学位論文要旨



No 120496
著者(漢字) 原,賢太郎
著者(英字)
著者(カナ) ハラ,ケンタロウ
標題(和) マウス1細胞期胚における胚性遺伝子の発現制御機構
標題(洋) Mechanisms for embryonic gene activation in the 1-cell mouse embryos.
報告番号 120496
報告番号 甲20496
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第116号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 青木,不学
 東京大学 教授 永田,昌男
 東京大学 教授 大矢,禎一
 東京大学 助教授 後藤,由季子
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
内容要旨 要旨を表示する

1. 序論

 減数分裂の過程で成熟した卵子は、第2減数分裂中期で分裂を停止し、その後受精を経て減数分裂を完了し全能性を持つ1細胞期胚になる。この間、遺伝子発現は減数分裂の過程で停止し、受精後もしばらくの間停止状態が保たれる。そして、マウスにおいては1細胞期胚のS期になって初めて転写が開始される事が知られている。受精前後における転写停止期間は、分化した細胞である卵子における親世代の遺伝子発現プログラムから、全能性を持つ受精卵としての子世代の新しいプログラムへと、遺伝子発現のリプログラミングが行われる期間であるという点で注目されている。このリプログラミング機構の存在は、実際に受精前後における遺伝子発現プロファイルが異なるという報告から裏付けられており、親世代である卵子の遺伝子発現プログラムがエピジェネティックな修飾の変化により初期化されるという仮説に基づき、これまでに多くの初期化機構に関する研究がなされている。しかし、1細胞期胚における新しい遺伝子発現プログラムが、どのようにして開始されるのかについては、これまで明らかにされていない。しかし近年、未受精卵から受け継いだ母性mRNAのpoly(A) tailの伸長と、受精後の蛋白質合成がマウス1細胞期胚の転写開始に必須である事が明らかにされた。その結果に従えば、受精後に母性mRNAがpoly(A) tailの伸長を受けると、それがきっかけとなって蛋白質が翻訳され、それら母性mRNA由来の蛋白質に含まれる転写制御因子が、1細胞期胚における転写を開始させるとの仮説モデルが考えられる。そこで本研究では、この仮説に基づき、1細胞期胚において転写開始を調節する転写制御因子を同定し、転写開始のメカニズムを明らかにすることを目的とした。

2. 結果と考察

2-1. cyclin A2の翻訳及びcyclin A2/cdk2の転写開始への関与について

 本研究では、転写開始因子の候補としてcyclin A2に着目した。一般に体細胞におけるcyclin A2は、cdk2と結合しcdk2活性を制御することが知られている。G1/S期においては、D-type及びE-type cyclinらと共にcdk活性を制御し、retinoblastoma protein (pRb)を直接リン酸化する。このリン酸化によってpRbの構造変化が誘導され、pRb結合蛋白質との結合レベルが変化することによって、転写が制御される事が明らかとなっている。マウス1細胞期胚において、cyclin A2をコードする母性mRNAは、受精後にpoly(A) tailの伸長を受けることによって翻訳されるとの報告がある。本研究において、実際に1細胞期胚を3'-deoxyadenosine存在下で培養し母性mRNAのpoly(A) tailの伸長を阻害した場合、またcycloheximide(CHX)によって蛋白質合成を阻害した場合共に、cyclin A2の核内蓄積が抑制されることを免疫染色法によって明らかにした(図1)。これらの結果から、1細胞期胚におけるcyclin A2の発現様式は「受精後のpoly(A) tailの伸長がきっかけとなって新しく翻訳される」という条件を満たすことが改めて確認され、転写開始因子の候補となりうると考えた。一方cdk2については、ノックアウトマウスの実験から体細胞分裂に必須ではないとの報告がなされたが、この実験系では母性由来cdk2の機能については明らかにできない。そこでcyclin A2/cdk2が、1細胞期胚における転写開始に関与しているかどうかを調べるために、1細胞期胚をcdk2 inhibitorであるroscovitine(Ros)存在下で培養したところ、転写活性が抑制された(図2-A)。別のcdk2 inhibitorであるbutyrolactone I(BL1)を用いても同様の結果が得られた。さらに、活性を保持した外来のcyclin A2/cdk2蛋白質を直接1細胞期胚に注入した場合には、転写活性が相対的に増加した(図2-B)。またcyclin A2を標的としたsiRNAを未受精卵に注入し、cyclin A2蛋白質の合成を阻害した1細胞期胚においては、その転写活性が抑制された(図2-C)。これらの結果から、cyclin A2/cdk2は何らかの経路を経てグローバルな転写の活性化を制御していることが示唆された。

2-2. マウス1細胞期胚特異的なpRbリン酸化の推移と転写開始との関係について

 Cyclin A2/cdk2活性と1細胞期胚における転写開始とを結びつける蛋白質として、pRbに着目した。マウスのpRbには、10箇所以上のリン酸化サイトが存在するが、全てのリン酸化サイトは、cyclin/cdkファミリーによって直接リン酸化されることが知られている。またpRb結合蛋白質として、これまで数多くの蛋白質が報告されている。例えば、体細胞のG1/S期においてpRbがリン酸化されると、転写因子E2Fが解離しE2F依存的な遺伝子発現が始まる。これと同時に、もしくは前後してpRbは、LXCXEモチーフを持つ蛋白質を構成因子に含むヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)複合体を解離し、より活発な遺伝子発現を誘導するというモデルを示唆する報告がある。しかしE2FやHDACを解離するために必要なリン酸化サイトはどこなのか、またそのサイトはどのcyclin/cdkよってリン酸化され、E2FやHDACはいつpRbから解離するのかについてなど不明な点が多い。また細胞の種類によって、さらに分化の程度によってもpRb複合体の構成因子群が異なる事が予測され、pRbのリン酸化に伴う結合蛋白質の解離と遺伝子発現については、pRb結合蛋白質らの相互作用によって精密に制御されていると考えられる。従って、マウス1細胞期胚におけるpRbのリン酸化推移を、リン酸化部位特異的に観察することにより、1細胞期胚特異的なpRbのリン酸化パターンを明らかにすると共に、pRb経路が転写開始に関与しているかどうかを明らかにしたいと考えた。A/E-type cyclin/cdk2によってリン酸化されやすいとされるThr356、Ser249/Thr252、Ser807/Ser811は、マウス1細胞期胚において、いずれも転写開始前の媒精後6時間から、転写開始後の媒精後12時間にかけてそのリン酸化レベルが増加していた。さらに、増加したリン酸化レベルは、Ros及びCHXによって抑制された(図3-A, B)。特にThr356については、外来cyclin A2/cdk2蛋白質の注入によってそのリン酸化レベルが増加した(図4-A)。さらに、siRNAを用いてcyclin A2蛋白質の合成を阻害した1細胞期胚においては、Thr356のリン酸化レベルが抑制された(図4-B)。以上の結果から、pRbのThr356はcyclin A2/cdk2蛋白質によってリン酸化されていることが明らかとなり、cyclin A2/cdk2によるpRbのリン酸化によって1細胞期胚の転写開始が制御されていることが示唆された。そこで、pRbのリン酸化がどのようなメカニズムで1細胞期胚の転写を引き起こすかを明らかにしたいと考えた。

2-3. コアヒストンのアセチル化による転写開始許容状態の形成について

 ヒストンのアセチル化は、ヒストンアセチル化酵素(HAT)活性とHDAC活性のバランスによって制御されている。一般にヒストンH3とH4のアセチル化は、転写の活性化とよく相関することが知られている。マウス1細胞期胚においてcdk2によるpRbのリン酸化推移が大きく変動していた事から、LXCXEモチーフを持つ蛋白質の解離が促されていることが予測された。即ち、1細胞期胚における転写開始には、HDACによって転写抑制状態にある機構の解除が関与している可能性が考えられた。実際に1細胞期胚をHDACの阻害剤であるtrichostatin Aで処理すると、H3(Lys9)のアセチル化レベルが増加したことから、1細胞期胚にはHDAC活性が存在することが明らかとなった。H3(Lys9)、H3(Lys14)、H4(Lys5)、そしてH4(Lys12)のアセチル化レベルは、いずれも転写開始前の媒精後6時間から、転写開始後の媒精後12時間にかけて増加していた。しかし、Ros処理をした1細胞期胚では、H3(Lys9)のアセチル化レベルにおいてのみ、その減少が確認された(図5-A)。この結果はcdk2によるpRbのリン酸化がHDACの解離を引き起こし、それがH3(Lys9)のアセチル化レベルを増加させたことを示唆している。このcdk2の働きにおいてcyclin A2/cdk2が関与していることを裏付けるために、1細胞期胚に外来cyclin A2/cdk2蛋白質を注入してみたところ、H3(Lys9)のアセチル化レベルがやや増加した(図5-B)。しかしながら、siRNAを用いてcyclin A2の翻訳を阻害した1細胞期胚においてはH3(Lys9)のアセチル化レベルが抑制されなかった(図5-C)。これらの結果から、1細胞期胚の転写開始に備えて、cdk2によりH3(Lys9)のアセチル化が誘導され、転写開始許容状態が形成される事は示唆されるが、その過程にはcyclin A2以外のcyclinファミリーが関与しているものと考えられる。

3. 結論

 新しい生命が誕生して最初の遺伝子発現は、マウスでは1細胞期胚で起こるが、ブタでは4細胞期胚、ウシでは8から16細胞期胚で起こる事が知られている。なぜ受精直後に転写が開始されず、一定時間もしくは一定回数分裂を繰り返した後に転写が開始されるのかという問いに対しては、これまでのところ「転写開始後の発生に重要な遺伝子の発現を厳密に行うための転写制御状態が完成するまでに時間を要するため」といった概念的な答えのみしか用意されていなかった。本研究においては、マウス1細胞期胚を用いた実験からこの概念を支持する3つの実験結果を得た。(1)母性由来cyclin A2が受精後に初めて合成され、それが転写の活性化に関与していた。(2)マウス1細胞期胚におけるThr356-pRbはcyclin A2/cdk2によってリン酸化されていた。(3)転写開始許容状態を形成するためにH3(Lys9)のアセチル化レベルが増加していた。以上の事から、マウス1細胞期胚における転写開始には、少なくとも母性由来cyclin A2とcdk2の複合体によってリン酸化されたpRbの構造が変化し、それによって転写が開始する機構の存在が考えられた。またcdk2は、cyclin Eなどの、A2以外のcyclinとも結合してpRbをリン酸化することで、HDACなどがpRbから解離し、転写抑制状態を解除する可能性が示され、これらの機構が同時に転写開始に関与していると考えられた(図6)。

図1、マウス1細胞期胚におけるcyclinA2は、母性mRNAのpoly(A)tailの伸長がきっかけとなって翻訳され、核内に蓄積されていた。

抗Cyclin A2抗体を用いてマウス1細胞期胚を染色し(A)、得られた画像における核の蛍光量を相対化した(B)。3-dA;3'-deoxyadenosine. 3-dG:3'-deoxyguanosine. CHX:cycloheximide.

図2、マウス1細胞期胚の転写開始にはcycin A2/cdk2が関与していた。

Roscovitine(Ros)存在下で、BrUTPの取り込みによるin vitroでの転写活性測定を行った(A)。同様の方法で、Cyclin A2/cdk2蛋白質を注入した1細胞期胚(B)、siRNAの注入によってcyclin A2蛋白質の合成を抑制した1細胞期胚の転写活性を測定した(C)。

図3、マウス1細胞期胚においてpRbのリン酸化レベルはroscovitine及びcycloheximideによって抑制された。

pRb上のリン酸化部位を、部位特異的に認識する抗リン酸化pRb抗体を用いてマウス1細胞期胚を染色し(A)、核の蛍光量を相対化した(B)。Ros:roscovitine. CHX:cycloheximide.

図4、マウス1細胞期胚において、Thr356-pRbはcyclin A2/cdk2によってリン酸化されていた。

抗Thr356リン酸化pRb抗体を用いて、cyclin A2/cdk2蛋白質の注入した1細胞期胚(A)、siRNAを用いてcyclin A2蛋白質の合成を抑制した1細胞期胚を染色し(B)、核の蛍光量を相対化した。

図5、マウス1細胞期胚において、H3(Lys9)のアセチル化レベルはroscovitineによって抑制されたが、cyclin A2 siRNAによって抑制されなかった。

Roscovitine (Ros)存在下で培養した1細胞期胚を抗アセチル化ヒストン抗体を用いて染色し、核の蛍光量を相対化した(A)。cyclin A2/cdk2蛋白質を注入した1細胞期胚(B)、siRNAを注入しcyclin A2蛋白質の合成を抑制した1細胞期胚(C)に対しては抗アセチル化H3(Lys9)抗体を用いて同様に核の蛍光量を相対化した。

図6、マウス1細胞期胚における遺伝子発現開始機構のモデル図

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、マウス初期胚を用いて、受精後に開始される胚性遺伝子の発現(Embryonic gene activation; EGA)を調節するメカニズムを明らかにすることを目的としたものである。全体は3章からなり、第1章では受精後のcyclin A2の合成、およびそれに伴うcdk2の活性化がEGAに関与するということについて、第2章ではcyclin A2/cdk2の基質としてのpRbのリン酸化状態について、第3章ではpRbのリン酸化に伴うヒストンのアセチル化の変化について述べられている。

 第1章では、まず受精後にcyclin A2の核内局在が起こることを確認し、それがポリA鎖の伸張を抑制することにより阻害されることを明らかにした。すなわちcyclin A2は受精前に蓄積された母性mRNAの転写後調節により、受精後に特異的に発現することが示された。次いで、cyclin A2との結合により活性化されるcdk2の活性を阻害剤により抑制すると、転写活性の低下すなわちEGAの抑制が見られた。さらに、cyclin A2の合成をそのsiRNAで特異的に阻害することにより、EGAが抑制された。このときDNA合成の抑制は見られなかった。したがって、cyclin A2/cdk2はDNA複製非依存的に、受精後の遺伝子発現を調節することが明らかとなった。

 第2章では、cyclin A2/cdk2がEGAを調節するメカニズムとして、cdk2の基質の1つである転写因子pRbのリン酸化状態に注目した実験結果が示されている。cyclin A2/cdk2によってリン酸化されやすいとされるThr356、Ser249/Thr252、Ser807/Ser811は、マウス1細胞期胚において、いずれも転写開始前の媒精後6時間から、転写開始後の媒精後12時間にかけてそのリン酸化レベルが増加していた。さらに、増加したリン酸化レベルは、cdk2の阻害剤によって抑制された。特にThr356については、外来cyclin A2/cdk2蛋白質の注入によってそのリン酸化レベルが増加した。さらに、siRNAを用いてcyclin A2蛋白質の合成を阻害した1細胞期胚においては、Thr356のリン酸化レベルが抑制された。以上の結果から、pRbのThr356はcyclin A2/cdk2蛋白質によってリン酸化されていることが明らかとなり、cdk2によるpRbのリン酸化によって1細胞期胚の転写開始が制御されていることが示唆された。

 第3章では、cyclin A2/cdk2によりリン酸化されたpRb2が遺伝子発現を活性化するメカニズムとして次のようなモデルを構築しこれを証明する実験を行った。まずpRbがリン酸化されることでヒストン脱アセチル化酵素が遺伝子プロモーター領域から乖離し、これによってヒストンのアセチル化が上昇し遺伝子発現が活性化される、というものである。免疫染色の結果、H3(Lys9)、H3(Lys14)、H4(Lys5)、そしてH4(Lys12)のアセチル化レベルは、いずれも転写開始前の媒精後6時間から、転写開始後の媒精後12時間にかけて増加することが明らかとなった。しかし、Ros処理をした1細胞期胚では、H3(Lys9)のアセチル化レベルにおいてのみ、その減少が確認された。この結果はcdk2によるpRbのリン酸化がHDACの解離を引き起こし、それがH3(Lys9)のアセチル化レベルを増加させたことを示唆している。このcdk2の働きにおいてcyclin A2/cdk2が関与していることを裏付けるために、1細胞期胚に外来cyclin A2/cdk2蛋白質を注入してみたところ、H3(Lys9)のアセチル化レベルがやや増加した。しかしながら、siRNAを用いてcyclin A2の翻訳を阻害した1細胞期胚においてはH3(Lys9)のアセチル化レベルが抑制されなかった。以上より、1細胞期胚の転写開始に備えて、cdk2によりH3(Lys9)がアセチル化が誘導され、転写開始許容状態が形成される事は示唆されるが、その過程にはcyclin A2以外のcyclinファミリーが関与しているものと考えられる。

 これらの結果から、マウス1細胞期胚における転写開始には、母性由来のmRNAから新規に合成されたcyclin A2がcdk2を活1生化することが重要な役割を果たしていることが明らかとなった。さらにcyclin A2/cdk2がpRbのリン酸化およびヒストンのアセチル化を介して遺伝子発現を調節する機構が示唆された。この様に本研究は、受精によって新しい生命が誕生した後、最初に行われる遺伝子発現について、それを調節するメカニズムの解明に大きく寄与するものであると考えられる。

 したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/121