No | 120487 | |
著者(漢字) | 絹川,将史 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | キヌカワ,マサシ | |
標題(和) | ハムスター精子鞭毛の運動性調節機構の解析 | |
標題(洋) | Regulatory mechanism for the motility in hamster spermatozoa. | |
報告番号 | 120487 | |
報告番号 | 甲20487 | |
学位授与日 | 2005.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(生命科学) | |
学位記番号 | 博創域第107号 | |
研究科 | 新領域創成科学研究科 | |
専攻 | 先端生命科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | [序論] 生命システムの維持を担う現象の一つに細胞の移動があげられる。精子は運動を行い雄のゲノムを卵まで運び受精に至る。哺乳類の精子では、受精に至るまでに受精能獲得という現象が知られている。これは、射出されて泳ぎだした直後の精子には受精する能力がないが、時間経過を伴うにつれて受精が可能になる現象である。この現象は先体反応が起こることができるという生理的な現象と同時に、運動性の変化、すなわち超活性化という現象を伴う。超活性化は精子の運動性調節機構の解明における良いモデルである。従来の研究より、頭部の軌跡を追った運動の解析から超活性化に伴い運動速度が上昇していることが明らかとなった。しかし、これらの結果からはどのような機構で超活性化が起こるのかについては明らかにされていない。そこで本研究では精子の運動調節機構の解明を目的として、まず超活性化の生理的意義を明らかにし、次に、鞭毛の波形を解析することにより、その変化が推進力への増加にどのように関与しているかを明らかにする。さらには細胞内部で起こる波形変化に関与する分子機構についての解析を行う。 [結果と考察] (1)運動性に関する解析 まず、従来使用されてきた頭部の点の軌跡から算出した運動性のパラメータについての再現を試みた(Fig.1)。その結果、培養開始10分の精子よりも4時間経過した精子の方が、VCL、VAPといったパラメータで表される速度は早まっていた。さらに軌跡の直線性を表す指標であるLIN、STRの解析から4時間経過するとその軌跡の直線性が減少し、さらに頭部の振りを表す指標であるPRCの解析から4時間経過すると頭部の振りが増していることが示された。 次に、超活性化の生理的意義を調べるために、in vivoにおける卵管の条件を模倣した高粘性状態をポリアクリルアミド(PAA)を用いて作り出し、培養開始後様々な時間の精子について前進運動できる精子の割合を比較した(Fig.2)。すると高粘性の条件にて、10分では泳げないが4時間後の超活性化を起こした精子では泳げるようになった。すなわち超活性化という現象は生理的にも意義のあるものであった。そして、超活性化という現象に伴い、推進力が上昇していることが明らかとなった。 (2)鞭毛の屈曲に関する解析 精子の推進力の原動力は鞭毛の波形に起因するため、超活性化の特徴を真に理解するには頭部の軌跡の解析だけでは不十分で実際に推進力を生み出す鞭毛の波形について解析を行う必要がある。従って、鞭毛の波形変化を調べた。本研究では波形変化に関するパラメータを自作し解析を行った。 ハムスター鞭毛(全長180μm)の屈曲を頭のカギと同じ方向をR-bend、逆の方向をP-bendと定義し(Fig.3a)、頭部から30μm毎の領域に分割し頭部と鞭毛の境界点から順にOからEの各位置の点を設定した(Fig.3b)。そして、各位置の接線の補角より部位毎に屈曲角度を算出した(Fig.3c)。このときR-bendおよびP-bendにそれぞれ正および負の値を与えた。 培養開始後の各時間経過時の波形解析より、鞭毛の振りの平均角度は培養時間と共にR側に非対称的に傾いていた。また、鞭毛の振りはactive→partially inactive→hyperactiveといった過程を経て変化していた。しかし、屈曲角度の変化率を測ることによって鞭毛微小管の滑り速度の変化を調べたところ、格段に推進力が異なる10分と4時間の精子との間で滑り速度の増加は認められなかった(Fig.4)。 各部位における滑り速度は一定もしくは10分の方がやや早いので、超活性化に伴う推進力増加には波形全体の形や伝播様式が深く関与すると考え、時間経過と共に生じる屈曲角度の変化値を調べた(Fig.5)。 すると10分と4時間培養後の精子両方でRからP側の屈曲に費やす時間の方がPからR側に費やす時間よりも早く、RからP側の滑り速度が逆側よりも格段に早くなっていることが明らかとなった(Fig.6)。 そこで、滑り速度の非対称性と推進力との関係を調べるべく各位置の推進方向に対する推進力とその鞭毛位置の曲率との相関関係を調べてみた(Fig.7)。 すると非常に興味深いことに、P側からR側へ屈曲する時に限って推進方向に対して正の推進力が出ており、R側からP側に屈曲する時には必ず負の推進力が生じていた。これは運動開始後10分の精子にも同様の傾向が認められた。すなわち、鞭毛の振りには推進力ということに関し有効な屈曲(P→R)と無効な屈曲(R→P)が存在することが明らかとなった。 そして、各部位での振幅は10分よりも超活性化した4時間の方が増すこと(Fig.8)より、超活性化した精子の鞭毛ではより振幅が大きいがゆえにより大きな有効波が生み出され、推進力がより上昇したと考えられる。 また、鞭毛の波動は頭部で形成され尾部の先端に伝播するという観点から、各部位の時間経過に伴う屈曲の変化を解析した。その結果、4時間経過して超活性化した精子はスムーズに波が伝播していくのに対し、10分の精子は尾部以降の部位で主要波に対して干渉を与えるような波動が存在していた。Fig.9は鞭毛の各部位においてR方向とP方向の屈曲がそれぞれ最大となる時間をプロットしたものであり、波のピークがいつ現れたのかを示している。 4時間の培養で超活性化した精子ではO-AからD-Eまでスムーズに一番大きい波が伝播していたが、10分の精子ではB-Cの部位から途中に新たな波が発生していた。このような干渉波の存在は推進力に対し負の作用を与えるものと考えられ、それが存在しない超活性化した精子は推進力に関してより効果的な波形を生み出すと考えられる。 以上の結果をまとめると、超活性化した精子では振幅が大きく、それはPからR方向の有効屈曲が生じる時間が長いということを意味し、さらに推進力に対して負の働きをする干渉波が存在しないことが明らかとなり、これら2つの波形変化の要素が推進力に対してプラスの影響を与えていることが示唆された。 (3)分子生物的な解析 鞭毛波形の変化の要因は細胞内部での生化学的変化である。特に、タンパクのリン酸化状態や結合状態の変化が、運動性を制御する要因であるという報告が数多くある。鞭毛の波形は9+2の微小管より成る軸糸構造におけるダイニンATPaseを介した微小管の滑り運動より生じる。そしてその滑り運動に関与する物質としてcAMPやCa2+が知られているがこれらの標的分子や滑り運動に対する役割は未解明である。これらの物質の鞭毛軸糸に対する直接的な影響を調べるのに、界面活性剤にて細胞膜を破壊し直接調べたい物質を培地に添加し運動性の再活性化をみる方法がある。今回この手法をベースとし、さらに高濃度のDTT(33mM)を再活性化培地に添加して微小管の滑り出し状態を解析する方法を開発し(Fig.10)、滑り運動に関与する物質の調査を行った。 まず、cAMPは精子の運動開始に必須であるという報告を受け、微小管の滑りに対する影響を解析するためにホスホジエステラーゼ存在下でcAMPが無い条件を作り微小管滑り出しについて調べた。すると、再活性化後の精子鞭毛の屈曲の形は特徴的な釣針型になって鞭毛波形は生じないものの、微小管の滑り出し自体は生じた。これによって、cAMPは微小管の滑り運動には必須ではなく、駆動力を生み出す調和の取れた波形を生み出すのに必須の物質であることが判明した。次にcAMPの標的であるA kinaseの運動性への役割を調べた。その結果、A kinase特異的阻害剤H89を入れた条件下でcAMPによって運動性が上昇することが明らかとなった。この時、kemtideを用いてA kinase活性を測定したが、その活性は完全に阻害されていた。従って、cAMPの標的としてA kinase以外の存在が浮上した。そこで次にA kinase以外の標的として近年報告のあったEpacについて調べてみた。Western Blottingの結果Epac2、およびその下流で働くRap2がハムスター精子にて確認された。 次に、Ca2+は鞭毛波形の非対称性に関与するとの報告を受け、Ca2+の標的であるC kinaseの滑り運動に対する影響を調べるため、C kinase特異的なペプチド阻害剤を用いてその微小管の滑りに対する影響を調べた。すると、阻害剤により運動性のみならず微小管の滑り出しすら生じなくなった(Fig.11)。これよりC kinaseはダイニンと微小管の滑り運動そのものを制御することが示唆された。 (Fig.1 精子の運動軌跡のパラメータ) (Fig.2 培地の粘性を上げた時の前進精子の割合) (Fig.3 鞭毛の波形解析方法) (Fig.4 1/250秒おきに連続する2フレーム間における鞭毛各部位の屈曲角度変化) (Fig.5 1/250s毎の各部位の屈曲角度変化) (Fig.6 滑り速度の非対称性) (Fig.7 推進力に対する有効屈曲の存在。推進方向に対し、赤:正の推進力、青:負の推進力) (Fig.8 鞭毛各部位における振幅) (Fig.9 部位間を伝播する波のR側とP側の屈曲最大値の推移(1flame間に1/250s)) (Fig.10 高濃度還元剤にて微小管が滑り出す) (Fig.11 PKCは微小管滑り出しに必須) | |
審査要旨 | 本論文は、精子の運動調節機構の解明を目的として、まず超活性化の生理的意義を明らかにし、次に、鞭毛の波形を解析することにより、その変化が推進力への増加にどのように関与しているかを明らかにした。さらには細胞内部で起こる波形変化に関与する分子機構についての解析を行い、精子鞭毛を構成する微小管の滑りが有効な推進力を生み出す波形へ変換されるメカニズムを明らかにした。 第1章では、ハムスター精子の運動性に関する解析をおこなった。その結果、培養開始10分の精子よりも4時間経過した精子の方が、運動速度は早まっていた。さらに4時間経過するとその軌跡の直線性が減少していることが示された。次に、超活性化の生理的意義を調べるために、体内における卵管の条件を模倣した高粘性状態をポリアクリルアミドを用いて作り出し、前進運動できる精子の割合を調べた。すると高粘性の条件にて、10 分では泳げないが4 時間後の超活性化を起こした精子では泳げるようになった。すなわち超活性化に伴い推進力が上昇していることが明らかとなった。 第2章では、鞭毛の屈曲に関する解析を行った。ハムスター鞭毛の屈曲を頭のカギと同じ方向をR-bend、逆の方向をP-bend と定義し、頭部から30μm毎の領域に分割し頭部と鞭毛の境界点から順にO からEの各位置の点を設定した。そして、各位置の接線の補角より部位毎に屈曲角度を算出した。培養開始後の各時間経過時の波形解析より、鞭毛の振りの平均角度は培養時間と共にR 側に非対称的に傾いていた。しかし、屈曲角度の変化率を測ることによって鞭毛微小管の滑り速度の変化を調べたところ、格段に推進力が異なる10 分と4 時間の精子との間で滑り速度の増加は認められなかった。さらに10 分と4時間培養後の精子両方で、R からP 側の滑り速度が逆側よりも格段に早くなっていることが明らかとなった。そして、P側からR側へ屈曲する時にのみ推進方向に対して正の推進力が生じていた。すなわち、鞭毛の振りには推進力ということに関し有効な屈曲(P→R)と無効な屈曲(R→P)が存在することが明らかとなった。そして、振幅が10 分よりも超活性化した4 時間後に増すことより、推進力の上昇が起こるものと考察された。また、4時間の培養で超活性化した精子ではO-AからD-Eまでスムーズに一番大きい波が伝播していたが、10 分の精子ではB-C の部位から途中に新たな波が発生していた。このような干渉波の存在は推進力に対し負の作用を与えるものと考えられ、それが存在しない超活性化した精子は推進力に関してより効果的な波形を生み出すと考えられた。 第3章では、細胞内部で起こる波形変化に関与する分子機構についての解析を行った。鞭毛の波形はダイニンATPase を介した微小管の滑り運動より生じる。そこで界面活性剤にて細胞膜を破壊し、さらに高濃度のDTT(33mM)を添加して微小管の滑り出し状態を解析する方法を開発し、滑り運動に関与する物質の影響を調べた。まず、cAMP は精子の運動開始に必須であるという報告を受け、cAMP が無い状態での微小管滑り出しについて調べた。すると、精子鞭毛の屈曲運動は起こらないものの、微小管の滑り出し自体は生じた。これによって、cAMP は微小管の滑り運動には必須ではなく、駆動力を生み出す調和の取れた波形を生み出すのに必要であることが判明した。次にcAMP の標的であるA kinaseの運動性への役割を調べた。その結果、A kinase特異的阻害剤H89 を入れた条件下でcAMP によって運動性が上昇することが明らかとなった。従って、cAMP の標的としてA kinase以外の存在が浮上したため、A kinase以外の標的として近年報告のあったEpacについて調べてみた。イムノブロッティングの結果Epac2、およびその下流で働くRap2 がハムスター精子にて確認された。次に、Ca2+は鞭毛波形の非対称性に関与するとの報告を受け、Ca2+ の標的であるC kinase 特異的なペプチド阻害剤を用いてその微小管の滑りに対する影響を調べた。すると、阻害剤により運動性のみならず微小管の滑り出しすら生じなくなった。これよりC kinase はダイニンと微小管の滑り運動そのものを制御することが示唆された。 以上のように、本論文はこれまで明らかにされていなかった精子微小管の滑りが有効な推進力を生み出す波形へと変換されるメカニズムを明らかにしたものであり、精子運動調節機構の解明に大きく寄与するものであると考えられる。 なお、本論文第1章及び第2 章の1 部は、永田昌男、青木不学との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。 | |
UTokyo Repositoryリンク | http://hdl.handle.net/2261/119 |