学位論文要旨



No 120551
著者(漢字) 加茂,昌之
著者(英字)
著者(カナ) カモ,マサユキ
標題(和) X 線結晶構造解析による金属プロテアーゼの活性発現ならびに熱安定性獲得メカニズムの解明
標題(洋)
報告番号 120551
報告番号 甲20551
学位授与日 2005.04.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2917号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 清水,誠
 京都大学 教授 井上,國世
 東京大学 助教授 宮脇,長人
内容要旨 要旨を表示する

序論

プロテアーゼは生体内で、発生や細胞内情報伝達、分化、物質の分解や合成などの多くの生理現象に関わっている重要なタンパク質群である。プロテアーゼは触媒残基により幾つかのグループに分けられている。そのなかで金属プロテアーゼは活性部位に金属原子を結合し、触媒反応を行う一群のプロテアーゼである。金属プロテアーゼには、生理的に重要な酵素も数多く含まれている。例えば、ガンの浸潤と転移に重要な役割を果たす MMP ファミリー (Matrix metallo protease) があげられる。金属プロテアーゼファミリーの中で、金属結合配列モチーフとして HEXXH (X は任意のアミノ酸残基) を有する一群のプロテアーゼは Zincin ファミリーと呼ばれる。このモチーフ配列の 2 残基の Hisは金属結合残基であり、第三番目の金属結合残基の種類によって、いくつかのサブファミリーに分けられている。本論文では ともに微生物由来の金属プロテアーゼであり3 番目の金属結合残基が Glu である Gluzincin ファミリーの代表的な酵素であるサーモライシン (thermolysin) と3 番目の金属結合残基が Cys であり、独自のサブファミリーを形成しているペプチドデホルミラーゼ (peptide deformylase) について耐熱性獲得のメカニズムと中性塩による高活性化のメカニズムの解明を目指して X 線結晶構造解析を行った。

Thermus thermophilus HB8 株由来 ペプチドデホルミラーゼ (TthPDF) の結晶構造解析

原核生物及び、真核生物の細胞内小器官におけるタンパク質合成は、真核生物の細胞質におけるタンパク質合成とは異なり、開始メチオニンのホルミル化、脱ホルミル化を含むメチオニンサイクルを経て進行する。peptide deformylase (PDF) はリボゾームで新たに合成されたタンパク質のホルミルメチオニンのホルミル基を取り除く反応を触媒しており、原核生物にとっては生育に必須の酵素である。リボゾームで合成されたタンパク質は、その後様々なプロセッシングを受ける。メチオニルアミノペプチダーゼによるメチオニンの除去もプロセッシングのひとつである。しかしながら、メチオニンアミノペプチダーゼをはじめとするアミノペプチダーゼはホルミル基が付加したメチオニンを基質とすることはできない。したがって、PDF が欠損すると、ホルミル基の除去が行われず、その後のプロセッシングも正常に進行しないため、細胞は死に至る。ゲノム解析ならびに立体構造解析により、PDF ファミリーには二つのグループが分けられることが明らかとなった。一つめのグループは、大腸菌に代表されるグラム陰性菌に由来する PDF (Type I PDF)であり、もう一つのグループは枯草菌に代表されるグラム陽性菌に由来する PDF (Type II PDF)である。現在までゲノム解析が行われた真正細菌にはすべて、PDF 遺伝子が含まれている。このため、生育環境の違いとタンパク質の立体構造の特徴を比較、解析するには好適な研究対象である。超好熱古細菌には PDF 遺伝子が存在しないため、TthPDF は最も高温で生育する生物種由来の PDF の一つであり、その耐熱性の発現メカニズムを解明することは、今後の新規耐熱性タンパク質の分子設計に大きく貢献することが出来ると期待される。

<結果と考察>

大腸菌で発現し、60 ℃, 10 分間の熱処理後、3 段階のカラムクロマトグラフィーで精製した TthPDF を用い、結晶化のスクリーニングを行った。タンパク質濃度 20 mg/ml, 結晶化条件は20 % PEG 4,000, 0.2 M sodium acetate, 0.1 M Tris-HCl, pH 8.0 で、15 ℃、1週間インキュベートすることにより、良質の結晶を得ることが出来た。放射光施設 SPring-8 BL41XU にて回折実験を行い、1.81 〓 分解能の回折データを得ることが出来た。空間群は P43 であり、非対称単位中に 2 分子の TthPDF が含まれていた。約 40 % のアミノ酸同一性を有する Thermotoga maritima 由来 PDF (TmaPDF) の原子座標を用い、分子置換法で位相角を決定した。全体の構造はα/β 構造であり、大腸菌由来 PDF (EcoPDF) や Pseudomonas aeruginosa 由来 PDF (PaePDF) と共通の特徴を有していたが、C 末端のへリックスの構造が異なっていた。EcoPDF, PaePDFでは C 末端のへリックスは直鎖であるが、TthPDF のへリックスは屈曲していた。また、モデルとして用いた TmaPDF は C 末端部位のヘリックスは揺らぎが大きく構造を決定できていない。酵素活性の温度依存性を測定すると EcoPDF は 60 ℃以上で顕著な熱失活を示したが、TthPDF は 80 ℃でも、ほぼ 100 % の活性を保持していた。TthPDF の立体構造を他の常温菌由来 PDF と比較すると、溶媒露出表面積、水素結合の数には大きな変化は認められなかったが、イオン結合の数は大きく異なっており、TthPDF はアミノ酸残基あたりEcoPDF のほぼ 2 倍のイオン結合を有していた。NMR 測定によりEcoPDF のC 末端へリックスは溶液中では揺らいでおり立体構造を形成していないこと、ならびに、このC 末端へリックスを欠失させた変異体のほうが、より高い耐熱性を有していることが報告されている。また、トリプシン消化実験において、EcoPDF とTthPDF は顕著な違いを示す。EcoPDF は容易に C 末端へリックス部位で切断されるが TthPDF は切断に強い抵抗性を示す。 TthPDF の C 末端へリックスはコアドメインとの間でイオン結合ネットワークを形成しており、このイオン結合ネットワークにより TthPDF の C 末端ヘリックスが安定化され、分子全体の耐熱性の獲得に貢献していると考えられる。

NaCl により誘起されるサーモライシンの活性化機構の解明

サーモライシンは、Bacillus thermoproteolyticus が産生する金属プロテアーゼであり、酵素活性には1分子の亜鉛イオンを、構造の安定化のためには 4 分子のカルシウムイオンを必要とする。サーモライシンの生化学的性質ならびに酵素学的性質は詳しく調べられており、アミノ酸配列、X 線結晶構造解析による立体構造、また、反応機構についても考察が行われている。井上らの研究によりサーモライシンの活性は NaCl などの中性塩の添加により、指数関数的に増大すること、活性化には塩の選択性があり、最も顕著に活性化をおこす中性塩はNaClであること、活性化は主に陽イオンによって引き起こされており、その活性化の順序は Na+>K+>Li+ であること、この活性化は分子活性 kcat の増加のみに依存し、ミカエリス定数Km は変化しないこと、中性塩の添加は活性化のみならず、溶解度の変化も引き起こし、NaCl の添加による溶解度曲線は2 -2.5 M を頂点としたベル型の曲線を描くこと。NaCl, NaBr の添加により、Trp 残基ならびに Tyr 残基に由来するスペクトル変化が観察され、これらの残基を含む構造変化が生じていること等が明らかとなっている。溶液中でのイオンの物理化学的性質は Hofmeister 系列 (Li+>Na+>K+) に従うことが知られているが、サーモライシンの活性化はこの系列に従わない。この結果は、サーモライシンの活性化がイオン自身の性質に依存するのでは無く、特定のイオンとサーモライシンの分子表面残基との間の相互作用に起因することを示唆している。これらの結果を踏まえて、申請者は NaCl 非存在下、NaCl 存在下の立体構造を X 線結晶構造解析により明らかにし、その立体構造を詳細に比較することにより、NaCl に誘起される活性化機構のメカニズムを理解することを試みた。

<結果と考察>

既報に従い、サーモライシンの結晶を作成し 4 M NaCl 溶液に結晶をさらしたが、溶解度ならびに浸透圧の変化等により、結晶が崩壊してしまいデータの収集には至らなかった。そこで、サーモライシン結晶を含むハンギングドロップ(0 M NaCl) 約 20μl で 4.8 M NaCl 溶液 100μl を希釈して約 4 M とし、20 ℃で 2 日間インキュベートした後、放射光施設SPring- 8 でデータを収集した。NaCl 非存在下の構造では、活性部位に活性を担う亜鉛イオンのほかにもう一分子亜鉛イオンが存在し His231 に配位していた。また、Tyr157 の側鎖のコンホメーションが 2 種類観察された。一方のコンホメーションでは Tyr157 はAsp150 と水素結合しており、基質ならびに阻害剤の活性部位への接近を阻害しており、不活性型のコンホメーションであると考えられる。しかしながら、他方のコンホメーションでは Tyr157 の側鎖は活性部位へ配向し、活性部位への立体障害は解消され、活性型のコンホメーションであると考えられる。この Tyr157 の構造変化に伴い亜鉛イオンの配位残基である Glu166 のコンホメーションも変化していた。NaCl の添加により 2 番目の亜鉛イオンは解離してTyr157 のコンホメーションは活性型に固定され Glu166 と水素結合を形成した。Tyr のコンホメーションが活性型に固定されることにより、基質とかさ高い Tyr の側鎖との疎水性相互作用によって遷移状態が安定化され、kcat が上昇することにより、酵素活性が増大していると考えられる。

TthPDF : C 末端のヘリックスが屈曲している。

EcoPDF : C 末端のヘリックスは直鎖。

TthPDF の C 末端ヘリックスはイオンペアネットワークにより安定化されている。

Kamo, M. et al. Crystallization and preliminary X-ray crystallographic analysis of peptide deformylase from Thermus thermophilus HB8. Acta Cryst. (2004). D60, 1299-1300
審査要旨 要旨を表示する

本論文は、第一章序論、第二章Thermus thermophilus HB8 株由来 peptide deformylaseの結晶構造解析、第三章NaClによって誘起されるthermolysinの活性化機構の解明、第四章総合考察よりなり、二つの金属プロテアーゼを材料としてX線結晶構造解析により、耐熱性獲得メカニズムと活性発現機構を分子レベルで解明している。

第一章の序論では、プロテアーゼの分類や生理的重要性について記述し、アミノ酸配列上の特徴からの金属プロテアーゼファミリーの分類ならびに活性発現機構について詳細に述べている。

第二章ではThermus thermophils HB8株由来peptide deformylaseについて、耐熱性を付与する立体構造上の特徴を解析している。筆者はまず、大腸菌での大量発現系を構築し電気泳動上均一になるまで精製を行っている。次に高分解能で結晶構造を決定し、耐熱性を有しない構造既知の大腸菌由来酵素との構造比較を行い、 C末端のへリックス部分の構造が異なっていることを明らかにしている。大腸菌由来酵素においては、この部分は溶液中で二次構造を形成していないことがすでに示されていることを述べ、両者の詳細な構造比較を行っている。Thermus thermophilus由来酵素においては、アミノ酸組成の特徴、溶媒露出表面積、水素結合の数は大腸菌由来酵素に代表される常温菌由来酵素と比べて顕著な変化は認められなかったが、 Thermus由来酵素に代表される好熱菌由来酵素においてはイオン結合の数が顕著に増加していること、大腸菌由来酵素には認められない幾つかの因子によりC末端へリックスが安定化されていることを述べ、また、両者の酵素活性の温度依存性、示差走査熱量計による解析結果から両酵素は耐熱性ならびに、熱変性プロファイルが大きく異なることを示した。以上の結果に基づいて、耐熱性を付与する立体構造上の因子について明確に示している。

第三章ではNaClにより顕著に活性化されるthermolysinについて、その構造変化をX線結晶構造解析により明らかにしている。thermolysin結晶はNaClの濃度変化による溶解度の変化や浸透圧の変化に敏感であり、thermolysin結晶をそのまま、高濃度のNaCl溶液にさらすと結晶が崩壊してしまい、回折データの収集に至らなかったが、筆者はここで、独創的な方法を開発し高濃度のNaClをthermolysin結晶中に安定に導入することに成功したことを述べている。筆者はその方法を用いることにより、4M NaCl存在下の結晶構造を決定した。構造解析の結果、NaClの添加により、NaCl非存在下では揺らいでいた活性部位のTyrのコンホメーションが固定されること、この構造変化により活性部位の立体障害が解消されることを明らかにした。このTyrの側鎖と基質との疎水性相互作用により遷移状態が安定化され、その結果としてkcatが増加したことを示唆している。また、NaCl溶液中での活性を担う水分子のpKa風の変化についても、活性部位の亜鉛イオンへの塩化物イオンの結合が観察されたことから、塩化物イオンの結合が亜鉛イオンの電子状態を変化させ、水分子を分極させる能力が低くなった結果、水分子のpKaを上昇させた可能性を示唆している。第四章では本研究の総括を行い、酵素の耐熱性の獲得と食塩による活性の上昇について考察している。

以上、本論文は、X線結晶構造解析の手法を用い、金属プロテアーゼの構造機能相関を明確に示しており、学術上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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