学位論文要旨



No 120493
著者(漢字) 鈴木,志穂
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,シホ
標題(和) OYファイトプラズマの主要抗原膜タンパク質と相互作用する宿主昆虫タンパク質に関する研究
標題(洋)
報告番号 120493
報告番号 甲20493
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第113号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 教授 宇垣,正志
 東京大学 教授 永田,昌男
 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 教授 山本,一夫
内容要旨 要旨を表示する

序論

 マラリアやスピロヘータ、リケッチア、それにファイトプラズマなど、昆虫により媒介され動植物に感染する病原微生物は、系統学的に離れた宿主に交互に感染し、それらの細胞内で増殖する。これらの病原微生物は、特定の昆虫により媒介されるという特異性を持っており、それが病気の伝搬力や被害の大きさを左右する。しかし、特異性を生み出す分子機構はその多くが不明である。この特異性のメカニズムを解明することは、病原体の拡散を阻止する防除法の確立につながり、その意義は大きい。

 ファイトプラズマは、主にヨコバイにより伝搬され、700種以上の植物に感染して黄化・萎縮・叢生・枯死等の特徴的な症状を引き起こし、農業生産上甚大な被害を引き起こす植物病原細菌の一群である。ファイトプラズマは植物においては広い宿主範囲を有する一方で、その系統によりそれぞれ特異的な媒介昆虫を有する(Table.1.)。この昆虫宿主域を決定するメカニズムについて興味が持たれるものの、培養が困難なうえに、感染植物の篩部組織に局在することから、菌体蓄積量が少ないため分子生物学的な研究は遅れており、宿主との相互作用に関する知見はほとんど得られていない。本研究は、ファイトプラズマの昆虫宿主決定機構を明らかにすることを目的とした。

1.OYファイトプラズマの主要抗原膜タンパク質(IDP)と相互作用する宿主因子の探索

 動物病原細菌の多くでは、菌体表面の膜タンパク質が感染の過程で重要な機能を担っており、宿主細胞への侵入や細胞内移行に必要不可欠であることが知られている。一方、ファイトプラズマの菌体表面は、主要抗原膜タンパク質(immunodominant membrane protein: IDP)が大半を占めていると推定されている。IDPはファイトプラズマの菌体表面に露出している機能未知の膜タンパク質であり、幾つかのファイトプラズマで報告されているが、そのアミノ酸配列は系統間で多様性に富んでいる。

 本研究では、Candidatus Phytoplasma asteris, OY strain (OY)のIDPを、大腸菌内で発現・精製し、カラム樹脂に結合させてIDPアフィニティーカラムを作製した。IDPと相互作用する昆虫側・植物側の宿主因子を分離するために、ヒメフタテンヨコバイ(OYの代表的な媒介昆虫)・シュンギク・シロイヌナズナより分離した可溶性タンパク質画分をIDPアフィニティーカラムに通し、カラムに結合する宿主タンパク質を分離した。その結果、植物宿主から分離されたタンパク質は全て非特異的なカラム結合タンパク質であった一方、昆虫宿主からは、3つのタンパク質(P30, P42, P200)がIDPアフィニティーカラム特異的に検出され、IDPの昆虫特異的な相互作用が示された(Fig. 1.) 。これら3つの昆虫宿主タンパク質は、MALDI-TOF MSを用いたpeptide mass fingerprinting、ペプチドシークエンス、ウェスタンブロット解析により、それぞれP30はmyosin light chain(MLC), P42はアクチン, P200はmyosin heavy chain(MHC)と同定された。また、IDP を用いたファーウェスタンブロット解析を行ったところ、MLC特異的バンドが観察されたことから、IDPはMLCに直接結合し、アクチン/MHCと複合体を形成していることが示唆された(Fig. 2.)。

 そこで、ファイトプラズマ感染昆虫細胞内に存在するIDP-ミオシン-アクチン (IMA)複合体を検出する目的で、OY感染ヒメフタテンヨコバイより分離した可溶性全タンパク質画分を抗IDP抗体アフィニティーカラムに通し、カラムに結合したタンパク質をSDS-PAGEにて分離し、抗アクチン抗体を用いたウエスタンブロッティングにより検出した。その結果、OY感染昆虫サンプルに特異的に、非感染昆虫には認められないアクチンが検出されたことから(Fig. 3.)、昆虫細胞内においてIMA複合体形成が起こっていることが示唆された。 以上の結果より、ファイトプラズマ菌体表面を覆うIDPは宿主昆虫のミオシンと結合することが明らかになった。ミオシンは、真核細胞内のオルガネラや分泌小胞等に結合し、アクチンフィラメント上を滑り運動してこれらを輸送するモータータンパク質であることが知られている。これまでクラミジア、赤痢菌等の病原細菌がヒト細胞に感染後、微小管やアクチンフィラメントに沿って移動することが知られており、これらの細菌の細胞内移行にモータータンパク質の関与が示唆されている。同様にファイトプラズマが昆虫宿主細胞内を移行するために、ミオシンモータータンパク質を利用している可能性が予想され、宿主のオルガネラ輸送システムをファイトプラズマが巧妙に利用している可能性が考察された。

2.IMA複合体形成能とファイトプラズマ昆虫宿主特異性

 今まで幾つかのファイトプラズマからそれぞれIDP遺伝子がクローニングされているが、IDPのアミノ酸配列は周辺領域にコードされる遺伝子と比較して、ファイトプラズマ系統間での配列多様性が認められる。従って、ファイトプラズマの系統ごとに異なる昆虫宿主範囲に、IDPが関与している可能性が推測された。ここでは、IMA複合体とファイトプラズマの昆虫宿主特異性との関連性に焦点をあて、各系統のファイトプラズマの媒介昆虫を材料に、IDPのIMA複合体形成能について調べた。

 OY媒介ヨコバイ3種、非媒介ヨコバイ2種のそれぞれより抽出した可溶性タンパク質を、IDPアフィニティーカラムに通し、カラムに結合したタンパク質画分に対し抗アクチン抗体を用いてウェスタンブロット解析を行った。その結果、OY媒介ヨコバイからはアクチン特異的バンドが検出され、IMA複合体が形成されることが強く示唆された。一方、OY非媒介性ヨコバイにおいては、同様なバンドは全く検出されず、IMA複合体の形成は認められなかった(Fig. 4.)。以上の結果、IDPは媒介昆虫のミオシンモータータンパク質と特異的に結合するものと判断され、これがファイトプラズマの昆虫宿主特異性に関与しているものと考えられた。

3.IDPと宿主ミオシンモータータンパク質の結合に関与する要因の解析

 IDPと昆虫宿主のミオシンモータータンパク質の間の結合が、OY媒介昆虫特異的に認められたことから、ファイトプラズマの昆虫媒介能の決定に関与していることが示唆された。そこで、ヨコバイのミオシンモータータンパク質とIDPの結合の可否を決定する要因を調べた。一般にタンパク質間の結合能に影響する要因には、タンパク質の立体構造や結合部位のアミノ酸の親和性のほか、タンパク質の翻訳後修飾(糖鎖、脂質等)による親和性などがある。病原と宿主受容体との相互作用が最も詳細に分かっている動物ウイルスでは、多くの場合、宿主受容体は糖鎖であり、インフルエンザウイルスでは宿主タンパク質表面上の糖鎖修飾の違いにより宿主特異性が決定されている。

 まずMLCの立体構造や結合部位のアミノ酸による親和性が結合の決定要因となっている可能性を検証するために、ヒメフタテンヨコバイからクローニングした全長MLCを大腸菌内にて発現・精製し、MLCとIDPのin vitroにおける結合能を、カラムアフィニティークロマトグラフィーにより調べた。その結果、MLCはIDPに対する結合能を示さなかったことから、MLCとIDPの結合にはタンパク質修飾を必要とする可能性が示唆された。そこで次に糖鎖修飾の関与を検証するために、ヨコバイより可溶性タンパク質を抽出したのち、タンパク質には影響を与えずに糖鎖を特異的に酸化変性する目的で、これに過ヨウ素酸化処理を行ない、IDP-昆虫宿主ミオシンモーター間の相互作用を検証した。処理したタンパク質溶液をIDPアフィニティーカラムに通し、カラム結合タンパク質をSDS-PAGE、銀染色により検出した。その結果、昆虫宿主MLCのIDPに対する結合能は、対照の無処理サンプルとは異なり、過ヨウ素酸化処理により失われた。また、結合能は、加えた過ヨウ素酸ナトリウムの濃度依存的に弱くなった。この結果は、IDP-MLC間相互作用に糖鎖が関与している可能性を示唆するものである。

結論

 ファイトプラズマは炭素源の豊富な植物篩部の細胞内という特殊環境に寄生することにより、通常の細胞が生きていくために保持している生合成能の殆どを退行的進化により捨て去った生物であると考えられる。ファイトプラズマは代謝系関連遺伝子のみならず、他の細菌がもつ鞭毛や線毛等の構造を欠き、菌体移行や宿主への接着に関与する因子が見出されていないことから、今まで宿主特異性のメカニズムは不明であった。本研究では、ファイトプラズマの菌体表面を覆うIDPが媒介性の昆虫宿主のミオシンモータータンパク質に特異的に結合することを明らかにし、ファイトプラズマが昆虫宿主細胞内でIMA複合体を構成してアクチンフィラメント上を輸送される可能性を推定した。このことは、感染細胞内における移行能の有無が昆虫宿主特異性の決定に深く関わっていることを示唆するものである。本研究により、ファイトプラズマの昆虫宿主特異性の決定に関する基盤的な知見を得ることが出来たものと考えられる。

Table1. 各系統ファイトプラズマの昆虫宿主範囲

Fig.1. SDS-PAGEの泳動像。

(a)植物宿主(シロイヌナズナ)から分離したIDP結合タンパク質。

レーン1:BSAカラム結合タンパク質(コントロール)

レーン2:IDPカラム結合タンパク質

(b)昆虫宿主(ヒメフタテンヨコバイ)から分離したIDP結合タンパク質。

レーン1:BSAカラム結合タンパク質(コントロール)

レーン2:IDPカラム結合タンパク質

M:molecular marker、MHC:myosin heavy chain、

MLC:myosin light chain

Fig.2. ファーウエスタンブロット解析により、IDPと直接結合する昆虫宿主タンパク質を特定した。IDPはMLCと特異的に結合している。

レーン1:ヒメフタテンヨコバイから抽出したIDPアフィニティーカラム結合タンパク質。SDS-PAGE後、銀染色したもの。

レーン2:ファーウエスタンの非特異的シグナルを検出するために、IDPアフィニティーカラム結合タンパク質を転写したPVDFメンブレンを、精製IDPと反応させずに、IDP検出の操作を行った。

レーン3:IDPアフィニティーカラム結合タンパク質を転写したPVDFメンブレンを精製IDPと反応させた後、IDPを検出した。

Fig.3. OY感染・非感染ヒメフタテンヨコバイの粗抽出タンパク質溶液を抗IDP抗体カラムに通し、IDP-ミオシン-アクチン複合体を分離した。分離後の複合体を抗アクチンポリクローナル抗体を用いて検出した。

Fig.4. IDPはOY媒介性ヨコバイのミオシンモーターのみと特異的に相互作用する。

ヒメフタテンヨコバイ(レーン1,6),ヒシモンモドキ(レーン3,8),ヒシモンヨコバイ(レーン4,9)がOY媒介性ヨコバイであり、キマダラヒロヨコバイ(lane2,7),ツマグロヨコバイ(lane5,10)がOY非媒介性ヨコバイである。lane6-10がIDPアフィニティーカラムに通す前の各種ヨコバイの可溶性タンパク質画分であり、カラムに通すタンパク質量はほぼ同じであることを示している。lane1-5は各種ヨコバイのタンパク質をIDPアフィニティーカラムに通し、カラム結合タンパク質をアクチン抗体を用いたウエスタンブロット解析により検出したものである。3種のOY媒介性ヨコバイではアクチンが検出される一方、2種のOY非媒介性ヨコバイでは検出されなかった。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は 5 章からなり、第 1 章は緒論、第 2 章は OY ファイトプラズマの主要抗原膜タンパク質(IDP)と昆虫宿主間の相互作用解析、第 3 章は IDP と宿主ミオシンモーターの結合に関与する要因の解析、第 4 章はIDP-宿主ミオシンモーターの結合と宿主特異性、第 5 章は総合考察について述べられている。本論文は、重要な植物病原細菌でありかつ培養が困難なファイトプラズマを材料として研究を行っている。ファイトプラズマは細胞壁を持たず、宿主の細胞内に寄生するという特徴から、その菌体表面の大半を覆っている IDP は宿主との相互作用に重要な役割を果たすと予想し、本論文では Candidatus phytoplasma asteris, OY strain (OY) の IDP と相互作用する昆虫宿主タンパク質についての解析を行っている。

 第 1 章の緒論では、ファイトプラズマの歴史や特徴について詳細に述べられている。

 第 2 章では、 IDP と昆虫宿主であるヒメフタテンヨコバイのタンパク質との相互作用解析について述べられている。カラムアフィニティークロマトグラフィーを用いて IDP に結合する昆虫宿主タンパク質 (P30,P42,P200) を単離し、MALDI TOF-MS を用いた peptide mass fingerprinting、ペプチドシークエンス解析、ウエスタンブロット解析により、これらがmyosin light chain (MLC), アクチン, myosin heavy chain (MHC) であることを明らかにした。また、 IDP をプローブとしたファーウエスタンブロット解析により、 IDP がMLC に結合し、アクチン, MHC と複合体形成をすることを示した。更に、抗IDP抗体アフィニティーカラムを用いて保毒昆虫細胞内に存在する IDP-ミオシン-アクチン複合体を単離することにより、in vivoにおける複合体形成を裏付けた。ミオシンは真核細胞内において分泌小胞やオルガネラを輸送するモータータンパク質であるが、一部の病原細菌ではミオシンモーターを菌体移動のために利用すると考えられており、同様にファイトプラズマにおいてもミオシンモーターに結合しアクチンフィラメント上をすべり運動することにより移行する可能性を示した。本章の実験により得られた結果は、ファイトプラズマと宿主との相互作用を示す初めての知見である。

 第 3 章においては、 IDP と宿主ミオシンモーターの結合に関与する要因の解析について述べている。昆虫宿主からMLC を cDNA クローニングし、大腸菌内でタンパク質発現させ、精製した。精製 MLC と IDP との間には結合能が認められず、そして、昆虫タンパク質の糖変性処理により IDP との結合能が失われることから、結合に糖鎖修飾が関与する可能性を示した。

 第 4 章においては、本研究において認められた相互作用とファイトプラズマの昆虫宿主決定との関連性について述べている。 OY 媒介性ヨコバイ 3 種 (ヒメフタテンヨコバイ、ヒシモンヨコバイ、ヒシモンモドキ)、 OY 非媒介性ヨコバイ 2 種 (キマダラヒロヨコバイ、ツマグロヨコバイ) からそれぞれ可溶性タンパク質を抽出し、 IDP アフィニティーカラムに通すことにより、 IDP に対する結合能を検証した結果、媒介性ヨコバイのタンパク質のみが IDP に対する結合能を有することを明らかにした。本章の結果により、 IDP とアクチン,ミオシン間の複合体形成が、ファイトプラズマの昆虫宿主決定に深く関与する重要な要因であることを示した。昆虫伝搬性の病原体全般において媒介昆虫を決定する機構はわかっておらず、本研究において得られた知見は、マラリア原虫、リケッチアなど、甚大な被害を及ぼす他の昆虫伝搬性病原体の研究に対して大きく寄与するものと思われる。

 第 5 章においては、本論文の全般にわたる広範な考察が述べられている。ファイトプラズマは他の細菌がもつ鞭毛や線毛等の構造を欠き、菌体移行や宿主への接着に関与する因子が見出されていないことから、今まで宿主特異性のメカニズムは不明であった。本研究により、これまで全く未知であったファイトプラズマと昆虫宿主との相互作用における新知見を得ることができ、ファイトプラズマの宿主決定や病原性の解明への道を開く基盤的知見を得ることができたと考えられる。

 なお、本論文第 2-5 章は、難波成任氏・宇垣正志氏・山本一夫氏・大島研郎氏・柿澤茂之氏・宮田伸一氏・山次康幸氏・西川尚志氏・鄭熙英氏・魏薇氏・嵐田亮氏・中田大介氏・田中穣氏・中島智氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析および執筆を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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