学位論文要旨



No 120498
著者(漢字) 福田,諭
著者(英字)
著者(カナ) フクダ,サトシ
標題(和) 成体海馬に内在する神経幹細胞の膜電流特性に関する研究
標題(洋)
報告番号 120498
報告番号 甲20498
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第118号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 久恒,辰博
 東京大学 助教授 東原,和成
 東京大学 講師 尾田,正二
 東京大学 助教授 後藤,由季子
 東京大学 助教授 青木,不学
内容要旨 要旨を表示する

序論

 哺乳類の中枢神経系では成体になってしまうと神経細胞の新生は起きないと従来考えられてきたが、大脳辺縁系の海馬領域では新生していることが近年認められた。そして、神経細胞を産み出す神経幹細胞の性質についての報告がなされたが、分離培養した手技の過程が細胞に影響を与えていることが疑われ、脳内での環境における本来の性質は不明であった。脳内の動態の一部については、ホルモン系に対し神経幹細胞が増減することが示された。しかし、海馬は記憶・学習を担当する領域として重要な働きをしており、神経幹細胞が記憶を担う周囲の神経回路網の活動に直接応答しているかどうかは神経新生現象の生物学的意味に関わる重要な課題として解明が待たれていた。

 本研究は神経幹細胞を生体に近い状況下でその性質を電気生理学的に測定することで、神経幹細胞の生体内での性質と神経回路網に対する応答性を解明することを目的とした。中間径フィラメント蛋白質であるnestinは神経幹細胞のマーカーとして知られており、このnestin蛋白質のDNAのイントロンにGFP遺伝子を組み込んだトランスジェニックマウスを用いることで、急性脳スライス標本上での神経幹細胞を同定した。パッチクランプ法は微小ガラス管を細胞膜に密着させ細胞膜を破り、目標とする細胞の膜上のイオンの流れを計測することで受容体やチャネルを検出できる技術である。このパッチクランプ法を同定した神経幹細胞に対して用い、生体内での神経幹細胞の性質を明らかにした。さらに、急性スライス上で電気刺激を行うことで神経回路網を活性化し、神経幹細胞の電気的な反応を計測することで、神経幹細胞の応答性の解析を行った。

結果

1.成体海馬神経幹細胞は膜電流特性により2種類に大別された

 パッチクランプ法によりnestin-GFP陽性細胞は、主にKイオンチャネルによって与えられる入力抵抗値により二群に分かれた。低入力抵抗群は77.1MΩを中心とし、高抵抗群は2110MΩを中心に分布した。nestin-GFP陽性細胞は500MΩを境に明確に二群に分かれることが示されたことから、我々は500MΩより低い細胞をTypeI細胞、500MΩより高い細胞をTypeII細胞と名付けた。TypeI細胞は、膜電位の強制的な変化に対してpassiveな電流応答しか示さなかったのに対し、TypeII細胞では、TTXで阻害される電位依存性Naイオンチャネルの発現が確認された。膜電位変化に対しpassiveな電流を示し、入力抵抗値が低くKイオンチャネルの発現が多いことは、TypeI細胞がグリア細胞の特性を持つことを示している。これに対し、TypeII細胞では、膜電位を引き下げる働きがあるKイオンチャネルがTypeI細胞よりも少なく、電位依存性Naイオンチャネルの発現があることから、TypeII細胞はTypeI細胞に比べより神経細胞に近い、興奮性を獲得した細胞であると言える。

 免疫染色学的にはnestin-GFP陽性細胞は、そのGFPの強度と形態によって、(1)蛍光が強く、多肢状の突起を穎粒細胞側に出す細胞と、(2)蛍光が弱く、突起を持たない細胞の2種類のタイプに分かれた。(1)のタイプの細胞は、成熟グリア細胞マーカーである繊維状蛋白質、GFAP陽性であった。(2)のタイプの細胞は幼弱神経細胞マーカーである細胞間接着分子、PSA-NCAM陽性であった。どちらのタイプの細胞もnestin抗体で染色されたため、成体海馬歯状回においてGFP陽性であることはnestin陽性であることが確認された。細胞分裂時にDNAに取り込まれるBrdUをマウスに投与し、時間軸を追ってBrdU陽性細胞の動態を観察したところ、7日目まで(1)のタイプの細胞の割合が減り、(2)のタイプの細胞の割合が増え、また、BrdU投与後24時間の時点ではBrdU陽性細胞のほぼ100%がGFP陽性細胞であるのに対し、BrdU投与後7日目の時点ではBrdU陽性細胞のうち約20%がGFP陰性で、このGFP陰性の細胞群は成熟神経細胞マーカーである核内蛋白質、NeuN陽性であった。この結果は(1)の細胞群から(2)の細胞群が産まれ、その後神経細胞に分化することを強く示唆している。また、成熟神経細胞マーカーであるMAP-2と成熟グリア細胞マーカーであるs100bとはいずれの型のGFP陽性細胞も共染しなかった。これらの結果から、nestin-GFP陽性細胞は成体海馬内で増殖期にある神経幹細胞であり、グリア様神経幹細胞である細胞と、神経細胞へ分化を始めnestinの発現が下がりGFPの蛍光が弱くなっている細胞の二段階の細胞であると判断された。パッチクランプ実験中に注入された色素により、TypeII細胞は細い突起をハイラス部に伸ばしていることが確認された。パッチクランプ実験後の後染色により、TypeI細胞はGFAPを発現しており、TypeII細胞はPSA-NCAMを発現していることが確認され、電気生理学的に2群に分けられた細胞が免疫組織化学的に分けられた2群にそれぞれ対応していることが示された。

2.海馬回路網(貫通繊維)はTypeI神経幹細胞の興奮性膜電流応答を誘起した

 TypeI細胞において、神経伝達物質放出を促す薬剤4APを灌流したところ、オッシレーション的に繰り返す内向きの反応やシナプス入力波形よりやや緩いカーブを描く内向き電流が観察された。(TypeII細胞においても4AP投与時に自発的内向き入力が存在することが当研究室の戸塚により確認され、TypeI細胞とは違う反応機構が解明されつつある。)これはシナプス構造はないが、周囲の神経回路網にTypeI細胞が参加していることを示している。歯状回における入力経路である貫通繊維を電気刺激した場合のTypeI細胞の応答を観察したところ、TypeI細胞の静止膜電位に近い細胞膜電位において、内向き電流が計測された。この内向き電流は電位依存的に反転することから、何らかの細胞膜を通過するイオン性のものであることが示され、また細胞内Ca流入とカップリングしていることが確認された。貫通繊維は興奮性つまりグルタミン酸作動性として知られているため、TypeI細胞のグルタミン酸に対する応答性を観察したところ、TypeI細胞はグルタミン酸の局所投与に対し、電気刺激した場合と同じ細胞内Ca流入とカップリングした内向きの電流を示した。このグルタミン酸局所投与の際の内向き電流は、グルタミン酸受容体阻害剤ではほとんど阻害されなかったのに対し、グルタミン酸トランスポーター阻害剤trans-2,4-PDCによりほぼ完全に消失し、TypeI細胞は、グルタミン酸トランスポーターを介して周囲の神経回路網に応答していることが示された。通常アストログリア細胞においてグルタミン酸取り込みを行っているのは主にEAAT2サブタイプのグルタミン酸トランスポーターであるが、EAAT2阻害薬であるDHKではTypeI細胞の内向き電流はほとんど阻害されなかったことから、TypeI細胞の内向き電流はグリア細胞に発現するもう一つのグルタミン酸トランスポーターのサブタイプ、EAAT1によることが疑われた。そこで、EAAT1サブタイプに対応するGLAST抗体による染色を行った結果、成体歯状回のTypeI細胞に極めて特異的にGLASTが強く発現していることが確認された。GLASTは発達期に神経細胞を生み出す神経幹細胞として働くradial glia細胞系列の細胞に強く発現することが報告されており、TypeI細胞の神経幹細胞としての性質を確認する結果となった。

 TypeI細胞のグルタミン酸に対する応答能が、どのような生物学的な意味を持つかを検証するため、GLASTノックアウトマウスを用いてBrdU投与実験を行った。その結果、BrdU投与後2時間の時点において、GLAST+/+タイプのマウスは、GLAST+/-タイプのノックアウトマウスよりBrdU陽性数が多かった。このことから、TypeI細胞のグルタミン酸反応性は、休止期にあったTypeI細胞を活性化し、分裂能を引き起こしているスイッチング機構の可能性が示唆された。TypeI細胞とTypeII細胞の分類をGLASTノックアウトマウスにおいて行うことを試みたが、GLASTノックアウトマウスにおいては、TypeI細胞のものと見なされる突起においてGFAPとPSA-NCAMの発現が重なっており、GFP蛍光もないこともあってTypeI細胞とTypeII細胞の分類は困難であった。

結論

 成体海馬歯状回のnestin陽性細胞は、電気生理学的な計測値により二種類に分けられることを明確に示した。グリア細胞の性質を持ちながら、通常のアストログリア細胞よりGLASTの担う役割が強いTypeI細胞、また、神経細胞に近い性質を持ちながら神経細胞より高い入力抵抗値を持つTypeII細胞と、脳細胞としてこれまでにないユニークな性質を同定できた。TypeI細胞が、グルタミン酸トランスポーターを介し周囲の神経回路網からの神経伝達物質へ応答し得たことは、神経幹細胞が周囲の神経回路網の興奮に対応し、記憶の過程に関係した自己増殖能の可能性を示唆している。また、TypeI細胞のグルタミン酸トランスポーター活性は、生体内で余剰のグルタミン酸を処理しているという、分化とは別の側面の神経幹細胞の生体内での機能を明らかにしたと言える。生体内の神経幹細胞の性質と回路網への参加機構の解明は、成体神経新生現象の生物学的意味の解明という基礎研究に寄与し、今後の神経幹細胞の増殖能を利用した神経機能改善等の応用研究に役立つことが期待される。

内容を発表した論文

Two distinct subpopulations of nestin-positive cells in adult mouse dentate gyrus

Fukuda S, Kato F, Tozuka Y, Yamaguchi M, Miyamoto Y, Hisatsune T

JOURNAL OF NEUROSCIENCE 23 (28): 9357-9366 OCT 15 2003

海馬歯状回付近の拡大図

TypeI細胞は貫通繊維(Perforant Path)刺激をグルタミン酸トランスポーターを介し受け取っている。そして、ある程度以上の刺激入力があった場合、分裂を始めると考えられる。GCL:Granule Cell Layer(顆粒細胞層)

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は2章からなり、第1章は成体マウス海馬歯状回領域におけるネスチン陽性細胞の電気生理学的な特性、第2章は神経幹細胞と成熟脳神経回路との関わりについて述べられている。

 第1章については、成体マウス海馬歯状回に内在する神経幹細胞について、神経幹細胞のマーカーであるネスチンを指標にしたスライスパッチクランプ法を用いた解析を行っている。その結果、ネスチンを指標とした神経幹細胞は、膜電流特性の違う2種類の細胞に分かれることを示している。方法として、神経幹細胞マーカーであるネスチンの下流にGFP遺伝子を組み込んだマウスを用い、GFP蛍光を指標に神経幹細胞を識別し、スライスパッチクランプ法を適用することで神経幹細胞の細胞膜上の電流を計測した。その結果、入力抵抗値という値をもって神経幹細胞は2峰性の分布を示した。そこで低抵抗値群をTypeI細胞、高抵抗値群をTypeII細胞と名付けた。TypeI細胞には電位依存性チャンネルが無く、非常にアストログリア的な細胞であった。また、TypeII細胞は電位依存性のナトリウムチャンネルがあり、幼若神経細胞的であった。さらにこのように電気生理学的に分けられた2種類の細胞に関して、電気生理実験後に形態的・免疫染色学的な解析を行ったところ、TypeI細胞は顆粒細胞層にGFAP陽性の多肢状の突起を伸ばし、TypeII細胞はPSA-NCAM陽性で顆粒細胞層とは逆側に突起を伸ばしていた。この知見は、免疫染色学的に見てもTypeI細胞はアストログリア的、TypeII細胞は幼若神経細胞的な性質を持っていたことを表している。TypeI細胞とTypeII細胞の連続性を検証するために、DNA複製時にDNAに取り込まれるBrdU陽性の分裂細胞の細胞種の割合を時間軸を追って見て行く実験を行い、TypeI細胞からTypeII細胞が産まれ、そこから神経細胞に至る細胞種の変遷を観察している。現在に至るまで、生体脳内微小環境内での神経幹細胞の本来の特性を明らかにした論文はなく、本論文の報告は貴重な知見であると言える。

 第2章については、第1章で2種類に分けられた細胞種の内、TypeI細胞に関して周囲の神経回路網との関わりという視点からの解析がなされている。まず歯状回への入力である神経繊維を刺激した際に、TypeI細胞が電流応答をし、細胞内Ca濃度上昇反応を示すことを確かめている。次に、この貫通繊維がグルタミン酸を放出する投射であることから、TypeI細胞のグルタミン酸に対する応答性を電気生理学的に調べ、TypeI細胞はグルタミン酸トランスポーターの一種であるGLASTを強く発現しており、グルタミン酸に対し、このGLASTを介して反応していることを報告している。さらに歯状回に対する抗GLAST抗体による免疫染色を行い、TypeI細胞に特異的にGLASTが発現していることを確かめている。最後に、GLAST-KOマウスを用いてBrdU陽性細胞数を計測し、ノックアウト表現形のマウスは、ヘテロ表現形のマウスに比べ、BrdU陽性数が少なく分裂細胞数が少ないことを示している。論文は、神経幹細胞が脳神経回路に参加していることを示し、また脳内で余剰グルタミン酸を取り込むことで脳内環境を保つ、機能を持つ神経幹細胞像を描いており、従来の神経幹細胞像とは違うダイナミックな姿を提示した意味がある。

 これらの結果は、成体内の神経幹細胞の動態を示した生物学的意味がある。さらに、これまで正体の明らかでなかった生体内の神経幹細胞の特性を明らかにしたことは、成体内の神経幹細胞を標的とする薬理学的なアプローチの手掛かりを示していると言え、応用面でも将来期待のできる結果を示したと判断できる。したがって、論文提出者は、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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