学位論文要旨



No 120494
著者(漢字) 福田,七穂
著者(英字)
著者(カナ) フクダ,ナナホ
標題(和) 精巣に発現する嗅覚受容体の発現様式および機能に関する研究)
標題(洋) Studies on mouse testicular olfactory receptors : stage-specific expression during spermatogenesis and function as a chemoreceptor in sperm
報告番号 120494
報告番号 甲20494
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第114号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 東原,和成
 東京大学 講師 尾田,正二
 東京大学 助教授 青木,不学
 東京大学 助教授 河村,正二
 東京大学 教授 片岡,宏誌
内容要旨 要旨を表示する

序論

 嗅覚受容体はGタンパク質共役型受容体(G-protein coupled receptor, GPCR)ファミリーに属する7回膜貫通型受容体である。GPCRファミリーの中で最大の遺伝子群を形成しており、嗅上皮において多様な匂い物質の受容を担っている。興味深いことに、嗅覚受容体は哺乳動物の精巣にも発現していることが報告されている。これまでに、ラット、マウス、ヒト、イヌの精巣において複数の嗅覚受容体遺伝子の発現が確認されており、数種の嗅覚受容体タンパク質については、成熟後の精子の中片(鞭毛の上部)に局在していることが示されている。嗅覚受容体は、Gタンパク質αサブユニット Gαolfを介したCa2+ シグナル伝達系によって匂い情報の伝達を行っている。リガンドとなる匂い物質が嗅覚受容体に結合すると、Gαolf がアデニル酸シクラーゼIIIを活性化してcAMP(cyclic adenosine monophosphate)を産生し、その結果、細胞膜上にある CNG チャネル (cyclic nucleotide gated channel) が開いてCa2+の細胞内への流入がおこる。これらのシグナル伝達因子である Gαolf やアデニル酸シクラーゼIII、CNG チャネルは、精巣においても発現していることが確認されており、精巣に発現する嗅覚受容体が、嗅上皮での伝達系と同様の系を介して機能している可能性が考えられる。Ca2+ は、精子の運動に重要であることから、精巣に発現する嗅覚受容体は精子の運動性に関与していることが示唆されていたが、その機能や発現様式の詳細を示す結果はこれまでに得られていなかった。そこで、本研究では嗅覚受容体の精巣における役割を解明することを目的として、嗅覚受容体の精巣における発現分布、および機能の解析を行った。

結果と考察

1.嗅覚受容体の精巣における発現様式の解析

 まず初めに、精巣に発現する嗅覚受容体のクローニングを行った。嗅覚受容体に保存されるアミノ酸配列を基に設計した縮重プライマーおよび数種の嗅覚受容体遺伝子に対する特異的なプライマーを用いて、精巣total RNAからRT-PCRを行い、精巣に発現する15種類の嗅覚受容体遺伝子を同定した。これらの嗅覚受容体遺伝子について、組織ごとの発現をRT-PCRにより解析した結果、精巣cDNA由来の嗅覚受容体は、嗅上皮と精巣の2つの組織特異的に発現しており、嗅上皮と精巣から得られる cDNAは、同一のアミノ酸コード配列を有することが確認された(図1A)。

 次に、in situ hybridization を行い、精巣における発現分布について解析した。嗅覚受容体遺伝子の精巣における発現量は少なく、発現分布の解析は困難とされていたが、tyramideを用いたシグナル増幅システム (tyramide signal amplification system) を用いることにより、8種類の嗅覚受容体アンチセンスプローブのシグナルを検出することに成功した。図1Bに示されるように、嗅覚受容体遺伝子の転写産物は、精巣切片において一部の精細管特異的に観察され、嗅覚受容体遺伝子が精子形成段階において時期(ステージ)特異的に発現していることが明らかとなった。また、連続切片を用いて受容体遺伝子の発現するステージを比較した結果、発現ステージは嗅覚受容体遺伝子によって異なり、3タイプの発現パターンが存在することが明らかになった(図2)。

 嗅覚受容体は、嗅上皮において厳密な発現制御を受けており、一つの嗅神経細胞には1種類の嗅覚受容体のみ選択的に発現している。一方で、一つの精細胞に何種類の受容体が発現しているのかについては明らかにされていない。そこで、同じ時期に発現する2種類の嗅覚受容体についてdouble in situ hybridizationを行い、1精細胞における受容体遺伝子の発現分布を解析した。その結果、1種類の受容体のシグナルのみ有する細胞と、2 種類の受容体のシグナルを有する細胞とが観察され、精細胞では嗅神経細胞で見られる「1細胞-1受容体」の発現様式は、厳密には保存されていないことが示された。5'-RACE法により嗅覚受容体 mRNA の上流配列を解析すると、嗅上皮 mRNAでは上流の非コード領域に1つから2つのイントロンを含むのに対し、精巣 mRNAはイントロンを含まず、転写開始部位が異なることが確認されたことから、5'-UTR配列が「1細胞-1受容体」の発現制御に関与している可能性が考えられる。

2.MOR23受容体の機能解析

 MOR23受容体は、精巣と嗅上皮の両組織に発現しているマウス嗅覚受容体の一つであり、嗅神経細胞では、フローラルな香りを呈する匂い物質 lyralをリガンドとして受容することが示されている。そこで、本研究では MOR23 受容体の匂いリガンド lyralを用いて、精巣および精子における MOR23 受容体の機能解析を試みた。

 初めに、成熟した雄マウスの精巣から精細胞を単離し、Ca2+ イメージングを行った結果、約30%の精細胞においてlyral刺激に対する濃度依存的なCa2+ 応答が観察された(図3B)。精巣に高発現する分子であるcalmeginのプロモーターを用いてMOR23 受容体を精巣で高発現するトランスジェニック(Tg)マウスを確立し、lyral に対するCa2+ 応答を解析したところ、lyralに対する応答細胞数およびCa2+ 濃度の上昇幅は、野生型マウスの精細胞よりもTgマウスの精細胞において有意に大きくなった(3 mM lyral に対する応答細胞数;Tg:60±8.3%、野生型:29±7.2%)。同様に、精巣上体から単離した精子においてもlyral 刺激に対するCa2+ 応答が観察され、2.5 mM lyralに対する応答細胞数は野生型マウスで11±3.5%であったのに対し、Tgマウスでは53±14%となった。これらの結果より、lyralによる細胞内Ca2+ 濃度の上昇はMOR23受容体を介したものであることが示された(図3C)。

 精子内のCa2+ は、精子の運動性に関与することが多くの知見から示されている。そこで、次に精子走化性検定を行った結果、lyral の入ったキャピラリーの周囲に精子の凝集が観察された(図4A)。lyral に集まる精子数は MOR23-Tg マウスの精子において有意に多く、細胞内Ca2+ 濃度の上昇を引き起こさない他の匂い物質 bourgeonal やdihydromyrcenol では精子の集合はおこらなかった(図4B)。ウニの精子では、誘引物質刺激による細胞内Ca2+ 濃度の上昇が鞭毛運動の非対称性を増大させることにより精子の遊泳方向の転換が生じることが示されているが、本走化性検定において精子遊泳の軌跡を解析すると、lyralの方へ遊泳した精子のうち、約80%の精子の軌跡において方向転換が観察された(図4C)。また、高濃度Ca2+ 条件下では、鞭毛運動の非対称性が極限に達することにより、鞭毛が釣針状に屈曲することが報告されているが、2.5 mM lyral 刺激により、特徴的な鞭毛の屈曲形(図4D、矢頭)が細胞外Ca2+ 依存的に引き起こされた。これらの結果から、lyral による細胞外からのCa2+ 流入が、鞭毛運動における非対称性の増大を引き起こしていることが示唆された。興味深いことに、鞭毛全体のCa2+ 濃度の上昇を引き起こす高濃度カリウム溶液(電位依存性チャネルを活性化)や 8-Br-cAMP(CNGチャネルを活性化)では精子の走化性および鞭毛の屈曲は観察されなかった。鞭毛の屈曲は鞭毛の付け根で生じることが示唆されている。嗅覚受容体は鞭毛の頭側(中片部)に局在していることから、単なるCa2+ 濃度の上昇ではなく、嗅覚受容体を介した局所的なCa2+ 濃度の上昇が鞭毛の非対称性が作られるのに必要であると考えられる。

結論

 本研究では、精巣における嗅覚受容体遺伝子の発現分布を詳細に解析し、精巣嗅覚受容体遺伝子が精子形成段階においてステージ特異的に発現しており、その発現ステージは受容体によって異なることを初めて明らかにした。また、1つの細胞に2種類の嗅覚受容体mRNAのシグナルを有する精細胞が観察されたことから、嗅神経細胞で見られる「1細胞-1受容体」発現様式は精細胞ではおきていないことが示された。精巣と嗅上皮とでは、嗅覚受容体遺伝子の転写開始部位が異なることから、5' 非コード領域が「1細胞-1受容体」発現制御において重要である可能性が考えられる。

 また、MOR23受容体の匂いリガンド lyral を用いた機能解析の結果、嗅覚受容体は精巣および精子において機能的に発現しており、リガンドを受容することによって細胞内Ca2+ 濃度の上昇を引き起こすことが明らかになった。また、嗅覚受容体を介した細胞内Ca2+ 濃度の上昇は、精子鞭毛運動の変化を引き起こし、精子の走化性に関与している可能性が示された。精巣嗅覚受容体のin vivoでの機能を明確にするためには、内在性リガンドの同定が必要であるが、本研究で確立したTgマウスラインおよびCa2+ イメージングや鞭毛屈曲などのアッセイ系は、生体内リガンドのスクリーニングにおいて有効である。今後、精巣に発現する嗅覚受容体がどのような因子を受容し、その因子がどの組織から分泌されているのかを明らかにすることで、哺乳動物の受精メカニズムの解明に重要な知見が得られると期待される。

図1. MOR23受容体の発現分布

A. MOR23受容体の組織別発現分布。精巣と嗅上皮特異的に発現が確認された。B. MOR23受容体mRNAの精巣切片における発現分布。bar, 100μm.

図2. 精子形成段階における嗅覚受容体遺伝子の発現ステージ

マウスの精子形成段階は12ステージに分類される。嗅覚受容体遺伝子は精子形成段階においてステージ特異的に発現しており、3タイプの発現パターンが観察された。

図3. Lyralに対する精子細胞および精子のCa2+応答

A. Ca2+イメージングに用いた匂い物質の分子構造。B,C. 野性型マウスの精細胞(B)および精子(C)において、MOR23受容体のリガンドlyralに対するCa2+応答が観察された。K8.6: 高濃度カリウム溶液。精子細胞および精子内Ca2+濃度上昇のポジティブコントロールとして用いた。

図4. lyralに対するマウス精子の走化性

A. キャピラリーを用いた精子走化性検定。lyralを充填したガラスキャピラリーの周辺において精子の凝集が観察された。bar, 100μm. B. 精子走化性検定において、検定開始10分後キャピラリー先端から200μm半径円内に凝集した精子数。C. 精子の移動軌跡。lyralに向かう精子の軌跡において方向転換がみられ、鞭毛運動の非対称性が生じていることが示唆される。D. 匂い物質刺激による鞭毛の形の変化。lyral刺激によって、高濃度カルシウム条件下でみられる特徴的な鞭毛の屈曲が誘導された(矢頭)。lyralによる鞭毛の屈曲はCa2+-freeバッファー中では生じなかった。bar, 50μm.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、精巣に発現している嗅覚受容体の解析を行ったものであり、マウスの精子がある特定の匂い物質にむかって泳遊していくことを初めて示したものである。匂いを感知する嗅覚受容体が鼻以外の組織でも機能していることがわかり、今後、内在性のリガンド物質を見つけることができれば、生命の誕生に必要な受精のメカニズムの理解と医学面への応用が期待できる。本論文は二章からなり、第一章は精巣における嗅覚受容体遺伝子の発現解析、第二章は精巣における嗅覚受容体の機能解析について述べられている。

 第一章では、精巣における嗅覚受容体遺伝子の発現分布を詳細に解析し、精巣嗅覚受容体遺伝子が精子形成段階においてステージ特異的に発現していて、その発現ステージは受容体によって異なることを明らかにしている。また、1つの細胞に2種類の嗅覚受容体mRNAのシグナルを有する精細胞が観察されたことから、嗅神経細胞で見られる「1細胞-1受容体」発現様式は精細胞ではおきていないことを示している。精巣と嗅上皮とでは、嗅覚受容体遺伝子の転写開始部位が異なることから、5'非コード領域が「1細胞-1受容体」発現制御において重要である可能性が考えられる。

 第二章では、嗅覚受容体のひとつMOR23の匂いリガンドlyralを用いた機能解析の結果を示している。機能解析の結果、嗅覚受容体MOR23は精巣および精子において機能的に発現しており、リガンドを受容することによって細胞内Ca2+濃度の上昇を引き起こすことが明らかになった。また、嗅覚受容体を介した細胞内Ca2+濃度の上昇は、精子鞭毛運動の変化を引き起こし、精子の走化性に関与している可能性が示されている。

 本研究の課題として、精巣嗅覚受容体のin vivoでの機能を明確にするためには、内在性リガンドの同定が必要であると考えられる。本研究で確立したTgマウスラインおよびCa2+イメージングや鞭毛屈曲などのアッセイ系は、生体内リガンドのスクリーニングにおいて有効であると思われる。今後、精巣に発現する嗅覚受容体がどのような因子を受容し、その因子がどの組織から分泌されているのかを明らかにすることで、哺乳動物の受精メカニズムの解明に重要な知見が得られると期待されるので、本論文の成果は大変意義のあるものと考えられる。

 本審査における、論文提出者の口頭発表は、非常にわかりやすく、明快に研究成果が説明された。また、英語で書かれた博士論文は、審査員全員の共通コメントとして、大変わかりやすく、理路整然と説得力ある形で書かれているという評価があった。

 本審査において、副査より以下の点についての質疑があった。精子の鞭毛の屈曲の解析をおこなっているが、アッセイにおいて曲がり方の定量性がないという点、また、カルシウムアッセイで応答がきたという判断基準が明確でないという点、トランスジェニックマウスで応答が100%にならない理由、生体内で実際に機能している内在性リガンドがLyralと構造が似ているとしたらどのような生合成経路によって作られるものが考えられるかという点。以上の試問に対して、論文提出者は、今までの結果や知見をもとに、整合性のある論議を展開し、的確に説明をおこなった。

 なお、本論文第二章は、阪大の蓬田健太郎、岡部勝両博士との共同研究であるが、トランスジェニックマウスの作製にあたって、卵へのDNAインジェクションおよびFOマウスの確保を阪大で行ったほかは、論文提出者が全て実験をおこなったものであるので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 以上の結果より、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク