学位論文要旨



No 120518
著者(漢字)
著者(英字) Sang-Arun,Janya
著者(カナ) サンアルン,ジャンヤ
標題(和) メコン川上流域における持続的傾斜地農業のための植生被覆に関する研究
標題(洋) Research on Vegetative Ground Cover for Sustainable Slope Agriculture in the Upper Mekong River Watershed
報告番号 120518
報告番号 甲20518
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(国際協力学)
学位記番号 博創域第138号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山路,永司
 東京大学 教授 國島,正彦
 東京大学 教授 大澤,眞理
 東京大学 教授 塩澤,昌
 東京大学 助教授 福田,健二
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、メコン川上流域山岳地における貧困農家に受け入れられる有効な土壌・水保全技術を扱ったものである。地表面植被(植生被覆)として自然植生の活用は、有効、安価かつ現地農家に受け入れられる土壌・水保全技術の一つであると期待されるが、この地表面植被の適用にあたっては、土壌学的な視点に立った土壌・水保全の効果とともに、貧困農家に受け入れられるか否かが重要となる。そのため本論文では、自然植生を活用した地表面植被による土壌・水保全とともに、保全技術に対する現地農家の受け入れの可能性について研究を進めた。実験的研究は東京で実施したが、現地農家の受け入れ度に関する調査的研究はタイ国チェンライで進めた。

 貧困農家に受け入れられる土壌・水保全技術には、安価、簡便性、有効性、経済性が重要となる。先ず、本研究において保全耕うんである自然植生下でのシャフト耕うんにおける土壌および肥料成分の流出制御効果について研究した。模型斜面実験を実施した結果、自然植生および残渣による植被下でのシャフト耕うんによって、表面流去水量、土壌および窒素・リン成分の流出量が大きく減少し、浸透水量が増大することが明らかとなった。また浅層ロータリー耕うん、深層ロータリー耕うん、裸地下シャフト耕うん、コントロールの無耕うんと比較したところ、自然植生および残渣による植被下でのシャフト耕うんからの肥料成分の損失は、自然植生による肥料吸収を加えても、最も低い結果となった。土壌流亡についても同様の傾向を示した。これは、ロータリー耕うんによって形成された粗間隙は維持されなかったが、自然植生の根茎によって形成された深層に鉛直に繋がる粗間隙が維持され、高い浸透性を継続できたためと判断できた。

 近年では、シャフト耕うんに電気ドリルが用いられているが、貧困農家の場合、竹棒をシャフト耕うんの道具として、また自然植生の刈込には長刃ナイフや鎌が使用できる。さらに現地農家は刈込後の残渣を植被や有機肥料として活用できる。

 北部タイで継続的に進められている傾斜地のテラス化は、有効な土壌・水保全対策である。実験地におけるテラスの効果は非常に高かったが、現地における農家のテラスでは有効に土壌・水保全機能を発揮しない事例も見られる。現地農家はテラスを裸地に保つ傾向があり、裸地条件下では降雨や表面流の影響を受け易いためである。その結果、ベンチテラスにおいてリルやガリの侵食痕が多数生じている。ベンチテラスは土壌侵食制御に効果的であるが、その効果はテラスの侵食の進行に伴い低下する。そこでベティバ(Vetiveria zizanioides)がテラスにおける侵食制御能を安定化させるために導入されているが、ほとんどのベティバは除草剤の影響で枯れてしまっている。裸地のモデルテラスにおける実験の結果、テラスの建設後、数ヶ月でテラス耕作面の法尻側に土壌の滞積を生じて、土壌・水保全効果は大きく減少した。これは、テラス化直後のテラス耕作面は地盤の傾斜と逆方向を維持していたが、土壌の堆積によって地盤傾斜と同方向となり、土壌流亡が促進されたためと考えられる。この問題を解決するために、ベンチテラスにおいて農家が作付けていない箇所に残された自然の植生を活用することを本研究で提案した。しかし、植生の根まで抜き取られた裸地のベンチテラスにおいて、この技術を適用することは容易ではない。自然植生の緩衝帯としての効果は地表面の植被百分率に伴い増大し、特に残渣が地表面に残された場合に顕著にその効果を発揮する。また現地農家は自然植生の緩衝帯においてもシャフト耕うんを施すことができ、そこで野菜、陸稲、薬草、その他を栽培することもできる。

 タイ国チェンライ県メイファールアン地区のパン・パララチャタン村の現地農家に地表面植被の技術移転を行う前に、現地調査およびアンケート調査を実施して、土壌・水保全対策の現状について調査した。その結果、土地開発局チェンライ支局が継続的にベンチテラスとベティバ緩衝帯を奨励していることが明らかとなった。また現地調査の結果からは、ベティバが農地からの土壌および肥料成分を捕捉しているとともに、乾期の作物生育に必要な土壌水分の保水に大きく貢献していることがわかった。しかしベティバの繁殖速度は低く、侵食制御に効果を発揮するまでに数ヶ月を要する。またベティバの葉を利用した副産物の生産は、葉の収量が少ないため、この村では奨励されていなかった。

 傾斜地のベンチテラス化は多額の経費がかかる上、適切な維持管理がなされないと、ベンチテラスが土壌保全効果を維持することは難しい。パン・パララチャタン村の現地農家は、茶や果樹の耕作のために裸地のベンチテラスを建設しているが、そこではリルやガリが多数発生している。しかし一方、テラス化されていない従来の傾斜地では侵食痕は少なかった。またリル侵食が発達したベンチテラスを、その低い生産力のために放棄する事例も見られた。自然植生の緩衝帯を有するベンチテラスでは、その自然植生帯が意図されたものでないにしても、リルとガリ侵食が軽減されていた。現地農家は耕作面全てを植被で覆うことには賛同できない様子であるが、法面を自然植生の緩衝帯として活用することは受け入れている。

 ベンチテラス化のプロジェクトを推進しているパン・パララチャタン村とプロジェクトを実施していないタスドにおいて2001年に村人を対象にアンケート調査を実施した。その調査の目的は、パン・パララチャタン村の農家が推奨された土壌・水保全技術を受け入れた背景、また現地農家の土壌・水保全に対する展望および理解度の明確化であった。調査の結果、チェンライ県プロジェクト地における土壌・水保全技術を受け入れ度は高い傾向を示したが、不適切な維持管理と知識不足により、適用した保全対策の効果を発揮できていなかった。さらに、ほんの数人の現地農家が推奨されたベティバ緩衝帯やベンチテラスなどの土壌・水保全技術に関心を持つに過ぎなかった。多くの現地農家は無・減農薬・化学肥料と有機肥料に関心を持っていた。

 また予測されたように、現地農家は営農による圃場外の影響よりも、はるかに圃場内の影響が大きいことを理解していた。パン・パララチャタン村の現地農家のほとんどが、営農による圃場外の影響は生じていないと信じていた。また多くの農家は営農が圃場内および圃場外にどのような影響を及ぼしているのかについては回答できなかった。さらにパン・パララチャタン村の現地農家のほとんどが、外部からの支援に依存しており、この状況が「自立」の程度を引き下げていた。つまりパン・パララチャタン村における土壌・水保全技術の高い受け入れ度は、報酬等の動機付けに依っていることが明らかとなった。そのため、動機付けがなくなった後は、受け入れた土壌・水保全技術が維持されるのかどうか難しいと判断できた。

 この調査を通して、土壌・水保全対策を施す前に、適用技術の適合性や受け入れ度を調査する必要があると判断できた。その際のエクステンション・プログラムは参加型で実施し、環境問題と土壌保全の重要性を伝える啓蒙内容を含むと効果的である。また直接的な動機付けは徐々にでも縮小しつつ、プロジェクトの実行、適切な技術の選定、モデルファームでの試行、モニタリングと評価、既存の技術の改良等、現地農家の参加を促しながら継続的に実施するべきであると考察した。一方、長期間を見通した動機付けとして、特に傾斜地においては、政府は環境に調和した営農体系に向けた法律制定を行い、有機農産物や環境に調和した生産物の市場開発などを進めると効果的である。複雑な要因と生じている影響から、既に劣化した土地の修復対策は、タイ国の政府機関が協力して社会的発展とともに教育、農業、商業の発展を図りながら進めるべきであろう。

 この研究ではパン・パララチャタン村の現地農家を対象に地表面の植被技術の移転を目指して、参加学習型のワークショップを開催し、アンケート調査を二回実施した。最初のアンケート調査は、現地農家の土壌・水保全に対する理解度と受け入れ度を評価するために、参加学習型ワークショップの直後に実施した。二回目のアンケート調査は、現地農家の地表面植被技術の受け入れ度を評価することを目的として、参加学習型ワークショップの1年後に実施した。地表面の植被技術の移転に当たっては、報酬等による動機付けは一切行っていない。一回目のアンケート調査の結果、現地農家は移転技術の効果が明確でないうちは受け入れに対して非常に消極的であった。そして、モデル圃場を設ける等をして継続的に働きかけないと、パン・パララチャタン村において如何なる土壌・水保全技術を受け入れさせることは難しいと判断した。幾人かの現地農家はその効果を理解した後も土壌・水保全技術を受け入れることを拒んでいた。しかし、二回目のアンケート調査の結果、23.1%の現地農家が地表面の植被を実施していることが明らかとなった。つまり自然植生による地表面植被の受け入れ度は、これまで様々な報酬等の動機付けを行いながら推奨してきたベンチテラスやベティバ緩衝帯よりも、高い割合で受け入れられたという結果となった。今後、土壌・水保全技術に対する現地農家の理解を深めるため、参加学習型ワークショップを継続することで、さらに高い地表面植被の受け入れ度を期待できると判断できた。

 シャフト耕うんは傾斜地の植被下においても、稲やキャベツ等の耕作に適している。多くの現地農家は、植被に用いられる自然植生と作物との間に肥料成分の競合が生じることを心配していた。しかし模型斜面実験の結果、土壌侵食が発生すると、自然植生の吸収量をはるかに越える多量の肥料成分が損失することが明らかとなっている。この模型斜面実験の結果を参加学習型ワークショップでさらに現地農家に伝えていくとともに、森林との共生を目指したアグロフォレストリーを適用して、農家の不安を低減させることも効果的であると判断できる。今後、メコン川上流域において土壌・水保全の受け入れ度を高めるためには、住民参加、環境と調和した市場の開発、適切な法律制定が望まれるところである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、メコン川上流域の山岳傾斜地において、農民に受け入れられる有効で安価な土壌保全技術を提示することを目的としている。その方法としての植生被覆には、自然植生を用いており、この適用にあたっては、農地保全学的な視点からみた科学的な効果解明が必要であることに加えて、現地の農家に受け入れられるか否かが重要な位置を占めている。本研究では、実験的研究を日本で行い、農家の受入度に関する調査は、タイ国チェンライにて行っている。第1章では、以上の通り研究の背景や目的を述べている。

 第2章では、自然植生下でのシャフト耕うんにおける土壌および肥料成分の流出制御効果について研究している。模型斜面実験では、自然植生および残渣による植被下でのシャフト耕うんによって浸透水量が増大し、表面流去水量、土壌および窒素・リン成分の流出量が大きく減少することを明らかにしている。

 近年では、シャフト耕うんに電気ドリルが用いられているが、貧困農家の場合、竹棒をシャフト耕うんの道具として代用でき、さらに刈込後の残渣を植被や有機肥料として活用できることを示し、本方法の有効性を述べている。

 第3章では、斜面に設置した試験枠を用いて実験・観測を行っている。日本での観測と過去にタイで行われた観測とを比較するために、USLE式を用い、各要素ごとに検討している。その結果、ベンチテラスのみの場合と、ベンチテラス+植被帯で、CPファクターに大差がない結果となった。そこで、各期間ごとにCPファクターを分けて計算したところ、建造初期、傷んだ時期、修復後で、明確に別れたことを明らかにしている。

 北部タイでの傾斜地のテラス化においては、ベティバ(Vetiveria zizanioides)が導入されているが、多くのベティバは除草剤の影響で枯れ、裸地化して侵食を受けている。裸地のモデルテラスにおける実験でも、テラスの建設後数ヶ月で土壌保全効果は大きく減少しており、上記の実験結果と併せて、ベンチテラスの施工だけではなく、その維持管理も重要であることを、指摘している。

 第4章では、タイ国チェンライ県の現地農家に地表面植被の技術移転を行う前段階で、土壌・水保全対策の現状について調査している。その結果、ベティバが農地からの土壌および肥料成分を捕捉しているとともに、乾期の作物生育に必要な土壌水分の保持に大きく貢献していることを明らかにしている。しかしベティバの生長速度は低く、侵食制御に効果を発揮するまでに数ヶ月を要することも付記している。

 第5章では、ベンチテラス化のプロジェクトを推進しているパン・パララチャタン村とプロジェクトを実施していないタスド地区において2001年に村人を対象にアンケート調査を実施した結果を述べている。土壌・水保全技術の受け入れ度は高い傾向を示したが、不適切な維持管理と知識不足により、適用した保全対策の効果を発揮できていない例も多かった。さらに、数人の現地農家だけが推奨されたベティバやベンチテラスなどの土壌・水保全技術に関心を持つに過ぎなかったこと、多くの現地農家は無・減農薬、化学肥料・有機肥料に関心を持っていたことを、明らかにしている。

 第6章では、パン・パララチャタン村の農家を対象に、植被技術の移転を目指して参加学習型ワークショップを開催し、アンケート調査を二回実施している。一回目は、現地農家の理解度と受け入れ度を評価するためにワークショップの直後に、二回目は現地農家の植被技術の受け入れ度を評価するために1年後に、それぞれ実施している。

 一回目のアンケート調査時点では、受け入れに対して消極的な結果を示したが、二回目のアンケート調査の結果、23%の現地農家が地表面の植被を実施していることが明らかとなった。つまり自然植生による地表面植被の受け入れ度は、これまで様々な報酬等の動機付けを行いながら推奨してきたベンチテラスやベティバよりも、高い割合で受け入れられたという結果となり、参加学習型ワークショップの効果が大きいと論じている。

 第7章では、実験結果と調査結果とを合わせて考察している。現地農家に対しては、適用技術の適合性や受け入れ度を調査する必要があること、エクステンション・プログラムは参加型で実施し、環境問題と土壌保全の重要性を伝える啓蒙内容を含むこと、モデルファームでの試行、モニタリングと評価、既存の技術の改良等を、現地農家の参加を促しながら継続的に実施すべきこと、を提示している。一方、政府に対しては、環境に調和した営農体系に向けた法律制定を行い、有機農産物や環境に調和した生産物の市場開発などを進めることを提示している。

 以上より、本論文は傾斜農地の維持管理にあたり、適切な導入技術の提示と農民側の受入可能性、その向上策を示したものであり、その学術的価値は極めて高い。また本方法は多くの途上国の農地保全に適用できると考えられる。したがって、博士(国際協力学)の学位を授与できると認める。

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