学位論文要旨



No 120509
著者(漢字) 岩崎,哲
著者(英字)
著者(カナ) イワサキ,テツ
標題(和) アドホックネットワークを用いた位置情報システムの開発
標題(洋)
報告番号 120509
報告番号 甲20509
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第129号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 保坂,寛
 東京大学 教授 吉村,忍
 東京大学 教授 小林,郁太郎
 東京大学 助教授 太田,順
 東京大学 助教授 安藤,英幸
内容要旨 要旨を表示する

 インターネット技術や位置計測技術の発達と携帯電話の爆発的な普及によって,GPS(Global Positioning System)に代表される位置情報サービスの提供が盛んになりつつある.近年ではGPSと携帯電話との融合によって,人のナビゲーションを行うシステムが開発されている.しかしながら,GPSは基本的に衛星電波の届く屋外でしか利用できないという欠点がある.人間の活動は屋内におけるものが大半を占め,現状の屋外だけで使える位置情報サービスでは十分とは言えない.位置情報をベースに,生体情報や環境情報と組み合わせて人間の行動認識を行い,その行動をシステムがサポートするコンテキストアウェアネスの概念を実現するためには,屋内での位置情報取得が重要である.

 屋内での位置計測技術としては,赤外線や超音波の送受信機を用いて場所に対応したIDを識別するものや,無線LANの電波の到達時間(TDOA: Time Difference of Arrival)を使って距離を推測し三角測量を行うものなどが研究されている.赤外線や超音波を用いたものだと,デバイスとしての専用性が高く汎用性の観点で問題があり,無線LANを用いたものは,消費電力が高くモバイル機器に適していない.本研究においては,3G携帯電話や情報家電に採用されつつあるBluetoothを用いて位置計測システムを構築した.Bluetoothは無線LANの5分の1程度の低消費電力を実現しており,各種プロファイルの規格が充実していることから汎用性が高く,5米ドル程度の低コストを実現している.環境中に配置する基地局と,ユーザが携帯する移動端末との間で擬似距離測定を行い,三角測量で位置を推定する.擬似距離推定には電波の伝搬損失(RSSI: Received Signal Strength Indicator)を利用した.一般的に広範囲の計測では,RSSI方式はTDOA方式と比較してマルチパスやフェージングの影響が大きく精度が悪いことが知られている.しかし屋内などの狭く複雑なレイアウトのエリアを想定した場合,見通し経路(LoS: Line of Sight)確保のために基地局数を増やす必要があり,測定回路を単純化によりコスト低減が可能なRSSI方式の方が有利である.

 伝搬損失と距離の特性に着目した場合,自由空間においては距離の2乗に反比例して伝搬損失が大きくなる.しかし実際にはマルチパスやフェージング等の影響を考慮しなければならないため,あらかじめ伝搬損失特性を実験的に取得し,換算式を求めておく必要がある.伝搬損失の距離特性を表す下記の近似式中のK及びγの値を最小二乗法で求めた.

ただし,Pt,Prはそれぞれ送信電力,受信電力であり,d,doは2点間の擬似距離と測定の基準距離を表す.

 さらに伝搬損失のばらつきやアンテナの指向性及び傾斜の影響,金属の影響,人体の影響などの観点から伝搬損失特性の評価を行い,それぞれの要因による擬似距離推定の誤差解析を行った.伝搬損失のばらつきとS/Nの低下によって遠距離ほど測定誤差が大きくなることと,人体による吸収の影響が大きな誤差要因であり,後述する三角測量の段階でこれらの補正を行った.

 三角測量においては,演算過程における各基地局との算定距離lと,擬似距離dとの誤差の2乗和を最小とする評価関数を導入し,収束演算によって解を求めるための最急降下法アルゴリズムを用いた.ここでは遠距離ほど誤差が大きくなるという特徴に着目し,評価関数に擬似距離の逆数で重み付けを行った.下記の修正ベクトルΔを加算していく収束演算により,移動端末の位置を求める.

 nは基地局の台数であり,最低3台以上である必要がある.またuは算定位置から各基地局に対しての単位ベクトルである.

 次に,これらの手法を実装した位置計測システムのプロトタイプを開発した.移動端末(マスター)と基地局(スレーブ)とのマルチポイント型ネットワークを構築するコネクションプロセスと,送受信電力の測定及びサーバへのデータ伝達・位置演算を行う測定プロセスとでシステムが構成される.また,コネクション状態の逐次管理によるリンク切断時の自動復帰機能を持ち,電磁ノイズや障害物が多い環境などリンクが切れやすい状況でも測定可能であるという特徴を持つ.

 プロトタイプを用いて,三角測量を用いた誤差の評価実験を行った.基地局を疎に配置した状態(基地局間隔5m)でRMS誤差3.4m,密に配置した状態(基地局間隔2m)でRMS誤差1.8mの結果が得られた.ユーザ本人による人体の伝搬経路遮断の影響を考慮して,人体の前後に二つのアンテナを付け,それぞれの平均を取ることで位置補正を行ったところ,基地局を疎に配置した状態でRMS誤差2.3m,密に配置した状態でRMS誤差1.2mと測定精度が向上した.

 次に学習による位置推定方式の検討を行った.三角測量では,定常的な障害物の影響によって実際の距離よりも伝搬損失が大きくなる場合など,測定位置によっては距離精度が非常に悪くなり,結果的に位置誤差が増大するという欠点がある.教師データの取得コストが増加するが,高精度を求める場合には学習によって位置を求める方が有利である.

 ここでは,測定地点における各基地局との伝搬損失パターンにニューラルネットを用いた学習アルゴリズムを適用した.伝搬損失の測定データを入力層,算定位置座標を出力層とした3層ニューラルネットワークを構築し,教師データとしていくつかの地点で測定された伝搬損失値のサンプルデータを用い,その他の実験データを検証データとして解析を行った.人体前後の2台の端末を用いた補正を適用した結果,基地局密度が低い場合でRMS誤差1.7m,基地局密度が高い場合でRMS誤差1.0mを達成することができた.

 固定的なマルチポイント型ネットワークを用いたプロトタイプの課題として,測定エリアが拡大できないという問題点がある.移動に伴う伝搬損失の変化を利用して計測エリアのハンドオーバーを行うシステムを新たに構築した.ここではノード間の距離が短いため,携帯電話等で用いられる既存の方式よりも高速なハンドオーバーが必要とされる.Bluetoothの低消費電カモードであるパークモードを用いて,端末との距離に応じてコネクションの状態をレベル分けすることで,エリア切替え時間を10分の1程度に短縮し,消費電力を30%程度低減できる見通しが得られた.移動端末やサーバによる中央処理ではなく,隣接した基地局同士の接続関係のみを管理し無線の制御を行う協調分散制御の考え方を取り入れ,システム全体の負荷低減を図った.また,位置計測開始時にはInquiry機能により基地局が移動端末を発見し自動的にコネクションを形成するため,移動端末側で基地局の情報を保持している必要はない.

 さらに,造船所での作業計測とオンデマンドバスの位置情報システムという2つのアプリケーションを想定して評価実験を行った.

 造船業は基本的に一品受注生産で,全てを機械化するより人間が介在したほうが作業効率が高くなり,コストも抑えられる.危険な造船現場では安全性確保のためにハンズフリーな作業環境構築が必須であり,ウェアラブル端末を用いた作業計測・作業支援システムが有効である.そこで位置計測を用いた造船現場の作業員の作業計測システムを提案し,位置計測によって生じる効果の検証を目的に造船現場での評価実験を行った.伝搬損失値の閾値による近接検出を行ったところ,1m程度の近接検出に関して80%程度の認識率を得られた.次に基地局を広範囲に設置し,作業員の作業エリアを概観するための広域エリア検出を行った.30×20mの広さの作業エリアを4分割してエリアの一致判定を行ったところ,認識率は70〜80%程度となった.さらに10×10m程度の一つの作業エリアに基地局を4台設置し,2時間の実作業に関して三角測量で作業位置を求めたところ,位置誤差は平均値で1.6mとなった.作業エリアの特定と作業位置の把握,特定の機械等への近接検出により,おおよその作業内容を把握可能だと言える.

 また,オンデマンドバスは,高齢化の進展や地域福祉の増進といった社会的背景により,地域性や福祉に重点を置いた新しいバスサービスとして注目を集めている.ここではバスの位置情報と合わせて利用者の位置情報をセンシングすることによる付加価値向上を提案した.例えば停留所からの人の距離に応じてバスの運行形態を変えるというサービスが考えられる.都市部と閑散部との環境による違いや,端末の身に付け方による違いなどに着目して評価を行ったところ,端末の身に付け方によって伝搬損失特性が異なるため精度が5m程度に悪化したが,アプリケーションの性質上,バス停から50〜100m程度の遠近が判断できれば良いため,十分利用可能だと言える.

 以上により,Bluetoothを用いた位置計測システムの有効性を示すことができた.伝搬損失値の急激な変化を除去することによるLoS遮断の影響緩和,伝搬損失値の閾値検出によるマップマッチング,基地局位置における教師データの自動取得による学習パラメータの随時更新,人体遮断を利用した方向検出などの手段によりさらなる精度向上が可能だと思われる.また,インクワイアリを利用した基地局ネットワークの自動構築,移動方向・移動速度の検出によるエリア切替えの高速化・低消費電力化,移動速度に応じたダイナミックな計測頻度制御,クロックオフセット値の共有による接続の高速化などの機能を実装することにより,より高速かつ低消費電力を実現した汎用性の高いシステム構築が可能である.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,「アドホックネットワークを用いた位置情報システムの開発」と題し,全10章からなっている.ウェアラブルで汎用性の高い位置計測システムを開発することを目的に,Bluetoothを用いた屋内位置計測システムの開発を行っている.伝搬損失を用いて三角測量や学習によって位置を求める手法の評価を行い,アドホック位置情報システムの開発を行っている.

 第1章「序論」では,位置情報サービスの発展に伴う屋内位置計測技術の必要性を説明している.先行研究の事例と特徴との比較を元に,低消費電力で汎用性が高く,低コストであるという点からBluetoothの伝搬損失を用いた位置計測システムの優位性を示している.

 第2章「電波強度を用いた擬似距離測定」では,三角測量によって位置を求めるにあたって必要な擬似距離の測定方法について述べている.電波の伝搬損失から距離を推定する原理を用い,指向性やアンテナの傾斜の影響,金属の影響,人体の影響などの観点から伝搬損失特性の評価を行っている.

 第3章「三角測量による位置推定法」では,複数の基地局からの伝搬損失を測定して求められた擬似距離から,移動端末の位置を推定する三角測量アルゴリズムの検討を行っている.伝搬損失による距離測定の場合,実際の距離が大きくなるほど誤差が大きくなるという特徴に着目し,評価関数に距離に応じた重み付けを行い,誤差のシミュレーションを行っている.

 第4章「Bluetoothによる位置計測システムの開発」では,ピコネット型位置計測システムのプロトタイプの開発と評価を行っている.移動端末をマスターとし,基地局をスレーブとするマルチポイント型ネットワークによって構成されるシステムを用い,位置誤差を精密度,正確度,RMS誤差で評価している.また装着者自身が伝搬経路の妨げになることによって生じる位置誤差とその補正手法について評価している.

 第5章「学習による位置推定法」では,ニューラルネットを用いた位置の推定方法について述べている.定常的な障害物の影響を考慮して,測定地点における各基地局との伝搬損失パターンを学習させることで移動端末の位置を求める方法について検討している.

 第6章「アドホック位置情報システム」では,第4章で開発したプロトタイプシステムの課題である測定エリアの拡大を実現するために,エリア切替えとマルチホップデータ伝送の機能を持ったアドホック位置情報システムを開発している.基地局同士が自律的にネットワークを構築し,ノードのアクティベイト制御の負荷分散をすることで移動端末への負荷を低減させていることが特徴である.開発したシステムを用いてエリア切替えの追従性や,ルーティング特性について評価している.

 第7章「位置情報を用いた造船所作業員の作業計測」では,位置計測を用いた造船現場の作業員の作業計測システムを提案し,位置計測によって生じる効果と,システムの要求仕様,実際の造船現場にて行った評価実験の結果を示している.

 第8章「オンデマンドバスにおける位置情報システム」では,オンデマンドバスにおける利用者位置情報取得システムについて述べている.バスの位置情報と利用者の位置情報を併用することによる新たなオンデマンドバスサービスを提案し,都心部と郊外での比較など交通環境の違いに着目した評価実験を行っている.

 第9章「屋内位置計測技術の展望」では屋内位置計測技術についての課題を整理し,位置精度の向上,システムの機能向上,アプリケーションの拡大といった観点から今後の展望を述べている.

 第10章「結論」において,以上で得られた結果を総括している.

 以上のように,本論文は,屋内でも計測可能で汎用性の高い位置計測システムの開発を目的に,Bluetoothを用いた位置計測システムの開発を行ったものである.狭域で計測を行うピコネット型位置計測システム及び,分散協調制御を行うアドホック位置情報システムの開発を行い,現場での評価実験による実現可能性の検証から位置情報システムのアプリケーションの設計指針を得ている.本成果は,情報機器を利用した人間の行動支援技術に関する新しい知見を示すもので,人工環境学ならびに人間環境学の発展に寄与するところが大きい.

 なお,本論文第2章,3章,4章,7章は,保坂寛,板生清,田中砂与子,杉山朋宏,佐々木裕一,吉田一三,榎本昌一,安藤英幸,佐々木健,廣田輝直との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 よって本論文は博士(環境学)の学位請求論文として合格と認められる.

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