学位論文要旨



No 120516
著者(漢字) 林,希一郎
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,キイチロウ
標題(和) 生物多様性条約に基づく遺伝資源の利用に伴う利益配分のデザイン
標題(洋) Design of Benefit Sharing Generated from Utilizing Genetic Resources Based on Convention on Biological Diversity
報告番号 120516
報告番号 甲20516
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(国際協力学)
学位記番号 博創域第136号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柳田,辰雄
 東京大学 教授 山路,永司
 東京大学 教授 後藤,則行
 東京大学 助教授 湊,隆幸
 明治学院大学 教授 磯崎,博司
内容要旨 要旨を表示する

 森林中の植物、土中の微生物、海洋中の生物やそれらから抽出された化合物である遺伝資源は農業、医薬品産業などにおいて利用されてきた。1992年に採択された生物多様性条約(CBD)は、その目的に(i)生物多様性の保全、(ii)生物多様性の構成要素の持続可能な利用、を位置づけることで、保全と利用の両立を模索している。これを実現する手段の一つが第3の目的である「遺伝資源の利用から生じる利益の公正かつ衡平な配分(ABS)」である。

 CBD施行以前では、先進国は、遺伝資源の豊富な地域で、遺伝資源や原住民の工夫、慣行や知識を持ち帰り、その商業化に伴う利益、研究開発の過程で蓄積した技術や情報などを独占し発展した。提供側の途上国は十分な利益を受けることなく先進国との間での格差が拡大した。このため途上国は遺伝資源などへのアクセスを規制することで、それらの利用に伴い生じる利益、技術、情報の配分を求め、これがCBDの中でABSとして位置づけられた。例えば、遺伝資源の科学研究は提供国で行われることが奨励され、その際に得られる技術・情報などは遺伝資源の提供側と利用側で共有される。商業化は主として先進国で実施されるが、必要に応じて提供側の関係者が参加する。商業化成功後、利益の一部は提供側に還元され、この一部は生物多様性の保全に活用される。

 今日、CBDの国際交渉の中で、ABSは最も重要な課題の一つである。CBDにおいて、遺伝資源に対する主権的権利とアクセスを規制する権利が原産国に認められ、その後遺伝資源を有するいくつかの途上国が、遺伝資源アクセス規制と利益配分に関する国内法の整備を進めるとともに、CBD第6回締約国会議(2002)において、ABSに関する「ボンガイドライン」が採択された。ABSの制度の大枠の議論が進みつつあるため、今後は、利益配分をどのように実現するかに焦点が移っていくと考えられる。

 以上のようなABSの重要性を踏まえ、ABSに関する既存研究が実施されてきた。例えば、法制度的側面からの研究では、ABS課題の国際条約・国際機関での取り扱い、遺伝資源保有各国のABS国内法制度の比較などがある。また、ABS契約事例分析としては、個々の事例分析が中心であり、複数事例の比較研究は少ない。さらに、経済学的研究は、例えば遺伝資源探索活動の自然環境の保全効果、生物多様性の有する医薬品産業の経済価値評価などがある。しかし、利益配分をどのように実現するかについて正面から取り扱った研究はほとんど行われていない。加えて、配分対象とされるべき利益項目の選定、配分を決定づける要因の分析、配分される利益の量に関する研究は筆者の知るところ皆無と言ってよい。

 そこで、本研究の目的を、利益配分の具体的な仕組みにおいて「配分される利益項目の範囲と、関係者に配分される利益項目の範囲の決定要因、およびその際に配分される金銭的利益」を明らかにすること、また利益配分の仕組みを提案することと位置づけた。

 本研究の実施に当たっては、ABS関連の国際会議への出席(経済協力開発機構、CBD)や、各国際フォーラムの公表資料を分析に活用した。分析対象の国際フォーラムは、CBD、世界貿易機関、植物新品種保護に関する国際条約、国連食料農業機関、世界知的財産権機関などである。さらに、中南米(コスタリカ、ペルー、ブラジル)/欧州(英国、ドイツ、オランダ、ベルギー、イタリア)/米国などへの訪問調査などを総合的に活用した。

 本研究の全体像は以下のとおりである。まず国際協定や各国の法制度、国際機関におけるABSの議論の歴史的発展の経緯を整理し、次に国際協定や各国・地域のABS制度の中での利益配分の位置づけを整理した。その後、利益配分項目の範囲の考え方について遺伝資源の財とサービスの特徴および情報の非対称性の側面から解釈を与えるとともに、ABS契約の関係者の役割と配分される利益との関係について13事例の比較分析を行った。

 次に、「金銭的利益配分のあり方」を明らかにするために、遺伝資源を利用する企業の支払う金銭的利益配分額(アクセス料、マイルストーン支払、ロイヤルティー配分)と、遺伝資源を提供する途上国(地域社会等)の受けとる金銭的利益配分額との関係を分析するとともに、日本の新医薬品のR&Dプロジェクトに関する事例分析を実施した。

 本研究の成果は以下のようにまとめられる。企業の支払う金銭的利益配分を一定とした場合に、途上国(地域社会等)が受け取る金銭的利益配分額を最大化する条件を理論的な分析によって明らかにするとともに、また日本の新医薬品のR&Dプロジェクトを用いて事例研究を行うことによって、金銭的利益配分の望ましいあり方を研究した。これは研究目的の「配分される利益の量」に関連し、定量的な分析が空白であった金銭的利益配分のあり方について経済学的手法を用いたはじめての研究である。

 また、この事例研究には、新医薬品の平均的R&Dプロジェクト像の把握が必要であるが、新医薬品の成功率が1万分の1と低く、期間が十数年と長期に及ぶことから平均R&D投資支出の推計は困難であり、米国で数例、日本の既存研究は1研究のみであった。この事実を踏まえ、本研究では医薬品のR&Dプロセスの実態に即した新たな推計方法を考案し、既存研究では困難であった新医薬品1個当たりのR&D投資支出の経年変化(1982-96)の推計をはじめて可能とした。これは医療経済学の分野においても有益な研究成果である。

 この研究の結果によって、途上国(地域社会等)の金銭的利益配分額を最大化する変数は、企業の資本コスト(r)、リスクフリーレート(rf)、途上国(地域社会等)の割引率(rd)の関係、また、将来のリターン(キャッシュフロー(CF)や製品売上高など)およびR&Dプロジェクトの成功率(h)に対する企業側の見込みと途上国(地域社会等)側の見込み(CFd、hd)の認識の違いであることが明らかになるとともに、当該変数に関する情報の非対称を緩和することが望ましい金銭的利益配分を実現する方法となることが明らかとなった。

また、日本の医薬品産業に着目し、新医薬品1個のR&D投資支出を推計した結果、新医薬品1個当たりのR&D投資支出は69-74億円(1985年承認)、255億円-280億円(1995年承認)となった。さらに、1回の遺伝資源探索実施の十数年後に開始される途上国(地域社会等)へのロイヤルティー配分は累計で数千万円程度(ロイヤルティー配分割合1%、R&D開始時点t=0)の現在価値であり、遺伝資源1サンプルあたりでは数万円程度(配分割合1.0%、なおロイヤルティー配分割合、途上国の割引率や販売曲線のピークよって変化)であることが明らかとなった。これは1サンプル当たりのアクセス料と同程度から数倍程度の範囲となり、途上国の期待ほど高額ではない。

 次に、「配分される利益項目の範囲と、関係者に配分される利益項目の範囲の決定要因」の研究目的に関する結論は以下のようにまとめられる。利益配分の対象は、ボンガイドラインにおいて目安的項目が提示されているが、ケースバイケースで設定されると定められており、実際の事例でも様々なパターンが存在する。例えば、金銭的利益はアクセス料、マイルストーン支払、ロイヤルティー配分、信託基金、研究資金、給料、合弁事業であり、非金銭的利益は、科学研究開発の協力、製品開発への参加、情報交換、トレーニング、能力開発、原産国に対するABS制度構築の支援、地域経済への貢献、特許の共同所有などが含まれる。

 遺伝資源の財・サービスの特徴および情報の非対称性の分析の結果、利益配分の各対象項目は、ABS契約を円滑にする役割を有することが判明した。例えば、原産国に対するABS制度構築の支援が含まれる場合があるが、前者は原産国の遺伝資源に対する財産権の定義と執行力の確保に関連する。また、提供者と利用者間の情報の非対称性を緩和するために、地域社会への情報提供、教育、能力開発が大きな役割を果たす。さらに、ロイヤルティー配分は、リスク共有の手段や、原住民や地域社会が適切な遺伝資源を提供するためのインセンティブとなる効果があり、利用者にとって情報の非対称性に伴う問題を回避する手法ともなる。

 一方、13のABS事例の比較分析の結果、提供側の関係者別に受け取る利益には、一定の傾向があることが判明した。これは関係者のタイプによってABS契約で果たす役割が異なり、その役割に応じて利益項目が異なることによる。例えば、地域社会は、遺伝資源などを提供し、また遺伝資源の収集に協力するとともに、生物多様性の保全者であることから、アクセス料、ロイヤルティー配分、サンプリング労働の給料などの金銭的利益配分に加えて、地域の生物多様性の保全に関連するトレーニング、地域経済への協力などの配分を受ける。なお、現実的には、契約に参加する関係者側の発展レベルとその果たす役割および遺伝資源利用側の能力を考慮して、ケースバイケースで利益配分の具体的な中身は議論されていくことになる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、生物多様性条約の第3の目的である遺伝資源のアクセスと利益配分(ABS)の課題について、学融合的視点から制度面、経済面、事例分析を通じて研究し、国際協力促進に貢献する論文である。

 具体的には、国際・国内環境法制度に概観した後に、契約事例に即した事例研究を行っている。また、日本の製薬会社に着目し、過去約30年間の個別の新薬のデータおよび統計データ等を活用して、新薬のR&Dの投資支出の経年変化を把握した類例の無い研究成果である。さらに、新薬の販売収益の推計結果の組み合わせによって、最終的に遺伝資源の採取に伴い、途上国側に配分されるロイヤルティーを推計するとともに、金銭的利益配分の組み合わせの中で、途上国側の受取額を最大化する条件を理論的および実証的分析によって明らかにした。

 遺伝資源は農業、医薬品産業などにおいて利用されてきた。1992年に採択された生物多様性条約は、その目的に(i)生物多様性の保全、(ii)生物多様性の構成要素の持続可能な利用、を位置づけており、これを実現する手段の一つが第3の目的である「遺伝資源の利用から生じる利益の公正かつ衡平な配分」である。

 法制度的側面からの既存研究では、ABS課題の国際条約・国際機関での取り扱い、遺伝資源保有各国のABS国内法制度の比較などがある。また、ABS事例分析としては、個々の事例分析が中心であり、複数事例の比較研究は少ない。さらに、経済学的研究は、遺伝資源探索活動の自然環境の保全効果、生物多様性の有する医薬品産業の経済価値評価などがある。しかし、利益配分について、配分対象利益項目の選定、配分を決定づける要因、金銭的利益配分に着目している研究は皆無と言ってよい。

 林氏は、国際協定や各国の法制度、国際機関におけるABSの議論の歴史的発展の経緯および利益配分の位置づけを整理した。その後、利益配分項目の範囲の考え方について遺伝資源の財とサービスの特徴および情報の非対称性の側面から解釈を与えるとともに、ABS契約の関係者の役割と配分される利益との関係について13事例の比較分析を行った。次に、「金銭的利益配分のあり方」を明らかにするために、遺伝資源を利用する企業の支払う金銭的利益配分額(アクセス料、マイルストーン支払、ロイヤルティー配分)と、遺伝資源を提供する途上国の受けとる金銭的利益配分額との関係を分析するとともに、日本の新薬のR&D プロジェクトに関する事例分析を実施した。

 本研究の成果は以下のようにまとめられる。企業の支払う金銭的利益配分を一定とした場合に、途上国が受け取る金銭的利益配分額を最大化する条件を理論的な分析によって明らかにするとともに、また日本の新薬のR&Dプロジェクトを用いた事例研究によって、金銭的利益配分の望ましいあり方を研究した。定量的な分析が空白であった金銭的利益配分のあり方について経済学的手法を用いたはじめての研究である。この事例研究には、新薬の平均的R&Dプロジェクト像の把握が必要であるが、新薬の成功率が1万分の1と低く、期間が十数年と長期に及ぶことから平均R&D投資支出の推計は困難であり、この事実を踏まえ、林氏は、医薬品のR&Dプロセスの実態に即した新たな推計方法を考案し、既存研究では困難であった

 新薬1個当たりのR&D投資支出の経年変化の推計をはじめて可能とした。これは医療経済学の分野においても有益な研究成果である。この結果によって、途上国の金銭的利益配分額を最大化する変数は、企業の資本コスト、リスクフリーレート、途上国の割引率との関係、また、将来のリターンやR&Dプロジェクトの成功率に対する企業側と途上国側の見込みの認識の違いであることが指摘された。

 日本の製薬産業に着目し、新薬1個のR&D投資支出を推計した結果、新薬1個当たりのR&D投資支出は255億円-280億円(1995年承認)となった。また、1サンプル当たりのアクセス料と同程度から数倍程度の範囲となり、途上国の期待ほど高額ではない。

 利益配分の対象は、ケースバイケースで設定されると定められており、実際の事例でも様々なパターンが存在する。例えば、金銭的利益はアクセス料、マイルストーン支払、ロイヤルティー配分、信託基金、研究資金、合弁事業などであり、非金銭的利益は、科学研究開発の協力、製品開発への参加、情報交換、トレーニング、能力開発、原産国に対するABS制度構築の支援、地域経済への貢献、特許の共同所有などが含まれる。遺伝資源の財・サービスの特徴および情報の非対称性の分析の結果、利益配分の各対象項目は、ABS契約を円滑にする役割を有することが判明した。ABS事例の比較分析の結果、提供側の関係者別に受け取る利益には、一定の傾向があることが判明した。これは関係者のタイプによってABS契約で果たす役割が異なり、その役割に応じて利益項目が異なることによる。

UTokyo Repositoryリンク