学位論文要旨



No 120442
著者(漢字) 藤澤,茂義
著者(英字)
著者(カナ) フジサワ,シゲヨシ
標題(和) 海馬反回性回路における同期活動形成のダイナミクスとその役割
標題(洋) The dynamics of synchronous activity organization in the hippocampal recurrent networks
報告番号 120442
報告番号 甲20442
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1141号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 助教授 川原,茂敬
 東京大学 講師 山田,麻紀
内容要旨 要旨を表示する

神経細胞の同期的活動は認知や知覚の過程に深く関わっていると考えられている。しかし、神経細胞のネットワークにおいてどのように同期活動が形成され、それがどのように個々の神経細胞の情報処理活動に関係してくるのかは、未だ明らかにされていない。

本研究では、海馬のCA3 野に注目して、ネットワークの同期活動に関する研究を行った。海馬のCA3 領域では、神経細胞同士が密にコネクションを作っている。このようにお互いにコネクションが存在するネットワークはリカレントネットワークと呼ばれ、このリカレントネットワークは脳の神経回路の中でもっとも重要な局所回路のひとつと考えられている。本研究ではこのリカレントネットワークにおいてどのように同期活動が形成され、ネットワークの情報処理活動とどう関係してくるのか研究した。

1.海馬錐体細胞のカオス的な膜電位の振動

本研究では、リカレントネットワークでバックグラウンドに存在する、周期的な電位の振動にたいして、細胞がどのように応答するかを研究した。実験は海馬分散培養細胞において、パッチクランプ法による膜電位記録を行い、カレントインジェクションによりにより、周期的な電位の振動を生じさせた。このとき、電位の振動の周波数が低いとき(~10Hz)では、細胞は規則正しい応答を行うが、電位の振動の周波数が高くなる(~20Hz)と、カオス状態と呼ばれる不規則な応答を行う状態に遷移する現象が観察された。このカオス状態は、BDNF(脳由来神経栄養因子)を適用することにより抑制されることが観察された。この結果より、海馬錐体細胞の応答性は、バックグラウンドの振動の周波数の違いにより大きな影響を受けており、さらにBDNF がそのような周波数依存的な応答性を調整する役割を持つことが示唆される。

2.CA3 リカレントネットワークでの発火パターンにおけるgamma 波の作用

本研究では、リカレントネットワークでの発火パターンにおけるgamma 波の役割を調べるため、海馬スライス培養切片CA3 領域での電気生理実験を行った。まず、CA3 の錐体細胞層に刺激電極をおき、そこから数100μm 離れた錐体細胞にパッチクランプを行い、膜電位の測定を行った。ここで、刺激電極から比較的小さな単発の電気刺激を与えた場合、刺激位置と離れたところにある細胞は、あるdelay ののち発火が生じた(Fig1A)。これは比較的小さな入力でも、リカレントネットワークによって刺激入力が増幅されるためであると考えられる。ここで、刺激入力から発火までのdelay はtrial ごとに大きなばらつきが存在した。さて次に、background にgamma-band (40Hz)の電場を生じさせた状態で、同様の実験を行った。ここで、本研究では、刺激電極より細胞外からサインウェーヴの電場を与えることにより、CA3 領域にgamma-band のoscillation 電場を作製した。このようなgamma-band oscillation が存在する状態で単発の電気刺激を与えた場合、刺激入力から発火までのdelay のtrial ごとのばらつきが減少し、初発の発火タイミングのCV 値を計算したところ、gamma 電場なしのときと比べて有意に減少していることが測定された。すなわちバックグラウンドにgamma-band oscillation が存在することによりリカレントネットワークにおけるスパイク伝達の精度が上昇した(Fig1A)。

つぎに、上記の実験系において、ネットワーク内でどのようなシナプス伝達が行われているのかを考察するため、単発刺激を発火の生じない大きさに減らして、同様の実験を行った。また、パッチクランプ電極内液にQX314(電位依存性Na チャネル阻害剤)を加えることで、測定細胞の発火を押さえた。さて、gamma-band oscillation が存在する状態で単発の電気刺激を与えた場合、刺激入力からあるdelay の後、膜電位がgamma 波に同期して振動する現象がみられた(Fig 2)。このような膜電位の同期は、background のgamma oscillation 単独ではそれほど大きくなく、ネットワークによって増幅されたものと考えられる。ここで、この膜電位のgamma 波同期振動がシナプス入力によるものなのかどうかを調べるために、CNQX あるいはAP5 存在下で実験を行ったところ、CNQX では完全にこの作用が抑制され、またAP5 では部分的にこの作用が抑制された。つぎに、この作用の周波数依存性を調べるために、同一の細胞において、background のgamma oscillation の周波数を変化させて、その増幅のされ方を測定した。このとき、シナプス入力のgamma 波同期の大きさは、gamma の周期によって異なることが観察された。

3.CA3 錐体細胞に生じる刺激依存的な自発的発火パターンの変化

海馬スライス培養切片のCA3 野錐体細胞においてパッチクランプ法により膜電位を記録した。ここで、CA3 野錐体細胞において、muscarine レセプターのagonist であるcarbachol 存在下において、同期的活動がどのように形成されるかを実験した。まず、CA3 のリカレントネットワークを刺激するため、CCh 10 μM 存在下で、500ms のカレントインジェクションを10 秒ごとにおこなって変化を観察したところ、発火パターンがgraded に変化する現象が観察された(Fig 3)。発火パターンは、static な状態、sporadic な発火、burst 発火、UP-DOWN 、およびtheta 的なpersistent 発火が存在した。ここで、各状態を、それぞれstate I,state II,state III,state IV,state V と定義する。このように、carbachol 存在下で、カレントインジェクション刺激によって発火パターンを変化させる細胞は、71 スライス中 66 スライスであった。この現象は、muscarine レセプターのantagonist である atoropine 存在下では観察されなかった。

次に、carbachol 存在下での、CA3 錐体細胞における刺激依存的な状態遷移がどのようなメカニズムで生じているかを調べるための実験をおこなった。まず、CNQX 、AP5、 PTX の混合を適用しシナプス入力をblock すると、この刺激依存的な状態遷移が生じなくなることが観察された。すなわち、この状態遷移現象は、シナプス入力依存的であることが示された。つぎに、2細胞で同時に記録を行い、1つの細胞のみにカレントインジェクションして状態遷移を引き起こさせ、その時もう一方の細胞がどのような挙動をするかを観察したところ、刺激をしてない側の細胞も、刺激をした細胞に同期して状態遷移をしていくことが観察された(Fig4)。このことは、刺激依存的なstate の遷移は、ネットワーク依存的であることを示している。つまり、ネットワーク全体の活動レベルによって、細胞の発火パターンのstate が変化することを示唆するデータなのである。

 つぎに、subthreshold の膜電位の同期がstate によってどのように変化するかを調べるために、各状態での膜電位のcross correlation を計算した。このとき、state I に比べて、state IV では周波数5~10Hz 程度の同期活動がとても強くなっていることが観察された。このことは、state が変化していくに従って、ネットワークの同期活動が変化していく、ということを示唆している。

つぎに、このような現象のメカニズムが何であるのかを考察するため、リカレントネットワークのモデルを構築した。ここで、このようなネットワーク状態の遷移は、ある統計的挙動に従うのではないかという仮説から、固体統計物理における相転移理論を応用してモデル理論を構築したところ、この理論はネットワーク状態遷移の現象をよく模擬できることがわかった。

総括

本論文では、海馬培養細胞および海馬スライス培養切片を用いて、神経細胞の同期活動と、その応答性において研究を行った。特に、個々の神経細胞だけでなく、ネットワークとしての活動を評価した、という点は新規な点である。このような「ネットワーク活動を評価する」という研究は、重要性は認識されつつも世界的に研究が進んできたのはここ2〜3年で、しかも新皮質に注目したものが多く、海馬でネットワーク活動を評価した研究はまだ少ない。特に、本研究(3)では、ネットワークに複数の内部状態があること、その内部状態はネットワークの細胞同士で同期していること、その内部状態は刺激により遷移しうること、を示した。また、この現象の理論的研究から、このようなネットワーク同期活動の解析に関し、統計物理による相転移理論がこの現象にあるアナロジーをもっていることが示された。このような、ネットワークとしての同期活動を評価する研究は、今後、認知や記憶の研究をおこなううえでますます重要になっていくと考えられ、本研究はその基本的な視点を与える研究のひとつであると考える。

参考文献Fujisawa S,Matsuki N and Ikegaya Y. Submitting for publication.Fujisawa S,Matsuki N and Ikegaya Y (2004) J. Physiol.,560:123-131.Fujisawa S,Yamada MK,Nishiyama N,Matsuki N and Ikegaya Y (2004) Biophys. J.,86:1820-1828.

Fig 1 Gamma 波によるリカレント活動のタイミング調整

A. gamma 波のない状態(左)とgamma 波の存在する状態(右)で刺激電極から単発刺激を与えたもの。単発刺激はガンマ波の位相が90 度のときに加えた。(上)代表的な膜電位の波形。(中)刺激電極から与えた電場および刺激。(下)15 trial のラスター・プロット。B. 刺激入力時のgamma 波の位相によって、遅延時間の大きさが異なった。C. B において、遅延時間の大きさに関わらず、SD は一定に保たれたままであった。

Fig 2 リカレントネットワークでのGamma 波の増幅

A リカレント・ネットワークでのgamma 波の増幅。gamma-band oscillation が存在する状態で単発の電気刺激を与えたとき(a) 、単発の電気刺激を与えたとき(b) 、gamma-band oscillation のみのとき(c)の膜電位の波形。(a) では刺激入力からあるdelay の後、膜電位がgamma 波に同期して振動する現象がみられた。(d)Fourier 変換をおこない、周波数特性をみた。BAPV 存在下でgamma-band oscillation が存在する状態で単発の電気刺激を与えた。(a)control 、(b)APV 存在下、(c)wash 後の波形。C 各条件でのFFT peak area を比較したもの。N=8-23 。**p < 0.01gamma 、##p < 0.01 vs Gamma+Trigger。

Fig 3 Carbachol 存在下でCA3 錐体細胞に生じる刺激依存的な状態の変化

500ms のカレントインジェクションを10 秒ごとにおこなうことにより、発火パターンがgraded に変化した。発火パターンは、static な状態、sporadic な発火、burst 発火、UP-DOWN、およびtheta 的なpersistent 発火が存在した。

Fig 4 刺激によるstate の変化は、ネットワーク依存的である

A. 2細胞同時期録を行ったときの各細胞の波形。細胞1にのみカレントインジェクションをおこなっているにもかかわらず、細胞2の状態も細胞1と同期して遷移した。B. 同期性の評価。直接的なシナプス結合の有無や細胞間の距離に関わらず、state のみに依存して同期性が上昇した。

審査要旨 要旨を表示する

 神経細胞の同期的活動は認知や知覚の過程に深く関わっていると考えられている。しかし、神経細胞のネットワークにおいてどのように同期活動が形成され、それがどのように個々の神経細胞の情報処理活動に関係してくるのかは、未だ明らかにされていない。海馬CA3 領域では、反回性回路(リカレントネットワーク)と呼ばれる神経細胞同士の密な連絡があり、脳の神経回路の中で重要な局所回路の一つ考えられている。本研究では、この海馬のCA3 野におけるリカレントネットワークにおける同期活動の形成メカニズムおよび情報処理活動との関係について解析した。

1.海馬錐体細胞のカオス的な膜電位の振動

 リカレントネットワークでバックグラウンドに存在する周期的な電位の振動に対する神経細胞応答を研究した。海馬分散培養細胞にパッチクランプ法を適用し、周期的な電位の振動を生じさせた。振動周波数が低い時(~10Hz)は規則正しい応答を行うが、電位振動の周波数が高くなる(~20Hz)とカオス状態と呼ばれる不規則な応答を行う状態に遷移した。このカオス状態は、BDNF(脳由来神経栄養因子)を適用することにより抑制された。この結果より、海馬錐体細胞の応答性は、バックグラウンドの振動の周波数の違いにより大きな影響を受けており、さらにBDNF がそのような周波数依存的な応答性を調整する役割を持つことを示唆した。

2.CA3 リカレントネットワークでの発火パターンにおけるgamma 波の作用

 リカレントネットワークでの発火パターンにおけるgamma 波の役割を調べるため、海馬スライス培養切片CA3 領域での電気生理学実験を行った。CA3 の錐体細胞層に刺激電極をおき、数100μm 離れた錐体細胞の膜電位測定を行った。刺激電極から比較的小さな単発の電気刺激を与えた場合には、ある潜時の後に発火が生じた。比較的小さな入力でも、リカレントネットワークによって刺激入力が増幅されたためであると考えられる。刺激入力から発火までの潜時は試行ごとに大きく変化した。次に、バックグラウンドにgamma-band(40Hz)の電場を生じさせた状態で、同様の実験を行った。刺激電極を通して細胞外よりサイン波の電場を与えることにより、CA3 領域にgamma-band のoscillation 電場を作成した。gamma-band oscillation が存在する状態で単発の電気刺激を与えた場合、刺激入力から発火までの潜時の試行ごとのばらつきが減少し、初発の発火タイミングのCV 値を計算したところ、gamma 電場なしのときと比べて有意に減少していることが測定された。すなわちバックグラウンドにgamma-band oscillation が存在することによりリカレントネットワークにおけるスパイク伝達の精度が上昇した。

 次に、ネットワーク内でどのようなシナプス伝達が行われているのかを明らかにするため、細胞内に局所麻酔薬を適用して発火を抑えた状態で検討した。その結果、弱い単発刺激でもgamma-band oscillation が存在すると一定の潜時の後に膜電位がgamma 波に同期して振動する現象を見出した。このような膜電位の同期は、ネットワークによって増幅されたものと考えられた。膜電位のgamma 波同期振動に関与するシナプス入力を検討した結果、non-NMDA 型受容体を介するグルタミン酸神経伝達が主で、NMDA 型受容体も一部関与することを明らかにした。さらに、バックグラウンドgamma oscillation の周波数を変化させると、シナプス入力のgamma 波同期の大きさは、gamma 波の周期によって変動することを見出し、ネットワーク全体の周波数特性がダイナミックに変わる可能性を示唆した。

3.CA3 錐体細胞に生じる刺激依存的な自発的発火パターンの変化

 海馬スライス培養切片にムスカリン受容体作動薬のカルバコールを適用し全体の興奮性を上昇させた状態で、CA3 野錐体細胞の膜電位の同期的活動を解析した。500 ミリ秒の電流刺激を10 秒ごとに適用し、リカレントネットワークを刺激すると、CA3 野錐体細胞の発火パターンが段階的に変化する現象が観察された。発火パターンは、staticな状態、sporadicな発火、burst発火、UP-DOWN、およびtheta的なpersistent 発火の5段階が存在し、それぞれの状態をstate I〜V と定義した。non-NMDA 型およびNMDA型受容体さらにGABAA受容体を遮断しておくと、この状態遷移が観察されなくなるので、シナプス入力に依存した現象であると考えられた。

 次に、二つの細胞から同時記録を行った。一方の細胞にのみ電流入力すると、他方の刺激をしてない細胞も同期して状態遷移をしたので、state の遷移はネットワーク全体の活動レベルにより変化することが示唆された。発火閾値下の膜電位同期がstate によってどのように変化するかを調べるために、各状態での膜電位のcross correlation を計算した。state I に比べて、state IV では周波数5~10Hz 程度の同期活動が強くなっていた。つまり、state の変化に従ってネットワークの同期活動が変化するということを示唆している。

 このような現象のメカニズムを解析するために、統計学的挙動に従うと仮定し、固体統計物理における相転移理論を応用してモデル理論を構築した。その結果、この理論はネットワーク状態遷移の現象をよくシミュレートできることが明らかになった。

 従来の海馬を用いたシナプス伝達解析研究は標的以外のシナプス活動を抑制し、バックグラウンドノイズを減少させた状態で、目的のシナプス伝達のみを分離して行われてきた。しかし、本研究では、海馬培養細胞および海馬スライス培養切片を用いて、神経細胞の同期活動とその応答性に着目して解析した。その結果、海馬神経伝達がバックグラウンドに存在する神経回路全体の活動により、ダイナミックに変動し、回路の興奮性の遷移や周波数特性が変わりうることを示した。こうした「ネットワーク活動を評価する」という研究は、認知や記憶のメカニズムを考える上で今後ますます重要になっていくと考えられ、本研究はその基本的な視点を与えるものである。このように本研究は神経科学分野の進展に貢献するものであり、博士(薬学)の学位に値すると結論された。

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