学位論文要旨



No 120445
著者(漢字) 守屋,優
著者(英字)
著者(カナ) モリヤ,ユウ
標題(和) 脳内における甲状腺ホルモン輸送機構の解析
標題(洋)
報告番号 120445
報告番号 甲20445
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1144号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 助教授 川原,茂敬
 東京大学 講師 楠原,洋之
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

 甲状腺ホルモンは甲状腺から3, 3', 5 - triiodothyronine (T3) 、thyroxine (T4) の2種類が分泌される。血液中では T4 が多く、末梢組織で生理活性を持つ T3 へと変換され、作用を発揮する。先天的に甲状腺ホルモンの分泌が低下しているクレチン症や、甲状腺ホルモン受容体の異常が原因でホルモンに対する応答性が低下している Refetoff 症候群で、知能の発達が著しく障害されてしまうことから、甲状腺ホルモンは特に脳・神経の発達や分化に重要であると考えられている。脳毛細血管内皮細胞は、発達した tight junction により細胞間隙を介した輸送が制限されているため、血液脳関門 (blood-brain barrier; BBB) と呼ばれており、BBB を介した輸送は経細胞輸送により行われる。血液中の甲状腺ホルモンが脳神経細胞内で機能を発揮するためには、BBB を透過して脳細胞間液に達し、さらに神経細胞膜を通過し、標的となる核内受容体と結合することが必要となる。これまでの研究の結果、BBB を介した輸送、初代培養神経細胞へのT3, T4 の取り込みには、それぞれトランスポーターが関与することが示唆されているが、その実体は明らかにされていない。これまで甲状腺ホルモンを基質として輸送するトランスポーターには、Organic anion transporting polypeptide (Oatp) family、L-amino acid transporter (LAT) family、monocarboxylate transporter 8 (MCT8) が報告されている。このうち、Oatp1c1 は、当教室において、脳毛細血管内皮細胞膜上に存在し、T3 に比べ T4 の輸送活性が高いことを、またマウス脳灌流法を用いて BBB を介した T4 取り込みに一部関与していることを明らかにしている。本研究では、さらにBBB透過、神経細胞膜透過の各段階での甲状腺ホルモン (T3, T4) 輸送機構において Oatp1c1 をはじめとするトランスポーターの寄与を明らかにすることを目的とし、種々の速度論的解析を行った。

[本論]

1. 脳毛細血管を介した甲状腺ホルモン輸送機構の解析

 [125I] T3 および [125I] T4 の in vivo でのラット BBB を介した輸送におけるトランスポーターの寄与を明らかにする目的で種々の速度論的解析を行った。頸動脈一回注入法を用いて、脳を一回通過する比較的短い時間に分布するコンパートメントからの排出能力を検討した。脳内から血液中への排出を評価するため、脳内に甲状腺ホルモンを直接微量注入し、脳内での残存率の経時変化を測定する微量注入法を行った。また、T3, T4 の脳内への取り込み過程に関与するトランスポーターの寄与率を定量的に議論するため、in situ 脳灌流法により、阻害剤存在下、非存在下での取り込みクリアランスを評価した。頸動脈に瞬時投与されたT3, T4 の脳内抽出率はそれぞれ 34 %, 18 %であった。頸動脈瞬時投与後の脳内残存率をプロットしたところ、T3, T4 ともに経時的な減少を示し、その消失半減期は T3 で 2.5 分、T4 で 1.5 分となった。一方、脳内に直接微量注入された T3, T4 は、少なくとも 20 分までは脳内から血液中への排出はみられなかった。これらの結果から、甲状腺ホルモンの血液中から脳内への移行には、血液側への排出が容易に生じうる shallow compartment が存在し、そこから deep compartment と考えられる脳実質へ到達する割合は非常に小さいことが示唆された。In situ 脳灌流法により、T3, T4 の大脳への取り込みクリアランス (CLuptake) は、それぞれ 960, 1040 ?l/min/g brain と求められ、大脳での取り込みは小脳での値の約 5 倍の値を示した。T3, T4 の取り込みにはそれぞれ飽和性がみられ (Km for T3 = 0.42 ?M, Km for T4 = 0.24 ?M)、それぞれの飽和性コンパートメントが取り込みの大部分を占めることから、トランスポーターを介した取り込み経路が重要であることが示唆された。T3, T4 の取り込みは Taurocholate (TCA) により 80 - 90 % 低下し、digoxin により 20 % 減少した。さらに、Estrone 3-sulfate (E1S) を用いた阻害実験の結果、T3 の取り込みはほとんど影響を受けなかったのに対し、T4 の取り込みは 70 % 減少した。また、Benzylpenicillin, L-leucine または 2-amino-2-norbornanecarboxylic acid は T3, T4 の大脳への取り込みに影響を及ぼさなかった。阻害剤の選択性が異なることから、T3 と T4 の取り込みトランスポーターが異なることが示唆された。

2. 初代培養星状膠細胞、神経細胞による甲状腺ホルモン取り込み機構の解析

 ラットの胎児大脳から調製した初代培養星状膠細胞(アストロサイト)、神経細胞での [125I] T3 および [125I] T4 の輸送におけるトランスポーターの寄与を明らかにする目的で種々の速度論的解析を行った。星状膠細胞、神経細胞への取り込みは、どちらの細胞でも T4 に比べ T3 の方が 4 - 5 倍大きく、それぞれ飽和性を示した。星状膠細胞への取り込みでは、Km (?M), Vmax (pmol/min/mg protein), Pdif (?l/min/mg protein) は、T3 で 1.23, 109, 11.9 となり、T4 では 1.04, 36.7, 17.1と算出された。また、神経細胞への取り込みでは Km (?M), Vmax (pmol/min/mg protein), Pdif (?l/min/mg protein) は、T3 では 1.04, 130, 25.1 であり、T4 では 0.63, 28.2, 29.9 となった。星状膠細胞からの T3, T4 の排出輸送を検討した。T3, T4 をプレロード後の星状膠細胞からの排出は、低温条件下で低下し、buffer 中に添加した過剰量の非標識 T3 または T4 により促進されたことから、星状膠細胞からの T3, T4 の排出にはトランスポーターが関与することが示唆された。初代培養細胞での甲状腺ホルモンの取り込み機構の特性を明らかにするために、種々阻害実験を行った。星状膠細胞への T3, T4 の取り込みは、TCA, E1S, digoxin を用いた場合は部分的に阻害を受けた。さらに T3 取り込みに対する TCA + E1S または TCA + digoxin の混合阻害実験の結果から、TCA, E1S, digoxin の全てに感受性のトランスポーターの存在が示唆され、その寄与は T3 取り込みの約 50 % であり、残りの 30 % が TCA, E1S, digoxin に非感受性、20 % が受動拡散であることが示唆された。神経細胞での阻害実験からも同様の結果が得られたことから、星状膠細胞と神経細胞とで甲状腺ホルモン取り込みトランスポーターが同一であると示唆される。星状膠細胞と神経細胞に共通して発現するトランスポーターである MCT8, Oatp4a1 に注目し、その寄与を RNAi により検討した。星状膠細胞を使った検討の結果、MCT8 knock-down 細胞で control 細胞に比べ T3 取り込みが 40 %, T4 取り込みが 20 % 減少し、Oatp4a1 knock-down 細胞では T4 取り込みが 20 % 減少したことから、これらトランスポーターが星状膠細胞における甲状腺ホルモン取り込みに関与することが示唆された。

[結論]

 本研究の結果、脳毛細血管および脳実質(神経細胞、星状膠細胞)での甲状腺ホルモン輸送において、様々な段階でトランスポーターが関与することが示された。特に、(1)排出速度の異なる複数のコンパートメント (shallow / deep compartment) が存在すること、(2) BBB での取り込み機構が T3 と T4 で異なること、(3) 神経細胞、星状膠細胞では、類似した輸送機構によりT3を取り込み、特にアストロサイトではその一部に MCT8, Oatp4a1 が関与していること、(4)星状膠細胞から T3, T4 がトランスポーターにより排出されることを初めて報告した。トランスポーターは、特に甲状腺ホルモンの脳内での動態を制御する。従って、MCT8 のようにトランスポーターの機能異常は、甲状腺機能が正常の場合でも、脳内におけるホルモン応答性に大きく影響すると考えられ、知能障害などの中枢性の症状を引き起こす要因となり得る。甲状腺ホルモン異常のヒト新生児では、生後3ヶ月から半年までに T4 や T3 投与による補充療法を行わない場合には重篤な知能障害をきたすことから、早期の対策が必要とされる。今後、本研究で示してきたトランスポーターのゲノム上に輸送機能変化を伴う変異の有無を解析していくことが必要である。

審査要旨 要旨を表示する

 甲状腺ホルモンは甲状腺から3, 3', 5 - triiodothyronine (T3) 、thyroxine (T4) の2種類が分泌される。血液中では T4 が多く存在し、末梢組織で生理活性を持つ T3 へと変換され作用を発揮する。脳では、甲状腺ホルモンは特に神経の発達や分化に重要であると考えられている。血液脳関門は脳毛細血管内皮細胞により構成され、内皮細胞の細胞間は、発達した tight junction により結合されており、親水性あるいは分子量の大きな化合物の脳内への移行が著しく制限されている。血液中の甲状腺ホルモンが脳神経細胞内で機能を発揮するためには、血液脳関門を透過して脳細胞間液に達し、さらに神経細胞膜を通過し、標的となる核内受容体と結合することが必要となる。これまでの研究の結果、血液脳関門を介した輸送、初代培養神経細胞へのT3, T4 の取り込みには、それぞれトランスポーターが関与することが示唆されているが、その実体は明らかにされていない。これまで甲状腺ホルモンを基質として輸送するトランスポーターには、Organic anion transporting polypeptide (Oatp) family、L-amino acid transporter (LAT) family、monocarboxylate transporter 8 (MCT8) が報告されている。このうち、Oatp1c1 は、当教室において、脳毛細血管内皮細胞膜上に存在し、T3 に比べ T4 の輸送活性が高いことを、またマウス脳灌流法を用いて血液脳関門を介した T4 取り込みに一部関与していることを明らかにしている。本研究では、さらに血液脳関門透過、神経細胞膜透過の各段階での甲状腺ホルモン (T3, T4) 輸送機構における、Oatp1c1 をはじめとするトランスポーターの寄与を明らかにすることを目的とした、種々の速度論的解析が行われた。

1. 血液脳関門を介した甲状腺ホルモン輸送機構の解析

 甲状腺ホルモンの in vivo でのラット血液脳関門を介した輸送におけるトランスポーターの寄与を明らかにする目的で種々の速度論的解析がなされた。頸動脈一回注入法を用いて、脳を一回通過する比較的短い時間に分布するコンパートメントからの排出能力を検討した。脳内から血液中への排出を評価するため、脳内に甲状腺ホルモンを直接微量注入し、脳内での残存率の経時変化を測定する微量注入法を行った。また、T3, T4 の脳内への取り込み過程に関与するトランスポーターの寄与率を定量的に議論するため、in situ 脳灌流法により、阻害剤存在下、非存在下での取り込みクリアランスを評価した。

 頸動脈瞬時投与後の脳内残存率をプロットしたところ、T3, T4 ともに経時的な減少を示し、その消失半減期は T3 で 2.5 分、T4 で 1.5 分となった。一方、脳内に直接微量注入された T3, T4 は、少なくとも 20 分までは脳内から血液中への排出はみられなかった。これらの結果から、甲状腺ホルモンの血液中から脳内への移行には、血液側への排出が容易に生じうる shallow compartment が存在し、そこから deep compartment と考えられる脳実質へ到達する割合は非常に小さいことが示唆された。

 In situ 脳灌流法により、T3, T4 の大脳への取り込みクリアランスは、ほぼ同等の値を示し(それぞれ 960, 1040 ?l/min/g brain)、大脳での取り込みは小脳での値の約 5 倍の値を示した。T3, T4 の取り込みにはそれぞれ飽和性がみられ (Km for T3 = 0.42 μM, Km for T4 = 0.24 ?M)、それぞれ飽和性コンパートメントが取り込みの大部分を占めることから、トランスポーターを介した取り込み経路が重要であることが示唆された。T3, T4 の取り込みは Taurocholate (TCA) により 80 - 90 % 低下し、digoxin により 20 % 減少した。さらに、Estrone 3-sulfate (E1S) を用いた阻害実験の結果、T3 の取り込みはほとんど影響を受けなかったのに対し、T4 の取り込みは 70 % 減少した。また、Benzylpenicillin, L-leucine または 2-amino-2-norbornanecarboxylic acid は T3, T4 の大脳への取り込みに影響を及ぼさなかった。このように、阻害剤の選択性が異なることから、T3 と T4 の取り込みトランスポーターが異なることが示唆された。

2. 初代培養星状膠細胞、神経細胞による甲状腺ホルモン取り込み機構の解析

 ラットの胎児大脳から調製した初代培養星状膠細胞(アストロサイト)、神経細胞での甲状腺ホルモンの輸送におけるトランスポーターの寄与を明らかにする目的で種々の速度論的解析が行われた。

 星状膠細胞、神経細胞への取り込みは、どちらの細胞でも T4 に比べ T3 の方が 4 - 5 倍大きく、それぞれ飽和性がみられた。星状膠細胞への取り込みでは、Km (?M), Vmax (pmol/min/mg protein), Pdif (?l/min/mg protein) は、T3 で 1.23, 109, 11.9 となり、T4 では 1.04, 36.7, 17.1と算出された。また、神経細胞への取り込みでは Km (?M), Vmax (pmol/min/mg protein), Pdif (?l/min/mg protein) は、T3 では 1.04, 130, 25.1 であり、T4 では 0.63, 28.2, 29.9 となった。

 星状膠細胞からの T3, T4 の排出輸送を検討した。T3, T4 をプレロード後の星状膠細胞からの排出は、低温条件下で低下し、buffer 中に添加した過剰量の非標識 T3 または T4 により促進されたことから、星状膠細胞からの T3, T4 の排出にはトランスポーターが関与することが示唆された。

 初代培養細胞での甲状腺ホルモンの取り込み機構の特性を明らかにするために、種々阻害剤の効果を検討した。星状膠細胞への T3, T4 の取り込みは、TCA, E1S, digoxin を用いた場合は部分的に阻害を受けた。さらに T3 取り込みに対する TCA + E1S または TCA + digoxin の混合阻害実験の結果から、TCA, E1S, digoxin の全てに感受性のトランスポーターの存在が示唆され、その寄与は T3 取り込みの約 50 %であることが示唆された。神経細胞での阻害実験からも同様の結果が得られたことから、星状膠細胞と神経細胞とで甲状腺ホルモン取り込みトランスポーターが同一であると示唆される。星状膠細胞と神経細胞に共通して発現するトランスポーターである MCT8, Oatp4a1 に注目し、その寄与を RNAi により検討した。星状膠細胞を使った検討の結果、MCT8 knockdown 細胞で control 細胞に比べ T3 取り込みが 40 %, T4 取り込みが 20 % 減少し、Oatp4a1 knockdown 細胞では T4 取り込みが 20 % 減少したことから、これらトランスポーターが星状膠細胞における甲状腺ホルモン取り込みに関与することが示唆された。

 以上、本研究の結果、脳毛細血管および脳実質(神経細胞、星状膠細胞)での甲状腺ホルモン輸送におけるトランスポーターの役割について検討し、以下の点を明らかにした。1、血液脳関門を介した輸送では、排出速度の異なる複数のコンパートメント (shallow / deep compartment) が存在すること。2、血液脳関門での取り込み機構が T3 と T4 で異なること。3、神経細胞、星状膠細胞では、類似した輸送機構によりT3を取り込み、特にアストロサイトではその一部に MCT8, Oatp4a1 が関与していること。4、星状膠細胞から T3, T4 がトランスポーターにより排出されること。以上の結果、血液中の甲状腺ホルモンが、血液脳関門および神経細胞、星状膠細胞を通過する各段階でトランスポーターが大きく関与することが示唆された。甲状腺ホルモンは、脳の発達・分化に関与することが知られており、特に胎児期、新生児期では不可欠とされ、この時期の甲状腺ホルモン低下は知能障害や小頭症を引き起こすことが知られている。トランスポーターが、甲状腺ホルモンの脳内での動態を制御しうることから、甲状腺ホルモン異常が原因と疑われる種々の中枢性疾患において、本研究で示してきたトランスポーターの遺伝子変異と機能変動を検討していくことが必要であり、本研究が中枢性の甲状腺機能低下症の病態究明に繋がると期待される。

以上のように、本研究は、血液脳関門、脳実質細胞での甲状腺ホルモン輸送を担うトランスポーターの関与とその特性を明らかにしたものである。現在までに、循環血中から脳内への移行、および脳実質細胞での取り込みを詳細かつ統合的に研究した例は少なく、本研究は脳内での甲状腺ホルモン輸送研究に対する端緒を開く研究であると考えられ、博士(薬学)の学位に値するものと認める。

UTokyo Repositoryリンク