学位論文要旨



No 120467
著者(漢字) 松井,信
著者(英字)
著者(カナ) マツイ,マコト
標題(和) レーザー吸収分光法の高エンタルピー気流診断への応用
標題(洋) Application of Laser Absorption Spectroscopy to High Enthalpy Flow Diagnostics
報告番号 120467
報告番号 甲20467
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第87号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端エネルギー工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 小紫,公也
 東京大学 教授 荒川,義博
 東京大学 教授 安部,隆士
 東京大学 教授 小野,靖
 東京大学 助教授 鈴木,宏二郎
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 宇宙往還機や再突入機の熱防護システム(Thermal Protection System)の開発には再突入環境を模擬する必要があり,地上設備としてプラズマ風洞がよく用いられる.しかしながらプラズマ風洞により生成される高エンタルピー気流は熱化学的に非平衡状態にあるため,気流の諸特性は正確にはわかっていない.近年,このような高温・高マッハ数流れを診断するために非接触的な分光測定,特に発光分光法やレーザー誘起蛍光法が行われており,気流中の回転,振動,電子励起温度が明らかにされつつある.しかしながらこれらの方法では気流のエンタルピーや数密度測定は困難である.そこで本研究ではレーザー吸収分光法を用いてプラズマ風洞気流診断を行い,気流の並進温度,準安定準位酸素原子数密度を測定した.

 レーザー吸収分光法は他の分光法に比べて,1)光学的に厚いアークプルームでも再吸収の補正を行う必要がないこと,2)密度測定に標準光源や標準密度源等を用いた絶対感度較正が必要ないことが有利である.さらに半導体レーザーを用いることにより装置を小型化でき,容易に他の風洞施設へ持ち込み計測することも可能となる.実際,本研究で開発したシステムを岐阜県多治見市にある超高温材料研究センター(JUTEM),シュツットガルト大学(IRS,ドイツ)へ持ち込み気流診断を行った.

 プラズマ風洞には加熱方式の違いによりさまざまな種類が存在するが,本研究では構造が簡易で長時間作動可能であるコンストリクタ型アーク風洞,及び間接加熱によりガス種に制限がなく,また電極溶融がないため汚染のほとんどない気流を生成することができる誘導加熱風洞を対象として測定を行った.

2.吸収飽和の影響

 本研究ではまず,計測システムの適用条件等を検証するためグロー放電管,マイクロ波放電管プラズマを対象として測定を行った.その結果,並進温度の関数であるドップラー幅はレーザー強度とともに増加した(図1).一方で,従来のレーザー理論によると,吸収係数はガウス関数とローレンツ関数のたたみ込み積分であるフォークト関数で表され,レーザー強度はローレンツ幅には影響を与えるが,ドップラー幅を示すガウス 幅には無関係であり本測定結果と矛盾する.そこで以下のような理論的考察を行いこの現象を説明した.つまり,ガウス関数において中心から離れた粒子は大きな平均速度を持つはずであり,周囲の粒子の衝突回数も多く,圧力拡がりが大きくなるはずである.そこでこの効果を考慮して吸収プロファイルを計算し,ドップラー幅を求めたところ測定結果と良い一致を得た(図1).従って,飽和強度より低いレーザ強度で並進温度測定を行う場合は真の値が得られるが,高いレーザー強度で測定を行う場合は補正する必要がある.

33.アーク風洞気流診断

 図2に東京大学アーク風洞を用いたアルゴン酸素気流中の準安定準位酸素原子(3s5S)数密分布を示す.数密度分布はノズル出口直後で円周部にピークを持っており,下流で中心軸上にピークが移ると同時に,数密度も増している.参考として図3に同気流中の準安定準位アルゴン(4p2[1/2])数密分布の測定結果を示す.アルゴンの数密度はノズル出口直後から中心軸上にピークを持ち,下流に行くに従って急激に数密度が低下している.同様の分布傾向がJUTEMアーク風洞気流においても得られた.

 これらの分布から考察すると図4に見られるように,コンストリクタ型アーク風洞気流では,ノズル出口付近では酸素はまだ半径方向外側に偏在しており,下流に行くに従い中心軸方向へ拡散し,解離する.そのため下流では中心軸付近で酸素原子数密度が最大となっていると考えられる.一方準安定準位にあるアルゴン数密度はノズル出口で中心軸付近に大きなピークを持ち,下流に行くに従い衝突による失活により急激に減少する.

 すなわち,酸素はコンストリクタ部では主流(アルゴン)とあまり混合しておらず,解離・励起は主としてノズルを出たあとの気流中での衝突により起こるため,気流中での酸素解離度は非常に低くなる.この傾向は数値計算結果(図5)ともよく一致する.従って,アーク風洞プルームで高い酸素解離度を得るためには流速も比較的遅く,密度が大きいコンストリクタ部あるいはその上流でより混合を促進させることが必要であるといえる.

4.誘導加熱風洞気流診断

 本研究で用いたシュツットガルト大学誘導加熱風洞により生成された純酸素気流は直流電源のリップルにより300Hzで投入電力が大きく振動している.そこで各時刻における吸収プロファイルを測定し,並進温度の時間履歴を求めた(図6).図が示すように並進温度の時間履歴はプラズマ発光強度の履歴と非常によく似ている.並進温度の最大値は9500Kである.

 本実験で得られた並進温度,ピトー管により得られたマッハ数,平衡計算により静的エンタルピー,化学ポテンシャル,運動エネルギーの時間履歴を求めた.図7に気流軸上でのエンタルピー及びモル分率の時間履歴を示す.比全エンタルピーは最大86MJ/kgに達する.またエンタルピーが最も高い時点では電離反応が盛んになりイオンモル分率は30%に達している.いずれにせよ気流の酸素解離度は非常に高く,時間平均で92%に達する.気流軸上での平均エネルギーバランスは図8に示すとおりで化学ポテンシャルが全エンタルピー33.1MJ/kgの42.5%を占める.従って本風洞気流はTPS材の触媒性効果を正確に評価するのに役立つと考えられる.また本実験で得られた全エンタルピーは熱流速等のプローブ測定及びPopeの式から推定されるエンタルピー30.5MJ/kgと良い一致を示す.

5.まとめ

 以上のように本研究では半導体レーザーを用いたレーザー吸収分光計測システムを開発し,さまざまなプラズマ風洞気流の数密度,並進温度を時間分解能,空間分解能を有しかつ非接触に測定可能であることを立証した.また本研究では以下の知見が得られた.

1) 収飽和現象についての実験的,理論的検証を行い本システムの適用条件を示した.

2) 従来のコンストリクタ型アーク風洞の気流特性を解明し,原子状酸素源としてのアーク風洞の改良指針を提示した.

3) 誘導加熱風洞気流におけるエンタルピー,酸素解離度の時間履歴を解明し,本風洞がTPS材の触媒性効果検証に有用であることを示した.

図1.測定及び本モデルにより得られたレーザー強度とドップラー幅の関係

図2.東京大学アーク風洞気流中の準安定準位酸素原子数密度の分布

図3.東京大学アーク風洞気流中の準安定準位アルゴン原子数密度の分布

図4.酸素混合過程

図5.東京大学アーク風洞プルーム中の酸素原子数密度の2 次元分布

図6.並進温度,発光信号の時間履歴

図7.各種エンタルピー,化学組成の時間履歴

図8.エネルギーバランス

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,"Application of Laser Absorption Spectroscopy to High Enthalpy Flow Diagnostics"(レーザー吸収分光法の高エンタルピー気流診断への応用)と題し,低圧プラズマ診断のためのレーザー吸収分光法の開発と、それを利用した各種プラズマ風洞の特性評価を目的として,レーザー吸収分光法の適用範囲・精度を検証し,並進温度測定における吸収飽和の影響及び補正係数を提案した上で,コンストリクタ型アーク風洞及び誘導加熱風洞気流診断へ適用し,気流の諸特性を研究したものであり,6章より構成されている.

 第1章は序論であり,研究の背景と目的を述べている.再突入環境を模擬する装置としてのプラズマ風洞,及びその診断手法一般について概論し,本研究で計測対象としてコンストリクタ型アーク風洞と誘導加熱風洞を,診断法としてレーザー吸収分光法を選択した背景を紹介している.また過去にレーザー吸収分光法を高エンタルピー気流診断へ応用した例がほとんどないこと,本手法により従来のプローブ法では困難であった並進温度,数密度測定を非接触に測定することが可能となることを明示し,本研究の意義を説明している.

 第2章は「レーザー吸収分光法」と題し,その理論的背景及び本研究で開発した計測システムについて述べている.本システムでは半導体レーザーを用いることにより非常にコンパクトな計測システムの開発に成功しており,実際に国内やドイツの諸施設にあるプラズマ風洞に持ち込んで計測することによりその携帯性を証明している.

 第3章は「レーザー吸収分光法の適用範囲」と題し,吸収率と並進温度測定の誤差の関係を理論的に検証し,プローブレーザーの強度検出誤差が0.01%の計測システムにおいて,温度測定誤差を5%以下の精度で行うには吸収率が1%以上必要であることを示している.また,レーザー強度が並進温度測定に与える影響を検証し,その結果、レーザー強度が飽和レーザー強度以上になると並進温度が高く見積もられることを実験的に示した.さらにこの現象を説明するために低圧プラズマ吸収飽和の新しいモデルを提案し,実験結果と良い一致を得た.この結果,レーザー強度と温度測定精度の関係を解明し,プローブレーザー強度の上限を明らかにすると共に、それを超える強度の場合でも真の温度を見積もることができる補正係数を提案している.

 第4章は「アーク風洞気流への応用」と題し,コンストリクタ型アーク風洞における酸素混合過程に焦点を置き,準安定準位の酸素原子数密度及びアルゴン数密度の空間分布を計測し,またCFD計算結果と比較検証している.その結果,このタイプの風洞ではコンストリクタ部で混入された酸素の大半が、主流であるアルゴン流中に形成される高温カソードジェット部を通過せずにノズルから排気されるため,プルーム中での酸素解離度が非常に低いことを明らかにした.また,解離度を向上させるため,流速が比較的遅く,密度が大きいコンストリクタ部上流で混合が促進するように供給を改良することを提案している.

 第5章は「誘導加熱風洞気流への応用」と題し,誘導加熱風洞気流の並進温度の空間分布、及びその時間履歴を計測している.また,この結果と平衡計算を組み合わせることで,気流の全エンタルピー及び酸素解離度を推定し,時間平均の酸素解離度は92%,化学ポテンシャルは全エンタルピーの42%を占めることを明らかにしている.さらにプローブ法により推定される時間平均全エンタルピー分布とも非常に良い一致を得ており,本計測結果が定量的にも妥当な値を与えていることが示されている.

 第6章は結論であり,本論文の研究成果をまとめている.

 以上要するに,本論文は高エンタルピー気流を診断するためのレーザー吸収分光計測システムを開発し,その適用範囲・精度を検証した上で2種類のプラズマ風洞へ応用し,コンストリクタ型アーク風洞に関してはその酸素混合過程を解明し,また誘導加熱風洞に関してはエンタルピーの空間分布及びその時間履歴を明らかにしており,これらの結果は、プラズマ風洞の気流特性の評価、およびその設計・改良に応用ができ,先端エネルギー工学,特に高温空気力学に貢献するところが大きい.

 なお、本論文第3章は,JAXA水野雅仁博士との共同研究,第4章はシュツットガルト大学Monika Auweter-Kurtz 教授,Georg Herdrich博士,との共同研究であるが,論文提出者が主体となって実験および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがって,博士(科学)の学位を授与できると認める.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/112