学位論文要旨



No 120497
著者(漢字) 樋口,美栄子
著者(英字)
著者(カナ) ヒグチ,ミエコ
標題(和) 高等植物における光合成電子伝達の調節メカニズムに関する研究
標題(洋) The regulatory mechanism of photosynthetic electron transport in higher plants
報告番号 120497
報告番号 甲20497
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第117号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 園池,公毅
 東京大学 教授 河野,重行
 東京大学 教授 馳沢,盛一郎
 東京大学 教授 宇垣,正志
 東京大学 教授 内宮,博文
内容要旨 要旨を表示する

序論

光合成のエネルギー源である光は植物にとって最も重要な環境要因であり、植物は光環境の変動に応答する機構を多数備えている。特に過剰な光エネルギーは植物体に障害を引き起こすため、このような障害から身を守る仕組みを発達させている。光合成反応では、水の分解にはじまりNADPHが生成されるlinearな電子伝達の他に、alternativeな電子伝達経路の存在が古くから知られている。光合成のalternative電子伝達経路として働くと考えられているものとして、光化学系Iにおける循環的電子伝達、光化学系I周辺で生じた活性酸素を無毒化し水に戻すwater-waterサイクル、ルビスコのオキシゲナーゼ活性による光呼吸が知られている(図1)。このalternativeな経路は、光化学系で吸収した光エネルギーが光合成反応で消費できる量を上回ったときなどに過剰なエネルギーの受け皿として働くと考えられているが、高等植物においてalternative電子伝達に関する変異体は光化学系Iの循環的電子伝達に欠損を示す変異体が報告されているのみで生理学的意義についても不明な点が多い。そこで本研究においては、alternativeな経路の光合成反応における役割を解明することを目的とし、モデル植物であるシロイヌナズナを用いて、alternative電子伝達に欠損を示す変異体を取得し表現型の解析を行った。

結果と考察

Alternative電子伝達に欠損を示す変異体を単離するために、光合成系の変異を反映するものとして従来からスクリーニングに用いられてきたクロロフィル蛍光を用いた。Alternative電子伝達に欠損を示す変異体はlinearな電子伝達には欠損がないため大きな変化は生じないことが予想される。そこで、2次元のクロロフィル蛍光強度をさらに時間分解で解析する手法を用いることにより、光合成への微細な変化を検出することを可能とした。材料にはランダムに変異が導入されたシロイヌナズナ変異体を用い、alternative電子伝達を誘導するため成育光(80μE)の4倍以上の強光(360μE、12秒)を照射したときのクロロフィル蛍光強度の時間変化を観察した。16,000個体のシロイヌナズナの芽生えをスクリーニングし、野生型と異なるクロロフィル蛍光挙動を示す候補株を26個体単離した。光合成系には、強光を照射したときに過剰な光エネルギーを熱として消去する仕組みが存在する。この熱的消去は光合成の電子伝達に伴って生じるチラコイド膜内腔の酸性化によって誘導されることが知られている。このチラコイド膜内腔の酸性化にはalternative電子伝達も寄与していると考えられている。そこで二次スクリーニングにおいて、パルス変調蛍光測定により熱的消去過程に失損を示す4個体(36-2-20、37-19-7、22-18-21、38-14-15)を選抜し、さらなる解析に供した。

1. 37-19-7変異体の解析

37-19-7変異体は強光照射による熱的消去が定常状態において低下していた。マップベースクローニング法により変異部位を決定したところ、37-19-7変異体はPGR5という光化学系Iの循環的電子伝達に関与するタンパク質をコードする遺伝子に1塩基置換が生じており、125番目のアスパラギンがリシンに置換していることが明らかとなった。光化学系I循環的電子伝達にはフェレドキシンを電子供与体とするFQR(Ferredoxin quinone reductase)と呼ばれる経路とNADPHを電子供与体とするNDH(NAD(P)H dehydrogenase)の経路が存在することが知られている(図1)。pgr5はFQRの経路に欠損を示す変異体として報告されており、今回用いたスクリーニング系によりalternative電子伝達に関する変異体を取得できることが示された。

2. 36-2-20変異体の解析

パルス変調蛍光測定により光照射後5分間の光合成状態を観察したところ、36-2-20変異体は通常条件では光合成状態に大きな変化は見られなかった(図2A)。しかし、12秒間の強光照射においてはクロロフィル蛍光挙動に差が見られることから、光合成にもなんらかの変化が生じていることが予想された。そこで、CO2フリー条件で光合成状態を観察したところ、励起光照射初期の熱的消去が低下していることが示された(図2B)。このような条件ではCO2固定につながるlinearな電子伝達が制限されるため、alternativeな電子伝達経路である光化学系Iの循環的電子伝達と酸素分子の還元が誘導される。酸素フリーの条件でも野生型との違いが認められる(図2C)ことから、酸素が関与する経路は正常である可能性が強く、36-2-20変異体ではalternativeな電子伝達、おそらく光化学系Iの循環的電子伝達に影響があることが示唆された。

 36-2-20変異体はHMA1と呼ばれる重金属イオンのトランスポーターと相同性が高い遺伝子に変異が導入されていた。HMA1はZn/Co/Pb/Cdの輸送に関与すると考えられていることから、これらの金属イオンヘの感受性を調べた。その結果、36-2-20変異体は過剰な亜鉛存在下で生育阻害が見られた。マメ植物において、成育培地に過剰な銅が存在すると鉄欠乏が生じることが報告されている。そこで、他の金属イオンの影響を調べたところ、鉄欠乏培地において生育阻害が見られた。この結果から36-2-20変異体では過剰な亜鉛が蓄積し、鉄欠乏状態となっている可能性が考えられる。HMA1は葉緑体の包膜画分に存在すると報告されていることから、葉緑体における亜鉛の輸送に関与していると考えられる。また鉄欠乏培地で成育阻害が見られることから、過剰な亜鉛の存在のため葉緑体への鉄の取り込みが制限され、光化学系I循環的電子伝達に関与する鉄を補因子とする未知の因子、もしくは鉄硫黄センターを持つ光化学系Iやシトクロムb6f複合体への影響のため、光化学系Iの循環的電子伝達が阻害されていると考えられる。

3. 22-18-21変異体の解析

22-18-21変異体は強光照射初期の熱的消去は野生型と変わらないが、高い熱的消去能を維持できず、照射時間が長くなるにつれ熱的消去が減少した。また、光化学系Iが特異的に吸収する近赤外光照射による光化学系I反応中心のP700の変化を観察した結果、22-18-21変異体は野生型と異なるキネティクスを示した。さらに、励起光照射によるP700の酸化還元状態を観察した結果、P700の還元レベルが小さく、酸化速度も遅くなっていた(図3)。このことから、22-18-21変異体では光化学系Iの受容側であるストロマの酸化還元状態が変化していることが示唆される。クロロフィル蛍光は光照射後一時的に上昇し、徐々に減少して定常状態に達し、その後光を消すと一時的な蛍光の上昇が見られる(図4)。この一時的な蛍光の上昇はストロマに蓄積した還元力が光化学系I循環的電子伝達のNDHの経路を通って解消されることに由来している。22-18-21変異体はこの励起光を消した直後に見られるクロロフィル蛍光の上昇が見られなくなっていた(図4)。この結果から22-18-21変異体は光化学系I循環的電子伝達のNDHの経路に欠損があると考えられる。マップベースクローニング法により22-18-21変異体の原因遺伝子は1番染色体上にあることが確認された。

4.38-14-15変異体の解析

38-14-15変異体は通常大気条件で励起光照射初期の熱的消去が非常に強く誘導されていた(図5A)。

Alternative電子伝達に欠損があるかどうか調べるため、CO2フリー条件で熱的消去を観察すると、38-14-15変異体は熱的消去が低下しており(図5B)、alternative電子伝達に欠損があることが示唆された。また、酸素フリー条件では野生型とほとんど違いが認められなかったため(図5C)、酸素への電子伝達に欠損があることが示唆された。さらに酸素存在下で高CO2というルビスコの光呼吸活性を抑制した状態で熱的消去過程を観察すると、野生型との違いは認められなかった(図5D)。この結果から38-14-15変異体は光呼吸の経路に欠損があることが示唆された。また、38-14-15変異体はより低い光強度で光合成電子伝達速度が飽和し、強光下での光合成に欠損が生じることがわかった。このことから、光呼吸は強光時において重要な役割を持つと考えられる。マップベースクローニング法により38-14-15変異体の原因遺伝子は4番染色体上にあることが確認された。

結論

強光照射時のクロロフィル蛍光強度の時間変化を指標として、図6に示すように複数の光合成のalternative電子伝達経路に欠損を示す変異体を単離した。これらの変異体は強光照射時の熱的消去能に欠損が見られた。このことから、alternative電子伝達はlinearな電子伝達が制限されている状態でチラコイド膜内腔を酸性化し、適切な熱的消去を誘導するために働いていると考えられる。また、alternative電子伝達は光化学系Iの下流における制御系であり、光合成の強光応答には光化学系Iの還元側の酸化還元状態が極めて重要な意味を持っていると結論できる。

図1. 光合成電子伝達鎖複合体における電子と還元力の流れ

黒い実線はCO2固定につながるlinearな電子伝達を、その他の矢印はalternative電子伝達を示す。

図2. 大気条件による熱的消去の誘導36-2-20変異体はCO2フリー、酸素フリー条件で熱的消去の初期過程の低下が見られた。白四角は野生型、黒丸は36-2-20変異体を示す。

図3. 励起光照射によるP700の酸化還元状態の変化22-18-21変異体は励起光消光によるP700の還元レベルが小さく、酸化速度も遅い。

図4. 励起光消光後のクロロフィル蛍光の挙動 左に励起光照射によるクロロフィル蛍光の挙動と励起光消光後の挙動を示す。四角で囲んだ部分の拡大図を野生型と比較したものを右に示す。野生型と37-19-7変異体は消光後のクロロフィル蛍光の上昇が見られるが、22-18-21変異体では蛍光の上昇が見られない。

図5. 大気条件による熱的消去の誘導 38-14-15変異体は通常の大気条件では励起光照射初期に強い熱的消去が観察される。CO2フリー条件では熱的消去は低下し、alternative電子伝達の欠損が示唆される。酸素フリーと高CO2条件では野生型と違いが認められず、38-14-15変異体は光呼吸の経路に欠損があると考えられる。白四角は野生型、黒丸は38-14-15変異体を示す。

図6. 本研究において単離した変異体の阻害部位 各変異体は灰色で囲んで示し、それぞれの変異体で欠損している部位を示した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文においては、光合成の電子伝達反応の生理的な意義を探るため、モデル植物であるシロイヌナズナの変異株4種が単離され、その解析が行なわれた。光合成反応では、水の分解にはじまりNADPHが生成されるlinearな電子伝達の他に、alternativeな電子伝達経路の存在が古くから知られている。このalternativeな経路は、光化学系で吸収した光エネルギーが光合成反応で消費できる量を上回ったときなどに過剰なエネルギーの受け皿として働くと考えられているが、高等植物においてalternative電子伝達に関する変異体は光化学系Iの循環的電子伝達に欠損を示す変異体が報告されているのみで生理学的意義についても不明な点が多い。そこで本研究においては、シロイヌナズナを用いて、alternative電子伝達に欠損を示す変異体を取得し表現型の解析を行なった。16,000個体のシロイヌナズナの芽生えをスクリーニングし、野生型と異なるクロロフィル蛍光挙動を示す候補株を26個体単離した。二次スクリーニングにおいて、パルス変調蛍光測定により熱的消去過程に欠損を示す4個体 (36-2-20、37-19-7、22-18-21、38-14-15)を選抜し、さらなる解析に供した。

 37-19-7変異体は強光照射による熱的消去が定常状態において低下していた。マップベースクローニング法により変異部位を決定したところ、37-19-7変異体はPGR5という光化学系Iの循環的電子伝達に関与するタンパク質をコードする遺伝子に1塩基置換が生じており、125番目のアスパラギンがリシンに置換していることが明らかとなった。光化学系I循環的電子伝達にはフェレドキシンを電子供与体とするFQR (Ferredoxin quinone reductase)と呼ばれる経路とNADPHを電子供与体とするNDH (NAD(P)H dehydrogenase) の経路が存在することが知られている。pgr5はFQRの経路に欠損を示す変異体として報告されており、今回用いたスクリーニング系によりalternative電子伝達に関する変異体を取得できることが示された。

 36-2-20変異体は通常条件では光合成状態に大きな変化は見られなかった。しかし、酸素フリーの条件で野生型との違いが認められることから、酸素が関与する経路は正常である可能性が強く、36-2-20変異体ではalternativeな電子伝達、おそらく光化学系Iの循環的電子伝達に影響があることが示唆された。36-2-20変異体はHMA1と呼ばれる重金属イオンのトランスポーターと相同性が高い遺伝子に変異が導入されていた。金属イオンへの感受性を調べた結果から、36-2-20変異体では光化学系I循環的電子伝達に関与する鉄を補因子とする未知の因子、もしくは鉄硫黄センターを持つ光化学系Iやシトクロムb6f複合体への影響のため、光化学系Iの循環的電子伝達が阻害されていると考えられる。

 22-18-21変異体は強光照射初期の熱的消去は野生型と変わらないが、高い熱的消去能を維持できず、照射時間が長くなるにつれ熱的消去が減少した。光化学系I反応中心のP700の変化を観察した結果から22-18-21変異体は光化学系I循環的電子伝達のNDHの経路に欠損があると考えられる。マップベースクローニング法により22-18-21変異体の原因遺伝子は1番染色体上にあることが確認された。

 38-14-15変異体は通常大気条件で励起光照射初期の熱的消去が非常に強く誘導されていた。気相を変えて光合成を測定した結果から38-14-15変異体は光呼吸の経路に欠損があることが示唆された。また、38-14-15変異体はより低い光強度で光合成電子伝達速度が飽和し、強光下での光合成に欠損が生じることがわかった。このことから、光呼吸は強光時において重要な役割を持つと考えられる。

 以上の変異体の解析結果から、系I循環的電子伝達の2つの経路は、生育条件によって使い分けられていること、亜鉛の排出が、鉄イオンのホメオスタシスを通して循環的電子伝達に影響を及ぼすこと、光呼吸の阻害が、生育の阻害を引き起こすことなどが明らかとなった。

 なお、本論文は、主査である園池公毅との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行なったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。

 従って、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/122