学位論文要旨



No 120512
著者(漢字) 文屋,信太郎
著者(英字)
著者(カナ) ブンヤ,シンタロウ
標題(和) 沿岸域流況予測のための高精度な有限要素モデルの開発と東京湾への適用
標題(洋) Finite Element Models for Precise Predictions of Shallow Water Flows within Tokyo Bay
報告番号 120512
報告番号 甲20512
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第132号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉村,忍
 東京大学 教授 久田,俊明
 東京大学 助教授 鈴木,克幸
 東京大学 助教授 奥田,洋司
 東京大学 助教授 多部田,茂
内容要旨 要旨を表示する

本研究の背景

 地表の7割を占める広大な海洋の中でも,大陸棚以浅の沿岸域は人々の生活と密接に関係する重要な海域である.特に四方を海に囲まれている日本における生活,文化は沿岸域,特に内湾内の水環境に大きな影響を受けている.その沿岸域で人々が快適に暮らすために工学が取り組むべき問題は大きく二つに分類されると考えられる.一つは,生態系の保全・再生,水質管理,汚染物質の拡散などの環境問題である.もう一つは台風による高潮や洪水,地震時に発生する津波などが人工構造物へ与える被害などの自然災害である.これらの現象を理解し,適切な対策を施すためには,それらの現象に共通して関係する海水の流動について理解することが不可欠である.しかしながら海洋の流動現象は空間・時間スケールが大きいため,その実験を行うことは不可能であるか,あるいは非常に大規模な装置を必要とする。そこで本研究では,数値モデルを用いた数値実験によって沿岸域の諸現象を理解・予測することを目的とし,特に沿岸域の海水の流れに注目してそれを高精度に解くための計算手法を提案する.また,東京湾を含む実海域に提案手法を適用し,その有効性を示す.

沿岸域の流れの数値計算

 沿岸域の海水の流動は主に潮汐力と風による海表面摩擦力によって駆動される.どちらの力も大きな空間スケールでは水平方向の流れを生むため,鉛直方向の流速は水平方向の流速に対して非常に小さくなる.このような流れは水平方向の流速と基準水面からの水位変動を変数として持つ浅水長波方程式によって表現される.本研究ではこの浅水長波方程式を用いて沿岸域の流況予測を行う.

 浅水長波方程式の数値解法としていくつかの方法が試されているが,本研究では,複雑な海岸地形を容易に再現することのできる非構造格子の利用を考え,有限要素法を採用した.有限要素法によって浅水長波方程式を解く場合,二つの排除すべき数値的不安定性が存在することが知られており,この不安定性をいかに精度良く取り除くかによって解の信頼性が大きく左右される.

擬似気泡関数法

 一つ目の不安定性として,水位と流速を同次の要素で補間すると高周波モードが発生して安定な解が得られないことが知られている.従来は非物理的な数値粘性を加えることによってこの不安定性を回避していたが,その場合,解は大きく減衰し,精度を保証することが困難になる.そこで本研究では近年その有効性が確認された擬似気泡関数(quasi-bubble)要素を用いた混合補間を採用し,非物理的な数値粘性を一切加えることなく高周波モードを排除した.これにより計算領域の内部については安定に精度の良い解を得ることに成功した.

DSBI法

 二つ目の不安定性として,計算領域境界上で発生する高周波モードが知られている.潮汐流の計算を行うためには外洋につながる境界において水位の変動を境界条件として与えるが,この境界において局所的な数値振動が発生する.この水位境界上における不安定性を解決するために,本研究ではDiscontinuous Surface-elevation Boundary Implementation法(DSBI法)を新しく考案し,提案する.この手法は,通常は基本境界条件として厳密に与えられる水位境界条件を,弱解の形で近似的に与えられるように定式化することによって,境界における不安定性を取り除く手法である.このユニークな定式化の妥当性と有効性は,解析的及び数値的手法によって本論文中において詳細に確かめられた.以下,擬似気泡関数とDSBI法を組み合わせた有限要素解法をQB-DSBI法と呼ぶ.

提案手法による東京湾の流況予測

 東京湾と相模湾を含む海域の潮流計算によって,幾つかの従来法とQB-DSBI法とを比較した.その結果,従来法では数値振動による不安定性が顕著に現れたのに対し,QB-DSBI法では非物理的な振動は見られず,安定に解が得られた,また,計算で得られた水位について実測値と比較した結果良好な一致を得た.さらに,節点数約15万,要素数約30万の非常に解像度の高い非構造格子を用いて潮流計算を行った結果,従来の数値モデルでは報告されていない流れの詳細構造を観察することができた.

計算システムの構成

 本研究の中で構築した計算システムは,数値地図からの境界線の抽出,海底の地形を考慮した非構造格子の作成,浅水長波方程式の有限要素計算,計算結果の可視化という,計算モデルの作成から結果の可視化までの一連の機能をすべて実現するソフトウェア群によって構成されている.また,流動計算プログラムにはMessage Passing Interfaceによる並列計算機能が実装されており,必要な場合にはPCクラスターなどの並列計算環境での高速な計算が可能である.

結言

 沿岸海域で発生する環境問題や自然災害の理解・予測・対策への適用を目指して,非物理的な数値粘性を加えることなく,浅水長波流れを高精度に解くことのできる有限要素解法を提案した.水位境界条件の安定化,高精度化手法として提案したDSBI法は基本境界条件の代替的な実装法として非常にユニークであり,且つその精度と安定性は解析的,数値的手法によって詳細に確認された.

 提案した有限要素解法であるQB-DSBI法を用いて東京湾を含む海域の潮流計算を行った結果,高い解像度で精度良く流れの構造を再現することができた.これらの検証問題によって,QB-DSBI法が沿岸海域の流況予測に対して大変有効であることが確認された.今後,水中の輸送現象や自然災害対策のための流況予測計算への応用が期待される.

審査要旨 要旨を表示する

 地表の7割を占める海洋の中でも,沿岸域は人間活動と海洋が相互に影響を及ぼし合う最も重要な海域である.その沿岸域で人々が快適に暮らすために工学が取り組むべき問題は大きく二つに分類されると考えられる.一つは,生態系の保全・再生,水質管理,汚染物質の拡散などの環境問題である.もう一つは台風による高潮や洪水,地震時に発生する津波などが人工構造物へ与える被害などの自然災害である.これらの現象を理解し,適切な対策を施すためには,それらの現象に共通して関係する海水の流動について定量的に理解することが不可欠である.しかしながら海洋の流動現象は空間・時間スケールが大きいため,その実験を行うことは不可能であるか,あるいは非常に大規模な装置を必要とする.そこで数理モデルを用いた数値実験によってそれを代替する研究が盛んに行われているが、数値実験特有の困難さから,様々な時間・空間スケールを持つ流動現象を汎用的に精度良く表すことのできる解析手法は確立されていないのが現状である.そこで,本研究では,数値モデルを用いた数値実験によって沿岸域の諸現象を理解・予測することを目的とし,特に沿岸域の海水の流れに注目してそれを高精度に解くための計算手法を提案し,さらに東京湾を含む実海域に適用し,その有効性を示している.

 本論文は8つの章から構成されている.

 第1章は序論であり,本研究の背景と課題,目的について述べている.また,既存の各種数値モデルについてのレビューを示している.さらに,本研究が主に扱っている偏微分方程式系の浅水方程式について説明している.

 第2章では,まず,本研究の初期段階で作成された,eco-hydrodynamicsモデル,すなわち,流動系と生態系を結合したモデルについて説明されている.数値モデルの説明の後,いくつかのテスト問題によってその数値モデル及び計算プログラムの基本性能を検証している.最後に三番瀬と盤洲干潟を含む東京湾をモデル化し,両干潟の海水浄化機能を評価している.この解析自体は,干潟の浄化機能を定量化しようとする試みとして意義深いものであるが,同時にこの解析を通して,海水流動モデルにおける数値的減衰効果が指摘され,これが次章以降で高精度な数値計算手法を開発する上での動機となっている.

 第3章では,数値的減衰効果を減らすべく擬似気泡関数要素を用いた混合型有限要素法による浅水方程式の数値スキームが構築されている.擬似気泡関数要素自体は既存のものであるが,著者はそれが浅水方程式系に有効であることをはじめて示す一方で,特定の境界条件との組み合わせによって解が不安定化することを新たに指摘している.その結果を受けて,擬似気泡関数法の特性については数値的,解析的手法によって詳細に議論されている.

 第4,5章では,開境界で課される水位境界条件が引き起こす不安定性への対処法を新たに提案している.潮流を計算する際にはその水位境界条件が流れを直接的に駆動するため,そこで生じる不安定性を除去することは大変重要である.Discontinuous Velocity/Surface-elevation Boundary Implementation (DVBI, DSBI)と名づけられた提案手法は,浅水方程式中の空間一階微分項を部分積分することによって現れる境界積分項を有効活用することによって境界付近での解の精度を高め,安定化を図るものである.新しい計算技法の整合性は解析的,数値的手段によって詳細に議論され,確認されている.

 第6章では,提案されたDVBI, DSBIの両手法を,2次元のテスト問題に適用し,解析解と比較することによって,提案手法の有効性を確認している.

 第7章では提案手法を東京湾と相模湾を含む海域に適用し,潮流計算を行っている.まず,境界条件の実装法の違いによる解の精度,安定性の差異を検証している.この中で,境界形状が複雑な場合にはDVBI法は安定性に課題があることが確認された.一方,DSBI法については解の安定化に大変有効であることが確認された.次に,DSBI法と擬似気泡関数法とを組み合わせて構築された計算スキームと,第2章の流動モデルで採用された手法とが比較されている.この比較によって第2章で問題提起されていた解の減衰が,擬似気泡関数法では解消され,高精度な解が得られていることが確認された.さらに,詳細な計算格子を用いた東京湾・相模湾の潮流計算が提示されている.この計算結果から,顕著な数値減衰の無い高解像度な解が提案手法で得られることを示している.有限要素法がこの種の計算において採用されにくい理由の一つはこの数値的な解の減衰であるので,この点が擬似気泡関数法によって解消できることを示したことは意義深い.

 第8章は結論であり,上記の内容が総括され,提案手法の有効性がまとめられている.

 以上を要するに,本論文では,従来の有限要素法を用いた浅海域解析の問題点を明らかにし,擬似気泡関数法と独自の安定化手法を組み合わせることにより,高精度と安定性の両者を兼ね備えた独創的な浅海域流動解析手法を提案し,その有効性を解析的,数値的手法を駆使して実証しており,数値流体力学の観点から本論文は価値が高い.今後の沿岸域における海水流動場の予測やその海流の上での生物,汚染水,底泥等の輸送現象の理解に関する研究に対する寄与も少なくない.よって本論文は博士(環境学)の学位請求論文として合格と認められる.

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