学位論文要旨



No 120463
著者(漢字) 谷口,耕治
著者(英字)
著者(カナ) タニグチ,コウジ
標題(和) 強相関遷移金属酸化物の金属・絶縁体転移及び電荷・軌道整列のラマン分光による研究
標題(洋)
報告番号 120463
報告番号 甲20463
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第83号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 教授 辛,埴
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 廣井,善二
 東京大学 教授 藤森,淳
 東京大学 助教授 溝川,貴司
内容要旨 要旨を表示する

[1] 緒言

 遷移金属酸化物においては、遷移金属イオンのd電子間の相互作用により、電子の特性が決まる強相関電子系が数多く見られる。これら強相関電子系においては、クーロン反発によるキャリアの局在性と電子波動関数の重なりによる遍歴性とが競合している。その為、キャリア濃度やバンド幅といったパラメータの変化により競合のバランスを崩すことで、金属・絶縁体転移のような電子状態の顕著な変化がしばしば生じる。この場合の絶縁体は、クーロン反発力により各サイトに電子が局在したMott絶縁体であり、電荷自由度の励起が大きな場合には、スピン自由度や軌道自由度といった自由度も電子物性に現われてくる。特に、これら複数の自由度が結合した場合には、複雑かつ多彩な秩序状態が形成される。これらの秩序状態は、その形成・融解過程が超巨大磁気抵抗(Mn系)といった劇的な物性と関連していると考えられており、その電子の秩序状態に関する知見を得ることは重要であると言える。

 ところで、このような遷移金属酸化物においては格子系と電子状態との間に密接な関係が存在する。例えば、金属・絶縁体転移の相制御パラメータの一つであるバンド幅は原子間距離等の結晶構造で決まっており、また、遷移金属イオン周りの結晶場はd電子の軌道自由度と強く結合する。これは逆に考えれば、電子状態の変化が格子系に反映されうるということを意味する。そこで、本研究においては、格子系の変化に敏感なプローブであるラマン分光法を手段として強相関遷移金属酸化物の電子状態に関する知見を得ることを目的として研究を行った。具体的には、強相関電子系が示す現象の中から、一般的なものとして金属・絶縁体転移(R2Mo2O7 (R=Nd-Dy))を、各種自由度の結合による複合現象として電荷・軌道整列R1-xSr1+xMnO4 (R=La-Eu ; x=0.5~0.82)を取り上げた。

[2] R2Mo2O7(R=Nd-Dy)の金属絶縁体転移

 R2Mo2O7(R=Nd-Dy)は、Rサイトのイオン半径の減少に応じて∠Mo-O-Moの大きさが変化し、強磁性金属相からスピングラス絶縁体相へとその状態を変える。この系はポテンシャルのランダムネスを導入することなく、バンド幅制御により絶縁体相から金属相まで電子状態を変化させうる貴重な系である。しかし、この系では希土類モーメントの整列が低温で生じる等の事情の為、従来の低エネルギースケールの研究手段(比熱、ホール係数)により金属・絶縁体転移(M-I転移)における電子状態の変化を調べることが出来ない。そこで本研究では電子状態の変化を電子‐格子結合を介してラマンフォノンスペクトルから調べることを試みた。

 図1にその結果を示すが、金属相(R=Nd-Gd)において顕著にフォノンスペクトルが観測される一方、絶縁体相においてはほとんど観測されなかった。これはラマン散乱のフォノンスペクトルにフェルミ準位近傍の電子状態の変化が反映されているものと考えられる。また、偏光依存性から、主として∠Mo-O-Moを変化させるベンディングモードでフォノン強度が増大しているという傾向が見られた。これは一電子バンド幅を変調するモードがより大きな電子‐格子結合を持つということを示唆している。図2には金属相で強度が増強されたフォノンのうち、Alg-modeの積分強度を希土類サイトのイオン半径(R)に対してプロットしたものを示す。これを見ると、金属相から絶縁体相に近付くにつれてフォノン強度が抑制されていく様子が確認できる。同様の現象はフィリング制御型のM-I転移系であるLa1-xSrxTiO3等において観測されており、フォノン強度が(n/m*)2に比例して変化することが実験的に示されている(n:キャリア濃度、m*:有効質量)。R2Mo2O7の場合、キャリア濃度は変化させていないことから判断して、図2の強度変化はMott転移系の特徴であるM-I転移相境界における有効質量の増大を反映しているものと考えられる。

[3]R1-xSr1+xMnO4 (R=La, Nd ; x=0.5~0.82)の電荷・軌道整列

 層状ペロフスカイトマンガン酸化物R1-xSr1+xMnO4 (R=La,Nd;x=0.5~0.82)の電子相図を図3に示す(以下、RSMOと略す)。図中の黒印は電荷・軌道秩序転移温度(TCO/OO)を表している。相図下のMnO2面の模式図が示すように、RSMOは低温で電荷・軌道整列し、そのパターンがホールドーピング量に応じて次々に変化する。回折実験からはホールドーピング量が〓の範囲においてはMn3+のd3x2-r2とd3y2-r2の2つの軌道がホール濃度に応じた間隔で反強的に秩序化(AF-CO/OO)し、一方のx>0.8ではd3x2-r2軌道が強的に秩序化(F-OO)することが示唆されている。

 今回、この電荷・軌道整列パターンの変化に伴い、フォノンスペクトルがどのように変化するかを調べた。図4に4.2KにおけるMnO2面のX'X'の偏光配置で測定された各組成のラマンスペクトルを示す。これを見るとAF-CO/OO相では500~700cm-1の範囲に強い数本のフォノンピークが観測される一方、AF-CO/OO相から外れ、二相共存領域(2-phase)やF-OO相に入るとAF-CO/OO相で見られていた特徴的なフォノンピークは抑制され観測されなくなることが分かる。ところで、AF-CO/OO相では電子線回折において、電荷・軌道整列に伴う超格子反射が観測されることが報告されている。その為、AF-CO/OO相で観測された強い数本のフォノンピークは、電荷・軌道整列に伴い生じた超格子構造によってブリルアンゾーン中心に折り返されラマン活性となったモードであると考えられる。これより、図4のスペクトルの違いは、電荷自由度の長距離秩序による超格子構造の有無を反映していると考えられる。

 またR0.5Sr1.5MnO4では、イオン半径の小さな(ランダムネスの大きな)領域において電荷・軌道秩序が消失するという報告が、マクロな物理量(抵抗率、磁化率)の研究よりなされていた。しかし、今回ミクロなプローブのラマン散乱で測定を行ったところ、電荷・軌道秩序が消失しているとされていたランダムネスの大きなR=Nd(x=0.5)においても、AF-CO/OO活性なフォノンが観測され、電荷・軌道相関は残存していることが新たに示された。また、電子線回折実験との比較から、ランダムネスの増加により長距離から短距離の電荷・軌道秩序に変化していることも明らかになった。これらの結果から、ランダムネスは、相関長に影響を及ぼす相制御パラメータとして働き、電荷・軌道相関を抑制しているということが示唆された。

 ところで、AF-CO/OO相ではホールドーピング量の増加に伴い、電荷・軌道秩序の超格子周期が[110]方向に4倍(x=1/2)、6倍(x=2/3)…と伸びてゆく。その為、単位格子中に含まれる原子数も増加し、ラマン活性なモード数もホールドーピングと伴に増加することが予測される。しかし、実際には図4のように、ホール濃度が増加してもメインピークの本数は2〜3本程度と限られており、フォノンの活性化に何らかのルールが存在していることを示唆している。そこで、多数あるラマン活性なフォノンの中から数本だけが顕著に観測される原因を電荷・軌道秩序状態にある電子系と格子系の結合に求め、面内のMn-Oのストレッチングモードのみに注目する単純なモデルを用いて考察を行った。

 MnO2面における任意の酸素原子に着目すると、近似的にMn-O-Mnという一つの直線上にあり、酸素原子と伸縮モードが一対一対応していることが分かる。つまり、ストレッチングモード数は、非等価な酸素原子がいくつあるかを調べれば決まる。図5にx=0.67の例を示したが、この場合、非等価な酸素原子は3種類あり、面内伸縮モードは3本存在する。これは、x=0.67のメインピークが3本であることの説明となる。つまり、x=0.5と比べてメインピーク数が1本しか増えていないのは非等価な酸素原子が一種類しか増えなかった為であると考えられる。このモデルはRSMOだけでなく、R1.5Sr0.5NiO4 (R=La,Nd )における電荷秩序相や113系Mnペロフスカイトの電荷・軌道整列相のフォノンスペクトルの現れ方にもある程度適用が確認され、フォノンスペクトルが秩序パターンのプローブとして有効であることが示された。

[5]総括

 本研究では、強相関電子系が示す各種現象(金属・絶縁体転移、電荷・軌道整列)における電子状態と電子‐格子結合に関しての知見を得るという目的に対し、ラマン散乱を用いたアプローチ方法により研究を行った。

 その結果二つの現象全体を通して示唆されたことは、強相関遷移金属酸化物においては、電子状態を支配しているパラメータと結合したフォノンが選択的に観測される傾向があるということであった。電子系と格子系は密接な相関があるにも関わらず、いかにして電子系の情報をフォノンから引き出すかといったことは確立していない。本研究で示された、特定のフォノンモードに着目するという観点は、電子‐格子結合に基づいた研究を行う上での出発点と出来るのではないかと考えられる。

図1.R2Mo2O7(R=Nd-Dy)のラマンスペクトル

図2.Ag-modeの積分強度のrR依存性

図3.R1-xSr1+xMnO4 (R=La,Nd)の電子相図

図4.R1-xSr1+xMnO4B (x=0.5-0.82)

図5. x=0.67の場合の非等価な酸素サイト○□〓の三種類

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、題目「強相関遷移金属酸化物の金属・絶縁体転移及び電荷・軌道整列のラマン分光による研究」に表現されるように、強相関電子系の代表的な現象である、金属・絶縁体転移と電荷・軌道整列状態における電子状態に関する知見を、電子-格子結合というチャネルから得ることを試みた研究である。論文は全五章からなる。

 第一章では、研究の背景と目的が述べられている。まず、一般的な金属・絶縁体転移とCMR効果の舞台となる電荷・軌道整列相の説明を行っている。そして、本論文の研究で取り上げた、パイロクロア型Mo酸化物(R2MO2O7)と層状ペロフスカイトMn酸化物(R1-xSr1+xMnO4)の全体における位置付けをそれぞれ示している。これらの強相関電子系では複数の自由度が複雑に絡み合っているが、本論文の研究においては、電子状態がバンド幅、軌道自由度といったパラメータにより特定の格子変形(静的)と密接な相関を示す点に着目している。特に、動的な格子変形であるフォノンへと視野を広げ、電子系とフォノンの相関の実験的検証と、そこから引き出される情報に関しての検討という二点を研究の主眼としているということが述べられている。

 第二章では、研究で用いた試料、及び測定手法に関しての説明がなされている。まず、使用した試料の組成等の評価、並びに測定に際しての試料処理の方法に関して具体的に述べられている。また、本論文の研究で主として用いられた測定手法であるラマン分光法に関して、装置の原理、測定条件、また解析の上で重要となる結晶軸と偏光の関係等についての記述がなされている。

 第三章では、まず、軌道相関等の影響が抑制されたパイロクロア型Mo酸化物(R2MO2O7)に関して、金属・絶縁体転移に際してのラマンフォノンスペクトルの追跡より、電子状態の変化に関しての議論が行われている。その結果、金属相(R=Nd-Gd)においては顕著にフォノンスペクトルが観測される一方で、絶縁体相(R=Tb-Er)においてはほとんど観測されないことが示された。この結果はフォノンスペクトルがフェルミ準位近傍の電子状態(n:キャリア密度、m*:有効質量)の変化を反映したことを意味する。特にこの系は、他の金属・絶縁体転移系でnやm*といったパラメータを調べるのに用いられてきた、従来の手法が使用できないという難点を有する系の一つである為、フォノンが低エネルギースケールのプローブとして有効であることが示されたという点に重要な意味がある。また、軌道相関が抑制された系において、フォノンが電子状態を反映するといった現象は、過去に一、二例しか報告例がなく、非常に貴重な観測例となっている。さらに主としてバンド幅を変調するモード(∠Mo-O-Moのベンディングモード)が顕著な変化を示していることが指摘され、静的な格子変形の電子一格子結合の関係がフォノンにも拡張して現れていることが新たに示唆された。

 第四章では、R2MO2O7とは対照的に、電荷・軌道相関が顕著に現れてくる層状ペロフスカイトマンガン酸化物R1-xSr1+xMnO4の電荷・軌道相関とフォノンの相関に関して議論が行われている。前半でホール濃度(x)依存性、後半でランダムネス(R)依存性に関しての議論を行っている。

 まず、前半部であるが、フォノンスペクトルはホールドーピング量(x)に応じた電荷・軌道整列パターンの多彩な変化を反映するという結果となっている。特に、電荷自由度の周期的な整列が、顕著なフォノンスペクトルの活性化に関与していることが示された。また、Mn-Oのストレッチングモードに着目したモデルの考察から、電荷・軌道整列パターンと顕著に観測されるフォノン数との間に対応関係をつけることが可能であることが示されている。これはR1-xSr1+xMnO4以外の系にもある程度適用可能であり、簡単なモデルにしては適用範囲が広い。また、電荷・軌道自由度と結合が強い伸縮歪み(静的歪み)に関係したフォノン(ストレッチングモード)が顕著に電子状態を反映しているという結果は、静的歪みと電子状態の関係が動的歪み(フォノン)に拡張されるというR2MO2O7の結果と共通のものになっているという点も看過出来ない。

 後半部ではホール濃度をx=0.5に固定して、希土類イオン(R)のイオン半径を変えることで、系へランダムネスを導入し、それに伴う電荷・軌道相関の変化を追跡している。過去のマクロな物理量(抵抗率、磁化率)を用いた研究では、イオン半径の小さな(ランダムネスの大きな)領域において電荷・軌道秩序が消失するという報告がなされていたが、本論文の研究では、ミクロなプローブのラマン散乱で測定が行われたところ、電荷・軌道秩序が消失しているとされていたランダムネスの大きなR=Ndにおいても、電荷・軌道秩序活性なフォノンが観測されている。つまり、電荷・軌道相関が残存していることが新たに示された。さらに、電子回折実験との比較から、ランダムネスが、相関長に影響を及ぼし、電荷・軌道相関を抑制しているということが示唆された。これは、ランダムネスという量が、フィリング、バンド幅などた続く強相関電子系の重要な相制御パラメータとなっていることを示す結果になっている。

 第五章では結論として本論文でなされた研究をまとめ、今後に残された課題及びに本研究により明らかにされた電子-格子結合のプローブとしての側面からの提案、そして新たな相制御パラメータ(ランダムネス)の観点から強相関電子系の現象(超伝導、電荷整列etc.)を再度見直す可能性について述べられている。

 以上、本論文は、金属・絶縁体転移(R2MO2O7)や電荷・軌道整列(R1-xSr1+xMnO4)といった強相関電子系の代表的な現象における電子状態の知見を、電子-格子結合を介して引き出すという試みを行い、いずれにおいてもこのチャネルが有効であることを示した。

 強相関電子系においては、協力的Jahn-Teller効果等に代表されるように、電子系と格子系の強い結合を静的な歪みから論じることは過去数多く行われてきた。本研究はこれを動的な格子変形であるフォノンに対しても新たに拡張し、強相関電子系を電子-格子結合から探る上での視点を新たに一つ付け加えた。その意味で固体電子物性研究の発展に寄与するところ大であり、本論文は博士(科学)の学位請求論文として合格と認められる。

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