学位論文要旨



No 120506
著者(漢字) 山口,正秋
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,マサアキ
標題(和) 濃尾平野の埋積過程と動態変化
標題(洋) Dynamic changes and depositional processes in the Nobi Plain, Central Japan
報告番号 120506
報告番号 甲20506
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第126号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 須貝,俊彦
 東京大学 教授 大森,博雄
 東京大学 教授 辻,誠一郎
 東京大学 助教授 春山,成子
 東京大学 助教授 芦,寿一郎
内容要旨 要旨を表示する

 沖積平野は,現在の川や海の堆積作用によって形成されている平野で,世界の人口の多くがこの沖積平野に集中し,居住地のみならず,経済活動の場として,あるいは食糧生産の場として重要である.その一方で,陸域からの土砂フラックスの多くを受け止める堆積平野であるため,地表は"不安定"な地域であり,たびたび洪水や高潮などの自然災害に見舞われる地域である.こうした"不安定性"を評価するためには,沖積平野において生じてきた地形変化の規模や頻度といった動態変化に関する定量的な研究成果が蓄積される必要がある.具体的には,沖積平野の埋積過程を定量的かつ総合的に検討する新しい手法を用いて,時間精度の向上,地層から堆積環境を推定する精度の向上,空間精度の向上をはかるとともに,山地と海とをつなぐ平野域における土砂収支の検討を行うことが課題となる.こうした課題に取り組むテストフィールドとして,本研究では濃尾平野を選定した.

 濃尾平野は内湾に面するため,海の営力が相対的に小さい.また扇状地や自然堤防がよく発達する本平野では,多くの粗粒物質が下流まで運搬され,河川による運搬・堆積プロセスが卓越すると考えられる.さらに本平野は,周囲を山地に囲まれているため,上流から供給された土砂の堆積する範囲が明確である.このような条件を備えた濃尾平野は,河川による物質の運搬・堆積や,それによる平野の形成プロセスを説明する一般的なモデルの構築,さらに河川からの土砂収支の検討に適したフィールドである.

 第1章では従来の研究をレビューし,問題の所在を明らかにするとともに,濃尾平野の自然環境学的特徴を概説した.

 第2章では,2本のオールコアボーリングの詳細な14C年代値にもとづいて,濃尾平野完新統の堆積速度を明らにした.その結果以下の点が示された.

1.完新統を貫く連続したコアの高密度な14C年代測定により,濃尾平野西部における詳細な堆積曲線がはじめて得られた.

2.堆積速度(上方累重速度)は,日本列島のデルタとしては大きい部類に属し,それは中部泥層で特に顕著である.これは濃尾平野西部の速い沈降と木曽川などからの大きな堆積物フラックスを反映している.

3.既存資料による海成層の内陸分布限界と2本のボーリング,および現在のデルタの前縁の間で求められた約5900,4200,2800 cal yrs BP,および現在の3時点間のデルタの前進速度はそれぞれ約6m/yr,10m/yr,5m/yrで大きく変化したものの,いずれもアジアの大規模デルタに匹敵する値である.

 第3章では,木曽川デルタの地形,粒度組成と堆積プロセスの関係を検討して,河川による供給物質が地層として定着していくメカニズムについて論じた.2本のボーリングコアは,プロデルタ,デルタフロントスロープ,デルタフロントプラットフォームを構成する典型的なデルタのサクセッションを示す.しかし両コアの粒度組成は,両地点の微地形の違いや後背山地からの距離の違いを反映して異なっている.この違いは両コアの堆積速度にも現れている.

1.プロデルタ堆積物は,養老山地から離れた海津コアにおいてはほとんど浮流物質のみからなる1峰性の粒度分布を示すのに対して,養老山地に近い大山田コアでは,掃流物質を含む2峰性の粒度分布をもった堆積物を挟在し,養老山地側の支流からの土砂供給を示唆する.堆積速度は前者で小さく(1.4〜3.7mm/yr),後者で大きく(1.9〜4.6mm/yr),これを支持する.

2.デルタフロントスロープ堆積物は,海津コアで典型的な上方粗粒化傾向を示すのに対して,大山田コアでは,粗粒で淘汰が良い堆積物や,2峰性の粒度分布を示す堆積物を多く挟在する.このことは海津コアが河川からのフラックスが集中するローブの中心付近に位置していたのに対して,大山田コアはローブの外縁に位置し,河川からの土砂のフラックスが小さく,相対的に波浪や沿岸流などで再配置された淘汰の良い堆積物が堆積する割合が高かったことを示唆する.堆積速度は前者で大きく(〜55.8mm/yr),後者で小さく(〜12.6mm/yr),これを支持する.

 第4章では,第2章,第3章をふまえて,高密度ボーリングデータ解析にもとづいて濃尾平野沖積層の三次元構造を明らかにし,木曽川デルタの前進過程を検討した.その結果以下の諸点が示された.

1.沖積層の基底面は熱田層(AT)の埋没段丘と,BG(基底礫)からなっていて.BGの堆積面は幅数kmの谷によって開析されていることが確認された.この谷はLGM期に形成された谷である可能性が高い.

2.堆積ユニットLS(下部砂層)は沖積層基底面の起伏を埋めて堆積している.上面は一様に養老断層に向かって傾斜していて,養老断層の活動に伴う西へ傾斜する累積変位をうけている可能性を示唆する.

3.堆積ユニットMM(中部泥層)は堆積ユニットLS上面の傾斜を埋めるように堆積した内湾性の泥層で,養老断層近傍で厚く堆積している.MMは断層活動にともなう変位を埋めながら堆積した可能性が高い.

4.堆積ユニットUS(上部砂層)は平野北側から前進しながら堆積したデルタフロント堆積物で,厚い部分が帯状に分布し,この部分では下面高度が低い.この帯状部分は河川流軸すなわちデルタの前進軸に対応する可能性が高い.この前進軸は平野南部では収束していることは,西側を養老山地に,東側を更新世の段丘や埋没段丘に限られて,デルタの主軸が東西方向に大きく振れる余地にとぼしかったことを示唆する.

5.堆積ユニットSS(周辺部砂層)は,MMが存在しないためにLSとUS,TSが区別できない周辺部で,それらを一括してひとつの堆積ユニットを定義した.本ユニットは,MM,US,TS/TM同時異相的に堆積したと考えられる.

6.堆積ユニットTM/TS(最上部泥層/砂層)は,US上面の起伏を埋めながら堆積した洪水・氾濫堆積物である.US上面は西側の断層に向かって傾斜していて,その傾斜は北側ほど大きい.このことは堆積年代の古い平野北部ほど養老断層の活動に伴う変位が累積していることを示唆する.

 第5章では,濃尾平野沖積層の各ユニットの体積と,約6 kyr BP以降と約18 kyr BP以降に堆積した沖積層の体積を算出し,それらを流域の高度分散量から推定された各期間の土砂生産量と比較し,土砂収支を検討した.その結果,以下の諸点が示された.

1.濃尾平野における沖積層の体積は27.9 km3で,そのうち堆積ユニットLS,MM,US,SS,TM/TSの体積は,それぞれ5.8 km3,8.4 km3,6.5 km3,5.1 km3,2.1 km3である.

2.過去6000年間に流域で生産された土砂量は,流域の高度分散量から39.1 km3と推定される.また過去18000年間については117.4 km3と推定される.

3.沖積層の体積と上記の土砂生産量との比較から,過去6000年間に流域で生産された土砂のうち,18.2 %にあたる7.1 km3が堆積ユニットMMとして内湾に堆積し,16.6 %にあたる6.5 km3が堆積ユニットUSとしてデルタフロントに,そして11.0 %にあたる4.3 km3が,TS/TMおよびSSとしてデルタ〜自然堤防帯にかけての陸上に堆積する.そして残りの54.2 %にあたる21.2 km3が扇状地またはそれよりも上流側でトラップされる.

4.過去18000年間についても,過去6000年間と同様に54.2 %が扇状地または上流側でトラップされると仮定した場合,現在の沖積低地下の沖積層,27.9 km3は全体の23.8 %,そして残りの22.0 %にあたる25.8 km3が沖積低地よりも下流側に流失したことになる.このことは,海面低下時には多くの土砂が海域へ流下したことを示唆する.

今後は日本や世界各地の沖積平野での"定量的"な検討が蓄積されることが期待される.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は6章からなり、第1章は本研究の背景、第2章は濃尾平野完新統の堆積速度、第3章は木曽川デルタの地形・構成物質・堆積プロセスの関係、第4章は木曽川デルタの前進過程、第5章は濃尾平野完新統の体積と河川フラックス、について述べられ、第6章は上記の結論が示されている。

 沖積平野は、過去約2万年間に山地から河川によって供給された土砂が、臨海地域の「溺れ谷」を埋立てるなどして形成した新しい土地である。環太平洋造山帯やアルプスヒマラヤ造山帯に位置する国々では、一般に沖積平野は肥沃で貴重な平坦地として高度な土地利用がなされている。農耕や都市を支える環境資源としての沖積平野のもつ価値は測り知れない。しかし、その地盤は軟弱で、海面変化や気候変化に敏感に応答し、洪水・高潮・地震・地盤災害等の自然災害に対する脆弱性が高く、地球上で最も活発に土砂移動が生じている地域のひとつでもある。本論文は、世界で第一級の侵食速度を有する中部山岳地を後背地にもち、閉鎖性の高い伊勢湾奥に位置し、活発な沈降運動を被ってきた濃尾平野をモデルフィールドに選定して、沖積平野の形成過程を高い時間空間分解能で明らかにした。

 第2章では1990年代以降急速に普及した加速器による放射性炭素同位体年代測定法を用いて完新統コアに多数の年代値を入れて、堆積物の堆積速度の時間変化を百年オーダーで明らかにした。この時間分解能は世界の平野研究の中でもトップレベルにあり、粗粒物質卓越型のデルタ平野の標準となる成果である。さらに複数のコアの堆積速度の比較をもとに、木曽川デルタの前進速度が環太平洋の大河川のそれに匹敵することを指摘した。

 第3章では「地層に残された記録」に内在する不完全性を補い、土砂移動を動態的に捉えるために、「河川が洪水時に運ぶ土砂が如何にふるい分けられて地層として堆積し、地形を形成していくか」という基本的課題に取組み、1990年代に実用化された粗粒物質対応型レーザー回折式粒度分析装置を用いて、堆積物の粒度組成を明らかにした。さらに、地形・堆積物・物質の移動プロセスの3者間に成立つ関係について、2章で明らかにした堆積速度変化と対応づけながら、実証性の高い検討を行った。すなわち、浮流運搬される泥は「粒径」と「堆積速度」が概ね比例関係にあって、「河口からの距離」と「河川フラックス」に規定されて地層が安定的に形成されること、掃流運搬される砂は河川流軸部付近では急勾配な前置斜面を維持したまま地層として定着しやすいのに対して、流軸から離れた場所では波浪により活発に再移動して地形勾配が緩くなることなどを明らかにした。

 第4章では、ボーリングコアから得られた点的なデータを三次元的・統合的にとらえるために、地理情報システム(GIS)を活用した新しい解析方法を提示した。すなわち1000本を超える既存柱状図を1kmメッシュごとに整理し、GISを用いて空間解析して、沖積平野の地下構造を明らかにした。とくに、デルタを構成する砂層の層厚分布を鉛直方向1m、水平方向1kmの空間分解能で示し、砂層の厚い部分が帯状に分布することを明らかにするとともに、この部分がデルタ前進時の河川流軸にあたることを指摘した。これは、前章で明らかにした掃流砂と浮流泥のふるい分けと固定プロセスが、デルタ前進期を通じて支配的であったことを強く示唆している。

 5章では濃尾平野全域の沖積層体積を算出して、後背山地における侵食速度から推定される河川フラックスと比較した。海進最盛期以降の過去6千年間では、河川フラックス総量は39 km3に及び、その約半分が扇状地もしくはそれより上流域に砂礫層として貯留され、残りの半分が濃尾平野の形成に寄与してきたことを示した。またこの間に現在の海域に堆積した土砂は全体の1割に満たない可能性を指摘した。他方、海面が最も低下した1万8千年前以降を通じてみると、現在の海域へ供給された土砂量は全体の2割を上まわる可能性が高いことを指摘した。これらは第一次近似値ではあるが、山脈から海洋底に至る地球表層物質の移動パターンが氷期と間氷期では大きく異なっており、氷期には現在より多量の陸源物質が海洋底へまで供給されていたことを意味している。

 以上のように、本論文は、沖積平野の形成過程に関する多くの新知見を得ており、沖積平野の環境学的研究に展望を与える優れた内容を有している。

 なお、本論文第2章および第3章は、大森博雄、杉山雄一、藤原治、鎌滝孝信、須貝俊彦との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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