学位論文要旨



No 120460
著者(漢字) 伊藤,清太郎
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,セイタロウ
標題(和) 非金属内包フラーレンの合成・単離と超伝導
標題(洋)
報告番号 120460
報告番号 甲20460
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 助教授 田島,裕之
 東京大学 助教授 野原,実
 東京大学 助教授 三尾,典克
 東京大学 助教授 森,初果
内容要旨 要旨を表示する

1 研究背景

 C60の最大の特徴の1つは、原子を内包できることである。これまでにLaなどの金属や、希ガスが内包されることが報告されている。特にC60に内包される希ガス原子や窒素原子は電荷の移動がなく、分子間力によりケージの中心に存在すると考えられている。そのためこれらの内包フラーレンはC60とほぼ同じ物性を持つのでラベリングやトレーサーとしての応用が考えられている。また窒素内包フラーレンは原子1つが結合をつくることなくケージ内で安定に存在しているために、これら原子の持つ不対電子も同様にケージ内で安定に存在している。これは極めて興味深い性質であり、量子コンピュータへの応用等が考えられる。

 またC60は、アルカリ金属をドープすることにより超伝導となることが知られている。例えばRbCs2C60で33Kの最大転移温度を示す[1]。しかし、C60にドープするアルカリ金属の組み合わせは限られており、これまでほぼ全ての組み合せについて超伝導探索が行われてきた。しかし希ガスや窒素内包フラーレンを用いることで、ドープ原子ではなくケージのアレンジという新しい形でフラーレンの超伝導を探ることが可能となる。これらの内包フラーレンはケージ内に別の原子が入っているために分子振動に変化が現れる。また内包させる原子を変えることで内包原子のサイズや質量を系統的に変化させ、ケージの振動が超伝導に与える効果を探ることができると期待される。このように内包フラーレンはフラーレンの超伝導機構の解明という面において興味深い物質である。

 しかしこれら内包フラーレンには収率の低さ・分離の困難さという問題がある。希ガス内包フラーレンはC60と希ガスに高温・高圧をかけることで合成されるがその収率は触媒としてKCNを用いても最大1%程度である[2]。またこの合成方式では1度に数10mgの合成が限界である。窒素内包フラーレンはグロー放電法によって合成されるが、収率は10-5と更に低い[3]。これら内包フラーレンの分離は高速液体クロマトグラフィー(HPLC)によって行われているが、C60との保持時間の差がほとんどないため分離にはかなりの時間が必要となる。以上の理由により内包フラーレンは興味深い物性を期待されながら、mg量を必要とする物性の研究はあまり行われていない。

2 実験と考察

(1) 内包フラーレンの合成

 従来は希ガスとC60をCu管に封入したものに水熱合成装置で650℃・3500気圧をかけて希ガス内包フラーレンを合成していた。しかしこの装置の欠点は合成できる試料の少なさにあり、1度に数10mg程度の試料の合成しかできない。希ガス内包フラーレンの各種研究にはmgオーダーの試料が必要となるが、収率の低さのため試料の大量合成が必要である。そこで本研究ではガス圧を用いた希ガス内包フラーレンの合成を目指した。使用した合成装置は熱間等方圧加圧装置(HIP)で、試料室の容積が大きいため最大で約3gの試料を1度に合成することが可能である。このHIPを用いてC60とKCNの混合粉末に650℃・400 MPaの圧力をかけたところ、圧力媒体であるArがC60へ内包されたことを確認した。ガス圧法による希ガス内包フラーレンの合成に成功したのは我々が初めてである。C60とともにKrを銅管に封入して合成することでKr@C60の合成にも成功した。

 窒素内包フラーレンは希ガス内包フラーレンとは異なるグロー放電法で合成される。しかし窒素内包フラーレンの収率は希ガス内包フラーレンよりも2桁以上も低く、物性測定に向けて大きな障害となっている。しかしその合成条件の最適化は未だ行われていない。そこで本研究では大型で大量合成が可能なグロー放電装置を自作し、合成温度・合成時の窒素圧力・放電電圧の3種のパラメーターについて最適化を行った(図1)。合成温度に関しては650℃で収率の最大値をとった。650℃はC60が壊れる温度として知られており、炭素原子間の結合の切断しやすい状況が窒素原子の内包に関与していることが考えられる。圧力・電圧における最適化数値の絶対値は、合成装置の形状に依存するため固定されない。しかし両者とも傾向として放電現象が発生しなくなる限界の圧力・電圧において最大の収率を示した。高エネルギーの窒素原子はC60のケージを通過する可能性もあり、そのエネルギーが低いほどケージ内にとどまる可能性が高いため以上の結果となったと考えられる。

(2) HPLCによる分離

 合成した内包フラーレンの分離・精製はHPLCにて行った。希ガス・窒素内包フラーレンは、C60との保持時間にほとんど差がないがわずかに長い。そこでC60のピークの後ろ半分のみ分取し、濃縮後に再びHPLCでピークの後ろ半分を分取するという作業を繰り返すことによって内包フラーレンの濃縮を行った。図2は窒素内包フラーレンにおける(1)10回分離と、(2)18回分離後のそれぞれのHPLCチャートである。(1)ではC60のピークのみしか観測できなかったが、(2)では窒素内包フラーレンのピークのみが単離されている。カラムは当グループの研究により、フラーレンの分離に用いるカラムの中でもっとも分離係数が大きいBuckyprepを使用した[4]。分離の困難さから通常の分取用HPLCでは物性測定に必要な1mg程度の試料を単離するには時間がかかりすぎる。しかし今回は大量分離が可能な大容量のHPLCシステムを採用して分離を行った。その結果、約1mgの希ガス内包フラーレンの単離に成功した。

(3) 内包フラーレンの物性

1:内包性の確認

 C60は全ての炭素原子が等価であるため13C-NMRでは1本のピークのみが観測される。今回測定したAr@C60でも観測されたピークは1本のみであった。これはAr@C60においてもC60の対称性が低下していない(内包原子が中心に存在する)証拠である。またAr@C60のピークはC60と比較してわずかにシフトしていることも確認できた。これは内包原子とケージとの間に影響がないわけでなく、相互作用を持つことを示すものである。

2:分子内振動

 原子が内包されることで超伝導転移温度に影響を及ぼす可能性のある要素として分子振動が挙げられる。そこでRamanスペクトルを用いてC60とAr@C60の分子振動の変化を比較した(表)。約600cm-1を境に低波数側では正に、高波数側では負にシフトしていることがわかる。アルカリ金属をドープしたAr@C60の超伝導転移温度の上昇・低下によって、どちらの振動が超伝導に対して支配的であるかがわかる。

3:N@C60の電子状態

 これまでにN@C60について約20μgの単離に成功している。この試料用いてUVの測定を行ったところ、C60とは大きく異なる形状のスペクトルが得られた。特に345nmに特徴的なスペクトルが存在し、窒素原子の吸収波長と一致している。これまでその収率の低さから実験データはESRやMSのみが報告されているN@C60であるが、今回UVにて初めてその特異な物性を示した。

(4) 超伝導

 単離に成功したAr@C60に金属Kをドープし、磁化測定により超伝導転移温度測定を行ったところ(図3)17.5Kという結果を得た。これはフラーレン類でC60以外初の超伝導体である。また同様の条件下でC60の転移温度を測定すると19.2Kであることから転移温度の低下は1.7Kである。この変化量は全体の10%程度であるがRamanによる波数変化は数%程度でしかなく、分子内振動ではこの変化を説明しきれない。また、12Cを13Cに置き換えた同位体効果による転移温度変化に関する研究もC60についてこれまで行われているが、この変化を説明できるほど十分ではない[5]。希ガス内包による超伝導への効果を解明するには、更に多数の希ガス内包フラーレンの研究が必要である。

3 まとめ

 これまで希ガス内包フラーレンは1度に合成できる量に限界があったが、今回の研究で3gの合成が可能なHIPでの合成に初めて成功した。これにより希ガス内包フラーレンの大量合成が可能となり超伝導を初めとする物性研究への足がかりとなった。窒素内包フラーレンに関してはこれまで知られていたグロー放電合成法において合成条件の最適化に成功した。合成に成功した試料の単離はHPLCにて行い、これまでAr@C60,Kr@C60,N@C60の単離に成功した。Ar@C60に関しては初の単離成功例である。単離に成功した試料について様々な物性測定を試みた。N@C60についてはUVで内包されている窒素原子からのものと思われるスペクトルを観察できた。希ガス内包フラーレンについては超伝導転移温度測定を行った。KドープAr@C60の転移温度は17.5Kであり、これはC60の転移温度と比較すると1.7Kも低く、単純な同位体効果としては説明しきれない。今後の他の内包フラーレンのカリウムドープ試料の超伝導転移温度・Ramanスペクトルの測定が待たれる。

 参考文献

[1] Tanigaki, K. et al. Nature 352, 222-223 (1991)[2] R. J. Cross et al., J. Org. Chem. 68, 8281-8283 (2003)[3] B. Pietzak et al., Chem. Phys. Lett. 279 (1997) 259-263[4] T. Suetauna et al., Fullerenes, Nanotubes, and Carbon Nanotubes 10, 15-21 (2002)[5] C.-C.Chen et al, J. Am. Chem. Soc. 114, 3141 (1992)

図1 N@C60の合成温度・窒素圧力・放電電圧に対する合成収率(収率計算は窒素原子上不対電子のEPRスペクトルの面積比較にて行った。)

図2 窒素内包フラーレン分離のHPLCチャート(上)10回分離後(下)18回分離後

表 C60,Ar@C60のRamanスペクトル

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、題目「非金属内包フラーレンの合成・単離と超伝導」に表現されるように、希ガス原子と窒素原子という2種類の非金属原子をケージに内包させたC60フラーレンに関する研究である。内包フラーレンの大量合成・分離に成功し、その構造を同定するとともに、キャリアドーピングにより超伝導を実現した。論文は全2章からなる。

 第1章では希ガス内包フラーレンの研究が述べられている。章はそれぞれ(1)背景・目的、(2)合成、(3)分離、(4)物性の4項目に分けて述べられている。第1の項目ではまず、フラーレンの超伝導物性と、転移温度に対する従来のアプローチ法の限界の存在とその理由を述べており、それを克服する新しいアプローチとして希ガス内包フラーレンの利用を提案している。さらに、希ガス内包フラーレンの合成と分離の問題について触れ、研究の進展にはこの2問題の解決が不可欠であることを強調している。

 第2の項目では、HIP(Hot Isostatic Pressing)を用いたガス圧合成によりKr内包フラーレンとAr内包フラーレンの合成に成功したことを報告している。従来の研究では低合成収率と合成量の少なさゆえに、物性研究に必要な1mg程度の試料を手にすることは不可能であった。HIPを用いることで一度に数gの試料を合成することが可能となり、合成収率の低さを合成量の多さでカバーできるようになった。

 第3の項目では分離の問題を検討している。希ガス内包フラーレンは空のC60とほぼ同じ物性を持つため、HPLC(High Performance Liquid Chromatography)の分離においてもピークの保持時間がほぼ同じである。そのため分離は非常に多大な時間と労力を伴うものとなる。この問題の解決策として「繰り返し濃縮」と「大規模な分離システム」の2つを採用したことを述べている。MALDI-TOF-MSピークの分子量の一致と同位体分布の理論値との一致からKr内包フラーレン・Ar内包フラーレンの単離を確認した。単離量はそれぞれ1mg,0.6mg程度である。Ar内包フラーレンの単離は世界初である。

 第4の項目では単離に成功した希ガス内包フラーレンの物性測定の結果について報告している。13C-NMRとKr EXAFSの結果より内包原子がケージ内中心にあることが示された。C60の超伝導において高対称性が有利に働いていることを考えるなら、この事実は超伝導発現にとって有利に働くはずである。Raman測定ではケージの振動モードの周波数がシフトしていることを見出した。

 次にカリウムをドーピングすることにより、超伝導を発現させた。Ar内包フラーレンの超伝導転移温度は17.5Kであり、内包されていないものと比較すると1.7K程度転移温度が低下することが観測された。これはRaman測定の振動モードのシフトから予想されるものよりもはるかに大きく、格子の寄与だけでは説明できない。以上の結果より、内包原子によって超伝導転移温度の制御が可能となったことを強調している。

 第2章では窒素内包フラーレンの研究に関して述べられている。章はそれぞれ(1)背景・目的、(2)合成、(3)分離(4)物性の4項目に分けて述べられている。第1の項目では窒素内包フラーレンの特異な電子状態と期待される物性について述べている。また、希ガス内包フラーレン同様に合成・分離について課題があることについても触れている。

 第2の項目では合成問題について述べている。現在知られる2つの合成法について触れ、そのうち大量合成が可能なグロー放電法を採用した。合成温度・圧力・放電電圧の3種類のパラメーターについて合成条件最適化を行い、高い合成収率での合成が可能となった。

 第3の項目では分離の問題について検討している。窒素内包フラーレンの分離問題は希ガス内包フラーレンにおける問題と同質のものであり、希ガス内包フラーレン分離システムを窒素内包フラーレン分離についても採用することにより単離が可能になった。

 第4の項目では窒素内包フラーレンの物性について述べている。特に溶液の色の相違について注目している。通常のC60toluene溶液は紫色を示すが、窒素内包フラーレン溶液は茶色を示す。これはUV-vis測定結果にも現れており、大きく異なったスペクトルを示す。このことは窒素内包フラーレンのポリマー化の可能性を示す。

 なお本論文は高木英典、Nita Dragoeとの共同研究であるが論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 以上、本論文は、非金属内包フラーレンの大量合成・分離の途を拓き、初めての内包フラーレン超伝導体の合成に成功した。フラーレン科学ひいては物質科学の発展に寄与するところ大であり、本論文は博士(科学)の学位請求論文として合格と認められる。

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