学位論文要旨



No 120489
著者(漢字) 纐纈,大輔
著者(英字)
著者(カナ) コウケツ,ダイスケ
標題(和) 霊長類における成体ニューロン新生
標題(洋)
報告番号 120489
報告番号 甲20489
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第109号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 久恒,辰博
 東京大学 教授 大矢,禎一
 東京大学 教授 落合,淳志
 東京大学 助教授 青木,不学
 東京大学 助教授 河村,正二
内容要旨 要旨を表示する

 ニューロンは脳の発達期においてのみつくられ、その後はニューロンの数は減るのみだと考えられていたが、ここ最近の精力的な研究により、脳のある部分では大人になってもニューロンは生まれつづけている事が分かっている。この成体における新生ニューロンの研究は主にマウス、ラットなどの齧歯類において行われており、海馬と脳室下帯(SVZ)から嗅球への2つの領域において新生ニューロンの存在が確認されている。また、これらの新生ニューロンの機能についても少しずつ分かり始めており、海馬での新生ニューロンは記憶の形成に関係しており、嗅球での新生ニューロンは臭いの情報の処理に関係している事が報告されている。

 ヒトやサルなどの霊長類においても海馬と嗅球でニューロンが生まれ続けている事が報告されている。更に、1999年に発表されたGould博士らのサルを用いた実験では、齧歯類では確認されていなかった大脳新皮質で成体でもニューロンが生まれ続けていると報告した。しかし、サルの大脳新皮質では新生ニューロンは見つからなかったという相反する実験結果も報告されている。したがって、大脳新皮質において成体でもニューロンが生まれ続けているかどうかはハッキリと結論が出ておらず、神経科学の分野において解明すべき主要なテーマの1つである。

 そこで本研究では成体のサルを用い、これまでになく詳細な解析方法を用いる事で、大脳新皮質においてニューロンが生まれ続けているのか確認を行った。また、成体サルのSVZと海馬においてどの程度のニューロンが生まれ続けているのか定量的な解析も行った。

 また成体新生ニューロンの研究は医療面からも注目をされている。脳の外傷やアルツハイマー病などの神経変性症により、脳にダメージを受けるとその後の生活に重大な影響を及ぼすことになる。そこで脳の再生医療に大きな期待が集まっており、成体新生ニューロンの研究は脳の再生医療の発展に大きく寄与すると考えられている。

 これまで、将来的な医療面への貢献を目指して、海馬と嗅球でのニューロンの新生を制御するような条件や因子の研究が行われてきている。齧歯類を用いた様々な実験では、行動レベルでは運動、学習、良い住環境、分子レベルでは神経栄養因子などのタンパク質を与えると新生ニューロンの数が増える事が報告されている。また脳虚血やてんかん発作などによっても新生ニューロンの数が増加することが知られている。

 しかし医療への応用を視野に入れるならば、ヒトでも同様な現象が起こるのか調べる事が非常に重要である。それにはヒトに系統的により近いサルの脳虚血モデルを用いて研究することが現実的な解決方法の1つであり、本研究では脳虚血が与えるサルのSVZと海馬でのニューロン新生への影響を調べた。

1. 成体サルにおけるニューロン新生

A.大脳新皮質

 カニクイザル(5才)とニホンザル(2才)に新生細胞のマーカーであるチミジンの類似物質のブロモデオキシウリジン(BrdU)を投与した。そして、免疫組織化学的手法により新生ニューロンの同定を行った。前頭連合野にあるprincipal sulcusと運動野と感覚野の間にあるcentral sulcusを比べるとprincipal sulcusの方がBrdU陽性の新生細胞(BrdU+細胞)の数が多かった(表 1)。また、新生ニューロンの生まれる場所であるSVZでもBrdU+細胞は存在したが、SVZから大脳新皮質への移動するようなBrdU+細胞の流れは見られなかった。

 次に、BrdU+細胞が神経細胞のマーカータンパク質であるNeuNと共染色されるのか調べてみた。すると、一見するとBrdUとNeuNが共染色されているような細胞が見つかった。しかし共焦点レーザー顕微鏡により観察し、得られた画像データをコンピューターにより3次元に再構成する事で詳しく解析して見ると、これらは実際にはNeuN+のニューロンの細胞体にBrdU+の新生細胞がぴったりと張り付いている事が分かった。大脳新皮質にある全BrdU+細胞のうち約37%がこのようなサテライト・グリアと知られるニューロンに張り付いた細胞であった。

 しかしBrdUとNeuNが本当に共染色された細胞は僅かながら見つかり、その数は全BrdU+細胞のうち< 0.01%とごく少数であった。また、これらの共染色された細胞のNeuNタンパク質の細胞内の局在を見てみると核内のみに限局しており、更に細胞の形も周りにあるニューロンとは異なっていた。未熟なニューロンのマーカーであるdoublecortin(DCX)でも調べたところ、BrdU+/DCX+細胞は< 0.01%であり、DCXの染色性のごく弱いものであった。以上のように、我々が用いた詳細な解析では大脳新皮質でのニューロン新生の確固たる証拠は見つからなかった。したがって、この結果は健全で成熟したサルにおける大脳新皮質のニューロンの数は安定的であるという説を支持するものである。

 しかし、僅かながら見つかったBrdU+/NeuN+細胞はどのような細胞なのであろうか?可能性の1つとして、成体の脳が内在的に持つ神経前駆細胞であるが、普通の状態では成熟したニューロンへは分化出来ない細胞が挙げられる。実際にある特殊な条件下では成体マウスの大脳新皮質ではニューロンがつくられることが報告されている。したがって、このような神経前駆細胞をニューロンへと分化誘導する事が可能になれば、神経変性症などの治療の発展に大きく寄与するであろう。

B.SVZと海馬

成体サルに2週間BrdUを投与し、さらに2週間後に還流固定を行った。嗅球と海馬ではそれぞれ681個/mm3と1800個/mm3のニューロンが新しく生まれていた。また、ニューロンへの分化の割合を見てみると嗅球では全BrdU+細胞のうち約70%がDCX+の未熟なニューロンであり、海馬では約40%がNeuN+の成熟したニューロンであった。これらの値をこれまで報告されている齧歯類での新生ニューロンの数と比べてみると、サルでの成体ニューロン新生の数は齧歯類に比べて1〜2オーダー程度少ないと推定される。

2. 脳虚血後のSVZ−嗅球と海馬における新生ニューロンの増加

 カニクイザル(5才)を用い、右側の中大脳動脈を閉塞する事で局所脳虚血を起こした。この場合、脳の右半球のみに梗塞が見られる。梗塞範囲は大脳新皮質の一部と線条体であり、海馬に梗塞は見られない。まずSVZにおけるBrdU+細胞の数を見てみると、虚血半球側のSVZでは虚血手術をしていない健全なサルのSVZよりは4.3倍のBrdU+の新生細胞が観察され(図1)、嗅球では約20倍も増えていた。そして、BrdUとニューロンのマーカーであるNeuNとDCXの共染色を行い、ニューロンの分化の割合を見てみると、虚血半球側と反対側さらに健全なSVZと嗅球でニューロンへの分化の割合は同じであった(表2)。また、SVZから直ぐ隣の線条体に移動しているようなDCX+細胞が多く観察された。これらのDCX+細胞のうち幾つかはBrdUとも共染色され、形態的に移動中のニューロンのように見えた。ただ、このような未熟な移動中のニューロンの分布はSVZからせいぜい500 ?mほど線条体に入っているだけであり、障害を受けた線条体を全てカバーするような数ではなかった。しかし将来的にこうした未熟なニューロンを機能を持った成熟したニューロンへと分化誘導できるような技術が開発されれば、脳の外傷や神経変性症に対する治療に大きな寄与を果たすであろう。

 また、海馬についても同様にBrdU+の新生細胞の数を比較した。虚血半球側では健全な海馬に比べてそれぞれ4.6倍のBrdU+細胞が観察された(図2)。更に、ニューロンへの分化の割合はSVZと同様に3つの海馬で同じ割合であった(表2)。

 以上のように、成体のサルでは局所脳虚血によってSVZと海馬のニューロン新生の数が増加する事が分かった。そして、これら2つの場所では脳虚血後BrdU+細胞の数は有意に増加するが、ニューロンのマーカーと共染色されるBrdU+細胞の割合に変化は見られなかった。したがって、脳虚血による新生ニューロン数の増加は神経前駆細胞の増殖を増やすことによるものであり、ニューロンへの分化促進によるものではない。

表1 成体サルにおけるBrdU+新生細胞の数

図1 脳虚血後のSVZでのBrdU+の新生細胞の増加

虚血半球側のSVZでは反対側と健全なSVZに比べてBrdU+細胞の数が増加していた。

図2 脳虚血後の嗅球でのBrdU+新生細胞の増加

虚血半球側の嗅球では反対側と健全な嗅球に比べてBrdU+細胞の数か増加していた。

図3 脳虚血後の海馬でのBrdU+新生細胞の増加

虚血半球側の海馬では反対側と健全な海馬と比べてBrdU+細胞が増加していた

表2 SVZ-嗅球と海馬でのBrdU+細胞のニューロンの割合

審査要旨 要旨を表示する

 本論文の内容は2部構成になっており、第1部は成体サルにおけるニューロン新生、第2部が脳虚血による成体サルのニューロン新生への影響について述べられている。

 第1部については、ヒトやサルなどの霊長類では海馬と嗅球でニューロンが生まれ続けている事が報告されているが、大脳新皮質において成体でもニューロンが生まれ続けているかどうかはハッキリと結論が出ておらず、神経科学の分野において解明すべき主要なテーマの1つであった。そこで本論文で成体のサルを用い詳細な解析方法を用いる事で、大脳新皮質においてニューロンが生まれ続けているのか明らかにしている。また、成体サルの嗅球と海馬においてどの程度のニューロンが生まれ続けているのか定量的な解析も行っている。その結果、大脳新皮質で新生細胞は観察された。そして一見するとニューロンのマーカーであるNeuNと共染色しているように見える新生細胞が多く観察された。しかしコンピューター上で得られた観察画像を3次元画像に再構成して詳しく観察することによって、これらは共染色している細胞ではなく、別々の2つの細胞であることを示した。結果として、大脳新皮質において二ューロン新生を示す確固たる証拠は見つからず、健全で成熟したサルにおける大脳新皮質のニューロンの数は安定的であるという説を支持する結果を示している。また、嗅球と海馬ではそれぞれ680個/mm3と1800個/mm3のニューロンが新しく生まれており、ニューロンへの分化の割合を見てみると嗅球では全ての新生細胞のうち76%がNeuNを発現している成熟したニューロンで、海馬では40%であることを示している。これらの値をこれまで報告されている齧歯類での新生ニューロンの数と比べてみると、サルでの成体ニューロン新生の数は齧歯類に比べて1オーダー程度少ないと推定され、動物種間でニューロンの新生がどの様に変化するのか考える上で貴重なデータであると判断される。

 第2部では、これまでに嗅球と海馬のニューロン新生を制御するような条件や因子の研究が行われてきている。本論文では医療への応用を視野に入れ、ヒトに系統的に近いサルの局所脳虚血モデルを用いて、脳虚血が与える成体サルの嗅球と海馬でのニューロン新生への影響を調べている。その結果、脳虚血後の嗅球では新生ニューロンの数が19倍に増え、海馬では4.6倍に増えたことを示している。そして、ニューロンへの分化の割合を調べたところ、嗅球では全ての新生細胞のうち73%がNeuNを発現しているニューロンであり、海馬では39%であった。また、これらの割合は健常なサルの場合と同じ値であった。これは脳虚血による新生ニューロン数の増加は神経前駆細胞の増殖を増やすことによるものであり、ニューロンへの分化促進によるものではないことを示している。この成体サルで得られた結果はこれまでに報告されているラットでの脳虚血と新生ニューロンのデータと同じような値であり、今後ラットで得られた新生ニューロンに関するデータがヒトにも応用可能であることを示した有益な結果である。またSVZから線条体への未熟なニューロンの移動を観察している。この移動の距離はごく僅かであり、脳虚血による線条体の損傷をカバーする細胞数ではないが、将来的にこうした未熟なニューロンを機能を持った成熟したニューロンへと分化誘導できるような技術が開発されれば、脳の外傷や神経変性症に対する治療に大きな寄与を果たすものと考えられ、脳の再生医療に対する可能性を見出した。

 本論文は霊長類における新生ニューロンについての基礎的なデータを示し、新生ニューロンが脳の再生医療の手段として期待できることを示した有意義な内容であると判断できる。したがって、論文提出者は、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/120