学位論文要旨



No 120536
著者(漢字) 川原,圭博
著者(英字)
著者(カナ) カワハラ,ヨシヒロ
標題(和) コンテキスト適応型ネットワークサービスとその構成に関する研究
標題(洋)
報告番号 120536
報告番号 甲20536
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 博情第49号
研究科 情報理工学系研究科
専攻 電子情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坂井,修一
 東京大学 教授 青山,友紀
 東京大学 教授 相田,仁
 東京大学 助教授 瀬崎,薫
 東京大学 助教授 江崎,浩
 東京大学 助教授 森川,博之
内容要旨 要旨を表示する

 インターネットやWWW,そして数々の無線通信技術の進歩はめざましく,文字通りいつでも,どこでも,誰でも各種の情報にアクセス可能な時代が実現しつつある.日本国内の電子商取引の市場規模は年平均50〜60%程度の成長率を維持し,2003年度には80兆円を超えた.現在,コンピュータネットワークを核としたサービスは着実に拡大し,現実のビジネスそして,人々の生活のありかたをも変えようとしている.

 インターネット,そしてコンピュータネットワーク上で展開されるサービスがこれだけ普及した理由のひとつに,アーキテクチャのシンプルさがあげられる.特定のアプリケーションに狙いを定めるのではなくいわば汎用的にIP層を定義し,デバイスの差異やアプリケーションの差異はその上下のレイヤーで再定義することができたが故に,情報流通基盤の共通化が可能になった.そしてこれが情報通信にかかるコストの大幅な削減につながり,インターネットの爆発的な普及につながった.しかしながら,昨今,ネットワークサービスとユーザが多様化するにつれ,そのシンプルさと低コスト性が仇となり,さまざまな影の部分が顕在化し始めた.たとえばWWWサイト上には情報があふれ,本当に必要な情報を取り出すためにユーザはサーチエンジンを巧みに使いこなす必要がある.また,E-Mailでは,受信者の意図とは無関係に送信されるスパムメールなどの処理に時間を割くことを余儀なくされている.サービス提供者側にとっても,情報を公開しても届けたい人に有効に届けることができないなどの問題を抱えている.つまりネットワークサービスの多様化,そして利用者の多様化により,ネットワークサービス側は利用者に無関心ではいられなくなっている.

 本論文では,こうした問題意識のもと,ネットワークサービス自体にその利用者の置かれている状況や潜在的に求めているもの(コンテキスト)を取り込むことにより,ネットワークサービスと利用者の有機的な連携を促す次世代のコンテキスト適応型ネットワークサービスの構成を明らかにすることを目的とする.以前より,コンテキストアウェアコンピューティングと呼ばれるコンセプトとして,人や環境,そしてコンピュータの状況を特徴付ける情報に基づいて情報や利用デバイスの選択を行う研究が存在している.しかしながらこうしたコンセプトはいまだに可能性を模索する段階にあり,この新しいコンセプトにより何が可能になるのか,そしてそれを現実のものとするためには何が必要なのかに関する明快な合意はない.本論文では,現在,そして近い将来のネットワークサービスが孕む種々の問題点に対し,コンテキスト適応という概念を取り入れることでこれを克服できることを示す.

 このようなコンテキスト適応型ネットワークサービスを実現するためには,現在のインターネットが提供する枠組みだけでは不十分であり,実世界環境からの情報をセンシングして仮想世界に取り込む機能やアクチュエータなどの実世界のオブジェクトを仮想世界から制御する機能も新たに必要となる.これに向けては,実世界のオブジェクトがハードウェア的な性質を持つということから,これまでのようにソフトウェアのみのアプローチでは不十分であり,ハードウェアとソフトウェア双方をバランスよくデザインし,相対多岐なシステムとしての有用性を検証して行かなければならない.本研究では,コンセプト実現に必要な技術をアプリケーションからデバイスまで網羅的にカバーし,実装によりその有用性を示しつつアーキテクチャをデザインすることに特徴を有する.

 本論文第2章では,ネットワーク型仮想環境を構築する際にアプリケーション中でのユーザ同士の関係性をコンテキストとして考慮することにより,システムをスケーラブルに構成する方式に関する検討を行った.昨今,オンラインゲームなどにおいて,一つの仮想空間を複数のユーザで共有するネットワーク型仮想環境をスケーラブルに構成するための技術への要請が高まっている.こうしたアプリケーションは,各ユーザのアバタに関する位置や状態に関する更新情報を絶え間なくほかのユーザと交換することにより成立するため,サーバ・クライアント型を拡張した従来手法においてはユーザ数の増加に伴い更新情報の配送遅延が大きくなりシステムが破綻するという問題があった.本研究では,仮想空間中でのユーザの位置などを基準にしてオーバーレイネットワークを構築し,そのオーバーレイネットワーク上でネットワーク型仮想環境を構築するために必要な情報をやりとりする方式を検討した.この方式は,負荷の集中する原因となるサーバを用いることなく更新情報を交換することでユーザ同士の情報交換遅延を最小化でき,さらに参加ユーザの数によらずスケーラブルなネットワークを構築することができることがシミュレーションにより裏付けられた.また,同方式を3DチャットアプリケーションSCAMPIとして実装することにより,実際のインターネット上でも動作することも示された.

本論文第3章においては,ユビキタスコンピューティング時代に向けた,利用者のコンテキストを踏まえた情報配信スキームに関して検討した.元来,インターネット上での電子商取引はネットワークサービスとしてのキラーアプリケーションの一つである.ものを売り買いするということに注目した場合,売りたいものの情報を買いたい人に対して発信することが売買のきっかけとなるが,お互いの顔が見えづらいWWW等を用いた電子商取引ではこの単純な行為にも困難を伴う.90年代後半にはユーザをプロファイル化しその人の属性にあわせたマーケティングを行うOne-to-Oneマーケティングと呼ばれる手法が着目されるようになったが,本研究では,これをさらに一歩進め,小型センサを用いてユーザのおかれている物理状況(コンテキスト)を推定し,生活の中のそれぞれのシチュエーションに対して適切な情報配信を検討した.コンテキストの推定に関しては,将来的に携帯電話に装着することが可能であると考えられる小型センサ(温度,明るさ,加速度,湿度)を用いた.センサから取得したデータに対してノイズ除去,特徴抽出を行うことにより,ユーザを取り囲む状況の認識とユーザの運動状況の推定が可能であることが明らかになった.ユーザの状況認識に関しては,屋内屋外判定に限れば90%以上,ユーザの運動認識については,歩く,走る,止まる,座るが90%以上の確率で推定可能であることが明らかになった.推定されたユーザのコンテキストに基づいた情報配信のアプリケーションとして,東京 神保町エリアのタウンガイドアプリケーションCoCoを実装し,実用性に関する評価を行った.

本論文第4章では,家電や家具などあらゆるオブジェクトがネットワークに接続されるユビキタスネットワーク環境を想定し,ユーザの日常生活における習慣を確率的にモデル化することで,サービスを自動的に生成する方式の検討を行った.パソコンやプリンターなどのコンピュータ用品はオフィスや家庭内においてもネットワーク接続されることが多くなってきた.現在,家庭内などにおいて各部屋をネットワーク対応型の家電製品で接続し,好きな部屋から音楽や映画を楽しんだり,部屋の温度管理やセキュリティ管理を自動化したりするホームネットワークに関する検討が進んでいる.ところが,現在のホームネットワークは技術的には確立していてもそれを何に活用すればよいのかという用途がまだ曖昧なままの状態にある.各部屋からテレビを見たり,ビデオ録画の予約ができたりするだけではせっかくのホームネットワークを十分に活用しているとは言い難く,かといって一般的なユーザが複雑な機器同士の連携をシステム内に記述できるかといわれれば疑問が残る.そこで,本研究では,ユーザの普段の習慣となっている機器操作を学習することで,次回からは一連の動作を自動的に行うミドルウェアを検討した.この実現のために,まず,システムは環境内でユーザが起動したサービスをネットワークに記録する.このとき,センサネットワークを用いて家庭の部屋の状況やそれぞれのユーザの状況などのコンテキストを同時に記録し,これを学習データセットとする.環境状態を隠れマルコフモデルを用いて表現し,起動されたサービスとその前後の部屋の内部のコンテキストを確率的にモデル化する.こうしたモデルを用いることで,現在の部屋の環境状態から次に呼び出される確率の高いサービスをいくつか提示することができる.このアルゴリズムを実装したアプリケーションをSynapseと名付け,サービスを自動的に構成するために必要な学習や推薦が実用的な時間内に完了することを実験評価により示した.また,実際にネットワークから操作可能な照明や家電製品の制御システムを構築し,様々なアプリケーションが実際に構築可能であることを示した.

 本研究は,現在のネットワークが抱える問題点をすべて一度に解決しうるものではない.しかしながら,コンテキストというコンセプトをネットワークサービスと利用者の間の媒介者として機能させることで,現在の問題,そして,来るべきユビキタスネットワーク社会におけるネットワークサービスを実現に大きく寄与できるものと期待している.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「コンテキスト適応型ネットワークサービスとその構成に関する研究」と題し,全5章からなる.従来のインターネット上でのネットワークサービスは,ユビキタスネットワークというパラダイムシフトに直面し,その構成の転換期を迎えている.こうした問題意識のもと,本論文では,利用ユーザを取り巻くコンテキスト情報をサービス構成に有機的に取り込み,近い将来のネットワークサービスが孕む種々の問題を解決したり,これまでにない新たなアプリケーションを創出したりするために必要な要素技術の構成法を論じている.

第1章は序論であり,インターネット上で展開されるネットワークサービスの普及,顕在化し始めた数々の問題点とコンテキスト適応ネットワークの概念などについて簡単に触れ,本研究の背景と各章の目的について述べている.

第2章「利用者の興味を利用したNet-VEのための分散通信プロトコル」では,ネットワーク型仮想環境(Net-VE)を構築する際にアプリケーション中でのユーザ同士の関係性をコンテキストとして考慮することにより,システムをスケーラブルに構成する方式を示している.頻繁に通信メッセージの交換が行われるNet-VEでは,サーバ・クライアント型を拡張した従来手法では,ユーザ数の増加に対してスケーラブルではないという問題があった.本章で提案した手法では,この問題を根本的に解決するために,仮想空間中でのユーザの位置や関係性といったコンテキストを基準にしてオーバーレイネットワークを構築し,そのオーバーレイネットワーク上で必要な情報をやりとりする方式を提案している.この方式は,負荷の集中する原因となるサーバを用いることなく更新情報を交換することでユーザ同士の情報交換遅延を最小化でき,さらに参加ユーザの数によらずスケーラブルなネットワークを構築することができることがシミュレーションにより裏付けられている.また,同方式を3DチャットアプリケーションSCAMPIとして実装することにより,実際のインターネット上でも動作することも示されている.

第3章「利用者のコンテキストを踏まえた情報配信」では,ユビキタスコンピューティング時代に向けた,利用者のコンテキストを踏まえた情報配信スキームに関して検討している.具体的には,携帯電話に装着することが可能であると考えられる小型センサ(温度,明るさ,加速度,湿度)を用いてユーザのおかれている物理状況(コンテキスト)を推定し,生活の中のそれぞれのシチュエーションに対して適切な情報配信を行うサービス構成法について示している.実験結果より,ユーザの状況認識に関しては,屋内屋外判定に限れば90%以上,ユーザの運動認識については,歩く,走る,止まる,座るが90%以上の確率で推定可能であると述べている.推定されたユーザのコンテキストに基づいた情報配信のアプリケーションとして,東京 神保町エリアのタウンガイドアプリケーションCoCo,効果的なスポーツコーチングを行うE-Coachingを実装し,実用性に関する評価を行っている.

第4章「コンテキスト適応型自動サービス構成」では,家電や家具などあらゆるオブジェクトがネットワークに接続されるユビキタスネットワーク環境を想定し,ユーザの日常生活における習慣を確率的にモデル化することで,サービスを自動的に生成する方式が示されている.現在,家庭内などにおいて各部屋をネットワーク対応型の家電製品で接続し,好きな部屋から音楽や映画を楽しんだり,部屋の温度管理やセキュリティ管理を自動化したりするホームネットワークに関する検討が進んでいるが,現在のホームネットワークは技術的には確立していてもそれを何に活用すればよいのかという用途がまだ曖昧なままの状態にある.そこで,ユーザの普段の習慣となっている機器操作を学習することで,次回からは一連の動作を自動的に行うネットワークサービスの構成法を示している.このシステムは,環境内でユーザが起動したサービスをネットワークに記録する.このとき,センサネットワークを用いて家庭の部屋の状況やそれぞれのユーザの状況などのコンテキストを同時に記録し,これを学習データセットとする.環境状態を隠れマルコフモデルを用いて表現し,起動されたサービスとその前後の部屋の内部のコンテキストを確率的にモデル化する.こうしたモデルを用いることで,現在の部屋の環境状態から次に呼び出される確率の高いサービスをいくつか提示することができる.このアルゴリズムを実装したアプリケーションをSynapseと名付け,サービスを自動的に構成するために必要な学習や推薦が実用的な時間内に完了することを実験評価により示している.また,実際にネットワークから操作可能な照明や家電製品の制御システムを構築し,様々なアプリケーションが実際に構築可能であることが示されている.

第5章は「結論」であり,本論文の成果をまとめるとともに,コンテキスト適応型ネットワークサービスを構成するための残された課題,および今後の研究の方向性について述べている.

以上,これを要するに,本論文は,来るべきユビキタスネットワーク社会において,コンテキスト適応型ネットワークサービスを構成するために必要な,オーバーレイネットワーク構築手法,モバイルセンサを用いたコンテキスト推定手法,サービスとイベントを確率的に関係づける統計手法を提案し,実装評価によりそれらの効果を実証的に示している.本論文で示している手法は,人間中心のコンテキスト適応型ネットワークサービスを構成するために不可欠であり,電子情報工学上寄与するところ少なくない.

よって本論文は博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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