSA と同程度にCPT による細胞死を抑制した。また、TSA の保護作用はCPT曝露後3時間までに適用を開始すれば、共添加時と同等であった。Immunoblotting により、TSA によってアセチル化ヒストン量が増加することを確認した。更に、各種HDAC 阻害薬はCPT と同様にトポイソメラーゼII阻害薬etoposide の細胞死も抑制した。これらの結果より、TSAはトポイソメラーゼ阻害薬による細胞死に対し、単純な拮抗関係でなく、HDAC活性の調節を介して保護作用を呈する事が示唆された。

HDAC はクロマチン構造の変化を誘発し、種々の遺伝子発現を負に制御していることが知られている。脳由来神経栄養因子(BDNF)は中枢神経系において細胞の生存・分化を促進する重要な神経保護因子であり、HDACはメチルCpG 結合タンパクMeCP2 と複合体を形成することでBDNF の転写を負に調節しているとされている。以上の知見より、本実験系においてHDAC 阻害薬の保護作用にBDNF が関与する可能性を検討した。BDNFの主要な受容体であるTrk 型チロシンキナーゼ阻害薬k252a の適用により、CPT、ETPの神経毒性に対しTSAの呈する保護作用は有意に阻害された。また、k252a の適用開始時間を変更したところ、CPT曝露4 時間までに適用開始すれば同等の抑制を示した。この時間経過はTSA による保護作用の場合とよく一致していた。更にBDNF 機能阻害抗体の適用によりk252a と同等の保護作用の抑制が観察されたことから、TSA の作用にBDNF-Trk 系の亢進が寄与することが考察された。

 内因性のBDNF が関与していることの傍証として、外因的にBDNF 適用効果を検討したところ、CPT、ETP による細胞死は有意に抑制された。k252aの共添加によりBDNF の作用が完全に消失したことから、この保護作用はTrk 型受容体を介することが明らかとなった。TrkBの下流で活性化される主要な情報伝達系について検討したところ、MEK阻害薬PD98059 により保護作用は完全に消失し、PI3キナーゼ阻害薬Wortmaninn およびLY294002 により部分的に抑制された。これらの結果から、細胞生存の維持にはMAPK及びPI3K 系が重要な役割を果たすことが示唆され、神経細胞死における栄養因子除去モデルの場合とよく一致していた。

 HDAC 阻害薬とBDNF の神経保護作用の関係を更に検討するため、Immunoblottingによりアセチル化ヒストン量を検出した。CPT曝露後4時間までにアセチル化ヒストン量の低下が観察された。この低下はBDNF 共添加により消失し、逆にTSA によりヒストンの高アセチル化状態が検出された。アセチル化ヒストン抗体を用いたクロマチン免疫沈降法により、結合しているBDNF のexon3、exon4 promoter 領域を検出したところ、CPT適用によりexon3、exon4いずれのpromoterでも結合の低下が観察され、TSA の共添加により通常の結合状態にまで回復していた。BDNF の各promoter 領域の活性化機構が異なることを考え合わせれば、CPTによる細胞死においてはHDACを介して複数の機構によりBDNF の転写が抑制され、TSA はその転写を活性化することで神経保護作用を呈するものと考えられた。

 本研究において、トポイソメラーゼ阻害薬の細胞死においてヒストン脱アセチル化が亢進し、その下流でBDNF の転写が抑制されることを初めて明らかとした。これまでは中枢神経細胞においても増殖性細胞と同様の機構により細胞死が誘導されるものと考えられてきたが、本研究によりBDNF 産生という神経細胞に特異的な機構を介した経路が神経細胞死に寄与することが初めて示唆された。このように本研究は、神経細胞死のメカニズムやその保護に新しい視点を与えるものであり、博士(薬学)の学位に値すると判断した。

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